しーまブログ 日記/一般福岡県 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

2010年07月29日

自分の気持ちを抑えるのが上手になった?

自分の気持ちを抑えるのが上手になった?

冷静沈着だとか、物事に動じないとか、オーバーな言い方をすれば「悟った」とか言いたいのですがそこまで大げさではなくて、少しだけ、ほんの僅かだけ、色んな事に惑わされる事なく判断が出来るようになってきた。

そんな程度の話です。

確かに、最近周りに左右される事も少なくなりましたし、物事の判断も偏った考えではなく中庸とか、拘りのない判断ができるような気がします。

自信がついてきた事もあるかもしれませんね。

年齢が年齢ですから当たり前と言えば当たり前の事ですが。

それもついてきた自信が自己過信や人を見下げた気持ちや優位性を保とうとするのではいけませんよね。

逆に「年の取り甲斐がない」と言う事にもなってしまいます。

自分の意見も以前から比べると上手に表現できるようにもなってきましたし、思いを一旦飲み込んでから言葉にするのも上手になってきたような気がします。

言葉は大いなる刃ですから、何気なく吐いた言葉が相手にとんでもない衝撃を与えるものです。

以前でしたら、他人から言われたことに随分と悩んだり、眠れなかったり、悔やんだりもしたものですが、このごろはそのような事態は全く消え去ってしまいました。

年を重ねたから、ひとつは鈍感になった事もあるでしょうし、図太くもなったでしょうし、無視するだけの度量も備わったのかもしれません。

一番はやはり、年の功でしょうね。

人は経験を重ね、葛藤を繰り返すうちにひとつづつ学んで行くんでしょう。

「あの場合はこう、この場合はこう」と言うように、臨機に応じて柔軟性を持って対応する事が出来るように自然と学ぶもの。

本当は「人生を達観」出来る境地まで到達すると大したものなんですが。

そこまで行くには、宗教か何かに深く係わらないと難しいかも知れません。

いつも思うのですが、人の心を引き裂くような言動を重ねたり、
社会に弓引くような仕業はよくありませんよね。

周りの多くの人々を観察してみると結局はその仕返しが必ず待っているように思います。

仕返しがなくても自らが挫折の道を歩んだり、坩堝にハマったり、足元をすくわれたり、結局は破滅と苦難が待ち構えているもの。

昔から「精進」と言う言葉を聴きましたが、やはりこれに尽きるような気がします。

生まず弛まず、地道に、人の立場に立って!!

老後は、出来ればあくせくすることなく、穏やかでありたいものです。
  


Posted by misterkei0918 at 14:12Comments(0)