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2011年02月28日

「有難い」の反対語は「当たり前」

「有難い」の反対語は「当たり前」

ものの本を読んでいましたら、「有難い」の反対語は「当たり前」だと出てきました。

「有難い」はそうですよね、
滅多にない事、
あり得ないこと、
日常では考えられないこと、
有る事が難しい事ですよね。

「当たり前」は、
在って当然、
いつもある事、
珍しいことではないことですよね。

ある方から「ありがとう百万遍」を教えて頂いて数年になりますが、実践していますと次々と不思議な事が起こってきました。

先日、経営の神様・松下幸之助の経営理念を教えて頂きましたが、やはり感謝の言葉が出てきます。

松下幸之助さんは新入社員の言葉にも真剣に耳を傾けたと言われます。
最後には「ありがとうね」と言われていたようです。

有難いことに出くわしたら「ありがとう」
そうでなくても人にお世話になれば「ありがとう」
当たり前のことであっても「ありがとう」

それが大変な勘違いをしておりました。
実は、私の勝手な憶測で、「ありがとう百万遍」は生涯で口にできればいいことと解釈をしていたのです。

それなら、頑張れば十分達成できるとたがを踏んでいたのです。
とんでもない事でした。

教えて頂いた先生の本を改めて読んでみましたら、
一日に3000回、一か月に10000回、一年で1000000回。
と言う事でした。

一日3000回唱える事は決して不可能ではありませんよね。
問題は、一年間徹底して続けられるか。

実践してみたら、確実に変わる何かを実感できるかもしれませんね。

「当たり前」に気を動かされることなく、「有難い」事にこそ感謝の心を捧げないといけませんね。

今日も一日。
  


Posted by misterkei0918 at 10:32Comments(1)

2011年02月26日

逃したチャンスは二度と戻ってこない

逃したチャンスは二度と戻ってこない

チャンスは、準備していた人にこそ多く巡ってくるような気がします。

待っている人、
備えて準備している人、
継続的に修錬している人・・・・・

そうでない人に比べると、
対処の仕方が異なる事、
熱意が既に存在すること、
持ちうける知恵が既に備わっていること・・・・・

そして、巡ってきたチャンスは二度と戻ってこないような気がするのです。
或いはそのように思っていた方が、チャンスをものにする、しようとする心構えが違ってくるように見えます。

チャンスをみすみす逃すにも、ちょっとしたコツがあるようにも思えます。
折角、巡ってきたチャンスですから出来れば残念な思いを持つ事。

「また来るからいい」程度に思っていてはいけません。

「二度ある事は三度ある」

安易な見逃しは、来る筈の新たなチャンスまでも見逃してしまいますし、そうでなくても再び「また来るからいい」の思いに駆られてしまうものです。

チャンスは喜びの気持ちを持って大事にするか、「また来るからいい」程度の軽い気持ちで受け流してしまうか。

この差は大きいようです。

同じチャンスはまた巡ってきそうですが、外見は全く同じに見えても異なるチャンスであることを知っておかなくてはいけないようです。

だって、あの時に安易に「また来るからいい」と相手にしなかったチャンスですからもうこちらの心構えが異なっています。

同じ状況、同じ重みのチャンスにする為には、それなりの覚悟と努力が伴わないと同じにはならないでしょう。

日頃、スケジュールに追われる日々ですが、自分が見逃したあの時のチャンスはもう二度とは訪れてこないのではないかと思う心構えで対峙することが必要な気がします。

つまり、チャンスを失うにも覚悟が要るようです。
  


Posted by misterkei0918 at 23:38Comments(0)

2011年02月26日

政治家にとって嘘は、ぜったい禁物のはず

政治家にとって嘘は、ぜったい禁物のはず

もう悲しい日々です。
この国のリーダー達はどうなっているのでしょうか。

期待をしすぎた反動とはいっても、悲しい限りです。

普天間の事しかり、
方便発言、
法務大臣の不用意発言、
大臣になっては可笑しい人がなっていたり、
びっくり発言に至っては、
国会の予算委員長の携帯問題、
強権的な国会運営、
今まで絶対反対だった人がいきなり消費税提示、
社会保険の問題は、全く進まず、
あるあると言った埋蔵金はたいしたことなく、
公共工事を削りすぎたために地方の景気はますます沈滞、
とめた筈のダム工事は継続中だし、
政治とお金の問題も後を絶たず、
公務員削減を声高らかに言ったのは誰だったのか、
公務員給与のカットは何処のマニュフェストだったのか、
ちぐはぐで的を得ない国会答弁、
ファッション誌の撮影を国会内でしてみたり、
「一番でなければいけないの」発言が飛び出して顰蹙を買ったり、



もう嫌になってきました。

素人の私が物の数分でこんなことがスイスイ出てくること自体が全く悲しい事態です。

子供政治と言われても、
言いたい放題と言われても、
考えが定まっていないと言われても、
肝が座っていないと言われても、
思想信条がないと言われても、
朝令暮改と言われても、



ここまで来たらそのように言われても仕方ありません。

不思議で不思議でたまらないのです。

昨日は自らのマニュフェストに対してこんな発言まで、
「誰が見てもできないことを、いつまでもできると言うのは、まさしく国民に対する不正直だ」

と言う事は最初から嘘だったという事でしょう。
端的に言えば、国民を騙したという事です。

これは由々しきことではないのでしょうか。
信じて投票した人々を裏切る決定的な発言であって、幾ら大人しい私でも憤りを感じてしまいます。

もうどうにかして欲しいと投げやりな気持ちにもなってしまいます。
ただでさえ、国民は問題が山積しているのですから政治家はしっかりして欲しいものです。

だって政治は国民に安心安全を、確保するために存在するのでしょうから。
それが、逆に国民に心配を掛けてどうするのですか。
  


Posted by misterkei0918 at 23:10Comments(0)

2011年02月26日

政治家にとって嘘は、ぜったい禁物のはず

政治家にとって嘘は、ぜったい禁物のはず

もう悲しい日々です。
この国のリーダー達はどうなっているのでしょうか。

期待をしすぎた反動とはいっても、悲しい限りです。

普天間の事しかり、
方便発言、
法務大臣の不用意発言、
大臣になっては可笑しい人がなっていたり、
びっくり発言に至っては、
国会の予算委員長の携帯問題、
強権的な国会運営、
今まで絶対反対だった人がいきなり消費税提示、
社会保険の問題は、全く進まず、
あるあると言った埋蔵金はたいしたことなく、
公共工事を削りすぎたために地方の景気はますます沈滞、
とめた筈のダム工事は継続中だし、
政治とお金の問題も後を絶たず、
公務員削減を声高らかに言ったのは誰だったのか、
公務員給与のカットは何処のマニュフェストだったのか、
ちぐはぐで的を得ない国会答弁、
ファッション誌の撮影を国会内でしてみたり、
「一番でなければいけないの」発言が飛び出して顰蹙を買ったり、



もう嫌になってきました。

素人の私が物の数分でこんなことがスイスイ出てくること自体が全く悲しい事態です。

子供政治と言われても、
言いたい放題と言われても、
考えが定まっていないと言われても、
肝が座っていないと言われても、
思想信条がないと言われても、
朝令暮改と言われても、



ここまで来たらそのように言われても仕方ありません。

不思議で不思議でたまらないのです。

昨日は自らのマニュフェストに対してこんな発言まで、
「誰が見てもできないことを、いつまでもできると言うのは、まさしく国民に対する不正直だ」

と言う事は最初から嘘だったという事でしょう。
端的に言えば、国民を騙したという事です。

これは由々しきことではないのでしょうか。
信じて投票した人々を裏切る決定的な発言であって、幾ら大人しい私でも憤りを感じてしまいます。

もうどうにかして欲しいと投げやりな気持ちにもなってしまいます。
ただでさえ、国民は問題が山積しているのですから政治家はしっかりして欲しいものです。

だって政治は国民に安心安全を、確保するために存在するのでしょうから。
それが、逆に国民に心配を掛けてどうするのですか。
  


Posted by misterkei0918 at 23:10Comments(0)

2011年02月24日

グローバルもボーダレスももう要らない?

グローバルもボーダレスももう要らない?

最近の世界の経済の状態を見ていると、一触即発、何処かで混乱をきたすか、潰れるか。
もしかすると1920年代の強硬に近い混乱が待ち受けているような気がしないでもありません。

ユーロの国々も国債の暴落事件だって、何処で起きても可笑しくない状態でしょう。

日本も平和に見えますが、国、地方の借金が1000兆円に近付いてきましたし、危険水域のGDPの2分の1ももうそこまで来ています。

先日、日本国債の格下げが行われたばかりです。

最近では、FTPだの、TPPだの、グローバル化を象徴するようなことが矢継ぎ早に検討されています。

素晴らしい技術を持っていても、すぐさまものまねをし類似品を作り、安値で売られてしまいますし、東南アジアの安い品物だけではなく労働力までも押し寄せて、国内の企業はデフレ状態を脱却できない事態に陥っております。

幾ら、日本の優秀な技術や製品、農産物がいいと言っても輸出がそんなに順調にいくとは思えませんし、そのうち似たような品質の製品が出てくるのは火を見るよりも明らかです。

それでも国内で工場を置いてもの作りができるうちは良いのですが、安い労働力を求める動きは過去の例を見なくても明らかです。

世界中の民主化の状態や政治、経済、文化の状態が手に取るように見れますし、大いに参考にもなりますし、観光等は楽しませていただけますが。

また、このたびの中東地区での民主化がフェイスブック等のネットによるものなのは明らかですし、歓迎するべきことではあります。

経済至上主義が高じて、それぞれの国々は決して幸せな方向へは向かっていないような気がするのです。

押し並べて総合的に考えたら、もうそろそろグローバルもこのレベル位でいいのではないかと思ったりいたします。

片方では、ボーダレスをいわれ、過剰な企業間競争が強いられ、極端にいえば「儲かることであれば何でもやる」的な風潮が蔓延しています。

極端な例が、大型スーパーやコンビニの出現がそうでしょう。

地域の商店街はすべからく退廃をし、シャッター通りと言われる所がいたるところで出現しています。
八百屋さんや魚屋さん、親しいもの同志が親しく声を掛け合ったり、支え合ったりした懐かしい姿は今後見る事はないでしょう。

ヨーロッパでは、外国人労働者の排斥運動が盛んになり、低賃金の雇用がなされるがあまり、国内の若い労働者の働く場所が失われてきているようです。

もう、ここらで反省してグローバルやボーダレスを終わりにできないものでしょうかね。

それもこれも、アメリカなどの世界戦略に誘われた結果ではないのでしょうか。
  


Posted by misterkei0918 at 14:24Comments(0)

2011年02月23日

月の心、太陽の心

月の心、太陽の心

最近は出来れば月の満ち欠けに興味を持つようにしています。

太陽は、見る意識がなくても、否応なしに見ています。
と言っても直視しているわけでもありませんが。

特に満月と新月を。

ある人の弁を借りれば、「女性は月を観ることと山登りをしては駄目」という事を言われてましたがどういう事なんでしょうかね。

太陽は生命の源の様な気がしますが、月は生命のリズムを刻んでいるような気がするのです。

今年が兎年だからという訳ではありませんが、月には何か神秘的なものを感じてしまいます。

月や太陽に心が存在するわけではないのですが。もし存在するとすればどのような心なのかなど感じることを羅列してみることにしました。

その事が、じゃー地球はどうなの?自分はどうよ、なんて思いを巡らせて見る事にしました。

結局は月や太陽をみてどんな印象?という事でしょうか。

月の印象は
冷たい、
研ぎ澄まされた、
冷静、
可愛い、
寂しい、
暗い、、
水、
氷、
消極的、
伝説的・・・

太陽の印象は
情熱、
灼熱、
感情、
ほとばしる、
爆発、
明るい、
行動的、
火、
大きい、
エネルギー・・・

月と太陽の微妙なバランスの中で悠久の地球の歴史が刻まれた訳ですから、その影響は無視できませんし有難さを感受することが大事ですよね。
  


Posted by misterkei0918 at 21:13Comments(1)

2011年02月22日

名刺が黄金比だったことご存知でしたか?

名刺が黄金比だったことご存知でしたか?

私は初めて知りました。

印刷業界にいて、しかも日常的に使っている名刺がまさか黄金比になっているとは、夢にも思いませんでした。

皆さんは名刺をどのくらいお使いになりますか。
私は、一か月で約200枚。

多分多い方でしょうね。

ネットで調べてみましたら、
「現在、日本国内で使用されている名刺は1日に約3,000万枚、年間消費量として約100億枚程度の計算になる」と言う事です。

サイズは、一般的なもので55×91mm
中国の名刺はこれより幾らか小さいようです。

名刺は多く配ればいいというものでもありません。
配り方や配る心の在り方が大事ですよね。

これから選挙の時期に入りますが、闇雲に誰彼構わず配っている姿を見ると、そんなに名刺を粗末に扱っていいのかと悲しくもなります。

その名刺の縦横の比率が黄金比になっていることをご存知でしたか。

たまたま業界のメーカー情報誌で初めて知りました。

『古代ギリシア以来「神の比」とまで呼ばれた黄金比。
人間にとって最も安定し、美しい比率とされ、建築や美術的要素の一つとされる。 縦横2辺の長さの比が黄金比になっている長方形は、どんな長方形よりも美しく見えるといいます』

その比率とは。
1:1.61803...または1:0.61803...。

黄金比と言えば、
モナリザ、パルテノン神殿・・・・・

身近では
タバコのパッケージ、クレジットカード、名刺やパスポート、ポケットサイズのデジカメ・・・・・

日本には古来から「白銀比」と言われる比率が存在し、「大和比」とも称され仏閣の建築などに使われていたようです。

多分、建築設計の方々は詳しくご存じでしょうが。

やはり教えて頂くとこんな不思議な事が多いものです。
  


Posted by misterkei0918 at 14:45Comments(0)

2011年02月22日

ネットは本当に大丈夫か?

ネットは本当に大丈夫か?

いつもパソコンやipadを使っていて危惧する事があります。
「本当に大丈夫なのか?」

現実にも大丈夫でないことは十分分かってはいますが。
「地震は?火事は?盗難は?
セキュリティは?、ウィルスは?」

そんな思いを抱いた事はありませんか。

最近はクラウドが喧伝されていますが、これとてどうなんでしょうか。

「手元のPCのデーターやプログラムを入れているよりも安心安全」
「セキュリティ対策も万全」
「ウィルス対策もばっちり」

「ハードのスペックも軽くて済むし、アプリケーションも要らなくなる」
「バージョンアップの手間もいらない」
「技術的にそんなに詳しい人がいなくてもOK」


などなど。

このたびの、チュニジアやアルジェリア、エジプト、リビア・・・・・

全てでネットを使った情報伝達の手段を使っています。
特に、フェイスブック。

伝達は確かに確実で早くて、比較的隠徳性があっていいのですが、一旦国がその気になって動き出せばネットでも切断できる事が如実に立証されました。

フェイスブックの中に入り込んで、スパイもどきの活動をする。
パスワードを盗み、仲間になりすまして、ネット仲間を寸断し破壊的な活動を行う。

挙句の果ては、プロバイダーに国家権力をかざして、ネットワークの切断をする。

やろうとすればやれることですよね。
現実になって今回の民主化運動に対決したわけですから。

場合によっては、そのような事態でなくても国家、或いは反体制活動家、
若しくは第三国の敵対国が、似たような行動に出ることだってあり得ます。

小さいことでいえば、競争相手の企業をつぶす、混乱させる目的でネット絡みの策動をはかることだってやれるという事です。

もしかすると、太陽に磁場が狂って、ネットに過大の打撃を与える事もあり得る事ではないでしょうか。

進み過ぎた文明は、何時かしら果てる運命を持っているものです。

これは私の単なる危惧ですが、或いは現実化しないとも言えません。

若い頃から、コンピューターの世界で生きてきた私でも、こんな思いに駆られることがあります。

このたびの事を教訓として、こういう事もあり得るという事を肝に銘じていた方がいいかもしれません。
  


Posted by misterkei0918 at 13:47Comments(0)

2011年02月21日

方便(ほうべん)って?

方便(ほうべん)って?

期待を裏切るのもいい加減にして欲しいと思います。
沖縄の人々の心を弄(もてあそ)んでいるかのようです。

何処まで、人心を惑わせえば済むのでしょうか。

政治家は、人々の安心や安全、安寧の日々の為に命を投げ打ってでも身を捧げる人々であった筈です。

政治家は、ポリテシアンとステイトマンと英語で言うらしい。

今時の政治家は、多分、ポリテシアンでしょうかね、或いは日本でいう所の政治屋。

権力志向で、上り詰める事が大好きで、
表面は庶民代表みたいな顔をして、
所謂、羊顔(ひつじがお)、
耳障りのいい言葉に終始して、
当選したら胸を反らせて・・・・・

ステイトマンは国民の代表というプラスの意味だから、

信念に裏付けされた活動を旨として、
党利党略に惑わされないで、
庶民の生活の中に常に溶け込んで、
時には、導くためには語気を強めたりして・・・・・


「嘘も方便」と昔は教わりました。
許される環境が整っていて、人の心を傷つけたり、心を惑わすような方便があってはいけません。

それは方便ではなくて「真っ赤な嘘」であります。
許されることではありません。
ましてや政治家には。

国政を担う人は国民のリーダーであって模範的な行動規範を持ち合わせていなくてはいけません。

ことの発端は、
鳩山前首相が同飛行場の県外移設を断念し、県内移設を決めた理由に「抑止力」を挙げたのは「方便だった」と発言したことでした。

そんな発言があっていいのでしょうか、沖縄の人々を愚弄しているとしか言いようがありません。

今日の産経新聞には、
これまた信じがたい発言が掲載されています。
「方便は真理に導く手段」だというのです。

真理がそこにあったなら、最初から真理、真実を語るべきでしょう。
それがステイトマンであります。

今日のブログは怒りの鉄拳になってしまいました。
私一人が吠えてもどうにもなりませんが。
  


Posted by misterkei0918 at 14:39Comments(0)

2011年02月20日

こんな人もいるんだ!!

こんな人もいるんだ!!

昨日は沖縄から帰ってきましたが、「こんな人もいるのか」を体験。

その前に。
やはり沖縄は暖かい。
到着した飛行機からタラップに降りた途端に、生暖かい空気に包まれました。

やはり南国の匂い。
気温は15度以上はあると思われます。

それと若い方々が多い事。
観光もあるのでしょうが、国内10球団、韓国のサムスンのプロ野球の春季キャンプ見たさの若者たちのようにも感じます。

修学旅行の高校生でしょうか。
特に女の子のキャーキャーの笑い声や話し声が耳に答えます。

昨日にブログにも書きましたが、今回の沖縄行きは散々でした。
決して面白くないとか、嫌な思いをしたとか、行かなければ良かったという事ではありません。

全体的には素晴らしい沖縄だった事は否めません。

こんなことが帰りの飛行機の中でありました。
一つは私自身の懺悔です。

携帯電話は当然電源を切っておかなくてはいけませんよね。
到着して到着ロビーを歩きながら携帯の電源を入れようとしたら、既に入っているのです。
つまり電源が入ったまま、搭乗していたという事になります。

申し訳ありませんでした、懺悔です。

あとひとつ。
座った席が丁度飛行機の真ん中付近でした。
3席が連なった状態です。

いつもの私は通路側の席を取るようにしているのですが満席のために私は窓際から2席目。

前の席は、窓際の席の部分の椅子が無く、非常口の為の空きスペースになっています。
私の隣の窓際の席の方の足先は当然何もない状態です。

50~60歳位でしょうか、大きな荷物は足元に置いてありました。
私が席に着くや否や、私の足先、前席の下に荷物を置こうとするのです。

当然、私は足が伸ばせない状態になってしまいます。
困った私は「上の荷物入れに入れてあげましょうか」
反応がありませんでした。

次に私の足元にある荷物の中から何か取り出したいようです。
取り出した後、また私の足元に入れようとします。

丁度タイミング良く近くに搭乗員の姿が見えましたので、「搭乗員の方に荷物を上に入れてもらいましょうか?」と言う私の言葉に促されるように、入れて頂きました。

自分には前席がなく、足元に荷物が置けないことは分かっているようですから、最初から荷物棚に入れておけばいいのですが、私の足元に置こうとするその考えが理解できませんでした。

置かれた私は足が伸ばせないで、当然窮屈な思いで過ごすことも理解できる筈ですから。

世の中、不思議な人がいるものです。
快適に過ごすためにも、周りへの配慮が働かなくてはいけませんよね。
ましてや他人には。
  


Posted by misterkei0918 at 08:37Comments(0)

2011年02月19日

出来ごと続きの沖縄から戻ってきました

出来ごと続きの沖縄から戻ってきました

昨日の午後から、九州地区の業界の役員会の関係で沖縄へ行ってきました。

到着の後、ホテルへ直行してチェックイン。
一休みの後、近くの泡盛の直売店へ。
購入する予定はなかったのですが、只の散策です。

泡盛に黒糖焼酎、ワインにウィスキー・・・・・
殆どのアルコール類が取り揃えられ、見るだけでも目の保養になる位。

夜は、業界団体の懇親会。
オリオンビールに水割りの泡盛。

スーパードライを飲みつけた私としては、乾杯のビールはスーパードライであって欲しかった。
ちょっとした我儘です。

慌ただしい旅でした。

部屋のトラブルに遭遇。
私がフロントで頂いたキーが実は他人が使う予定に部屋だったようです。

名前を確認しなかった私も悪かったのですが、○○さんですねとしっかり確認されて貰ったキーでしたので疑う余地は全くありませんでした。

お陰でその方に私が謝る始末。

3次会のトラブル。
余り行きたくなかった気持ちがそうさせてのでしょうね。
2次会までは、順調にいったのですがお店に到着すると超満員。

助かったとばかりに宿泊ホテルに戻る事にしました。

帰りの飛行機のチケットが見つからない。
会議の会場から乗ったタクシーの中で飛行機のチケットがない事が発覚。

失うと改めて買いなおすことになるので必死です。
(見つかった時点で精算はしてくれますが)

背広のポケットやら、バックの中、財布・・・・・
結局はやはり背広の右ポケットから出てきました。
一件落着。

と思いきや、また出来事です。

帰りの飛行機のトラブル。
いつまで待っても帰りの搭乗案内がありません。

どうも機器整備のようです。
昨年の秋にセミナーできた沖縄の帰りも実はそうでした。
予感はしていたんです。

14:50分発が結局は、15:30と案内されたのですが、整備が旨くいかなかったのでしょうか。
別の飛行機でという事になりました。

おまけにゲートまで変更です。
飛行場の中の端っこまで、搭乗者の大移動です。

結局は15:50分位の出発だったように思います。

続くときには続くものです。

でも、無事に帰ってきたのですから感謝。
命に関わる事なら、ほっておけませんがこの程度の事は旅の想い出にしておきましょう。
  


Posted by misterkei0918 at 20:54Comments(0)

2011年02月17日

ひと雨ごとに!!

ひと雨ごとに!!

今日の福岡地方は朝から雨の一日になってしまいました。

でも、浮足立つような思いがしないでもないのです。

理由は雨の音や降り方に春の気配を確実に感じるからです。

2月3日の節分、
2月4日の立春、
2月19日の雨水、
そして、3月6日(旧2月2日)の啓蟄、
3月21日の春分の日、

街の梅の花が見事に咲き誇り、
蝋梅の花、サザンカ、椿・・・・・

花々や木々が今か今かと春のために備えています。

三寒四温、季節は確実に巡ってきました。
動植物もそうですが、人間も心も体も躍動の季節を待ち望んでいます。

あれほど記録的な灼熱の夏を経験した私どもは、もしかすると冬は顔を見せることなく通り過ぎてしまうのではないか、

いきなり春になってしまうのではないかと心配をしたものです。
所が自然の偉大さ、計り知れない雄大さの所以でしょうか。

確実に記録的な冬を私どもにもたらしました。

嬉しいものです。
冬が来て、春が来て、焼けるような夏が来て。
そして安らぎの秋が来て。
  


Posted by misterkei0918 at 19:25Comments(0)

2011年02月17日

政治家になると友を失う?

政治家になると友を失う?

政治一色の春がまもなくです。

そんなことはないと言われそうです。
議員の方々からみると、そうであっては当選もしませんし、当然立候補する人もいませんよね。

政治家になって友人知人を失うなら、最初から立候補しないというのが殆どかもしれません。

或いはそれを認めながらも敢えて政治信条を貫くために、立候補するという事もあり得ます。

むしろ、政治家になってからの方が多くの友人に恵まれたという方もあると思います。

考えてみましたら、政治家はその位の根性があった方がいいかもしれませんね。
意のある所に敢えて、飛び込む、火中の栗を自分が拾ってやる、世の中を変えてやるくらいの気構えが。

掲題の事は私自身の極めて個人的な意見であり、感じることですので或いは一般的でないことでもあるような気がします。

多くの市会議員をはじめ多くの議員の方々と接点がありましたし、付き合いもあります。
その多くは、魅力的だし精力的です。

尊敬に余りある人々です。

私の性格や経歴、能力がそのように言わせていると思って頂けば。

若い頃幾度か選挙に出ないかと誘われたことがありました。

周りに素晴らしい政治家がおられましたから尻込みをしたのかもしれません。

或いは、自分の能力や学歴のなさや行動力の限界、知的水準の低さが見えていましたし、家族が反対する、そして大変な負担を掛ける事も近くの政治家の様子から日常的に伺えていましたから、十分に予想できたものです。

中でも、一番の理由が「多くのわだかまりのない友人を失う」思いでした。

私も多くの団体に所属もしていましたし、今でも関わっています。

若しそういうことになれば、応援を頼むことにもなりますし、多くの団体の中には政治、宗教をご法度にしているものもあり、当然立候補するとなればそこから退会をすることになるものです。

或いは政治信条の違い、事情によっては応援できないことだってあり得ますし、場合によっては競争する相手を応援する友だって多いものです。

今の時代、友人たちとの仲を割いてまでする政治活動かと思ったりもしたものです。
そんな葛藤を乗り越えてでも、踏み込む勇気が必要なのかもしれませんね。

政治活動にそんな意気盛んになる魅力が足りなかった事もありますよね。

思えば、政治家の行動や信条が厳しく問われないといけません。

こんな言葉があります。
『『「政治屋(ポリティシャン)はつぎの選挙のことを考え、政治家(ステイツマン)はつぎの世代のことを考える。(ジェイムス・フリィマン・クラーク)」
  


Posted by misterkei0918 at 08:41Comments(0)

2011年02月16日

「思い」は「力」に姿を変える

「思い」は「力」に姿を変える

私どもは、日常的に思い悩むものです。
逆にだからこそ知恵が発達し、希望に満ちて、勇気を振り払い頑張っていけるものです。

幸せになりたい、
世の中の人々の役に立ちたい、
健康でいたい、
美貌を備えたい、


中には欲徳と思える思いも存分にあるものです。
金持ちになりたい、
リッチな人と結婚したい、
高級車に乗りたい、


事の善し悪し別にして、希いは叶うものです。

一過性のただの思いつきは駄目ですが、昔から言われるように「念ずれば生ず」、「念ずれば通ず」、「願は叶う」ものです。

その証拠に自分の過去を振り返ってみれば如実に実感するものです。

結婚したいと思った人と結婚している筈です。
幸せになりたいと思った人はなっている筈です。

若し未だにそんなことはないと感じている人がいるとしたら感受性が低いか、もうそこまで来ているか、あと少しの努力不足か。

或いは最初から幸福の女神に見放されているか。

人生には「引き寄せの法則」があると言います。

自らの人生は自らが引き寄せたものだという事です。

不思議なものです。

ですから物事を継続的に想い続けることのできる性格の方、
物事を陽気に前向きに捕えることのできる人、
人の事を優先的に考えることのできる人、
笑顔の絶えない人・・・・・

こんな人にはいち早く、何処からともなく幸せは忍び寄ってくるものです。
また、少々の労苦も厭わず、頑張れる事も大切でしょうね。

「思い」は「力」に姿を変える。
力に変わった思いはいつしかその人をまで変えてしまうもののようです。
  


Posted by misterkei0918 at 22:51Comments(0)

2011年02月16日

先憂後楽の想い

先憂後楽の想い

人は出来ればいつでも幸せの最中であって欲しいものです。
所がそういう訳にもいかないのが人生。

今が幸せいっぱいで、楽しい日々でありたいのですが、そういう訳にもいかないのです。

ましてや人の上に立つ人、政治家やリーダー的な存在の人、親もそうでしょうし先生もそうでしょう。

自分の事より、先んじて人の事に神経を注ぐ必要がありそうです。

昔の中国の政治家、范仲淹(989-1052)の言葉があります。
『先憂後楽』

「天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」から・・・国家の安危については人より先に心配し、楽しむのは人より遅れて楽しむこと。志士や仁者など、りっぱな人の国家に対する心がけを述べた語」

今は悲しいかな権力闘争に終始し、自らの身の保全にしがみつき、国民国家を論じる姿が見えず、素人政治に見えて仕方ありません。

悲しい時代になりました。

自分の事に置き換えてみると、
自分の幸せや楽しみは出来れば後回しにしてでも、他人のことを先んじてあげなさい。
憂いや心配ごとは、出来れば先に、楽しみは後に伸ばす或いは置いておいた方が良い。

と言う事でしょうかね。

難しい事ですが、そんな器量を備えて行くことが人間として成長するという事なのではないでしょうか。

また、先んじて憂うという事は物事の先取りですから、対処の仕方が利に叶う事にもなります。

と言う事は問題解決においても、真の解決に近い結論を導き出せるという事にもなるようです。

「先憂後楽の想い」
肝に銘じておきたい言葉です。  


Posted by misterkei0918 at 21:54Comments(0)

2011年02月15日

初めは処女の如く後は脱兎の如し

初めは処女の如く後は脱兎の如し

今年は兎年。
兎の年は株価が上がるなどと言われるものです。
最近、幾らかではありますが上がってきましたね。

流石に安心は禁物。
世界情勢がどのように動くか予想がつきませんし、人知や想像を超えた混乱も出てくるかもしれません。

油断の出来ない時代ですね。
ある経営コンサルタントの方は21世紀は穏やかな世紀になると言っておられたのですが。

国内の経済もどうも振るいません。
輸出産業は良さそうなことを聞きますが、これも分かりませんよね。

昨日の経済関連ニュースです。

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約40年間にわたり、米国に次ぐ世界第2位の経済大国の座に就いていた日本が、その座をついに中国に明け渡した。

 内閣府が14日に発表した2010年10-12月期(第4四半期)の国内総生産(GDP)速報値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比0.3%減、年率換算で1.1%減となり、5期ぶりにマイナス成長に転じた。

 2010年の名目GDPは約5兆4,740億ドルとなり、中国の同約5兆8,790億ドルを下回る結果となった。

 アナリストは、日本の第4四半期実質GDPがマイナス成長になった主要因は、輸出の減少や内需の落ち込みとみている。輸出は7期ぶりのマイナス成長となり、前期比0.7%減となった。また個人消費は前期に比べて0.2ポイント落ち込み、同0.7%増にとどまった。

 ただ、2011年第1四半期には、日本の実質GDPが再びプラス成長に転じると見られている。世界経済情勢の改善とともに、国内投資が増え、日本のビジネス活動が活発化すると考えられている。
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GDPは中国に抜かれたと言っても、一人あたりのGDPでは全く比較になりませんし、追い抜くのはそんなに簡単ではないでしょう。

しかも、今後の中国の政治の問題、民主化の事、経済の先行きを考えれば再び日本が返り咲くことだって十分にあり得ます。

「初めは処女の如く後は脱兎の如し」の言葉もあります。

『これは敵の攻撃法を説いたことわざ。 初めは処女のように弱々しくして敵を油断させ、後に逃げる兎のようにすばやく行動して一気に攻め立てろということ』

ですから、慌てないで看過する位がいいのではないでしょうか。

10倍の敵であっても、時には味方にすることだってできますし、元寇の時のように打ち負かすことだってあるのですから。

或いは味方として、取りこむくらいの度量を持った方がいいかもしれませんね。
  


Posted by misterkei0918 at 12:39Comments(0)

2011年02月14日

降伏(こうふく)と降伏(こうぶく、ごうぶく)

降伏(こうふく)と降伏(こうぶく、ごうぶく)

皆さんはご存知でしたか。
悲しいかな、私は全く存じませんでした。

12日土曜日の午後は民主党・原口前総務大臣の講演、
そのあとは歴史の勉強でした。

原口前総務大臣は、佐賀のご出身。
本日14日のgoogleの政治ニュースに政治団体「日本維新の会」と「佐賀維新の会」を結成する考えを明らかにされていますが、多分その用件を兼ねて福岡への訪問をされたのでしょうね。

流石にITの強い政治家ですから、「クラウド」やRuby言語、「ICT維新ビジョン」、「脳とICT」等の言葉が飛び込んできます。

そのあとは歴史の勉強です。
詳しい方がいらっしゃるものです。

13世紀中盤の「元寇」の話が中心です。

その中で一番興味を持ったのが「敵国降伏」の言葉でした。
亀山上皇の言葉だとか、醍醐天皇の文字だとか言われるようです。

福岡では、箱崎宮と福岡県庁前の亀山上皇の銅像に記載されています。
また、佐賀県武雄市の広福寺にもあるとか。

この「降伏」の読み方は「こうふく」ではなく「こうぶく、ごうぶく」とのこと。

我々が知っている「こうふく」は、白旗を掲げる事をすぐ想像してしまいますが、
ウイキペディアによると、
『降伏(こうふく、降服とも)とは、戦争において軍隊、あるいは個々の戦闘員が敵に対する戦闘行為をやめて、その支配下にある地点・兵員・戦闘手段を敵の権力内に置く事。投降とも。広義には抵抗を止めて相手に服従する事』

そうですよね。
所が、この場合は「こうぶく、ごうぶく」と読むのが正しいようです。

調べてみましたら、

『その人の自信を砕いて服従させること』
『調伏ちょうぶく』

『心身を調和して、悪業やや煩悩を抑える事』
『仏に祈願して怨敵、悪魔をおさえること』

私どもが考えていた「戦い敗れる」意味とは大よそ違っていますね。

当時の亀山上皇は敵国降伏の秘術・大元師法を伊勢神宮や春日神社、日吉神社等で行い、「我が身をもって、国を救え」と唱えられたようです。

戦いを持って敵を降伏させるという事ではなく、宗教上の秘術を持って敵の戦いの意思を萎えさせることだったようです。

もう一度「こうぶく、ごうぶく」を調べてみましたら、
「神仏の力や法力によって、悪魔や敵を防ぎ、抑える事」と言う事のようです。

今の世の中、こんなことを思いつくこともありませんが、今時の若者は敵が攻めてきたら「諸手を挙げて降参する」と答えるとのこと。

分からないことや全く思い違い、勘違いがどんなに多いことか、
やはり教えて頂く事が一番です。
  


Posted by misterkei0918 at 17:45Comments(0)

2011年02月14日

ブログも絵手紙の極意にも似て

ブログも絵手紙の極意にも似て

話題や興味深いテーマを見つけて、ブログを継続的に続けるのも難しいものです。

何か続けないといけない理由とか、
束縛、
続けることで相応の利益がある、
義務感、
脅迫、


私のブログは、大よそ6年は続いているような気がします。
その続ける理由は、自分への戒めや反省、
明日への勇気づけや励ましと思って書いています。

多くの方々に読んでほしいとか、利益誘導したいとか、認知してほしいとかの想いがあったとしたら多分、途中で挫折していたものと思っています。

書くために、十分な時間も取れませんし整理も出来ませんのである意味書きなぐり状態、垂れ流しと言っても過言ではないでしょう。

先日、ラジオを聞いていましたら絵手紙の開発をされた代表の方のお話がありました。

絵手紙を書く上で大事なこと、

綺麗に書こうと思わない、
下書きなど書かない、
はがきからはみ出す位に・・・・・

リアルとバーチャルの違いはあれど、やはり基本は同じですよね。

ビジネスブログや広告宣伝を兼ねたブログ、多くの人々に正確な情報を知らしめるブログなら別ですが、
続けようと思うなら、

ブログでも、立派な文章や人を唸らせる文章など必要ありません。
また、下書きをしたり、研究、調査なども必要ないものです。
想いはしっかり膨らませて、文章からはみ出すような思いをぶつけた方がいいかも。

かっこいい文章にしようとか、人に訴えたいとか思いだすと途端に肩に力が入って、1ヶ月もいい方ではないでしょうか。

少なくとも私はそうです。

場合によっては、誤字脱字もよし、文脈も素人でいいと思っています。

書いている事が、自分に跳ね返ってくれば。
  


Posted by misterkei0918 at 16:23Comments(0)

2011年02月13日

正しい事は他人の中にこそある

正しい事は他人の中にこそある

最近富にそんな事の感を強めています。
或いは私自身の自信のなさや、弱さがそのように言わせているような気もしますが。

自分は物事を正しく知っている、
正しい結論を導き出す能力を持っている、

知識、知恵を問題解決に集中して傾けられる、
その前に十分な知識、知恵を自らが有している


こんな自信がどうしても持てないのです。

社会が複雑化すればするほど、そんな思いがしてなりません。

色んな事の結論を導き出すには、やはり様々な立場の方に聞いてみる、投げかけてみる。
他人依存と思われそうですが、実はこれこそ情報が溢れ、心身ともにかき乱される現代の生き方のような気がします。・・・・・

この事の大切さを痛感する日々です。
一人の人間が持つ能力は極めてか細いものですし、どんなに努力をしてもその全てをわが物には出来ないものです。

であれば、他人に力を借りる。

となると今度は見極める力が必要かもしれませんね。

正しいことを見極める目。

これこそ難しい事ですが、これから生きる人間に最も要求される大切なことやも知れません。

マスコミを見ている、読んでいても要求されるのは見極める目、能力ですよね。

それがないと、ただ人の意見に迎合し受け入れているに過ぎません。

基本は、自らが正しい心や物事の本質を持っているのではないけど、見極める目。

これからの子供達は、難しい時代を生きてゆきますが周りの大人がそんな事も教えてあげる事が必要かもしれません。

特に心の問題は。
自分が正しい心を持っているのではなく、むしろ他人の中にこそ正しい心や真実が潜んでいることを。

それとこれからは努力を怠る人、傾注できない人はますます置き去りになる世の中になってしまう事だけは間違いなさそうですね。
  


Posted by misterkei0918 at 08:18Comments(0)

2011年02月10日

避けれない苦しみは?満たされない欲望は?

避けれない苦しみは?満たされない欲望は?

先日は、明治維新時の詩人、野村望東尼さんの事を学んできました。

野村望東尼さんは、明治維新に活躍した高杉晋作や平野次郎國臣等に加担し、そういう意味で貴重な方かとばかり思っておりましたが、ご自分の境涯としてはどちらかと言うと詩人として想いが勝っていたようなことでありました。

詩人としての思いを貫こうとする行動が、勤皇の志士たちの志と共通する部分があって関わりを持たれた様な気がしてきました。

そういう意味では積極的な関わりではなかったのでしょうか。

まだ引き続き勉強してみたいものです。

当日、野村望東尼さんが道元禅師を極めて尊敬されていたという事で和尚の言葉を教えて頂きました。


『避けることの出来ない苦しみを
避けようと思わないこと。

満たされることのない欲望を
満たそうと思わないこと。

四苦八苦を そのまま受け入れる覚悟が大事。

まずは現実をしっかり受けとめて
前向きに生きる。

現実は避けるのではなく
解決方法を見出してゆく。』


『道元(どうげん)は、正治2年(1200年)の生まれで3歳で父を、8歳で母を失う。鎌倉時代初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。同宗旨では高祖と尊称される。一般には道元禅師と呼ばれる。

徒(いたずら)に見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあるという修証一等、只管打坐の禅を伝えた。

成仏とは一定のレベルに達することで完成するものではなく、たとえ成仏したとしても、さらなる成仏を求めて無限の修行を続けることこそが成仏の本質であり(修証一如)、釈迦に倣い、ただ坐禅にうちこむことが最高の修行である(只管打坐)と主張した。』

人生は、逃げる事より勇敢に立ち向かおうとする姿勢こそが心の安らぎに繋がるものであって、安易に逃げてはいけませんと言う事なんでしょうね。

道を開くという事は、自らの努力なしではいけません。
まずはしっかり受け止めて冷静に前向きに判断を加え、自分で解決の道を見つけましょうと説いておられるようです。

歴史を学ぶ事は、自らの心を鏡に映すようだと教えて頂いた事もあります。

先達が営々として教えて頂いた事を、学ぶことなく、触れることなく人生を終わる事は自分を真に見つめる努力を怠っていた事になるのかもしれません。

日常に追われるだけでなく、過去や歴史に振り返るゆとりこそ現代のわれわれに要求されていることかもしれませんね。
  


Posted by misterkei0918 at 09:09Comments(0)