2010年02月26日
それぞれの人生はそれぞれにドラマ
それぞれの人生はそれぞれにドラマ
人生は口にして語れないほど複雑で変化に富んでいて、たぶんドラマにするには充分な内容だと思われます。
それは誰の人生でもそのようでしょう。
単純で語るほどのものではない人生など一つたりとも無いように思えます。
またそうであるから人生は楽しくもあり苦しくもあり。
ドラマですから当然、可笑しくもあり涙あり、高揚するときもあり、浮沈も激しいものです。
グラフに出来る技術が発見出来ると面白いでしょうね。
色もついていて、心の動きや体の調子なども描けて、経年変化が見て取れたりして。
当然、演じるのは自分ですが、人生の終焉にはそれが見れたりする。
有り得ない話ですが、晩年には走馬灯のように脳裏をかすめる自分の姿を見て取れるなんて素敵なことです。
そうなると、いい加減な生き方は出来ませんよね。
かといって面白くない人生になると意気消沈して落ち込んだ状態で終焉を迎えることになってしまいます。
当然、むしろ変化に富んだ、山あり谷あり、悲喜こもごも、千変万化の人生のほうが振り返るには感動的で面白いものです。
感激する場面をドラマ化出来ていた方が面白いわけですから、それぞれに工夫をした人生が展開されるかも知れませんね。
そこで天国行きか、地獄行きか、評価がされるなどの場面があるとしたら、それこそ人生は行き当たりばったり、中途半端、社会に背いた生き方などできなくなってしまいます。
人生はドラマ。
そんな生き方がしてみたいものです。
しかも面白く意義深い生き方が。
人生は口にして語れないほど複雑で変化に富んでいて、たぶんドラマにするには充分な内容だと思われます。
それは誰の人生でもそのようでしょう。
単純で語るほどのものではない人生など一つたりとも無いように思えます。
またそうであるから人生は楽しくもあり苦しくもあり。
ドラマですから当然、可笑しくもあり涙あり、高揚するときもあり、浮沈も激しいものです。
グラフに出来る技術が発見出来ると面白いでしょうね。
色もついていて、心の動きや体の調子なども描けて、経年変化が見て取れたりして。
当然、演じるのは自分ですが、人生の終焉にはそれが見れたりする。
有り得ない話ですが、晩年には走馬灯のように脳裏をかすめる自分の姿を見て取れるなんて素敵なことです。
そうなると、いい加減な生き方は出来ませんよね。
かといって面白くない人生になると意気消沈して落ち込んだ状態で終焉を迎えることになってしまいます。
当然、むしろ変化に富んだ、山あり谷あり、悲喜こもごも、千変万化の人生のほうが振り返るには感動的で面白いものです。
感激する場面をドラマ化出来ていた方が面白いわけですから、それぞれに工夫をした人生が展開されるかも知れませんね。
そこで天国行きか、地獄行きか、評価がされるなどの場面があるとしたら、それこそ人生は行き当たりばったり、中途半端、社会に背いた生き方などできなくなってしまいます。
人生はドラマ。
そんな生き方がしてみたいものです。
しかも面白く意義深い生き方が。
Posted by misterkei0918 at
22:21
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2010年02月26日
人の命は儚くて
人の命は儚くて
人はいつ命果てるとも知れないとはこの事です。
人間の叡智や常識からからすれば、別れるとき、遠くへ旅立つ時は「さよなら」とか「お世話になったね」位の言葉のやりとりは欲しいものです。
今日も先輩の告別式に行ってきました。
毎月2度ほどはお会いして、杯を酌み交わすほどです。
お人柄も素晴らしく大手銀行で務めておられましたのでそれなりに人格、識見共に尊敬を申し上げておりました。
しかも柔和なお方でしたので、周りからの信頼も厚く多くの方々からも慕われていました。
今日も告別式のお別れの言葉にしても、やはり充分にお人柄が感じられる弔辞が多かったものです。
特にお孫さんのお言葉にはつい、貰い泣きをしてしまいました。
ついこの間、2月2日には一緒にお酒を頂いたところです。
全く今日の状況を想像すら出来ない、お元気なご様子だったのです。
昨年の秋すぎに一時的に入院はされていたようですが。
復帰されましたので当然、充分の快気されたものと思っていたのです。
この前のお正月にも先輩がお一人急に亡くなってしまいました。
どうしたことでしょうか。
唐突に人間としての関わりが途切れることは悲しいことでもあり、呆然としてしまいます。
謂わば私自身もそのような年齢の域に到達したと言うことでしょう。
いつ、人の命は尽きるのか、分からないからいいと言う事もあります。
しかも、「さよなら」とか「お世話になったね」などという事も無く、自然の成り行きのままでこの世を去っていくことの方がお互いに良いのかも知れませんね。
もしもそういうことだとしたら、罪作りな事にもなってしまいますし、尽きない未練、離れがたい思いの中で非上に険しい厳しい状況も生まれるような気がします。
いずれにしても、この世に未練なく、成仏を願いたいものです。 合掌!!
人はいつ命果てるとも知れないとはこの事です。
人間の叡智や常識からからすれば、別れるとき、遠くへ旅立つ時は「さよなら」とか「お世話になったね」位の言葉のやりとりは欲しいものです。
今日も先輩の告別式に行ってきました。
毎月2度ほどはお会いして、杯を酌み交わすほどです。
お人柄も素晴らしく大手銀行で務めておられましたのでそれなりに人格、識見共に尊敬を申し上げておりました。
しかも柔和なお方でしたので、周りからの信頼も厚く多くの方々からも慕われていました。
今日も告別式のお別れの言葉にしても、やはり充分にお人柄が感じられる弔辞が多かったものです。
特にお孫さんのお言葉にはつい、貰い泣きをしてしまいました。
ついこの間、2月2日には一緒にお酒を頂いたところです。
全く今日の状況を想像すら出来ない、お元気なご様子だったのです。
昨年の秋すぎに一時的に入院はされていたようですが。
復帰されましたので当然、充分の快気されたものと思っていたのです。
この前のお正月にも先輩がお一人急に亡くなってしまいました。
どうしたことでしょうか。
唐突に人間としての関わりが途切れることは悲しいことでもあり、呆然としてしまいます。
謂わば私自身もそのような年齢の域に到達したと言うことでしょう。
いつ、人の命は尽きるのか、分からないからいいと言う事もあります。
しかも、「さよなら」とか「お世話になったね」などという事も無く、自然の成り行きのままでこの世を去っていくことの方がお互いに良いのかも知れませんね。
もしもそういうことだとしたら、罪作りな事にもなってしまいますし、尽きない未練、離れがたい思いの中で非上に険しい厳しい状況も生まれるような気がします。
いずれにしても、この世に未練なく、成仏を願いたいものです。 合掌!!
Posted by misterkei0918 at
16:01
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2010年02月25日
正確には伝わらないと思っていたほうが
正確には伝わらないと思っていたほうが
親子でさえも意思の疎通はなかなか上手くいかないものです。
伝えたつもりが全く伝わっていなかったり、逆に意味に伝わったりもします。
「以心伝心」とか、
「思いは通ず」とか言ったものです。
それはほんの僅かであって、殆んどないと思っていた方が良さそうです。
余程同じ方向を目指している人同士か、
夫婦のように長い年月を同じ環境、同じ場所で、日常的に接していて感情の動きも掴めているような間であれば、そんな事もありますが。
分かっているはずとか、
伝わっているはずとかは普段は身勝手な判断で繁くそんなにあるものではありません。
そりゃ、偶然同じ考えだったり、同じことに思いが走っていたりもしますから、時には同期が取れていたりすることはあります。
正確に伝えたいことは、目を見て表情を加えながら話しことに終止することが大事なことのようです。
私も良くあります。
親子だから分かっていて当たり前とか、
同じ会社にいる社員だから、理解してくれているだろうとか。
でも、分かってはくれていないのです。
自分が他人の思いや考えが分かっていないのですから、他人は分かってくれているわけがないのです。
が、人間は極めて身勝手なもので自分に都合に良い様に全てを解釈したいものです。
むしろ、良くは理解してくれていないと思いながら人とのコンタクトは取った方がスムースな様です。
それが余りしつっこいのは嫌ですが。
親子でさえも意思の疎通はなかなか上手くいかないものです。
伝えたつもりが全く伝わっていなかったり、逆に意味に伝わったりもします。
「以心伝心」とか、
「思いは通ず」とか言ったものです。
それはほんの僅かであって、殆んどないと思っていた方が良さそうです。
余程同じ方向を目指している人同士か、
夫婦のように長い年月を同じ環境、同じ場所で、日常的に接していて感情の動きも掴めているような間であれば、そんな事もありますが。
分かっているはずとか、
伝わっているはずとかは普段は身勝手な判断で繁くそんなにあるものではありません。
そりゃ、偶然同じ考えだったり、同じことに思いが走っていたりもしますから、時には同期が取れていたりすることはあります。
正確に伝えたいことは、目を見て表情を加えながら話しことに終止することが大事なことのようです。
私も良くあります。
親子だから分かっていて当たり前とか、
同じ会社にいる社員だから、理解してくれているだろうとか。
でも、分かってはくれていないのです。
自分が他人の思いや考えが分かっていないのですから、他人は分かってくれているわけがないのです。
が、人間は極めて身勝手なもので自分に都合に良い様に全てを解釈したいものです。
むしろ、良くは理解してくれていないと思いながら人とのコンタクトは取った方がスムースな様です。
それが余りしつっこいのは嫌ですが。
Posted by misterkei0918 at
15:37
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2010年02月25日
雨が降っても地は固まって欲しい
雨が降っても地は固まって欲しい
世界のトヨタが大変なことになっています。
これが世界一の怖さであり、グローバル社会の恐ろしさでしょうね。
私ども日本人から見ると、
余りにも大げさすぎるとか、
日本への行き過ぎたバッシングとか、
GM等の逆襲だ、
基地問題、普天間問題に対して何時までも結論を出せずにいる日本政府への嫌がらせ、
アメリカ社会の凄さを見せつけようとしている・・・・・
等の憶測や揶揄、誤解が飛び交っています。
私どもの目では、本来なら呼ばれてもいないアメリカ議会の公聴会へ自ら進んで出て行った豊田社長の行動を評価してあげたいのですが、どうもそうではなさそうです。
でも、一部の報道によるとアメリカ国民の中にも、少し酷過ぎるとか、車を買うならやはり世界一だし、安全だからトヨタを買うと言っています。
私のところも製造業ですから、お客様が第一。
望まれる製品を供給し、且つ法令の遵守が大事です。
適正な利潤を追求し、それを開発や教育、社員の福利厚生、設備投資の原資としていきます。
ましてや車のように、人命人身に関わってくるとなると問題はより複雑化し、純情な心構えではものづくりは出来ません。
世界的な企業ともなると、激しい国際競争の中で厳しい品質や経営を強いられますがそれに耐えられる企業のみが生き残る凄まじいサバイバルゲームです。
トヨタも今回の問題をちゃんと乗り越えて頂き、改めて世界一の企業として君臨して頂きたいものです。
それはこれからも世界の中の先進国として、生き延びていく日本の試金石であり、日本の象徴的な企業ですから頑張って欲しいと思っています。
日本が得意とするものづくりがこれからも世界的に認知されるかの瀬戸際に来ているとも言える出来事でもあります。
オーバーな言い方をすれば、日本の今後の浮沈を掛けた戦いでもあります。
日本では古来から「雨降って地固まる」と言います。
トラブルでも対処の仕方によっては却って見直されることは多々あること。
今回の事が、大きな教訓に成った企業は多いものと思われます。
日本企業頑張れ!!とエールを送りたいものです。
世界のトヨタが大変なことになっています。
これが世界一の怖さであり、グローバル社会の恐ろしさでしょうね。
私ども日本人から見ると、
余りにも大げさすぎるとか、
日本への行き過ぎたバッシングとか、
GM等の逆襲だ、
基地問題、普天間問題に対して何時までも結論を出せずにいる日本政府への嫌がらせ、
アメリカ社会の凄さを見せつけようとしている・・・・・
等の憶測や揶揄、誤解が飛び交っています。
私どもの目では、本来なら呼ばれてもいないアメリカ議会の公聴会へ自ら進んで出て行った豊田社長の行動を評価してあげたいのですが、どうもそうではなさそうです。
でも、一部の報道によるとアメリカ国民の中にも、少し酷過ぎるとか、車を買うならやはり世界一だし、安全だからトヨタを買うと言っています。
私のところも製造業ですから、お客様が第一。
望まれる製品を供給し、且つ法令の遵守が大事です。
適正な利潤を追求し、それを開発や教育、社員の福利厚生、設備投資の原資としていきます。
ましてや車のように、人命人身に関わってくるとなると問題はより複雑化し、純情な心構えではものづくりは出来ません。
世界的な企業ともなると、激しい国際競争の中で厳しい品質や経営を強いられますがそれに耐えられる企業のみが生き残る凄まじいサバイバルゲームです。
トヨタも今回の問題をちゃんと乗り越えて頂き、改めて世界一の企業として君臨して頂きたいものです。
それはこれからも世界の中の先進国として、生き延びていく日本の試金石であり、日本の象徴的な企業ですから頑張って欲しいと思っています。
日本が得意とするものづくりがこれからも世界的に認知されるかの瀬戸際に来ているとも言える出来事でもあります。
オーバーな言い方をすれば、日本の今後の浮沈を掛けた戦いでもあります。
日本では古来から「雨降って地固まる」と言います。
トラブルでも対処の仕方によっては却って見直されることは多々あること。
今回の事が、大きな教訓に成った企業は多いものと思われます。
日本企業頑張れ!!とエールを送りたいものです。
Posted by misterkei0918 at
13:18
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2010年02月22日
あなたは自分を越えられるか
あなたは自分を越えられるか
時代が激しく動くとき、
景気低迷が長引くとき・・・・・
企業は同業者との差別化のために凌ぎを削り、あらゆる叡智を結集しようと努めます。
生き馬の目を抜く様な熾烈な競争劇が展開されるものです。
スポーツでもそうです。
他人より少しでも早く、高く、強くありたいものです。
社会では、他人よりも少しでも優位に立ちたいものであり、社会的地位も少しでも高い地位に座りたいものです。
それがまた、気概にもなり、勉強や努力、研鑽の賜物にもなったり致します。
他人を意識し、他人との競争に明け暮れる日々や労力を否定するものではありませんが、そうでない部分を持ち合わせることも大事なような気がします。
今の世の中は、売上がどうとか、同業者と比較してどうとかの時代では無くなりました。
企業規模は小さくても、社員数や売上は大きくなくても如何に安定的に、社員の福利や生活安定に寄与するのか、社会的に貢献の出来る企業なのか、ひいては応分の税金をしっかり払える企業なのかが大事であります。
また、コンプライアンスにしても、世間に真正面から対峙出来るような企業、胸が張れるような会社でなければいけません。
人間的にもそうでしょう。
あの人と比較してどうなのかではなく、自分自身が人間的にどうなのかが大事なのであります。
人との比較、他社との比較は容易いものです。
差別化も頑張れば出来るものです。
そうではなくて、過去の自分と比して、あるいは過去の自社と比べて、今が果たしてどうなのかを判断基準とした方がより成長が見込まれるような気がします。
「今の自分は過去に自分が思い描いた自分」と言います。
未来の自分、未来の自社のあり方を今と比して、向上を望み、差別化に努力をすることこそ大事なように思います。
時代が激しく動くとき、
景気低迷が長引くとき・・・・・
企業は同業者との差別化のために凌ぎを削り、あらゆる叡智を結集しようと努めます。
生き馬の目を抜く様な熾烈な競争劇が展開されるものです。
スポーツでもそうです。
他人より少しでも早く、高く、強くありたいものです。
社会では、他人よりも少しでも優位に立ちたいものであり、社会的地位も少しでも高い地位に座りたいものです。
それがまた、気概にもなり、勉強や努力、研鑽の賜物にもなったり致します。
他人を意識し、他人との競争に明け暮れる日々や労力を否定するものではありませんが、そうでない部分を持ち合わせることも大事なような気がします。
今の世の中は、売上がどうとか、同業者と比較してどうとかの時代では無くなりました。
企業規模は小さくても、社員数や売上は大きくなくても如何に安定的に、社員の福利や生活安定に寄与するのか、社会的に貢献の出来る企業なのか、ひいては応分の税金をしっかり払える企業なのかが大事であります。
また、コンプライアンスにしても、世間に真正面から対峙出来るような企業、胸が張れるような会社でなければいけません。
人間的にもそうでしょう。
あの人と比較してどうなのかではなく、自分自身が人間的にどうなのかが大事なのであります。
人との比較、他社との比較は容易いものです。
差別化も頑張れば出来るものです。
そうではなくて、過去の自分と比して、あるいは過去の自社と比べて、今が果たしてどうなのかを判断基準とした方がより成長が見込まれるような気がします。
「今の自分は過去に自分が思い描いた自分」と言います。
未来の自分、未来の自社のあり方を今と比して、向上を望み、差別化に努力をすることこそ大事なように思います。
Posted by misterkei0918 at
22:09
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2010年02月21日
チュウリップにしだれ梅に緋寒桜に淡紅梅
チュウリップにしだれ梅に緋寒桜に淡紅梅
今日は花のことに集中した一日でした。
今から花に囲まれる日々が続くと思いますと嬉しくもなります。
早朝からはいつもの日課であるウォーキングです。
福岡市中央区の大濠公園の周回のコースを少し汗ばむ程度に歩きます。
夏は滴り落ちるほどに汗をかくのですが、今の時期ははそこまでは難しいようです。
ボランティアの方々が丹精を込めて植えたチューリップの花壇に葉っぱの姿が見え隠れするようになってきました。
順調に育って欲しいものです。
心ないものに、鋭利な刃物でバッサリやられたのがつい昨年でしたか、一昨年だったでしょうか。
しかも幼稚園の子供達が植えたものを。
大濠公園を訪れる人々、とりわけ観光にお見えになる方々の目に止まって欲しいものです。
また、お堀の淵の数本のしだれ梅が今年も見事に咲いてくれました。
舞鶴公園の梅はご覧になりましたか?
見事な咲きばえです。
今日の11時頃に急に思い立って、北九州方面に走ることにしました。
一つは、立花山の梅岳寺の梅の見物。
次は、弘法大師(空海)が日本で一番最初に真言宗のお寺として建立した鎮国寺。
宗像大社のすぐ近くでした。
いつかは出かけてみたいお寺でした。
珍しい淡紅梅が見られるとのことでしたので大いに期待をして行きました。
やはり期待通りの淡紅梅が見られました。
それと驚いたのは見事な緋寒桜が咲いていました。
緋寒桜と言えばすぐに思い起こすのが沖縄ですが、鎮国寺でももう素晴らしい咲き映えです。
沖縄では一月後半に咲いて既に終わっているようですが。
花にはいつも癒されます。
花を愛でるゆとりが持てるようにならないといけませんね。
今日は花のことに集中した一日でした。
今から花に囲まれる日々が続くと思いますと嬉しくもなります。
早朝からはいつもの日課であるウォーキングです。
福岡市中央区の大濠公園の周回のコースを少し汗ばむ程度に歩きます。
夏は滴り落ちるほどに汗をかくのですが、今の時期ははそこまでは難しいようです。
ボランティアの方々が丹精を込めて植えたチューリップの花壇に葉っぱの姿が見え隠れするようになってきました。
順調に育って欲しいものです。
心ないものに、鋭利な刃物でバッサリやられたのがつい昨年でしたか、一昨年だったでしょうか。
しかも幼稚園の子供達が植えたものを。
大濠公園を訪れる人々、とりわけ観光にお見えになる方々の目に止まって欲しいものです。
また、お堀の淵の数本のしだれ梅が今年も見事に咲いてくれました。
舞鶴公園の梅はご覧になりましたか?
見事な咲きばえです。
今日の11時頃に急に思い立って、北九州方面に走ることにしました。
一つは、立花山の梅岳寺の梅の見物。
次は、弘法大師(空海)が日本で一番最初に真言宗のお寺として建立した鎮国寺。
宗像大社のすぐ近くでした。
いつかは出かけてみたいお寺でした。
珍しい淡紅梅が見られるとのことでしたので大いに期待をして行きました。
やはり期待通りの淡紅梅が見られました。
それと驚いたのは見事な緋寒桜が咲いていました。
緋寒桜と言えばすぐに思い起こすのが沖縄ですが、鎮国寺でももう素晴らしい咲き映えです。
沖縄では一月後半に咲いて既に終わっているようですが。
花にはいつも癒されます。
花を愛でるゆとりが持てるようにならないといけませんね。
Posted by misterkei0918 at
17:53
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2010年02月20日
苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいる
苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいる
人は自分の幸福には気づかないことが多いものです。
充分に幸福であるにも係わらず、幸福であることに気づかない。
人にはそれぞれに応じた幸福があると思うのです。
昔はたしかにそうであったものです。
他人の幸福の度合いを覗き込むことは出来ませんでしたが、今は好む好まないに係わらずマスコミや雑誌、ネットで感じることが出来ます。
人はどのようにあることが幸せだとか、・・・でないことは幸せでないとか価値判断を画一的にしてしまう状況が生まれてしまいました。
本来はそうではなくて、その人その人なりの幸せがあった筈なんです。
あの人は幸福と感じないことであっても、この人に取っては掛け替えの無い幸福であったり。
主観的であったはずの幸せは、人との比較の上で判断するような時代となってきました。
「貧しくてもとても幸せ」とか、
「ご版が食べれるだけで幸福」などと言うことも殆んどなくなっています。
昔は「衣食足りて礼節を知る」とか言われました。
衣食の足りない時代が存在したことの証です。
お金に恵まれること、
大きな家に住むこと、
高級車を乗り回すこと、
旅行にいつでも行けること・・・・・
それらが実現すること、リアルに感じられることが即、幸せと感じることなんです。
貧しくても家族が笑い合って、小さな家でもつましく過ごすことは幸せとは感じなくなったのです。
物質的な満足感が、幸福感と化してしまったのです。
昔は、汗水たらして頑張っている苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいると信じて労苦を惜しまなかったものです。
楽な道を選んではいけません。
忘れてはいけませんね、
真の幸せは、苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいると。
人は自分の幸福には気づかないことが多いものです。
充分に幸福であるにも係わらず、幸福であることに気づかない。
人にはそれぞれに応じた幸福があると思うのです。
昔はたしかにそうであったものです。
他人の幸福の度合いを覗き込むことは出来ませんでしたが、今は好む好まないに係わらずマスコミや雑誌、ネットで感じることが出来ます。
人はどのようにあることが幸せだとか、・・・でないことは幸せでないとか価値判断を画一的にしてしまう状況が生まれてしまいました。
本来はそうではなくて、その人その人なりの幸せがあった筈なんです。
あの人は幸福と感じないことであっても、この人に取っては掛け替えの無い幸福であったり。
主観的であったはずの幸せは、人との比較の上で判断するような時代となってきました。
「貧しくてもとても幸せ」とか、
「ご版が食べれるだけで幸福」などと言うことも殆んどなくなっています。
昔は「衣食足りて礼節を知る」とか言われました。
衣食の足りない時代が存在したことの証です。
お金に恵まれること、
大きな家に住むこと、
高級車を乗り回すこと、
旅行にいつでも行けること・・・・・
それらが実現すること、リアルに感じられることが即、幸せと感じることなんです。
貧しくても家族が笑い合って、小さな家でもつましく過ごすことは幸せとは感じなくなったのです。
物質的な満足感が、幸福感と化してしまったのです。
昔は、汗水たらして頑張っている苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいると信じて労苦を惜しまなかったものです。
楽な道を選んではいけません。
忘れてはいけませんね、
真の幸せは、苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいると。
Posted by misterkei0918 at
21:16
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2010年02月20日
使いすぎた体は早く衰える?
使いすぎた体は早く衰える?
ある方との会話です。
私・「最近太り過ぎでしたので、頑張って運動に努めたら、ここ一年程で10キロ程度体重が減ってきました」
「体が軽くなって、歩くのが楽しくなってきました」
ある方曰く「運動しても、亡くなる人は亡くなるし、病気になる人はなるんだからそんな無理なことはしなくって良い」
その方は痩せている方で、勿論健康体なんでしょうね。
多分、太って困った経験や重度の病気で入院などの経験もないのでしょう。
つまり、人の痛みが分かっていない人です。
そうですよね、亡くなる人は亡くなるし、病気になる人はなるんです。
運動することで100%病気にならないことがわかっていれば、誰でも運動に勤しみますし、逆に運動しないことで100%病気になるのであれば誰でも運動をするものです。
中には、好んで病気になりたいがために運動をしない人がいるかも知れませんね。
自殺行為のようなものです。
若しかするとその方に取っての運動は、無意味なものか、無益、無駄と言う解釈なんでしょう。
いつも考えるのですが、使いすぎる体は衰えが早く来るのでしょうか。
どうもそうではなさそうです。
戦後の混乱を苦労して乗り越えた方々の平均寿命が証明しているようにも思えます。
当時から比べると楽をしている今の子供達が果たして、現在の平均寿命まで行けるのでしょうか。
栄養のバランス良さや医療技術の向上による貢献度を取ってしまえば、むしろ寿命は短くなるような気がします。
今、冬季オリンピックの真っ最中です。
鍛えに鍛えた彼らの肉体は果たして衰えは早いのでしょうか。
むしろ鍛えた肉体に限って、健康を保持し、寿命を保つ原因になっているような気もしますが如何でしょうか。
そして鍛え抜かれた肉体には何ものにも耐える強靭な精神が宿っているものです。
『人間は働きすぎて駄目になるより、
休みすぎてサビつく方がずっと多い。カーネル・サンダース』
ある方との会話です。
私・「最近太り過ぎでしたので、頑張って運動に努めたら、ここ一年程で10キロ程度体重が減ってきました」
「体が軽くなって、歩くのが楽しくなってきました」
ある方曰く「運動しても、亡くなる人は亡くなるし、病気になる人はなるんだからそんな無理なことはしなくって良い」
その方は痩せている方で、勿論健康体なんでしょうね。
多分、太って困った経験や重度の病気で入院などの経験もないのでしょう。
つまり、人の痛みが分かっていない人です。
そうですよね、亡くなる人は亡くなるし、病気になる人はなるんです。
運動することで100%病気にならないことがわかっていれば、誰でも運動に勤しみますし、逆に運動しないことで100%病気になるのであれば誰でも運動をするものです。
中には、好んで病気になりたいがために運動をしない人がいるかも知れませんね。
自殺行為のようなものです。
若しかするとその方に取っての運動は、無意味なものか、無益、無駄と言う解釈なんでしょう。
いつも考えるのですが、使いすぎる体は衰えが早く来るのでしょうか。
どうもそうではなさそうです。
戦後の混乱を苦労して乗り越えた方々の平均寿命が証明しているようにも思えます。
当時から比べると楽をしている今の子供達が果たして、現在の平均寿命まで行けるのでしょうか。
栄養のバランス良さや医療技術の向上による貢献度を取ってしまえば、むしろ寿命は短くなるような気がします。
今、冬季オリンピックの真っ最中です。
鍛えに鍛えた彼らの肉体は果たして衰えは早いのでしょうか。
むしろ鍛えた肉体に限って、健康を保持し、寿命を保つ原因になっているような気もしますが如何でしょうか。
そして鍛え抜かれた肉体には何ものにも耐える強靭な精神が宿っているものです。
『人間は働きすぎて駄目になるより、
休みすぎてサビつく方がずっと多い。カーネル・サンダース』
Posted by misterkei0918 at
19:15
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2010年02月20日
実は自分との戦いであった
実は自分との戦いであった
長い人生であればこそ、葛藤はつきもの。
複雑な社会であればこそ、苦難はつきもの。
前進をしようと思えばこそ、大きな壁が立ちはばかります。
人を憎むこともしばしばです。
思うように行かない世の中を嘆き悲しくも思います。」
遠ざかる幸せを無理を承知で引き寄せたりもするものです。
人生を振り返ってみると、案外自分の心のあり方が様々な葛藤や苦難の原因でもあったような気がします。
人を憎く思う心も、ややもすると他人の精や他人に原因があったように思いがちですが元はと言えば自分の心の様の写鏡のような気がするのです。
楽なのは、他人に精にすることですが、
若しかすると訓練によっては自分のせいとして転嫁出来るのではないでしょうか
そう成れば、むしろ逆に安寧の気持ちをもって人生に望めるような気がします。
そんな境地になったことがありませんのであくまでも想像ですが。
自分の人生を顧みると、殆んどの出来事は「実は自分との戦いであった」と言っても可笑しくはないようです。
自虐的のような気がしないでもありませんが、全ての事の根源は自分の中に存在しているような。
自分を達観出来るようになるとか、お坊さんではありませんが悟りの境地などはそんな事を言うのではないかと思ったりしています。
一度、修行された方にでもお聞きしないといけませんね。
『敵に憎しみを感じると、自分自身が敵に支配される。Dカーネギー』
『敵と戦う時間は短いものです。自分との戦いこそが明暗を分けるのです。王貞治』
長い人生であればこそ、葛藤はつきもの。
複雑な社会であればこそ、苦難はつきもの。
前進をしようと思えばこそ、大きな壁が立ちはばかります。
人を憎むこともしばしばです。
思うように行かない世の中を嘆き悲しくも思います。」
遠ざかる幸せを無理を承知で引き寄せたりもするものです。
人生を振り返ってみると、案外自分の心のあり方が様々な葛藤や苦難の原因でもあったような気がします。
人を憎く思う心も、ややもすると他人の精や他人に原因があったように思いがちですが元はと言えば自分の心の様の写鏡のような気がするのです。
楽なのは、他人に精にすることですが、
若しかすると訓練によっては自分のせいとして転嫁出来るのではないでしょうか
そう成れば、むしろ逆に安寧の気持ちをもって人生に望めるような気がします。
そんな境地になったことがありませんのであくまでも想像ですが。
自分の人生を顧みると、殆んどの出来事は「実は自分との戦いであった」と言っても可笑しくはないようです。
自虐的のような気がしないでもありませんが、全ての事の根源は自分の中に存在しているような。
自分を達観出来るようになるとか、お坊さんではありませんが悟りの境地などはそんな事を言うのではないかと思ったりしています。
一度、修行された方にでもお聞きしないといけませんね。
『敵に憎しみを感じると、自分自身が敵に支配される。Dカーネギー』
『敵と戦う時間は短いものです。自分との戦いこそが明暗を分けるのです。王貞治』
Posted by misterkei0918 at
18:40
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2010年02月19日
人生には一大事が幾つか訪れる
人生には一大事が幾つか訪れる
人生は穏やかに進行するとは限りません。
むしろ、寄せては返す波のように、一難去ってまた一難。
人はまた、安堵の日々が続いたりすると何となく不安に駆られたりもします。
不思議なものですね。
人の一生はそのように仕組まれているものなのでしょうね。
多分、葛藤があったり、競争をしなくてはいけない時期があったり、時には無駄と思われるような労苦が伴ったりもします。
今の景気を見てもそうです。
つい、先ごろまで戦後最長の景気が続いていると言っていたのです。
一昨年の秋以降、突如として世界中が金融危機、経済の混乱の渦になってしまいました。
日本はまだまだですが、後進国とりわけ、中国やインドは素早く回復基調に戻ってきました。
世界がグローバルに成ればなる程、世界中のあらゆる所で頻発するあらゆる事態がそこかしこで影響を及ぼしてくるものです。
人もそうかも知れませんね。
行動の範囲の広い人、様々なこととの接点が多い人、影響力の多い人に限って私どもから見れば様々な混乱や不測に事態に遭遇する機会も多いものです。
それが経験の尊いところです。
そいいう方は、どんなに苦境が訪れてもめげる事無く、逞しく乗り越える術を持ち合わせているものです。
困難は襲ってくるから、次の困難への知恵を授けて去ってくれるもの。
今の苦難は、明日の苦難を乗り越えるために一里塚に過ぎません。
有り難く請け様ではありませんか。
人生は穏やかに進行するとは限りません。
むしろ、寄せては返す波のように、一難去ってまた一難。
人はまた、安堵の日々が続いたりすると何となく不安に駆られたりもします。
不思議なものですね。
人の一生はそのように仕組まれているものなのでしょうね。
多分、葛藤があったり、競争をしなくてはいけない時期があったり、時には無駄と思われるような労苦が伴ったりもします。
今の景気を見てもそうです。
つい、先ごろまで戦後最長の景気が続いていると言っていたのです。
一昨年の秋以降、突如として世界中が金融危機、経済の混乱の渦になってしまいました。
日本はまだまだですが、後進国とりわけ、中国やインドは素早く回復基調に戻ってきました。
世界がグローバルに成ればなる程、世界中のあらゆる所で頻発するあらゆる事態がそこかしこで影響を及ぼしてくるものです。
人もそうかも知れませんね。
行動の範囲の広い人、様々なこととの接点が多い人、影響力の多い人に限って私どもから見れば様々な混乱や不測に事態に遭遇する機会も多いものです。
それが経験の尊いところです。
そいいう方は、どんなに苦境が訪れてもめげる事無く、逞しく乗り越える術を持ち合わせているものです。
困難は襲ってくるから、次の困難への知恵を授けて去ってくれるもの。
今の苦難は、明日の苦難を乗り越えるために一里塚に過ぎません。
有り難く請け様ではありませんか。
Posted by misterkei0918 at
13:33
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2010年02月19日
先手必勝、先んずれば人を制す?
先手必勝、先んずれば人を制す?
逆に昔から「急いては事を仕損じる」とも言われました。
「慌てて結論や行動を起こすと良い事はありませんよ。
じっくり考えて判断したり行動に移しなさい」と言う意味ですよね。
また、「先手必勝」、「先んずれば人を制す」とも教えて頂きました。
どうも一般的には後者のほうが正確のような気もしますし、そのように心がけていた方が物事はうまく進むような気がします。
慎重な判断を要求されるときとは、
物事の根幹に関わること、
人の命に関わること、
人権や尊厳に関わること・・・・・
こんな時には人の意見にも耳を傾けながら、判断や行動を慎重にした方が良さそうです。
普段の日常的な判断や行動はやはり決断を早めた方が好結果を呼びこむような気がします。
それには当然、好結果をもたらす為の判断材料を良質なものにしておくことが大事でしょう。
普段から、勉強を重ねたり、人とのコミュニケーションから大いに学んでおいたり、過去の賢人の話、、また書籍からも学ぶ姿勢が重宝の様です。
私は決断が遅い方だと自分でも認識していますし、家内からも時々言われることがあります。
どちらかと言うと慎重派の部類でしょう。
「石橋を叩いて渡る」程ではありませんが、決断や行動には少し時間を必要とします。
私の言い分としては、その間何もしないわけではないのです。
頭の中では色んな事を思い巡らせているのですが、行動に移るのが直前と言うことが多いのでそのように感じるのでしょう。
でも、歳を重ねると感じるのですが、やはり行動は早い方が良さそうな気がします。
早い行動は、途中で修正も出きますしね。
そこで私なりの言い訳が出てくるのです。
「成就しなかったり、好結果をもたらさなかったのは所詮最初からそうなるように成っていた」等とつぶやくのです。
諦めが良いと言うのか、困った性格です。
逆に昔から「急いては事を仕損じる」とも言われました。
「慌てて結論や行動を起こすと良い事はありませんよ。
じっくり考えて判断したり行動に移しなさい」と言う意味ですよね。
また、「先手必勝」、「先んずれば人を制す」とも教えて頂きました。
どうも一般的には後者のほうが正確のような気もしますし、そのように心がけていた方が物事はうまく進むような気がします。
慎重な判断を要求されるときとは、
物事の根幹に関わること、
人の命に関わること、
人権や尊厳に関わること・・・・・
こんな時には人の意見にも耳を傾けながら、判断や行動を慎重にした方が良さそうです。
普段の日常的な判断や行動はやはり決断を早めた方が好結果を呼びこむような気がします。
それには当然、好結果をもたらす為の判断材料を良質なものにしておくことが大事でしょう。
普段から、勉強を重ねたり、人とのコミュニケーションから大いに学んでおいたり、過去の賢人の話、、また書籍からも学ぶ姿勢が重宝の様です。
私は決断が遅い方だと自分でも認識していますし、家内からも時々言われることがあります。
どちらかと言うと慎重派の部類でしょう。
「石橋を叩いて渡る」程ではありませんが、決断や行動には少し時間を必要とします。
私の言い分としては、その間何もしないわけではないのです。
頭の中では色んな事を思い巡らせているのですが、行動に移るのが直前と言うことが多いのでそのように感じるのでしょう。
でも、歳を重ねると感じるのですが、やはり行動は早い方が良さそうな気がします。
早い行動は、途中で修正も出きますしね。
そこで私なりの言い訳が出てくるのです。
「成就しなかったり、好結果をもたらさなかったのは所詮最初からそうなるように成っていた」等とつぶやくのです。
諦めが良いと言うのか、困った性格です。
Posted by misterkei0918 at
08:35
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2010年02月17日
日本人の美徳を忘れたのか
日本人の美徳を忘れたのか
今日も車の中でラジオを聞いていましたら、今度の冬季オリンピックで服装の乱れから開会式にでれなかった選手の事についての話題を取り上げていました。
その原因を作ったのも本人。
記者会見でも、二度にわたって反省の様子が伺えませんでした。
疑うなら、むしろ気持ちの底では少しも反省の色はなく、表面的な態度だけで繕おうとする様子がありありでした。
日本人の美徳って何だったのかと考えさせられました。
相撲や剣道、柔道・・・・・日本人が大切にしていたものを武道や国技の形で残したものなんです。
それは日本人しか持つことがなかった素晴らしい精神文化だったはずです。
それを他のスポーツに置き換えても同じでしょう。
日本人が言う「礼節」ってそういう物だったのではなかったでしょうか。
礼と節。
相手を敬い、節度と協調を以て事に当たることが今までの日本人でした。
日本には必要でない外国のしきたりや習慣を持ち込み、メリハリを付けることを忘れてしまいました。
まあまあ主義、ほどほど主義がはびこり・・・
時と場合、相手によっては礼儀と節度を保つことが忘れ去られてしまいました。
人には時として、心を正す時があるものです。
大事を構えるときや命を賭ける、生涯をかける、勝負に全精力を傾けるとき・・・・・
彼の人生に取って大事な時を迎えたと思っています。
ただ、スポーツが人並み以上に上手だったこと、賞賛される事は本の一時に過ぎないもの。
これがどういう態度で今後人生に立ち向かうのか、或いは舐めた態度、礼節を失った言動は彼の生涯に決して良い結果は生まないものです。
際立った立場に立つ人間は、それだけのものを要求されている、際立つことが人間性を大いに磨くことに貢献しなくてはいけないと思うのです。
だから、賞賛に値するのです。
そうでなければ侮蔑の眼差しの中で人生を送ることになるのかも。
今日も車の中でラジオを聞いていましたら、今度の冬季オリンピックで服装の乱れから開会式にでれなかった選手の事についての話題を取り上げていました。
その原因を作ったのも本人。
記者会見でも、二度にわたって反省の様子が伺えませんでした。
疑うなら、むしろ気持ちの底では少しも反省の色はなく、表面的な態度だけで繕おうとする様子がありありでした。
日本人の美徳って何だったのかと考えさせられました。
相撲や剣道、柔道・・・・・日本人が大切にしていたものを武道や国技の形で残したものなんです。
それは日本人しか持つことがなかった素晴らしい精神文化だったはずです。
それを他のスポーツに置き換えても同じでしょう。
日本人が言う「礼節」ってそういう物だったのではなかったでしょうか。
礼と節。
相手を敬い、節度と協調を以て事に当たることが今までの日本人でした。
日本には必要でない外国のしきたりや習慣を持ち込み、メリハリを付けることを忘れてしまいました。
まあまあ主義、ほどほど主義がはびこり・・・
時と場合、相手によっては礼儀と節度を保つことが忘れ去られてしまいました。
人には時として、心を正す時があるものです。
大事を構えるときや命を賭ける、生涯をかける、勝負に全精力を傾けるとき・・・・・
彼の人生に取って大事な時を迎えたと思っています。
ただ、スポーツが人並み以上に上手だったこと、賞賛される事は本の一時に過ぎないもの。
これがどういう態度で今後人生に立ち向かうのか、或いは舐めた態度、礼節を失った言動は彼の生涯に決して良い結果は生まないものです。
際立った立場に立つ人間は、それだけのものを要求されている、際立つことが人間性を大いに磨くことに貢献しなくてはいけないと思うのです。
だから、賞賛に値するのです。
そうでなければ侮蔑の眼差しの中で人生を送ることになるのかも。
Posted by misterkei0918 at
23:13
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2010年02月17日
あなたは何になりたいと思っていましたか?
あなたは何になりたいと思っていましたか?
思い出すのも難しくなる程、馬齢を重ねすぎました。
思い出せないのです。
或いはそんな事を考える能力がなかったのか、
時代が許さなかったのか、
単なる、記憶力の問題なのか。
第一生命が2008年にアンケートをものを見つけました。
~大人になったらなりたいもの 2008~
男の子
1野球選手
2学者・博士
3サッカー選手
4お医者さん
5大工さん
6パイロット
7警察官・刑事
8食べ物屋さん・料理人
10消防士・救急隊
女の子
1食べ物屋さん
2看護師さん
3保育園・幼稚園の先生
4学校の先生
5お医者さん
6飼育係・ペット屋さん・調教師
7花屋さん
8ピアノの先生・美容師
10歌手・タレント
拝見すると比較的現実性を帯びていると思われませんか。
どれもちょっと頑張れば成れそうなものばかり。
昔は、総理大臣とか、社長とか、陸軍大将・・・・・
古いですかね。
でも夢は大きい方が良いと思うのです。
だって、思うことは叶う、実現すると思っていませんでしたか。
余りにも現実過ぎて、小さい人間になりそうで悲しくさえなります。
そうです。
思うことは叶うのです。
人は不思議なもので、思いを実現するべく努力を重ねます。
手の届かないところに存在するようなことでも一度心に決めて継続的に重ねた努力は決して無駄にはならないものです。
哀しいかな、何になりたいと思っていたのか思い出せません。
若しかすると、実現したことは忘れてしまうのでしょうか。
そういうことにしておきます。
思い出すのも難しくなる程、馬齢を重ねすぎました。
思い出せないのです。
或いはそんな事を考える能力がなかったのか、
時代が許さなかったのか、
単なる、記憶力の問題なのか。
第一生命が2008年にアンケートをものを見つけました。
~大人になったらなりたいもの 2008~
男の子
1野球選手
2学者・博士
3サッカー選手
4お医者さん
5大工さん
6パイロット
7警察官・刑事
8食べ物屋さん・料理人
10消防士・救急隊
女の子
1食べ物屋さん
2看護師さん
3保育園・幼稚園の先生
4学校の先生
5お医者さん
6飼育係・ペット屋さん・調教師
7花屋さん
8ピアノの先生・美容師
10歌手・タレント
拝見すると比較的現実性を帯びていると思われませんか。
どれもちょっと頑張れば成れそうなものばかり。
昔は、総理大臣とか、社長とか、陸軍大将・・・・・
古いですかね。
でも夢は大きい方が良いと思うのです。
だって、思うことは叶う、実現すると思っていませんでしたか。
余りにも現実過ぎて、小さい人間になりそうで悲しくさえなります。
そうです。
思うことは叶うのです。
人は不思議なもので、思いを実現するべく努力を重ねます。
手の届かないところに存在するようなことでも一度心に決めて継続的に重ねた努力は決して無駄にはならないものです。
哀しいかな、何になりたいと思っていたのか思い出せません。
若しかすると、実現したことは忘れてしまうのでしょうか。
そういうことにしておきます。
Posted by misterkei0918 at
22:43
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2010年02月17日
過ぎる褒め言葉に要注意
過ぎる褒め言葉に要注意
お尻がムズ痒くなるような思いがしたら、要注意です。
普段は滅多に貴方を褒めることのない人が突然に褒め始めたら、必ず裏があると思って間違いなさそうです。
笑顔の伴わない、目が笑っていない、アンバランスな形相で褒め始めたら、陰に何か潜んでいると思って間違いありません。
昔から「褒め殺し」と言う言葉があります。
これを上手に使って世渡りをする人もいるものです。
或いはこれに載せられてとんでも無い失敗を繰り返す人も。
過ぎた褒め言葉は要注意。
有頂天になってはいけません。
相手の思うつぼに、夢々、載せられてはいけないのです。
つい載せられた慢心は、思わぬ谷底へ突き落とされたも同然です。
昔から論語で言います。
「巧言令色、鮮(すくな)し仁」
言葉巧みな人に限って、腹黒く、何を考えているのかわからないものです。
或いは言葉の巧みさについ載せられて、奈落に落ちた人も多いもの。
言葉の言は、口に刺さった刃の意味も含んでいるとか。
本来は言葉が悪いのではなく、その使い方に問題があるのですが。
それ故に、終始朝から晩まで、言葉で人を誑かす事だけを一生懸命に考えている人も多いものです。
用心!!
用心!!
お尻がムズ痒くなるような思いがしたら、要注意です。
普段は滅多に貴方を褒めることのない人が突然に褒め始めたら、必ず裏があると思って間違いなさそうです。
笑顔の伴わない、目が笑っていない、アンバランスな形相で褒め始めたら、陰に何か潜んでいると思って間違いありません。
昔から「褒め殺し」と言う言葉があります。
これを上手に使って世渡りをする人もいるものです。
或いはこれに載せられてとんでも無い失敗を繰り返す人も。
過ぎた褒め言葉は要注意。
有頂天になってはいけません。
相手の思うつぼに、夢々、載せられてはいけないのです。
つい載せられた慢心は、思わぬ谷底へ突き落とされたも同然です。
昔から論語で言います。
「巧言令色、鮮(すくな)し仁」
言葉巧みな人に限って、腹黒く、何を考えているのかわからないものです。
或いは言葉の巧みさについ載せられて、奈落に落ちた人も多いもの。
言葉の言は、口に刺さった刃の意味も含んでいるとか。
本来は言葉が悪いのではなく、その使い方に問題があるのですが。
それ故に、終始朝から晩まで、言葉で人を誑かす事だけを一生懸命に考えている人も多いものです。
用心!!
用心!!
Posted by misterkei0918 at
22:08
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2010年02月12日
なんて酷いことを
なんて酷いことを
今日は午後から、北朝鮮へ拉致された横田めぐみさんのご両親のお話を聞く機会に恵まれました。
いつかは生のお声が聞きたいと念願しておりましたので、機会を与えて頂いた方へ感謝をしなくてはいけません。
人は第一印象でその方の殆んどを観ることが出来ます。
特に人柄の優れた方は、人間が迸(ほとばし)ると言うか、滲み出ておられるものです。
そうですから、人はその人となりが表面に現れるくらいに精進することが大切なようです。
ご両親、横田滋さん、横田早紀江さんのお人柄は本当に素晴らしいものでした。
その立ち居振る舞いに感激をしたと言っても過言ではありません。
ご両親がこのような人となりを身に付けておられることが、日本中の方々の感動と共感を呼んでいるのでしょうね。
本当に北朝鮮は酷(ひど)い、酷(むご)いことをしたものです。
見ず知らずの他人の家に土足で踏みこんだどころの騒ぎではありません。
国の安全を脅かし、何の罪もない日本国民を拉致をすると言う言語道断の行為であります。
事の顛末は私以上にご存知の方々が多いわけですから、ここで論じるのは止めますが、これは断じて許されることではなく、国際的にも糾弾をされてしかるべきでしょう。
日本も舐められたものです。
これがアメリカ国民だったらどうでしょうか。
今頃、北朝鮮の存在すら無くなっているやも知れません。
何も手出しの出来ない日本人の足元を見、しかも嘲笑っているようにさえ見えます。
もう此処いらで横田ご夫妻、或いは拉致されたご家族の皆様に心の安らぎを与えてはいただけないのでしょうか。
どこかの総理大臣が所信演説で「命」と言う言葉を24回も口にしたと言います。
私どもの命や政府の延命を長らえる前に、北朝鮮へ堂々と命の大切さを訴え、日本国民である拉致された方々の命を一日も早く返すように訴えることから初めて欲しいものです。
今日は午後から、北朝鮮へ拉致された横田めぐみさんのご両親のお話を聞く機会に恵まれました。
いつかは生のお声が聞きたいと念願しておりましたので、機会を与えて頂いた方へ感謝をしなくてはいけません。
人は第一印象でその方の殆んどを観ることが出来ます。
特に人柄の優れた方は、人間が迸(ほとばし)ると言うか、滲み出ておられるものです。
そうですから、人はその人となりが表面に現れるくらいに精進することが大切なようです。
ご両親、横田滋さん、横田早紀江さんのお人柄は本当に素晴らしいものでした。
その立ち居振る舞いに感激をしたと言っても過言ではありません。
ご両親がこのような人となりを身に付けておられることが、日本中の方々の感動と共感を呼んでいるのでしょうね。
本当に北朝鮮は酷(ひど)い、酷(むご)いことをしたものです。
見ず知らずの他人の家に土足で踏みこんだどころの騒ぎではありません。
国の安全を脅かし、何の罪もない日本国民を拉致をすると言う言語道断の行為であります。
事の顛末は私以上にご存知の方々が多いわけですから、ここで論じるのは止めますが、これは断じて許されることではなく、国際的にも糾弾をされてしかるべきでしょう。
日本も舐められたものです。
これがアメリカ国民だったらどうでしょうか。
今頃、北朝鮮の存在すら無くなっているやも知れません。
何も手出しの出来ない日本人の足元を見、しかも嘲笑っているようにさえ見えます。
もう此処いらで横田ご夫妻、或いは拉致されたご家族の皆様に心の安らぎを与えてはいただけないのでしょうか。
どこかの総理大臣が所信演説で「命」と言う言葉を24回も口にしたと言います。
私どもの命や政府の延命を長らえる前に、北朝鮮へ堂々と命の大切さを訴え、日本国民である拉致された方々の命を一日も早く返すように訴えることから初めて欲しいものです。
Posted by misterkei0918 at
21:48
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2010年02月11日
けりを付ける癖の大事さ
けりを付ける癖の大事さ
けりを付けると言うとどうも穏やかでない、緊張した状態を思ってしまいます。
現代のような殺伐とした時代、隣の人とも心の通う会話さえ遠慮をしなくてはいけない世の中になるとついそんな思いが過ぎってしまいます。
所がけりとは「過去のことを回想的に言う」とか和歌には・・・けりで結ぶことが多いことから「結末、締めくくり」のことであります。
ある方から紹介されたマット・フューリーさんの文章の中にこんな事が書かれていました。
『「 始めたことは終わせなきゃいけない 」
誰だって何かを始めることはできます。
しかし同時に、それを終わらせるという規律が必要なのです。
そして、日頃から自分自身を律して終わらせることのできる人は、
何かを始めて継続することの中にとてつもない自由があることを悟るのです。
「 規律の中に自由あり 」
でもどうして?という方もいるでしょう。
規律はあなたに自由を与えてくれます。
何故なら、あなたは気まぐれや不安感、
他人からの妨害の犠牲者にならずに済むからです。
あなたは軌道に乗り、障害によって脱線することなく、
その軌道を自由に進むことができるからです。』
つまり、人生にはメリハリが必要ですよと言うことでしょうか。
だらだらの人生はつまらないものです。
怠惰でしかもインパクトのない人生は、成長もありませんし後退を余儀なくされてしまいます。
時には緊張感が漂って、ギリギリの判断が伴ったり、切った張ったではありませんが締めたり括(くく)ったりの時も必要なようです。
けりを付けると言うとどうも穏やかでない、緊張した状態を思ってしまいます。
現代のような殺伐とした時代、隣の人とも心の通う会話さえ遠慮をしなくてはいけない世の中になるとついそんな思いが過ぎってしまいます。
所がけりとは「過去のことを回想的に言う」とか和歌には・・・けりで結ぶことが多いことから「結末、締めくくり」のことであります。
ある方から紹介されたマット・フューリーさんの文章の中にこんな事が書かれていました。
『「 始めたことは終わせなきゃいけない 」
誰だって何かを始めることはできます。
しかし同時に、それを終わらせるという規律が必要なのです。
そして、日頃から自分自身を律して終わらせることのできる人は、
何かを始めて継続することの中にとてつもない自由があることを悟るのです。
「 規律の中に自由あり 」
でもどうして?という方もいるでしょう。
規律はあなたに自由を与えてくれます。
何故なら、あなたは気まぐれや不安感、
他人からの妨害の犠牲者にならずに済むからです。
あなたは軌道に乗り、障害によって脱線することなく、
その軌道を自由に進むことができるからです。』
つまり、人生にはメリハリが必要ですよと言うことでしょうか。
だらだらの人生はつまらないものです。
怠惰でしかもインパクトのない人生は、成長もありませんし後退を余儀なくされてしまいます。
時には緊張感が漂って、ギリギリの判断が伴ったり、切った張ったではありませんが締めたり括(くく)ったりの時も必要なようです。
Posted by misterkei0918 at
19:45
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2010年02月11日
高校時代の弁論大会のテーマ「規則の中に生活して」
高校時代の弁論大会のテーマ「規則の中に生活して」
高校2年生の頃だったと思います。
どういう訳か全校の弁論大会に選ばれてしまいました。
私自身はそんな性分では全くなかったのです。
成績は学年1番であったことは確かですが、引っ込み思案でとても人前に出るなどと言う性格でもありませんし、アガリ症でしたからクラスの中でもできる事なら教室の片隅で小さくなっていたい方なんです。
朝から一言も話さないでいても不都合はありませんでしたし、そうあって欲しい性格でした。
その時のテーマが「規則の中に生活して」
どうしてこのテーマにしたのか定かではありませんが、多分高校に入り多感な時期にも入り、校則に触れる機会が増えてきましたので規則の中で生活することの大切さや規則そのもの貴重さを言いたかったのでしょうね。
校内での大会で優秀な成績でしたので、次の段階の市町村の弁論大会までも出場する羽目になってしまいました。
どこまでも嫌なことは続くものです。
本来なら規則もなく自由奔放に過ごせるのが一番いいのですが、動物の中でも1番の困りものは人間です。
昔から人が二人以上揃えば何らかの申し合わせをしないでは、生活の維持は出きませんし場合によっては心まで乱れを生じてしまいます。
国が作る法律、自治体が作る条例も決まりごとであって集団で生活をするための申し合わせであります。
人間は所詮、決まり事の中に最大限の自由や心のゆとりを求めるように出来ているようで、むしろ決まり事のない生活には対応出来ない様な気がします。
歯止めや拘束のない社会、
思うとゾッとします。
タガの外れた人間ほど始末の終えない動物は存在しないから。
高校2年生の頃だったと思います。
どういう訳か全校の弁論大会に選ばれてしまいました。
私自身はそんな性分では全くなかったのです。
成績は学年1番であったことは確かですが、引っ込み思案でとても人前に出るなどと言う性格でもありませんし、アガリ症でしたからクラスの中でもできる事なら教室の片隅で小さくなっていたい方なんです。
朝から一言も話さないでいても不都合はありませんでしたし、そうあって欲しい性格でした。
その時のテーマが「規則の中に生活して」
どうしてこのテーマにしたのか定かではありませんが、多分高校に入り多感な時期にも入り、校則に触れる機会が増えてきましたので規則の中で生活することの大切さや規則そのもの貴重さを言いたかったのでしょうね。
校内での大会で優秀な成績でしたので、次の段階の市町村の弁論大会までも出場する羽目になってしまいました。
どこまでも嫌なことは続くものです。
本来なら規則もなく自由奔放に過ごせるのが一番いいのですが、動物の中でも1番の困りものは人間です。
昔から人が二人以上揃えば何らかの申し合わせをしないでは、生活の維持は出きませんし場合によっては心まで乱れを生じてしまいます。
国が作る法律、自治体が作る条例も決まりごとであって集団で生活をするための申し合わせであります。
人間は所詮、決まり事の中に最大限の自由や心のゆとりを求めるように出来ているようで、むしろ決まり事のない生活には対応出来ない様な気がします。
歯止めや拘束のない社会、
思うとゾッとします。
タガの外れた人間ほど始末の終えない動物は存在しないから。
Posted by misterkei0918 at
19:15
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2010年02月11日
理由もなく不幸が襲ってくることはない(映画:ラブリーボーン)
理由もなく不幸が襲ってくることはない(映画:ラブリーボーン)
前評判の高い映画でしたので、見てきました。
私に取っては不思議な映画でした。
ストーリーは今からご覧になる方の邪魔になってはいけませんので、触れることは避けます。
所謂、亡くなった方が天国にまではまだ行っていない、つまり仏教流に言えば49日までの期間の話、或いは家族のこと、自分を殺した犯人の事が気になって天国へ行こうとしない人の話しと私は理解しました。
その映画の前半で語られた言葉です。
家族だったか、殺された本人だったか忘れてしまいました。
「理由もなく不幸が襲ってくることはない」
という言葉が出てきましたので暗闇の映画館でメモってきました。
所謂、「不幸が訪れるにはそれなりの理由が存在する」と言うことでしょう。
主人公の女子学生は、隣に住む男に突然に誘い出されて殺されてしまうのですが、それなりの理由や必然性が存在したと言っているのだと解釈しています。
人生で時々、こんな事を感じる事があります。
「今起こっているこの出来事は確か以前にそうなるように思ったことがある」
とか、
「昔、想像したことが今、現実化している」
「あの時、将来そうなるような気がすると思っていたことじゃないの」
などと。
昨日から、ロンダ・バーンが書いた「ザ・シークレット」と言う本を娘から拝借して読み始めました。
その中の一説に
『あなたの現在の人生はあなたが過去に考えた事の反映なのです。
それは素晴らしいものや、そうでないものも含んでいます。
あなたがこれまで、一番長く思っていたことを引き寄せるので、あなたの人生であなたが何を一番深く考えてきたのが分かります。』
と言う部分があります。
つまり人は、自分の考えや思い次第で将来の自分を作り出しているのではないかと思われるのです。
と言うことは、人の一生に取って今がどれだけ大事であるかと言うことに思いを馳せないといけないようです。
前評判の高い映画でしたので、見てきました。
私に取っては不思議な映画でした。
ストーリーは今からご覧になる方の邪魔になってはいけませんので、触れることは避けます。
所謂、亡くなった方が天国にまではまだ行っていない、つまり仏教流に言えば49日までの期間の話、或いは家族のこと、自分を殺した犯人の事が気になって天国へ行こうとしない人の話しと私は理解しました。
その映画の前半で語られた言葉です。
家族だったか、殺された本人だったか忘れてしまいました。
「理由もなく不幸が襲ってくることはない」
という言葉が出てきましたので暗闇の映画館でメモってきました。
所謂、「不幸が訪れるにはそれなりの理由が存在する」と言うことでしょう。
主人公の女子学生は、隣に住む男に突然に誘い出されて殺されてしまうのですが、それなりの理由や必然性が存在したと言っているのだと解釈しています。
人生で時々、こんな事を感じる事があります。
「今起こっているこの出来事は確か以前にそうなるように思ったことがある」
とか、
「昔、想像したことが今、現実化している」
「あの時、将来そうなるような気がすると思っていたことじゃないの」
などと。
昨日から、ロンダ・バーンが書いた「ザ・シークレット」と言う本を娘から拝借して読み始めました。
その中の一説に
『あなたの現在の人生はあなたが過去に考えた事の反映なのです。
それは素晴らしいものや、そうでないものも含んでいます。
あなたがこれまで、一番長く思っていたことを引き寄せるので、あなたの人生であなたが何を一番深く考えてきたのが分かります。』
と言う部分があります。
つまり人は、自分の考えや思い次第で将来の自分を作り出しているのではないかと思われるのです。
と言うことは、人の一生に取って今がどれだけ大事であるかと言うことに思いを馳せないといけないようです。
Posted by misterkei0918 at
18:31
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2010年02月09日
反対意見の出ない決定や実践
反対意見の出ない決定や実践
会議をしていると全く反対意見の出ない事があります。
会議の性格にもよりますし、そこに誰がいるのかによっても様相が変わってきます。
家庭でもそうですよね。
厳(いか)つい、強面(こわおもて)の父親が眉間に皺を寄せていたら、子供は意見など出さないし、親の顔色を伺っているものです。
或いは、意見や反対をしてもどうせ何にもならないとか、反映されないと知っていたら、嫌な思いまでして意見など出してはくれません。
会議の主役や提案者にしてみれば、出来れば揉める事なく、すんなりと自分の意見が通れば安心しますし、手直しや考えなおすことの必要もありませんから、これに越したことはないと思いがちです。
私も子育ての頃は子供に意見される親の姿や、折角親として考えや方向性を示しているのに反対されるなど言語道断と思ったりしていたものです。
父親の威厳を履き違えていたんです。
子供は父親の言うことを聞くのが当たり前だとか、聞いていれば間違いないと思っていたのでしょうね。
飛んでもない間違いでした。
子供達には申し訳なく思っています。
企業でもそうですよね。
経験豊富で修羅場をくぐって来た経営者ほど、豊富な知識や体験に裏打ちされていますから際どいところの判断や多くのリスク、危険性、大事なお金の事も精通していて当たり前です。
ですが、物事は新しい息吹を吹き込んだり、全く違った発想や見方、考え方を入れた方が成功に近かったりもするものです。
こんな事も言えます。
決して経験や知識だけが物事を成功させるわけではないと言うことです。
案外、視点を違えて判断した方が新鮮味やインパクトが潜んでいたりします。
そうは言っても経営者は社員などの意見を聞くことは下手糞ですし、出来れば自分の手腕のみで物事は成就したいと思っているものです。
それと他人の意見を聞くと言うこと、取り入れると言うことは逆のその人にも責任ややる気を喚起させる、分担させると言う意味合いもあるわけですから、多くの人の力を結集する必要のあることであればこそ、大いにその事に腐心する必要が有りそうです。
私などの一番不得手なことではありますが。
『反対論がない場合には結論を出してはならない。
勇気と勉強に不足があれば反対論は出ない。P.F.ドラッカー』
会議をしていると全く反対意見の出ない事があります。
会議の性格にもよりますし、そこに誰がいるのかによっても様相が変わってきます。
家庭でもそうですよね。
厳(いか)つい、強面(こわおもて)の父親が眉間に皺を寄せていたら、子供は意見など出さないし、親の顔色を伺っているものです。
或いは、意見や反対をしてもどうせ何にもならないとか、反映されないと知っていたら、嫌な思いまでして意見など出してはくれません。
会議の主役や提案者にしてみれば、出来れば揉める事なく、すんなりと自分の意見が通れば安心しますし、手直しや考えなおすことの必要もありませんから、これに越したことはないと思いがちです。
私も子育ての頃は子供に意見される親の姿や、折角親として考えや方向性を示しているのに反対されるなど言語道断と思ったりしていたものです。
父親の威厳を履き違えていたんです。
子供は父親の言うことを聞くのが当たり前だとか、聞いていれば間違いないと思っていたのでしょうね。
飛んでもない間違いでした。
子供達には申し訳なく思っています。
企業でもそうですよね。
経験豊富で修羅場をくぐって来た経営者ほど、豊富な知識や体験に裏打ちされていますから際どいところの判断や多くのリスク、危険性、大事なお金の事も精通していて当たり前です。
ですが、物事は新しい息吹を吹き込んだり、全く違った発想や見方、考え方を入れた方が成功に近かったりもするものです。
こんな事も言えます。
決して経験や知識だけが物事を成功させるわけではないと言うことです。
案外、視点を違えて判断した方が新鮮味やインパクトが潜んでいたりします。
そうは言っても経営者は社員などの意見を聞くことは下手糞ですし、出来れば自分の手腕のみで物事は成就したいと思っているものです。
それと他人の意見を聞くと言うこと、取り入れると言うことは逆のその人にも責任ややる気を喚起させる、分担させると言う意味合いもあるわけですから、多くの人の力を結集する必要のあることであればこそ、大いにその事に腐心する必要が有りそうです。
私などの一番不得手なことではありますが。
『反対論がない場合には結論を出してはならない。
勇気と勉強に不足があれば反対論は出ない。P.F.ドラッカー』
Posted by misterkei0918 at
14:36
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2010年02月07日
子供と絵本を!!「伏してぞ止まん ぼく、宮本警部です」
子供と絵本を読みません?「伏してぞ止まん ぼく、宮本警部です」
平成19年2月6日、東武東上線のときわ台駅で起きた事故でした。
多分、多くの方々が新聞やマスコミでご存知だと思われます。
当時もその後も多くの方々の感動を呼び起こし、命を張って他人の命を救おうとしながら残念ながら命果ててしまった警察官の事です。
その警察官のお名前は「宮本邦彦」さん。
自殺願望の女性を、一度は踏切で止めたにもかかわらず、静止を聞かずに再度踏切に入り込み、決死の行動でも止めきれずに差し掛かった急行に接触に、懸命の治療にも関わらずご逝去されたのです。
夕方の駅のホームでの出来事でしたので多くの乗客の目前での出来事でした。
この宮本警部の絵本が出来上がったのです。
著者は(株)寺子屋モデルの山口社長。
偉人伝を中心に幼稚園、保育園、小学校の子供達への教育に真剣に取り組まれている方です。
絵本のタイトルの「伏してぞ止まん」は宮本警部の家訓だったようで、
「精いっぱい努力した上で、いよいよ駄目だと思うときでもへたへたと座り込むのではなく、気を励ましてもう一歩前へ踏み出し、うつ伏せに倒れるまで諦めるな」と著者の山口社長は解釈されています。
絵本を読みますと、現代の方でもこんなに崇高に人の命を救う事に躊躇しない方がおられた事に感銘を受けると共に思わず頬をつたる涙を禁じ得ませんでした。
それと宮本警部の行動にこれ程の感動を呼んだのは、この方の日頃の生き方、行動に起因していたようです。
是非是非、子供さんとご一緒にお読み下さいませ。
同時に大人のために「殉職・宮本警部が伝えたかったこと」の本も出版されています。
読み応えがあります。
生き方を考えさせられました。
平成19年2月6日、東武東上線のときわ台駅で起きた事故でした。
多分、多くの方々が新聞やマスコミでご存知だと思われます。
当時もその後も多くの方々の感動を呼び起こし、命を張って他人の命を救おうとしながら残念ながら命果ててしまった警察官の事です。
その警察官のお名前は「宮本邦彦」さん。
自殺願望の女性を、一度は踏切で止めたにもかかわらず、静止を聞かずに再度踏切に入り込み、決死の行動でも止めきれずに差し掛かった急行に接触に、懸命の治療にも関わらずご逝去されたのです。
夕方の駅のホームでの出来事でしたので多くの乗客の目前での出来事でした。
この宮本警部の絵本が出来上がったのです。
著者は(株)寺子屋モデルの山口社長。
偉人伝を中心に幼稚園、保育園、小学校の子供達への教育に真剣に取り組まれている方です。
絵本のタイトルの「伏してぞ止まん」は宮本警部の家訓だったようで、
「精いっぱい努力した上で、いよいよ駄目だと思うときでもへたへたと座り込むのではなく、気を励ましてもう一歩前へ踏み出し、うつ伏せに倒れるまで諦めるな」と著者の山口社長は解釈されています。
絵本を読みますと、現代の方でもこんなに崇高に人の命を救う事に躊躇しない方がおられた事に感銘を受けると共に思わず頬をつたる涙を禁じ得ませんでした。
それと宮本警部の行動にこれ程の感動を呼んだのは、この方の日頃の生き方、行動に起因していたようです。
是非是非、子供さんとご一緒にお読み下さいませ。
同時に大人のために「殉職・宮本警部が伝えたかったこと」の本も出版されています。
読み応えがあります。
生き方を考えさせられました。
Posted by misterkei0918 at
19:51
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