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2010年07月07日

先が短いから時間を惜しんで働く・・・尊徳さんとある貧しい老人

先が短いから時間を惜しんで働くく・・・尊徳さんとある貧しい老人

二宮尊徳さんの事を書いている冊子に出会いました。
岡田幹彦先生の著書です。

先日、先生の卓話をお聞きする機会に恵まれましたがその時にこの本が受付に置かれていましたので即座に買い求めました。

読み進むうちにこの部分に目が止まってしまいました。


**********
開墾の現場で一人の老人が毎日根気良く木の根を掘っていた。
人々が休憩している時もやっている。

少しは休んだほうがよいと周りが言っても「いやいや若い人は休んでも一日の働きは余るほど出来ますけれども、私は年老い、力が衰えていますから、若い人と同じ様に休んでいては何ほどのことも出来ません」

それでもこつこつと掘り続けます。

「あの老人が木の根にばかりかかっているのは、他の人々と一緒に働くのが嫌だからであろう。
一日の働きは他人の3分の1にも及ばない。
尊徳先生はなぜこんな無益な老人を追い払わないのだろうか」と陰口を叩かれます。

尊徳さんがどこの国の者かと尋ねます。

「私は常陸の国の百姓です。家は貧乏ですが百姓仕事は倅に任せ、少しでも貧乏を補わんが為に働きに参りました。私の様な老人もお捨てにならず、若い人と同様の賃金を下さって誠に有難い幸せで御座います」

「お前は衆人に抜きん出て丹誠したから、いささか褒美としてこれを与える」

何と15両(約450万円)を授けた。

当然ながら老人は「人並みの働きが叶わぬ私が同様の賃金を頂くのさえ勿体無いのにどうしてこのようなご褒美を頂くことが出来ましょうか。身の置き所も御座いません」

尊徳さんは、
「私は多くの役夫を使用するにも一人一人の働きを良く見ている。お前の数ヶ月の働きぶりを見るに、少しも自分の手柄を現そうとしない。

他人はみな起こし易い所を選んで少しでも多く開いた所を見せたがるが、お前はひとり他人の嫌う木の根を掘って力を尽くして怠らない。

人が休んでもお前は休まない。

聞けば老人の為、労力が少ないが為に休まぬと。

その功は目に見えぬが、その労苦は他に倍している。家が貧しいが為に他国へ出て働くと言いながら、今与える金をも辞退しようとする。

その心の清らかで正直なことは他人の及ぶ所ではない。金は天がお前の誠実を哀れみ、褒めて下し賜るものと思って有難く頂き、帰郷して貧苦を免れ、老いを養う助けともなれば私もまたそれを喜ぶのだ」

老人は涙を流し、合掌再拝して金を頂いた。尊徳さんの目にも涙が光った。
**********


やはり労苦を惜しんではいけないと言う教えです。

陰日なたや人の目を意識して働くようでは本物ではないと言うことでしょう。

何処かの社長ではありませんが、心の片隅には後ろめたい気持ちに引きずられながら、自分は接待と言いながらのゴルフ三昧、中洲通いに現(うつつ)を抜かすようではいけません。

若しそうであるならば、胸を張って言わねばいけません。
  


Posted by misterkei0918 at 19:47Comments(0)

2010年07月07日

良く頑張ったような気がする

良く頑張ったような気がする

際立った、実り多い成果を挙げた人生ではないような気はしますが、自分ながらに良く頑張った人生だったような気はします。

頑張ることが成果を呼び込むものではありませんが、出来れば頑張った分は成果に結びついて欲しいものです。

「良く頑張ったような気がする」と言うと、もう人生が終わりつつあるとか、これからは幾らか気を抜いてしまおうとかの事ではなく、

その逆、ここで自らの人生を振り返り、総括を加えることによって、反省や後悔、加えて称賛し、これからますます気概を持って頑張ろうとの思いを引き起こそうと思っているのです。

それには、自らの過去を否定的、自虐的な反省のみに追われるのではなく、むしろ肯定的に誇らしげに褒め称えてあげたいとの想いからです。

勇気や奮起はそんな想いから派生してくるような気がします。

ただ、頑張れ頑張れでは、気が滅入ってしまいますし、迫力にも欠けてしまいます。

何方かが言ってました。
「頑張れは顔晴れ」だと。

頑張ることで逆に落ち込んだり、精神的に追い込まれるようでは頑張る意味がありません。

あくまでも頑張ることは、より前向きで晴れ晴れしく行動することだと思うのです。

ある方に「頑張りなさい」と言いましたら、
「私はこれ以上頑張れません」の言葉が返ってきました。

頑張れの字を見ると、屈強にとか、頑固に、頑なに、がむしゃら、一心不乱の印象がありますが私は決してそうではないような気がするのです。

自らを勇気付け、鼓舞し、明るい未来を想像し、逞しく邁進すること。

また、頑張りにそれぞれの姿があっていいと思うのです。

それぞれのスタイルとでも言えばいいのでしょうか。
私は私の頑張りのスタイル・・・・・

頑張ることが楽しいことであってほしいもの。
でも人生は穏やかなものではありません。

でも日ごろから自らの頑張りの姿を追い求めている人は、自らに覆いかぶさる苦難にも果敢に立ち向かい頑張るものです。

だって、「神様は乗り越えられない苦難は与えない」と言いますから。


『今自分にできること。
頑張ればできそうなこと。
そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない。イチロー(メジャーリーガー)』
  


Posted by misterkei0918 at 18:37Comments(0)

2010年07月07日

七夕伝説とカササギ(カチガラス)

七夕伝説とカササギ(カチガラス)

小さい頃は、七夕の時期になると短冊を作るのが楽しかったものです。

子供たちには昔からの伝説に興味を示してもらいたいものです。
その前に私ども大人が、勉強しなくてはいけないかもしれませんね。

私の様に全く伝説に疎い人間は特に。
子育てには、昔話や伝説は貴重なものであることを再認識しなくてはいけませんね。

七夕伝説と北部九州、特に佐賀県に生息し佐賀県の天然記念物に指定され、しかも県鳥でもあるカササギが深い関わりがあったことをご存じない方が多いのではないでしょうか。

秀吉が朝鮮出兵の折に連れ帰ったと言われているスズメ目カラス科に分類される鳥類の一種で別名カチガラスもしくはコウライガラスとも言われます。

伝え聞くところによると「カチ、カチ」と泣くところから戦場の秀吉がそれにあやかって、縁起がいいとして日本へ持ち帰ったと言われるようです。

佐賀圏内に出かける時に電柱や大きい木に巣を作っていますので気付かれると思います。

朝鮮半島では、七夕伝説における織姫と彦星の間をつなぐ掛け橋の役を担う鳥として、親しまれていることをご存知でしょうか。

そこで七夕伝説とカササギの関わりをWEBサイト上から拝借しました。
お読み下さいませ。


『こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。

夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。
夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。

めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。

このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。

しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。
星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。

また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている。』


やはり、嬉しさの余り有頂天になって現実を忘れてはいけないのでしょうね。

一年に一度しか会えない悲しい話のようですが、引き合う人のお互いの心は深くて高いうねりのようなものであって、高揚させる効果を十分にもたらしてくれるものです。
  


Posted by misterkei0918 at 13:37Comments(0)

2010年07月05日

認知症の馬鹿たれ

認知症の馬鹿たれ

認知症に掛かっている人に向かって「馬鹿たれ」って言っているわけではありません。

人間に大変なことを引き起こしている認知症にけしからんと言っているのです。

皆さんは最近、気付かれませんか。
認知症に関するテレビ番組の多いこと。

と言うことは巷(ちまた)に認知症の方々が満ち溢れてきたと言うことです。

それもそうですよね。
日本が世界一の長寿国。

女性が86歳、男性が79歳。

昨年の敬老の日に発表された100歳以上の方は、確か3万6000人を越えていたと記憶しています。
2030年には100万人を越えると言うことです。

と言うことは、町中に100歳以上の元気な方々が右往左往されていると言うことでもあります。

石を投げたら、100歳以上の方に当たると言うことです。

当然、認知症も増えますよね。

体は幾らか元気なのだけれども、頭の前頭葉や海馬が萎縮するか若しくは脳血管の障害で記憶中枢が犯されることによって起こる症状。

私も悲しい現実に遭遇することになってしまいました。

自分の身内にまさかそんな事態が引き起こされるとは夢にも想像しなかったことです。

お陰で様々なことも勉強しなくてはいけない事態にもなりました。

涙を流すこともしばしばです。

でも、乗り越えなくてはいけない現実です。

せめて「認知症の馬鹿たれ!!」とでも叫びたい心境でもあります。

事の顛末をいつか整理して皆様にお役に立てるような形にでもしたいと思っています。
  


Posted by misterkei0918 at 23:07Comments(0)

2010年07月03日

放置された車の顛末

放置された車の顛末

時々、港に出かけます。
魚釣りをする方々の傍で、じっと眺めるのが好きです。

自ら釣りを好んですることは決してありません。

どうして決してなのか。
幼い頃、祖父と育った私は、小さな船を漕いで陸地が見えない程も遠いところに魚を求めて出かけていました。

家は半農半漁でしたので、凪の日は良く海へ出かけたものです。

祖父と一緒に出かけることはとても嬉しいことでしたが、幅1m足らず、長さ5m前後の屋根もない手漕ぎの船は揺れは激しく、カンカン日照りでしかも見渡す限りの海原での漁業は幼い私に取っては大変な苦痛であり辛いものでした。

ですから、釣りを見るのは好みますが自ら行動を起こすことはありません。
釣りの楽しみを教えることの出来なかった親として子供達には申し訳なく思っています。

良く、岸壁に行きます。
片隅に放置された車を見たことがありますか。

1週間前に見たときには、まだ無傷であった車が、窓のガラスはすべて砕かれ、ドアは凹み、エンジンルームのボンネットは空いたまま、部品は至る所で外され、座席の上はゴミだらけです。

多分、誰かが一部の部品やアクセサリーを外すために起こした行動が引き金になって、誘われるように、しかも許しを得たがごとく車のあらゆる物がむしり取られた状態になっています。

街の中でも良く見かけます。
スーパーやコンビニの横に置かれたオートバイの様子が全くこれと同じ状況を呈しています。

住み手の無くなった住居もそうです。
廃墟と化すのに、そんなに時間は要しません。
場合によっては、関係のない人間が住みついたりもするものです。

調べてみましたら、こんなことが分かりました。
やはり人間の心理に基づく行動なんですね。


「ブロークンウィンドウ(割れ窓)理論」
『ブロークンウィンドウ理論とは,スタンフォード大学のフィリップジンバルト教授が実験によって証明された理論。

普通の車とフロントガラスの割れた車をそれぞれ住宅街に放置。

1週間後、普通の車は変化がなかったが、窓の割れた車は次々にガラスを割られ、金になる部品はほとんど盗まれていた。

これは、小さな犯罪を放置すると、やがてそれが大きな犯罪につながるという犯罪心理学の理論』


実はそういう事だったんですね。
そういえば「問題の芽は小さいうちに刈っておきなさい」と親たちが言ってましたね。

小さな犯罪は重大な犯罪の呼び水でもありますし、燃えあがった火を消すことは大変な労力を要し、取り返しがつきません。
しかも元に戻す事など出来ないのです。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、こんな言葉もありました。

車の部品が欲しいと思っていた人、もしかすると何か欲しいものが中にあるのではないかと想像した人は、誰かが行動を起こした結果に引きずられて、それ以上の行動を起こしてしまいます。

道路の片隅に置かれた1個のゴミ袋が明日の朝には山になるほどのゴミ袋を呼び寄せてしまいました。

山間の道路の脇に捨てられた1台のテレビが数日後には、冷蔵庫、電子レンジ、挙句の果てには建築廃材の山積みです。

こんな事にならないように皆さんで気をつけたいものです。
  


Posted by misterkei0918 at 18:29Comments(0)

2010年07月02日

半夏生(はんげしょう)って知っていました?

半夏生(はんげしょう)って知っていました?

「知らないのはお前だけだ」等と言われそうです。
知らないことが多すぎることに愕然とします。

また、人間の歴史の深さや先人が気が遠くなるような体験、経験の中から積み上げた物事への対処の仕方や知恵には驚かされるものです。

今日はどんな日かと思って調べていましたら、「半夏生」の日だと記載されています。
半分は夏で、まだ半分は梅雨時ということでしょうかね。

ネット上から拝借を致しました。
皆様のご参考にでも成れば。


『半夏生(はんげしょう)は雑節の一つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ(ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころとも)。

七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。

農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。

この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。

また三重県の熊野地方や志摩地方の沿岸部などでは、ハンゲという妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行うことに対する戒めともなっている。

上方ではこの日に蛸を、讃岐では饂飩を、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣がある。
この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。』


人々が如何に自然を大切に思い、自然と共に生き抜いてきたかが思われます。

自然を壊すことのみに集中している現在の人々はそのうち大変なしっぺ返しを喰らうことになるのかも知れません。


「知らないのはお前だけだ」等と言われそうです。
知らないことが多すぎることに愕然とします。

また、人間の歴史の深さや先人が気が遠くなるような体験、経験の中から積み上げた物事への対処の仕方や知恵には驚かされるものです。

今日はどんな日かと思って調べていましたら、「半夏生」の日だと記載されています。
半分は夏で、まだ半分は梅雨時ということでしょうかね。

ネット上から拝借を致しました。
皆様のご参考にでも成れば。


『半夏生(はんげしょう)は雑節の一つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ(ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころとも)。

七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。

農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。

この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。

また三重県の熊野地方や志摩地方の沿岸部などでは、ハンゲという妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行うことに対する戒めともなっている。

上方ではこの日に蛸を、讃岐では饂飩を、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣がある。
この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。』


人々が如何に自然を大切に思い、自然と共に生き抜いてきたかが思われます。

自然を壊すことのみに集中している現在の人々はそのうち大変なしっぺ返しを喰らうことになるのかも知れません。
  


Posted by misterkei0918 at 09:42Comments(0)

2010年07月02日

人間はみな一人

人間はみな一人

人はみな、母の胎内に宿った時から一人であります。

「いや違う、俺は双子だから、五つ子だから一人ではなかった」。
そういう向きもあることは分かりますが。

他の動物の殆どが、一度に生まれ落ちるのが複数なのに対して単数なのはそれなりに意味合いが存在するのかも知れませんね。

自然の摂理として、
余り淘汰される危険性が少ない状態であるとか、
育てるのが大変だとか、
食べ物の確保が一度にいくつも生まれては大変だとか・・・・・

人の難しいところは、生物としてだけではなく精神活動が伴っているところが他の動物とは際立って異なるところでしょう。

それを進化と呼ぶのか、疑問に思わないわけでもありませんが。

昔、結婚をする頃ですから随分と昔です。
何故買い求めたのか未だに不思議ですし、中身も忘れてしまいました。

本のタイトルが「結婚は孤独・・・」。
もしかすると間違っているのかも知れませんが、はっきり結婚は孤独と書いてあったことだけは確かです。

一般的には、「結婚は孤独?、そんなことはないだろう」と思うのが当然ですよね。
だいぶ以前ですがNHKに俳優の筧利夫さんが出演されていて、彼も「結婚は孤独」と発言したのです。

結婚といういわば晴れ舞台、明るい未来へ向かって行く時である時にもかかわらず「結婚は孤独」という思いを抱かせるにはやはり人の所在の儚さを感じてしまいます。

どんなに晴れがましくても、幸福の絶頂のいても人の心根のどこかに、一人であるとの思いが潜んでいるのかもしれません。

昨日、ラジオでアンジェラアキさんの曲、「ウィアーオールアラウンド」を聞きました。
よく知らないで書いていますので曲名など間違っていたら申し訳ありません。

その歌詞の中に、「人間はみな一人だから共に歩く人を求めている」というフレーズが存在していました。

そうなんです。
一人だからこそ、繋がりを求め手繰り寄せ、常に人との関わりを人を求めるのです。

或いは人との関わりに、極めて強い執着を感じるものです。

それを拒否しようとする精神の働きこそが、「人間はみな一人だから共に歩く人を求めている」という心根の根幹に関わる所作なのかも知れません。

人は様々な自問葛藤、喜怒哀楽の中で、生命を全うするのですが常に他の人々との繋がりの中でないと問題解決が出来ないジレンマに苦しむものです。

一人でありたいとする根本的な思いと、世渡りは一人では出来ないもどかしさの狭間で。
  


Posted by misterkei0918 at 09:13Comments(0)

2010年07月01日

成功する人の共通点「重要事項を優先する」

成功する人の共通点「重要事項を優先する」

今まで数回に亘って、どうすれば成功するのかを考えてきました。
未だに結論は出ていませんし、出ていたら私も成功していたかも知れません。

成功することがどういう事なのかも定義しないといけませんが、多くの方々が持っている成功でいいと思うのです。

安定した事業、経営ができている、
お金が貯まる、

不動産が人より余計に持てる、
多くの社員がいる会社を作れる、

いいことで有名になる、
羨ましがられる立場になる、
良い結婚ができる、

素晴らしい家族に恵まれる、
望んだ職業につける、
趣味嗜好で人より抜きん出ている



それぞれの成功が何なのかを羅列するには幾ら書いても書き終わることはないかも知れません。

一般的な成功体験をするための条件もあげるとキリがありませんが、下記のようなメルマガを頂きました。

確かにそうです。
凡人の私は成功しようと考え、もがきますがちっとも前進しません。
むしろ後退しているというのが現実のようです。


『人生の大半を成功者達の共通点に費やした人が、見つけ出した結果があります。
E・M・グレーという人が執筆した『成功者の共通点』という論文にその答えが載っているのです。

目標を達成するための熱心な「努力」でもなく「幸運」でもなかったのです。
それは、人間関係におけるコミュニケーション能力でもなかったのです。

実は、成功するための決定的な要因とは、「重要事項を優先する」ということだったのです。
そして、そのことを彼はこのように表現しています。

「成功者たちの共通点は、成功していない人たちの嫌がる事を実行に移す習慣を身につけているということである。彼らにしてみても、必ずしも好きでそれを行っているわけではないが、自らの嫌だという感情をその目的意識の強さに服従させているのだ。」』


私もそうですが、大切な事とは分かっていながらも優先して実行しない自分、後回しにする自分が存在します。

経営でもそうですし、恋愛でも、家庭生活でもそうですが、大事なことから目をそらさず自らの気持ちの中にだけ保持するのではなく、何よりも速度を持って実践行動することが大事なようです。

今日からの行動に肝に命じておかなくては!!
  


Posted by misterkei0918 at 09:16Comments(0)