2010年02月06日
教えて頂きました「積小為大(せきしょういだい)」
教えて頂きました「積小為大(せきしょういだい)」
二宮尊徳さんの言葉。
勉強会で教えて頂きました。
恥ずかしいことですが、初めて耳にした言葉でした。
「小さな事でも、コツコツと地道に積み重ねていけば偉大なものとなる」の意でしょう。
日の目を見ないと思われること、
やっても無駄と思われがちなこと、
どうせ続けても役に立たない、
続けるのが嫌な事、
・
・
昔から、「門前の小僧、習わぬ経を読む」とも言います。
意識しなくても続けることは思いのほか、頭や心に残っているものです。
「継続は力なり」とは小さい頃から先生などに教えては頂きましたが、性格の弱い私に取っては派手なもの、効能がすぐにでも出そうなものに神経が走ってしまうことが常でした。
二宮尊徳さんの銅像も殆んど見ることがなくなってしまいました。
薪を背に、本を読みながら歩かれる姿に、親近感と共に諭される思いがあったものです。
最近、二宮尊徳さんの像を見つけたのです。
福岡の方なら、或いはご存知かも。
福岡市中央区の警固小学校の校門の傍の木陰に包まれて立っておられます。
二宮尊徳さんの言葉で
『天理に叶う時、富貴来る』
『道徳のない経済は犯罪なり、経済のない道徳は陳腐である』
があります。
今であれば経済学者との呼称が相応しい方の言葉です。
二宮尊徳さんの言葉。
勉強会で教えて頂きました。
恥ずかしいことですが、初めて耳にした言葉でした。
「小さな事でも、コツコツと地道に積み重ねていけば偉大なものとなる」の意でしょう。
日の目を見ないと思われること、
やっても無駄と思われがちなこと、
どうせ続けても役に立たない、
続けるのが嫌な事、
・
・
昔から、「門前の小僧、習わぬ経を読む」とも言います。
意識しなくても続けることは思いのほか、頭や心に残っているものです。
「継続は力なり」とは小さい頃から先生などに教えては頂きましたが、性格の弱い私に取っては派手なもの、効能がすぐにでも出そうなものに神経が走ってしまうことが常でした。
二宮尊徳さんの銅像も殆んど見ることがなくなってしまいました。
薪を背に、本を読みながら歩かれる姿に、親近感と共に諭される思いがあったものです。
最近、二宮尊徳さんの像を見つけたのです。
福岡の方なら、或いはご存知かも。
福岡市中央区の警固小学校の校門の傍の木陰に包まれて立っておられます。
二宮尊徳さんの言葉で
『天理に叶う時、富貴来る』
『道徳のない経済は犯罪なり、経済のない道徳は陳腐である』
があります。
今であれば経済学者との呼称が相応しい方の言葉です。
Posted by misterkei0918 at
17:48
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2010年02月06日
使命に燃えれば、出来るんですね
使命に燃えれば、出来るんですね
今日は午前中の2時間程度をかけて、江戸後期の日本地図を作られた伊能忠敬さんを学んできました。
50歳を越えてから、一大事業に取り組んだ話です。
家業を終えて隠居の身からのスタートですから、今時の私どもには到底想像のつかない話でした。
今であれば定年退職でしょうか。
60歳、65歳で定年を迎えて後はのんびり余生を年金ぐらしに明け暮れるのが精々です。
年金を貰うまで、或いは貰い始めてアルバイトや趣味、社会活動に少し手を染める程度が関の山です。
伊能忠敬さんは50歳を過ぎて、19歳年下の高橋至時に弟子になります。
これも驚きです。
数歳下の方ならわかるのですが、当時で言えばまさしく子供の年齢でしょう。
そこがこの人らしい所以なんでしょうね。
55歳から21年かけて、「大日本沿海輿地全図」を完成させるのです。
その間、歩いた距離が3万5千キロ。
つまり地球一周分です。
恐ろしい想いが致します。
人はやはり出来るんですね。
まさしく命を捧げると言うことはこの様な事でしょう。
私どもはしない理由、出来ない理由を考えるのは得意中の得意です。
また、他人の精にすることも。
伊能忠敬さんは下総国佐原村の大きな商家の経営者として、村のリーダー的存在として力を大いに発揮された方のようですから、現役の頃も力を惜しまず全力投球をされていた筈なんです。
息子に残した家訓書です。
1、 仮にも偽をせず、孝悌忠信にして正直なるべし。
2、 身の上の人は勿論、身下の人にても教訓意見あらば急度相用堅く守るべし。
3、 篤敬謙譲にて言語進退を寛裕に諸事謙り敬み、少も人と争論など成べからず。
お人柄の滲み出る家訓です。
1861年、明治維新の少し前ですが日本近海に測量のために訪れたイギリス海軍の測量船に渡された伊能忠敬さんの地図にびっくりされたとのことです。
日本にこれ程精巧な測量の技術があったことを。
人は幾つになっても、世の為、人の為のなる事を探し続けることが大事だと思われます。
自分にも与られた使命、天命みたいなものがあるのかも知れませんね。
それを探さないで、しかも全うしないで世を去ることは極めて勿体無いことかも知れません。
今日は午前中の2時間程度をかけて、江戸後期の日本地図を作られた伊能忠敬さんを学んできました。
50歳を越えてから、一大事業に取り組んだ話です。
家業を終えて隠居の身からのスタートですから、今時の私どもには到底想像のつかない話でした。
今であれば定年退職でしょうか。
60歳、65歳で定年を迎えて後はのんびり余生を年金ぐらしに明け暮れるのが精々です。
年金を貰うまで、或いは貰い始めてアルバイトや趣味、社会活動に少し手を染める程度が関の山です。
伊能忠敬さんは50歳を過ぎて、19歳年下の高橋至時に弟子になります。
これも驚きです。
数歳下の方ならわかるのですが、当時で言えばまさしく子供の年齢でしょう。
そこがこの人らしい所以なんでしょうね。
55歳から21年かけて、「大日本沿海輿地全図」を完成させるのです。
その間、歩いた距離が3万5千キロ。
つまり地球一周分です。
恐ろしい想いが致します。
人はやはり出来るんですね。
まさしく命を捧げると言うことはこの様な事でしょう。
私どもはしない理由、出来ない理由を考えるのは得意中の得意です。
また、他人の精にすることも。
伊能忠敬さんは下総国佐原村の大きな商家の経営者として、村のリーダー的存在として力を大いに発揮された方のようですから、現役の頃も力を惜しまず全力投球をされていた筈なんです。
息子に残した家訓書です。
1、 仮にも偽をせず、孝悌忠信にして正直なるべし。
2、 身の上の人は勿論、身下の人にても教訓意見あらば急度相用堅く守るべし。
3、 篤敬謙譲にて言語進退を寛裕に諸事謙り敬み、少も人と争論など成べからず。
お人柄の滲み出る家訓です。
1861年、明治維新の少し前ですが日本近海に測量のために訪れたイギリス海軍の測量船に渡された伊能忠敬さんの地図にびっくりされたとのことです。
日本にこれ程精巧な測量の技術があったことを。
人は幾つになっても、世の為、人の為のなる事を探し続けることが大事だと思われます。
自分にも与られた使命、天命みたいなものがあるのかも知れませんね。
それを探さないで、しかも全うしないで世を去ることは極めて勿体無いことかも知れません。
Posted by misterkei0918 at
17:13
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