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2010年07月31日

iPadを使い始めました

iPadを使い始めました

日本での発売が4月でしたかね。
センセーショナルなデビュでした。

マスコミの取り上げ方も異常な加熱振りで煽るだけ煽ったという感じでした。

昔、アップルがマッキントッシュを発表した時もそうでしたし、一部の業界においては業務のあり方まで影響を受けたものでした。

タブレットタイプのPC型端末は色んな形で今までも出現していましたが、やはり今一でヒットに結びつくのはありませんでした。

最近では、アマゾンから出た書籍端末としてのキンドルがアメリカ、ヨーロッパでヒットしたようですが日本では今一状態でマニアックの人や一部の業界がらみの人々で使われる程度の事でした。

やはり一番はコンテンツの充実が問題ですし、特に日本語での開発に時間がかかるようです。

iPadがMACから出たあと、キンドルも廉価版を発表したり、機能の充実を随分と力を入れているようです。

又、秋にはグーグルがタブレットタイプを発表するといっていますから大変な競争が始まるのでしょう。

実は、私自身はそのグーグルが出すタブレットタイプを待っていたんです。
グーグルの凄まじいほどのネット上の力を目の当たりにしたいとの思いがそこにあったのです。

ところが、先日東京の六本木で電子出版の仲間と飲んだ時の彼らの雰囲気に圧倒されて、早速アップルストアーに走る事にしました。

お店の女の子に嫌な思いをしましたが、
そんな事で購入を諦めては、本来の思いを達成する事ができませんので涙を呑んで購入する事にしたのです。

その子曰く、「お渡しできるのは10日から2週間程度先になります」。

ところが、翌日26日には手に届く始末です。
私自身は早く手に出来ましたので嬉しい出来事ですが。

購入を急いだのは、ひとつは六本木の彼らに遅れを取ってはいけない事、
グーグルを待っていては、タブレットタイプの使い方に遅れを取るかもしれない事、

早く、実感したほうが有利に働く事、
社員にも早く知識を持たせたいこと・・・・・

あと少し待つ手もあったのですが、
多分、ハード面では改良が加えられていくと思われますが、ソフト面ではバージョンアップなどで対応する事になるので問題はないであろうと思われる事から思い切りました。

「iPad・WiFi+3Gモデル 64GB」

モバイルネットで一番気になるのが、受信状態ですが今のところはWiFiとソフトバンクの電波を使っていますから何とかOK。

本当はもう少し早いと嬉しいのですが。

理由はサーバーなどのPCに入ったときに少し時間を要することやそのPC上のソフトを使うにも動作が幾らか緩慢なところが何とかなると嬉しいのですが。

でも、そのほかの部分はでは十分に満足できるスペックです。
電子書籍も快適に読めますし。

早く日本の書籍のコンテンツが揃ってくると、もっと面白い状況になると思われます。
  


Posted by misterkei0918 at 11:53Comments(0)

2010年07月29日

自分の気持ちを抑えるのが上手になった?

自分の気持ちを抑えるのが上手になった?

冷静沈着だとか、物事に動じないとか、オーバーな言い方をすれば「悟った」とか言いたいのですがそこまで大げさではなくて、少しだけ、ほんの僅かだけ、色んな事に惑わされる事なく判断が出来るようになってきた。

そんな程度の話です。

確かに、最近周りに左右される事も少なくなりましたし、物事の判断も偏った考えではなく中庸とか、拘りのない判断ができるような気がします。

自信がついてきた事もあるかもしれませんね。

年齢が年齢ですから当たり前と言えば当たり前の事ですが。

それもついてきた自信が自己過信や人を見下げた気持ちや優位性を保とうとするのではいけませんよね。

逆に「年の取り甲斐がない」と言う事にもなってしまいます。

自分の意見も以前から比べると上手に表現できるようにもなってきましたし、思いを一旦飲み込んでから言葉にするのも上手になってきたような気がします。

言葉は大いなる刃ですから、何気なく吐いた言葉が相手にとんでもない衝撃を与えるものです。

以前でしたら、他人から言われたことに随分と悩んだり、眠れなかったり、悔やんだりもしたものですが、このごろはそのような事態は全く消え去ってしまいました。

年を重ねたから、ひとつは鈍感になった事もあるでしょうし、図太くもなったでしょうし、無視するだけの度量も備わったのかもしれません。

一番はやはり、年の功でしょうね。

人は経験を重ね、葛藤を繰り返すうちにひとつづつ学んで行くんでしょう。

「あの場合はこう、この場合はこう」と言うように、臨機に応じて柔軟性を持って対応する事が出来るように自然と学ぶもの。

本当は「人生を達観」出来る境地まで到達すると大したものなんですが。

そこまで行くには、宗教か何かに深く係わらないと難しいかも知れません。

いつも思うのですが、人の心を引き裂くような言動を重ねたり、
社会に弓引くような仕業はよくありませんよね。

周りの多くの人々を観察してみると結局はその仕返しが必ず待っているように思います。

仕返しがなくても自らが挫折の道を歩んだり、坩堝にハマったり、足元をすくわれたり、結局は破滅と苦難が待ち構えているもの。

昔から「精進」と言う言葉を聴きましたが、やはりこれに尽きるような気がします。

生まず弛まず、地道に、人の立場に立って!!

老後は、出来ればあくせくすることなく、穏やかでありたいものです。
  


Posted by misterkei0918 at 14:12Comments(0)

2010年07月27日

お世話になったあの方へ・・・恩返しの話

お世話になったあの方へ・・・恩返しの話

お中元の時期です。
「お世話になったあの方へ」の言葉を思い出しました。
お世話にも様々。

植村花菜「トイレの神様」という歌を拝聴しました。
今時の歌は私にとっては、オーバーな言い方を許してもらえるなら雑音にも近いものです。

確かテレビだったと思います。

端麗な美しい方でした。
しかも情の深そうな。

彼女を育ててくれたおばあさんの事を唄った歌です。
旅立たれたあばあさんへの恩返しの出来なかった自責の念を歌っている歌詞です。

著作権が絡んでいますから、ここに掲載は出来ませんが。
一度お聞きくださいませ、きっと感動されます。

そうですね。
恩返しをしなくてはいけない方、恩返しを忘れてしまった人・・・・・

人の人生は他人に寄り添って、しかも支えられて全うできるものです。
実は支えているつもりが、相手に支えられている事を気付かずにいるものです。

私も多くの方々の恩を頂き、支えていただいた人生です。
恩返しを怠っている事の多さは周囲の方々よりも多分ピカいちかもしれません。

恩は返してもらおうと思ってするものでもありませんし、それを期待することは打算であって、決して関心のできることではありません。

仏教的なことで言えば、恩を与える事は徳を積むための施しであって決して報いを求めるものではないのではないでしょうか。

仏教を詳しい私でもありませんから、間違っていたらお許し下さい。

私どもが日常的に使う「無償の愛」などがそれに当たるのではないでしょうか。

無償の愛を受けるものにとっては、それが「恩」と言う事でしょう。

物の貸し借りやお金の貸借には、比較的シビアな人間でも、恩愛、恩情を返す事には比較的頓着が無いものです。

特に私は。


『一般にわれわれは、人の怒りを買おうとしてよりも、人に恩を売ろうとして、いっそう多くの罪を犯すのである。タキトゥス』


『あまりにも性急に恩返しをしようとするのは、一種の忘恩行為だ。ラロシュフコー』


『恩人は善行を隠し、恩恵を受けた者がそれを外に示さなければならぬ。ギリシア、キロン。前6世紀』


『人に施したる利益を記憶するなかれ、人より受けたる恩恵は忘るるなかれ。バイロン』
  


Posted by misterkei0918 at 14:32Comments(0)

2010年07月27日

人はそれぞれに感動的な人生を送っている

人はそれぞれに感動的な人生を送っている

際立った経験や顕著な業績、異質な過去を持つ人、
極まった行動や
歴史的、文化的、文明的な功績を残した人の人生は私どもに多くの感動を与え、強烈なインパクトをもたらします。

世の中はそのような方々の行き方や残してくれたもので進歩をし、人々の心もより高まっていくものです。

でも、多くの人々はそのような感動的な人生を送っていないのでしょうか。

そうではないですよね。
あなた自身が、既に「私だって感動的な人生だ」って叫びたくなるものです。

色んなところでいろんな方にお会いします。

歴史を作る、あるいは文明を発展させるのにはそんなに貢献はしていないけど、そんな人々に遜色が無いほど感動的な人生をそれぞれが歩んでいるものです。

多くの人々は自らの人生を誇らしげに多くを語りませんし、
その必要性も感じない人生を送っているものです。

秀でた人々は、秀でる理由そのものは、際立った事なのでしょうが私どもと比較してそんなに感動的でないのかもしれません。

ただそんな方々は、周りが物語を作ってくれますし、自然発生的に或いは意識的、策動的に如何にも感動的な人生で在るかのごとき劇場、演出をしてくれるのが一般的です。

本当は、名も無い、日陰的な存在の人々、社会の片隅でひそやかに暮らしている人々の中にこそ、真の感動的な人生の持ち主がいるものです。

ですから、自信を持って「私自身が既に感動的なんだ」と思う事が大事なのではないでしょうか。

普通の方々の感動は人の心を討ち震わせ、勇気と共有する事の喜び、素晴らしさを与えてくれます。

感動の和を広げるには、自らが持ち合わせている悲喜こもごもの経験を胸襟を開いて語り合うことが大切なようです。


『一生悟れなくてもいいから感動いっぱい、感激いっぱいのいのちを生きたいと思います。相田みつを「生きていてよかった」(ダイヤモンド社)より』


『他人を感動させようとするなら、まず自分が感動せねばならない。ミレー(フランスの画家)』
  


Posted by misterkei0918 at 13:07Comments(0)

2010年07月27日

少しは冒険をしないとね

少しは冒険をしないとね

無難な人生は、勇敢に生きようとする若者には怠惰なもので自らの人生のあり方にいつも疑問や自己批判の何ものでも無いような気がします。

人生を勇敢に生きるのか、
「何とかなる」と高(たか)をくくって生きるのか、

「どうでもいい」と投げやりになるのか、
「誰かがどうにかしてくれる」と他人依存で過ごすのか・・・・・

それぞれの生き方ですが、どうせ同じ人生を生きるなら少しは冒険をして見ませんか。

人は自己過信が過ぎるところが欠点です。

能力も人並みにも係わらず、他人が見る以上に過大な評価を下し、後に嘆きの日々を過ごしたりするものです。

自らの能力評価は少し低めにして、その分努力に重きを置く位が良さそうです。

その為には常に謙虚、しかも人前に出しゃばらず、一歩下がって物事に対処する癖が必要と思われます。

過ぎて引っ込み思案でも、どうかと思いますが要は内心、秘めた強さを持ちながら、信じる道を人並み以上の努力が出来る人。

それにプラスして、少しの冒険を出来る人。

そんな人に限って、信頼も厚く、周りの方々が協力を惜しまず、応援をしてくれます。

それが一番ですよね。

黙々、コツコツ。

少しの冒険は、自らが求め、自らにとって未知の世界への出で立ちです。

そこに少しの危険も伴い、不安も付き纏うものです。

でも、それは普段からの備えによって十分に克服できるものであって、産みの苦しみであって、明るい自分の世界を切り開くための胎動なのです。

人生を無難に、無難に遣り過ごそうとする思いは、行動する事を忘れさせ、人との繋がりをないがしろにし、むしろ後退させるものといっても過言ではないでしょう。

折角のこの世を生きるなら、少しの冒険に勇気を出してみて必ず見えてくる明るい展望に触れてみようではありませんか。

多くがそうですが、危惧は結局、取り越し苦労だったり、後悔の源泉だったりもします。

「そうはいっても」と躊躇するのは良く分かります。
だって私がそうでしたから。

最初の少しの冒険は、やがてその膨らみを見せ、他人から見たら「とんでもない冒険」に発展したりするものです。

何事も積み重ねですよね。
最初は極めて小さな、しかも取るに足らない冒険だったのにいつの間にか自分でも驚くような冒険だったり。

まさか自分に一軒家が作れると思ってもいなかったのに、
まさかあの彼女が自分の結婚相手になるなんて・・・・・

こんな事も、結局は身近な小さな、少しの冒険が発端だったのではないでしょうか。


『危険を冒すことなく、成し遂げられるものは何もない。リイドバーグ』
  


Posted by misterkei0918 at 09:52Comments(0)

2010年07月26日

東京一極集中、情報の集積度の話

東京一極集中、情報の集積度の話

月に何回か東京へ出かけます。

昔、若い頃は東京の田町、品川付近が勤務地でしたからそれが当たり前でした。

人が多く、溢れ返って、息切れがしそうで、繁華街などへはあまり出かける気がしなかったものです。

人負けをするというのか、疲れが倍加するとでも言うのでしょう。

寮へ帰り着くとホッとしたものです。

実は政治も経済も日本の中心ですから、そうでしょうが情報の集積度も凄いものです。

だからサラリーマンは、地方へ転勤をさせられると左遷、都落ちなどといわれ決して嬉しいものではありませんでした。

逆は、出世の証として大いに喜ばれ、本人も胸を張って転勤をしたものでした。

いつも東京へ出て感じるのですが、これだけ情報が集まっていると自ずからそこで生活する人のスキル、レベルも向上するもの。

しかも周りに多くの刺激が存在しますし、人口も多いわけですから、自ずから競争も激しくなるものです。

また、多くのトップレベルの企業も東京にその全てが存在するのですから、企業間競争も熾烈を極めます。

多くのエリートや知識人が東京に集中しているのも頷けるものです。

集積するだけではなく、情報の発信力も他の都市とは比較にならないほどずば抜けてもいるものです。

出版だって、多分想像ですが日本全体の9割は東京発ではないでしょうか。

それだけ、厳しい世界だともいえますし、生き馬の目を抜くような状況が繰り広げられていると言うことでもあります。

そうですね、この年になって、しかも地方都市で長年にわたって暮らしてきた私にしてみれば今更東京でもないような気がします。

もう寿命を縮めるような事はしたくありませんし、自分の道を大事にしながら、人生を喧騒な中に晒す事はもう出来ません。

時々、出かけて「命の洗濯」くらいで良さそうです。

東京へ出かけて、疲れて帰ってくるたびに「無事に帰れて良かった」などと溜息が出るこのごろです。
  


Posted by misterkei0918 at 21:50Comments(0)

2010年07月22日

過去は何のためにあるのか?

過去は何のためにあるのか?

過去に捕らわれて、なかなか身動きの取れない格好の私ですが、

果たしてその過去はこれからの私の未来にどのような貢献をしてくれるのか、或いは重荷になって足かせとしての暗い役割に終始するのでしょうか。

先輩たちは「経験に学ぶな、歴史に学べ」と教えてくれます。

私で言えば、経験はすなわち私の過去の事であり、歴史は先人が歩んだ足跡であります。

そういう意味では私の過去はあまり学ぶべきものは無いのかもしれません。
むしろそういう理解でいた方がより前向きで確実な人生を送れそうです。

私の過去の失敗は2度と繰り返さないためへの轍(てつ)であって、一過性のただの一里塚として大事にしておく程度、そして成功は戒めの教訓にするくらいが良さそうです。

自分の過去の成功体験を引きずって、柳の下の2匹目のどじょうを狙ってはいけませんし、それは過去の亡霊であってむしろ役に立たない事が多いものです。

そして怖いのは、成功体験の慢心であります。

それは今後の決断を鈍らす最大の敵のような気がします。

過去の成功体験がどれだけ挫折の踏み台になっているかは周りを見渡せば理解できます。

過去の体験は、2度と繰り返すことの無い人生の中での大切な体験として留め置くくらいが良さそうです。

過去に執着しない、
振り返らない、
未練を残さない、
浸らない・・・・・

過去の亡霊は、取りついたら離れないもの。
自らの今の心を奪い去るくらいはたやすいもののようです。

未来への足がかりを探るための過去、豊富な経験を積み重ねるが為の過去で十分ではないでしょうか。


『ある者は過去の記憶をむし返して、我と我が身をさいなみ続ける。
ある者はまだ見ぬ罪におびえて、我と我が身を傷つける。
どちらも愚かきわまることだ。
過去はもはや関係がなく、未来はまだ来ぬ……。セネカ』


『一度だけの人生だ。
だから今この時だけを考えろ。
過去は及ばず、未来は知れず。
死んでからのことは宗教にまかせろ。中村天風』


『生き残るための執念と過去を捨て去る勇気がいかに大切か。山田正彦』


『過去にこだわるものは、未来を失う。チャーチル』


『幸福人とは、過去の自分の生涯から、満足だけを記憶している人びとであり、不幸人とは、それの反対を記憶している人々である。萩原朔太郎』


『過去にしがみついて前進するのは、鉄球のついた鎖をひきずって歩くようなものだ。ヘンリーミラー(米作家)』


『苦悩こそ人生の真の姿である。
我々の最後の喜びと慰めは、苦しんだ過去の記録に他ならない。ミュッセ』


『われわれは過去への思い出によってではなく、未来に対する責任によって賢くなるのである。バーナードショー』
  


Posted by misterkei0918 at 16:56Comments(0)

2010年07月21日

「人は、繰返し繰返し言われた通りになる!!」と言う事は?

「人は、繰返し繰返し言われた通りになる!!」と言う事は?

よく音楽一家だとか、大工一家、俳優を多く輩出している家系、中には政治家の世襲があったりもします。

私どもは幼い頃から、繰り返し繰り返し言われ続けていることに興味が集中しますし、知識も深まっていくものです。

音楽一家で、朝から晩までピアノが鳴り響いていたら、自然と音楽が身についていくでしょうし、そうでない周りの子供よりも多くの音楽の知識を豊富に蓄えてしまいます。

最近問題になる2世、3世の政治家。

当然親が政治家であれば、周りが政治絡みの人間関係、終始政治に関する情報の中で育つわけですから、興味は自然と政治に向かっていくものです。

また、自分がなりたいと思う夢を常に語っている人がそれを実現する事もよくあることです。

最近では宇宙飛行士がそうですよね。

「小さい頃から宇宙に憧れ、いつの日にか飛行士になると語り続け、それに向かって努力を傾注したら本当になれた」、そんな話はいつでも耳に入ってきます。

「いつの日にか、私は社長さんの奥さんになる」、そんな事を夢見ていたお嬢さんがいつの間にか本当に社長婦人になった話など。

逆もあります。
「お前は駄目だ!!、駄目人間だ」と親から言われ続けているうちに本当に無気力な努力をしない人間になってしまった。

「どうしてお前はそんなに不器用なのか。なにやっても人並み以下だ!!」
本当に人並み以下を自認する様になってしまいました。

人は、「馬鹿だ、アホだ」を日常的に連発されると本当に自分は「馬鹿だ、アホだ」と思ってしまうから不思議です。

そんなトラウマ状態から抜け出るのは並大抵の努力では出来ません。

また、チヤホヤ褒められる、持ち上げられるだけの人生も嫌なものです。

「おだてれば豚も木に登る」などの言葉もあります。

人は大変に難しい生物ですが、それだからこそ面白いのかもしれません。
そこが他の動植物と際立って異なるところですよね。

「人は、繰返し繰返し言われた通りになる!!」
それを分かっておいての人付き合いは、或いは結構楽しいものになる事、請け合いですよね。
  


Posted by misterkei0918 at 16:44Comments(0)

2010年07月21日

子供は親の玉手箱、親は試されている。

子供は親の玉手箱、親は試されている。

「子は親の鏡、親は子の鏡」などといいます。
つまり写し合っているということでしょう。

「この子にしてこの親あり、この親にしてこの子あり」とも言います。
やはりお互いが激しく影響しあっていると言う事です。

「鳶(とんび)が鷹(たか)を産む」こともないではありませんが、普段は似たもの親子であってそんなにかけ離れているものでもなさそうです。

私の子供たちだってそうです。
私の子供にしては、出来過ぎのような気もしますが、ひとつには家内が好影響を与えている事に間違いありません。

子供は親を上手に繰(あやつ)っているようにも思えます。
自分たちを上手に育てられるように親を見事に操っているとでも言いましょうか。

また、子供たちは親を育てる名人でもあると思っています。

隣近所の付き合いに親を導き出すのも子供です。
PTAや校内、社会へいざなってくれるのも子供たちです。

親は子供たちの為に社会へ出て行ったと思っているようですが、実は子供たちから促されて社会活動へ誘(いざな)われているのです。

子供たちはそんな親たちにとって「玉手箱」と名づけました。

親たちが子供を育てているように思えますが、それはお互い様。
親は子供とともに成長し、名実ともに親となり、社会性を身につけ、生涯を勇気と励みを持って逞しく生抜けるものです。

子供の成長を自らの成長と位置づけ、共にこの世を生き抜いていくものだと確信出来ると嬉しいものです。

玉手箱は開けるたびに驚きと賞賛を私どもに授けてくれます。

私どもの反応を見定めている様でもあります。

子供と共に成長できる喜びは、人生の応援歌でもあって何ものにも変えがたい親が逞しく生き抜く原動力になります。


『親であるということは一つの重要な職業だ。
だがいまだかつて、子供のためにこの職業の適性検査が行われたことはない。バーナード・ショウ』


『夫を持ったり、子供を持ったりするたびに、人間の心の眼は開けてゆくものだよ。川端康成「結婚の眼」』


『親の方が子供から得ることがよっぽど多いですよ。
それと同じで、教えるということはとても勉強になる。親思う心に勝る親心。吉田松陰』


『子供たちがのびやかにすくすく育つために必要なのは、理路整然としたルールや整備された環境ではなく、実は“誰かに世界一愛されている”という実感なのではなかろうか』


『世界で一番有能な教師よりも、分別のある平凡な父親によってこそ、子供は立派に教育される。ルソー(仏・思想家)』
  


Posted by misterkei0918 at 15:58Comments(0)

2010年07月20日

解決の糸口は何処かにある?ない?

解決の糸口は何処かにある?ない?

会社にいるとそれなりに様々な課題が降りかかります。

人やそのスキルの問題や売り上げや利益の確保、顧客との良好な関係の構築、ビジネスモデルの考案や販売方法、キャッシュフローの事、研究開発のこと・・・・・

家庭にあっては、夫婦の問題や子供、隣や親戚・・・次から次へと湧き出てくるものです。

社会との関わりも無くてはいけません。
それが人間性を高める事にもなりますし、社会的な地位や子供の成長にも大事な事であります。

でも、どんな問題でもそうですが、問題を抱えるだけで胸が満杯にならないように日頃から訓練や場数を踏む事がとても大切です。

それと、問題の解決の糸口が何処かに常に潜んでいることを念頭に置いておく事や、解決した後の自分が間違いなく成長している事を感じるものだということを肝に銘じておいたほうが良さそうです。

「雨降って地固まる」と言います。

雨が降ることが大事なんです。

問題の発生しない人生など、つまらなくて楽しくも無いもの。
向上心も芽生えず、怠惰な日々の連続です。

人間はそのように出来ているものです。

問題解決に果敢に取り組む人生と、問題からいつも逃げる事ばかりを考えている人生。

数十年経てば、雲泥の差に愕然とするものです。

楽しみ喜びは、苦しみや悲しみを乗り越えた人に与えられる神様からのプレゼントであって、最初から逃げ回っている人には幸せのかけらも回ってこないかもしれません。

たとえ、回ってきたとしても糠(ぬか)喜びだったり、長続きしなかったり、足元がぐらついたりするものです。

果敢に勇気を持って、取り組む人には問題そのものが恐れをなしてくるもの。

また、そんな人には問題解決のノウハウなどの蓄積が力を発揮するものです。

問題解決には常に解決の糸口が存在する事を念頭に置いておく人と、最初からその気が無い人、恐れおののいている人には解決そのものが寄り添ってこないものです。

糸口が必ずあると言う思い、それが大切なようです。
  


Posted by misterkei0918 at 16:29Comments(0)

2010年07月20日

それでもお客様は神様?

それでもお客様は神様?

商売でもやはり人と人との真心のぶつかりあいだと思うのです。

こちらの誠意を踏みにじったり、
無視したり、

理不尽な行動に出る、
自己都合に終始する、

我儘の限りをする、
こちらの誠意を認めようとしない、

どこまでも値切り倒そうとする
支払いのお金を台の上に放り投げる・・・・・

そんな態度のお客様がいます。

それでも神様と崇めるのは可笑しいですよね。

当然、こちらがお客様をお客様とも思わないような態度を取っているとしたらそれは言語道断です。

そんな態度でお客様に接するようであれば即刻商売はするべきではありませんし、長続きもしませんし、当然信頼関係など構築できるわけがありません。

お客様に前期のような態度を起こさせる要因を作っている場合もそうでしょう。

むしろお客様の態度の是非を問うどころの騒ぎではありません。

お客様でなくても、私もとんでもない人に出会った事があります。

原因も見当たらないのに、人を罵倒したり、想像も出来ないような理不尽な行動をして見たり。

それはそれは不思議な存在の方でした。
その方は、それが原因ではないでしょうが、晩年は泥棒に入られて人から預かっていた大金を盗まれたり、亡くなった後に奥様にお会いして、

「大変でしたね、ご愁傷さまでした」と申し上げたら、奥様が
「いいえ、ほっとしました」とにこやかにお答えになったのには、
「なるほど」と頷いてしまいました。

にこやかに誠意を持って対応してくれる方には、こちらも同じ様な心持ちで接してあげる事が大事。

不思議なものです。

それ以上の対応が待ち受けているものです。
誠意に対して、誠意で答えられない人、
どこかで損をしたり、予想をしない不手際に出会ったりするものです。

世の中は上手に出来ているものです。
やはり、良いお客様である人が得をするように出来ているようです。

神様然(ぜん)としている人に限って、人を大事にしない人であったり、逆に大事にされる人でなかったり、大切には決してされないものです。

人はフィフティ・フィフティ。
お客様であっても、選ぶ事は決して非難される事ではないと思うのです。

むしろ、どんな人であっても、何があってもお客様は神様とすることの方がいけませんし、悪い結果を招いてしまいます。
  


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2010年07月17日

ボランティアをするのに借金?無心?

ボランティアをするのに借金?無心?

その気持ちは崇高で、大切なものであり否定するものではありません。

そんな事態があってから随分と時間も経過したので、オープンにしても大丈夫でしょう。

その方は、落選はしましたが市会議員の選挙にも立候補した方でした。
日頃から、ホームレスの人々の支援をしている事は存じていました。

選挙の前後は忘れましたが、大よそ想像では後のような気がします。

ホテルの喫茶店へ呼び出されました。
「ご相談したい事がありますので是非!!」との事。

暫くして切り出します。
「お金を貸していただけませんか」。ビックリしたものです。

だって、面識は殆どないのです。1回はあった事があります。

当然、断りました。

「だって、貴方には過去一度しか会っていませんし、人柄も存じません。
そんな私にどうして借金の話をされるのかが理解できません。
相談するし手は他にいるのではありませんか?」

借金の理由も聞きませんでした。

人助けをしようとする人が、借金をしてするなど可笑しな話でしょう。
先ずは自らの生活基盤をしっかり築く努力が最初!!

そんな借金で救ってもらう相手にも失礼千万(せんばん)な事ですし、理不尽な話です。

お互いが知りもしないのに、無心などもってのほかでしょう。

私の友人にボランティア活動に熱心なあまり、自分の会社を潰してしまいました。
これこそ本末転倒です。

彼にも言ったんです。
「一生懸命するのは良いけど、本来の経営が疎かになっては元も子も無いよ」

聴く耳を持ちませんでした。
彼はそれで自己満足だったんでしょうが、その後彼の姿を見る事は無くなってしまいました。

やはり、身の程を知る、自分の足元を見つめる、今自らがすべき一番の事は何なのか真剣に考えておかねばいけないのでしょうね。

ボランティアや人のお世話の為に自分の身を滅ぼすなど、本来すべきではありませんし滑稽であり、相手に失礼な事でもあります。

思いや気持ちは十分に理解できます。
私も30年以上ボランティア活動もしましたし、1000人のメンバーを抱える団体の長もしましたので。
  


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2010年07月17日

幸運は準備している人に舞い込んでくる

幸運は準備している人に舞い込んでくる

「そんな筈は無いのに、あの人はどうしてそうなのか」
「笑っている場合で無い筈なのに」

「心中穏やかでないに決まっているのに」
「気でも狂ったのでは?」

「あの人の事業は上手くいっていない筈なのに、なぜか明るい」
「手形で困っているといっているのに、あの表情はどうして?」

などなど。

どうも私どもは、苦しい時には苦しい表情に終始し、悲しい時にはいつの間にか涙目になりますしそれなりの表情になるものです。

嬉しければ当然歓喜の表情ですよね。

難しいのは、苦しい時、悲しい時にそれと裏腹の表情や行動をする事でしょう。

そんな人がいるんです。

「あの人の心の内を見てみたい」そんな思いにかきたてる人。

先日、偶然は必然に様な気がすると書きました。

どうもそんな気がするのです。

幸せや好結果を招く人は、日常的にそんな行動を取っているような気がします。

その人が持っている言動のパターンによっていつも良い運気が付きまとう人と、あくせくといつも頑張っているのに、人一倍の努力をしているのにどうしても良い運気に恵まれない人。

どうもそこに違いが存在するような気がしませんか。

多くの人に会います。

共通のパターンが存在します。

当然、喜びが舞い込めば喜びの表情をします。
ついでにその喜びを周りにもお裾分けをする事を忘れないのです。

大事なのは、反対の時。
悲しい時、苦しい時、その表情を見せないのです。

表向きは平静を装い、苦しい悲しいそぶりも見せませんし、しかも逆に喜びの表情や穏やかな笑みさえも見せてしまいます。

秘訣はどうもそこにありそうです。

悲嘆に暮れた姿は、ますます陰気を呼び込み、周りをも巻き込んで坩堝にはまっていきます。

内心は穏やかでなくても、明るい表情や言葉はやがて良い運気を誘い込み、周りから好循環を始めるものです。

空(から)元気や、空威張り、大法螺(おおほら)吹きでは困ります。
見破られてしまいますよね。

不幸にして、落胆の日々、苦難の環境に陥ってもそんな方はいつの間にか、再起の道を勇敢に歩んでいたりします。

やはり、人は心の持ち様によって好循環を呼び込む事が出来るようです。

希望を捨てず、蟠(わだかま)りを捨て、周りに不安を撒き散らさず、勇気と夢を忘れず邁進する事が素晴らしい人生を切り開く一番の薬のようです。

これも日頃からの訓練の賜物なのかもしれませんね。
  


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2010年07月14日

人生は人脈、良質の情報、確かな決断、幾らかのお金、健康

人生は人脈、良質の情報、確かな決断、幾らかのお金、健康

人生を順調に運ぶ方法、
或いは言い過ぎかもしれませんが、人生を成功に導く方法・・・・・

こんなものがあると苦労はしませんよね。

どうにか人よりは贅沢がしたいとか、
少しでも美味しいものが食べたい、
出来れば、少しでも広々とした家に住みたい、

理想とする女性と結婚したい、
事業で成功したい、
出来ればお金持ちに、
時には外国旅行でも出来る身分に・・・・・

挙げるときりがありません。

私などは人並み以上に欲深い人間ですので、ページが埋まるのにそんなに時間は要しません。

人生で成功する方法などと言うと、そんな口にするほど簡単な方法があるとすれば全ての人が成功しているかもしれませんね。

中には成功などいらないと言う人も出てくるかもしれません。

また、人が百人いれば百人なりの成功の形、姿があるものです。

私が言う成功とは、「自らの人生を振り返った時に、人間として満足感、達成感を得られること」を前提としていることをお許し下さい。

また、成功する方法ではなく、成功へ導いてくれる方法とでもと言ったほうが正しいかもしれませんね。

私の勝手な思い付きによる方法かもしれませんが、羅列してみます。
本当は細かく挙げると際限がありませんので、少なくともこれはと思われるものだけに限定してみました。

『人生は人脈、良質の情報、確かな決断、幾らかのお金、健康』

1、人脈・・・・・人は人によって人となると信じています。良き両親、良き師、良き上司、良き伴侶、良き家族、良き同僚・・・・・

手を拱いていては決して良い人脈には廻り合いません。
自らの胸襟を開いて、笑顔を持って人の心に飛び込む努力が必要でしょう。

自分に利益をもたらす人が良い人とは限りません。
時には叱声、苦言を呈してくれる人も必要となるでしょう。

また、出来れば人を惹きつけるだけの力も備わっているともっと素晴らしいかもしれませんね。

2、良質の情報・・・・・今のような情報社会では雑音的な情報は手を差し伸べると幾らでも入手できます。でも、有益な情報は自らが見つけきれる洞察力が要求されるかもしれません。

また、素晴らしい人はそれなりの情報を身につけているものです。そんな方との接点を持ち合わせることも大事になるようです。

3、確かな決断・・・・・遅い決断はむしろしないほうが良さそうです。早ければいいというのではなく良質の情報や覚悟、努力に裏打ちされた確かな決断でなければいけないようです。

決断によってもたらされた結果は、自らが責任を取るくらいの覚悟も並行しなくてはいけません。

4、幾らかのお金・・・・・ふんだんにあるお金は返って失敗の元。必要最小限が良さそうです。
つまり後に引けない状態、崖っぷちに立った位の心境が真剣さを生みますし、甘えを除去してくれます。

ですが、それが為に家族に過大な不安や心配をかける事は禁物でしょう。
どんな事があっても成功させる思いが先行しないといけないようです。

5、健康・・・・・心身の健康の大切さは論じるまでもなさそうです。
健康だからこそ努力も出来ますし、勢いも出ます。
物事の基本ですし、健康なくしては成功の喜びも半減でしょう。


そんな事を私自身の心に刻み込みながら明日からまた全力疾走していきたいと思います。
  


Posted by misterkei0918 at 23:12Comments(0)

2010年07月13日

あれほど大嫌いだった事が、今では楽しみに

あれほど大嫌いだった事が、今では楽しみに

私の性格は、好き嫌いをはっきり言うタイプではありませんが、最近は出来れば明確に出来るように気をつけるようにしています。

でも人の好き嫌いだけは出来るだけしないように、しかもそれを口を開いて言わないように心がけています。

そうでなくても「口は禍の元」ですから。

また、口に出してしまうと自然とその方向に心は動いてしまいますし、相手の心象も良くありませんし、その人の心の動きまでも言葉の通りに左右してしまいます。

前向きな言葉や、相手に受け入れやすい事や喜んでくれることは出来るだけ口にするようにして、そうでないことは差し障りが無い限りできれば口をつぐんでいた方が良さそうです。

「物言わぬは腹膨るる技」とも言いますが、こと人の事はやはり慎重に運んだほうが良さそうです。

じつはタイトルは健康診断の事でした。
正直なところ数年前まで、数十年間健康診断をしたことが無かったのです。

これは決して自慢になることでもありませんし、増してや健康だったからなどと賞賛できることでもありません。

病気にならなかったから良かったようなもので、もし健康に差し障りのあるような病気にでもなっていたら今頃とんでもない手遅れになってしまいます。

分かっているんですが。

どうも病院に行くのが億劫で、少々のことがあっても気が進まないというところでした。

良く友人たちが「どこか悪いところが見つかるのが怖いのだろう」などと言ってくれますがそうでもないのです。

2,3年前に初めて健康診断というものを経験しました。
自分の健康の度合いが、数値上で手に取るように分かることに興味が湧いてきたのです。

それから数回、検査をしましたが、
今ではその数値の変化をグラフにするのが楽しみになってきたというのが理由です。

自分の健康状態がグラフに出来る楽しみを覚えてしまいました。
EXELに入力して、変化を眺める。

次はどのタイミングで行こうかと思うようにさえなってきたのです。
家族にしてみたら、父親のこの変化に唖然としているというのが現状です。

考えてみたら、自分の健康状態のチェックよりも数値の入力やその変化に楽しみを覚えるなど滑稽な可笑しい話ですが。

それでも、健康診断へ行こうと自分から言い出すようになったのですから、家族にとっては万歳かも知れませんね。


『健康の維持は義務なり。
生理的道徳と称するものの存ずるを知る人はまれなり。スペンサー』


『健康とは健全な肉体に宿る健全な精神のことである。ホメロス(ギリシャの詩人)』


『健康は第一の富である。エマーソン(アメリカの思想家詩人)』

  


Posted by misterkei0918 at 16:06Comments(0)

2010年07月12日

同じ苦労でも受け取り方は様々

同じ苦労でも受け取り方は様々

同じ苦労なのは、ある人は「取るに足らない!!」と言い、
ある人は「こんなに苦労するなら、死んだほうが増し!!」と言います。

子供たちの体育の運動でもそうですよね。
5段の跳び箱が飛び越えられないクラスメートに向かって
「これくらい大したこと無いだろう。意気地なし!!」

キャッチボールの出来ない子に、
「当たっても怖くないから、しっかり取れ!!」

会社でも、プレゼンテーションを怖がる同僚に、
「相手は噛み付くわけでもないのだから、しっかりやれ!!」

などなどありますが、人はそれぞれ。
小さなことと思われることで、神経を尖らす人もいれば、難なく事をこなしてしまう人もいます。

一晩中悩み続ける人がいると思えば、何食わぬ顔で鼾(いびき)までかいて寝てしまうなど・・・。

それは決して人間として欠陥があるわけでもなく、遅れを取っているわけでもないと思っているのです。

それぞれなりに、乗り越えようとする努力が伴うか伴わないかが問題ではないでしょうか。

そこに他人との競争感が働く人、働かない人、例え働いてもそれぞれのレベルが存在するもの。

言われて久しいのですが「ナンバーワンでなくてもいい、オンリーワンであれば」などもそうですよね。

言える事は、与えられた苦難、苦労は乗り越えようとする気概や努力は素晴らしい体験、経験として人の中に確実に蓄積されることです。

人は怠惰ではいけません。

自らに与えられた苦難は、自らが出来る範囲内で乗り越える努力が大切であります。

振り返った時に、「良く頑張ったね」と自らを賞賛できる程に。

神様は「乗り越えられない苦難は与えない」と言います。

私の過去を振り返ってみても、数え切れないほどの苦難にぶつかってきましたが、見事に乗り越えてきています。

やはり、私のレベル、私の能力を少し超えた程度の苦難だったのでしょうね。

不思議なものです。
その内、乗り越えられないと思われる苦難まで乗り越えるつぼ、コツを覚えてしまうものです。

人生は「七転び八起き」、「山あり、谷あり」、「生病老死」・・・・・
葛藤の日々ですが、そのひとつひとつが人を逞しくし、喜びを倍加してくれるものです。

人生を楽しいものとして謳歌している人に限って、実が波乱万丈の生き様だったり、奈落の底まで突き落とされた人々がいるものです。

人生はどこに幸せが転がっているか誰も知る由はありません。

ですが、幸福の女神の前髪を掴むのは、希望を失わず、苦しくても前向きに、しかも真摯に頑張っている人に機会は廻ってくるものです。

他人と比較することなく、わが道を後悔なくして歩むにはどのように今があることなのでしょうか。
人間の煩悩は尽きないものですが、自らの進む道を自信を持って捜し求めることのように思えます。

せっかく生きる人生。
周りを巻き込んで、悔いの無いものにしたいものですね。  


Posted by misterkei0918 at 20:13Comments(1)

2010年07月12日

先ずは自分が幸せに?

先ずは自分が幸せに?

私もそうですが日本人的には「まず他人への施しを優先し、自分の幸せよりも人の幸せを先に願う」。
それが私どもの美徳と思っていますよね。

大阪の橋本知事は「道徳とは自己犠牲の精神」と教えてくれました。

「ザ・シークレット」を読んでいましたら、それを覆す論法が出てきました。
私にとっても、今までの世渡り術を考え直さざるを得ないかも。

皆さんもご一読下さい。


『もし、あなたが自分のことを、他人があなたを扱って欲しいように扱っていないとしたら、
周りの状況を変えることは出来ません。

あなたの行動はあなたの強力な思考の表れです。

従って、自分自身を十分に愛していない時は、自分はとても重要だ、自分には十分価値がある、
自分は何かに値するというシグナルを発していない事になるのです。

自分を大切にしていないと、そのシグナルは引き続き放射されて、
他の人から大切に扱われない状況が続きます。
人々のあなたに対する態度はその結果なのです。

あなたの思考がそもそもの原因です。
ですから、先ず自分自身を愛し、尊敬する。
そして、そういうシグナルを力強く放射して、その周波数に乗って下さい。

そうすると「引き寄せの法則」が宇宙のすべてを動かします。
あなたの人生はあなたを愛し、尊敬する人々で溢れるでしょう。

多くの人々は他人のために自分を犠牲にする人はいい人だと思っているからです。

しかし、それは間違いです。
自己犠牲とは、絶対的な不足という考えに由来しています。

この世には全員のためにものが十分あるわけではないので、自分は我慢します、
という考えから出ているからです。

そのとき感情は決して良い気持ちではないのです。
いずれ怒りに変わります。

実は、豊かさは全員に準備されているのです。
自分が望むものを引き寄せるのは、自分自身の責任です。
他の人のために引き寄せる事は出来ません。

それはその人になって感じたり考えたりすることは出来ないからです。
あなたの役割はあなたのことをすることです。

自分の気持ちが良くなる事を優先すると、その素晴らしい波動が光輝き、
自分の周りにいるみんなの心を動かすでしょう。

私たちの多くは自分を後回しにするという謙譲の精神を教えられています。
その結果、自分には価値がないとか、自分は何かに値しないという気持ちを引き寄せています。

そうした気持ちが根付くと、自分は何かに値しないとか、
満足しない気持ちを持った人生を引き寄せてしまいます。

ですから、その様な思考は変えなくてはなりません。

自分を先ず充足させなければ他の人に分け与える事はできません。
ですから先ずあなた自身を大事にすることが急務です。

自分の喜びを大切にして下さい。
人は自分の喜びに責任があります。

自分の喜びや自分を喜ばす事を大切にすると、あなたはあなたと一緒にいる人から見て楽しい人になり、
人生で出会う人々や全ての子どもたちの輝ける模範になれます。

あなたが喜んでいる時に分け与えることなど考えなくても良いのです。
あなたから自然に愛が流れ出ているのです。』


どうでしたか。
何度か読み直すうちにその気になってしまうから不思議です。
今まで書いてきたブログ内でも言及してきたことが否定されたような気もしますが、宗教観や日本人としての対人関係、日本古来のものの考え方にも由来しているのかもしれませんね。

私の個人的見解としては、人の事を先に思いやってあげる事の方がいいと思います。

人生を改めて考える機会が出来たと思えば有難いことです。
  


Posted by misterkei0918 at 18:52Comments(0)

2010年07月12日

若い頃には苦労をしないとね

若い頃には苦労をしないとね

若い頃に苦労をした人は、大概逞しい人が多いものです。

逆に年を重ねてからの苦労は、耐え切れませんし回りを引き込んでしまい、しかも貧相になってしまいます。

若い頃は少々の苦労には十分な耐える力を備えていますし、知恵や知識も大いに吸収し蓄えていきます。

どこの国かの総理大臣が際立った象徴的な事例かもしれませんね。

多分、自分の思うことは全てそのように実現し、叶ってきたのかもしれませんね。
悲しい現実を私どもの眼前に突きつけてくれました。

人は理念や夢を食べては生きてゆけません。

それと並行して際立った努力が存在しないと、実現は不可能なものです。

若い頃に親や周囲、社会に迷惑を掛けてきた人はどこかでその償いを考える、実践しないとどこかでとんでもないしっぺ返しが待っているものです。

若い頃は少々の苦労を厭わず、中年、老年には幾らかゆとりを持った暮らしに終始できるようにするためにも。

「昔から苦労は買ってでもせよ」と言われました。

私は「経験しなくて良い苦労と経験したほうが良い苦労」があるように思うのです。

経験したほうが良い苦労は自ら申し出てでもやる価値があると思っています。

人に取り入ろうとか、それで自分だけが利益を得ようなどの思惑はろくな結果にはなりません。

私自身は青春時代まで、ある意味苦しい日々でありました。

その多くはしなくても良い苦労だったような気がします。
経験したことはしようがありませんから、正当化するために自分を慰めるのです。

「それも今の君を作るために必要な敬虔だったし、十分に役に立っている」などと。

良く若い方々に言います。
「今のうちに積極的な自己投資をしなさい」

お金を使うことをつい投資と言いがちですがそうではありません。

お金を使わなくても出来る自己投資は存在するものです。

若いときほど、自分に鞭打ってでも苦労はしたほうが良さそうです。

若いときは苦労の対応の仕方も柔軟ですし、馬齢を重ねてからの苦労は身にこたえますし人生にずっしりと重荷となって乗っかかってきます。


『苦労人というのは、ややこしい苦境を優雅に切り抜ける人のことである。サマセットモーム』


『失敗することがあっても、大きなことに取り組んで栄誉ある勝利を獲得するほうが、たいした苦労もない代わりにたいした喜びもない臆病者の群れに加わるより、はるかにいい。
臆病者は、勝利も知らなければ、敗北も知らない灰色の生活を送っているのだから。セオドアルーズベルト』


『最初から和尚はいない。
ふき掃除から洗濯まで、小僧の苦労を重ねてこそ大和尚になれる。安藤楢六(実業家)』


『私はたえず喜びを求めながら生きている。
そのための苦労には精一杯に耐える努力を惜しまない。本田宗一郎』
  


Posted by misterkei0918 at 14:49Comments(0)

2010年07月11日

偶然は必然!!その殆どは偶然ではないような気がする

偶然は必然!!その殆どは偶然ではないような気がする

昔、或いは今でもそうかもしれませんが「いつかしら王子様が迎えに来るかも」などとするシンデレラ症候群と称せられた若い娘たちがいたものです。

現在の経済状態で言えば、そのうち景気がよくなれば自分の会社の業績も回復するとか、政府がどうにかしてくれるだろうなどの考えもそうでしょう。

他人依存型で、自らの努力は置いといて傍らからの働きかけや偶然に期待してしまう。

そこに恨み節が飛び出してくるようであれば、何をか言わんやであります。

自らの前向きな努力をせずして、期待や希望、夢を現実にしようなどとする思い、考えは捨て去ったほうが良さそうです。

廻り来るチャンスは、決して平等には与えられません。

努力をして、それなりに機会を作ろうとする者へ集中的に訪れると信じているからです。

『偶然は、準備のできていない人を助けない。Lパスツール』

『偶然とは、努力した人に 運命が与えてくれる橋です』
と昔から言われます。


文字通りの偶然がない訳ではありませんよね。
周りを見れば歴然です。

なぜかしら、どうしてと思うような廻り合いに支えられて人も羨む様な結婚をする人もいますし、なれるはずも無かった社長に偶然や突発的な出来事で、その位置に辿りつく人もいるものです。

でも、努力の伴っていないタナボタ的な幸福や地位は、本人の居心地も穏やかではありませんし長続きしない、そのうち足元がぐらつき始めるなどの不安要因が付き纏うものです。

心の底から、至福の時を味わい、持続的に、しかも周りをも巻き込んで幸せになりたいのなら、やはり努力を怠らず、心の修養を忘れず、足元を踏み固めながらその時を待つ心がけが必要な気がします。

私自身もいつそんな時が訪れるともわかりませんが、出来れば「若しかすると今こそ一番幸せなときかも」とする気持ちを喚起することも必要ではないでしょうか。

人の欲望は果てしないもの。

今がその時であって、それ以上を求めるにはそれ以上の努力が必要であることを自らの思いに重ねることが大事なようです。


『運命の中に偶然はない。
人間はある運命に出会う以前に、自分がそれをつくっているのだ。ウッドローウイルソン』


『偶然がまだ運命と同一に思われるのは、青春時代の始めだけである。
後になれば、生の本当の道は内面によって規定されていたのだ、ということを知るようになる。ツヴァイク』
  


Posted by misterkei0918 at 08:13Comments(0)

2010年07月10日

最愛の人っていますか

最愛の人っていますか

世の中、人生を全うするまでは多難ですし、一筋縄ではいかないのが現実です。

寄せては返す波のように、
時には怒涛のごとく押し寄せてみたり、

或いは疾風が吹き荒(すさ)むように、
砂浜の砂のように密かに足元をすくわれそうになったり、

不幸な生まれや氏素性(うじすじょう)に嘆いたり、

珠には暴力的な言葉に萎縮したり、
理不尽な行動に涙したりするものです。

でも、でもですよね。
人に一番の力を授けるのは、何と言っても人。

ペットの為に命を捧げる人がどれだけいます?
自然の為にはどうでしょうか。

皆無でないことは理解できますが、普遍的な人間の自然な感情としてやはり人の存在でしょう。

経営者の中には、会社の為に命を賭ける人がいないではありませんが。

「最愛の人っていますか」

それは家族であっても、友人であってもいいと思いますが自らがこの人の為なら犠牲になってあげてもいいくらいの人が多いほど逞しく雄雄しく、勇気を振り絞って生きてゆけそうな気がするのです。

「あの人の為なら、命でも捧げたい」と迄いかなくてもいいと思うのです。
時間でもいいし、労力でも、或いは金銭的なことでもいいかもしれませんね。

中でも一番大事で不可欠なのは、心でしょう。
心を常に捧げる人がどれだけ存在するのか。

私どもはつい打算で物事を計算してみたり、推し量ったり、過剰な期待を持ったりするもの。
人との関係の構築を図る時にも、ついそんな気持ちが働いてしまうものです。

愛とは、無償のものであって求めるものではないと思っています。
そのところが恋心と異なるところでしょうか。

恋心は相手を思う気持ちとともに、自分への見返りや逆期待感が存在するものです。

「私一人のものであって欲しいとか、相手の気持ちも私にだけ集中して欲しい、結婚に至りたい・・・・・」

恋の字の心の上の音符は変化の変と同じです。
私の勝手な解釈ですので信用はしないで欲しいのですが、その意味は、移り変わる、過剰な期待や不安、我儘、恐れ、犠牲や強迫・・・二つ以上の心の葛藤ではないかと解釈しています。

だから定まらず揺れ動きが激しく、コントロールが利かない、そんな気がします。

だから「愛」と「恋」は別物であると。

ご自分の若い頃を思い起こすと自然とお分かりになるものと思います。


『男と女というこうも違った、また複雑な人間の間で、互いに良く理解しあい、ふさわしく愛するために一生を費やして長すぎるということはない。コント』

日常が、最愛の人を探す旅だと思うと過ごす日々が楽しくもなってきます。


『愛するものと一緒に暮らすには一つの秘訣がいる。すなわち相手を変えようとしないことだ。シャルドンヌ』


『愛はたがいを見つめ合うことではなく同じ行く手をともに見すえることにある。サンテグジュペリ』


『愛にあふれた人は、愛にあふれた世界に住みます。敵対的な人は、敵対的な世界に住みます。あなたが出会う人は、あなたの鏡です。ケンケイエスジュニア』


『愛は幸運の財布である。与えれば与えるほど、中身が増す。ミュラー(ドイツの詩人)』


『意欲と愛は偉大な行為にみちびく両翼である。ゲーテ(ドイツの作家詩人)』
  


Posted by misterkei0918 at 11:36Comments(1)