2010年07月12日
同じ苦労でも受け取り方は様々
同じ苦労でも受け取り方は様々
同じ苦労なのは、ある人は「取るに足らない!!」と言い、
ある人は「こんなに苦労するなら、死んだほうが増し!!」と言います。
子供たちの体育の運動でもそうですよね。
5段の跳び箱が飛び越えられないクラスメートに向かって
「これくらい大したこと無いだろう。意気地なし!!」
キャッチボールの出来ない子に、
「当たっても怖くないから、しっかり取れ!!」
会社でも、プレゼンテーションを怖がる同僚に、
「相手は噛み付くわけでもないのだから、しっかりやれ!!」
などなどありますが、人はそれぞれ。
小さなことと思われることで、神経を尖らす人もいれば、難なく事をこなしてしまう人もいます。
一晩中悩み続ける人がいると思えば、何食わぬ顔で鼾(いびき)までかいて寝てしまうなど・・・。
それは決して人間として欠陥があるわけでもなく、遅れを取っているわけでもないと思っているのです。
それぞれなりに、乗り越えようとする努力が伴うか伴わないかが問題ではないでしょうか。
そこに他人との競争感が働く人、働かない人、例え働いてもそれぞれのレベルが存在するもの。
言われて久しいのですが「ナンバーワンでなくてもいい、オンリーワンであれば」などもそうですよね。
言える事は、与えられた苦難、苦労は乗り越えようとする気概や努力は素晴らしい体験、経験として人の中に確実に蓄積されることです。
人は怠惰ではいけません。
自らに与えられた苦難は、自らが出来る範囲内で乗り越える努力が大切であります。
振り返った時に、「良く頑張ったね」と自らを賞賛できる程に。
神様は「乗り越えられない苦難は与えない」と言います。
私の過去を振り返ってみても、数え切れないほどの苦難にぶつかってきましたが、見事に乗り越えてきています。
やはり、私のレベル、私の能力を少し超えた程度の苦難だったのでしょうね。
不思議なものです。
その内、乗り越えられないと思われる苦難まで乗り越えるつぼ、コツを覚えてしまうものです。
人生は「七転び八起き」、「山あり、谷あり」、「生病老死」・・・・・
葛藤の日々ですが、そのひとつひとつが人を逞しくし、喜びを倍加してくれるものです。
人生を楽しいものとして謳歌している人に限って、実が波乱万丈の生き様だったり、奈落の底まで突き落とされた人々がいるものです。
人生はどこに幸せが転がっているか誰も知る由はありません。
ですが、幸福の女神の前髪を掴むのは、希望を失わず、苦しくても前向きに、しかも真摯に頑張っている人に機会は廻ってくるものです。
他人と比較することなく、わが道を後悔なくして歩むにはどのように今があることなのでしょうか。
人間の煩悩は尽きないものですが、自らの進む道を自信を持って捜し求めることのように思えます。
せっかく生きる人生。
周りを巻き込んで、悔いの無いものにしたいものですね。
同じ苦労なのは、ある人は「取るに足らない!!」と言い、
ある人は「こんなに苦労するなら、死んだほうが増し!!」と言います。
子供たちの体育の運動でもそうですよね。
5段の跳び箱が飛び越えられないクラスメートに向かって
「これくらい大したこと無いだろう。意気地なし!!」
キャッチボールの出来ない子に、
「当たっても怖くないから、しっかり取れ!!」
会社でも、プレゼンテーションを怖がる同僚に、
「相手は噛み付くわけでもないのだから、しっかりやれ!!」
などなどありますが、人はそれぞれ。
小さなことと思われることで、神経を尖らす人もいれば、難なく事をこなしてしまう人もいます。
一晩中悩み続ける人がいると思えば、何食わぬ顔で鼾(いびき)までかいて寝てしまうなど・・・。
それは決して人間として欠陥があるわけでもなく、遅れを取っているわけでもないと思っているのです。
それぞれなりに、乗り越えようとする努力が伴うか伴わないかが問題ではないでしょうか。
そこに他人との競争感が働く人、働かない人、例え働いてもそれぞれのレベルが存在するもの。
言われて久しいのですが「ナンバーワンでなくてもいい、オンリーワンであれば」などもそうですよね。
言える事は、与えられた苦難、苦労は乗り越えようとする気概や努力は素晴らしい体験、経験として人の中に確実に蓄積されることです。
人は怠惰ではいけません。
自らに与えられた苦難は、自らが出来る範囲内で乗り越える努力が大切であります。
振り返った時に、「良く頑張ったね」と自らを賞賛できる程に。
神様は「乗り越えられない苦難は与えない」と言います。
私の過去を振り返ってみても、数え切れないほどの苦難にぶつかってきましたが、見事に乗り越えてきています。
やはり、私のレベル、私の能力を少し超えた程度の苦難だったのでしょうね。
不思議なものです。
その内、乗り越えられないと思われる苦難まで乗り越えるつぼ、コツを覚えてしまうものです。
人生は「七転び八起き」、「山あり、谷あり」、「生病老死」・・・・・
葛藤の日々ですが、そのひとつひとつが人を逞しくし、喜びを倍加してくれるものです。
人生を楽しいものとして謳歌している人に限って、実が波乱万丈の生き様だったり、奈落の底まで突き落とされた人々がいるものです。
人生はどこに幸せが転がっているか誰も知る由はありません。
ですが、幸福の女神の前髪を掴むのは、希望を失わず、苦しくても前向きに、しかも真摯に頑張っている人に機会は廻ってくるものです。
他人と比較することなく、わが道を後悔なくして歩むにはどのように今があることなのでしょうか。
人間の煩悩は尽きないものですが、自らの進む道を自信を持って捜し求めることのように思えます。
せっかく生きる人生。
周りを巻き込んで、悔いの無いものにしたいものですね。
Posted by misterkei0918 at
20:13
│Comments(1)
2010年07月12日
先ずは自分が幸せに?
先ずは自分が幸せに?
私もそうですが日本人的には「まず他人への施しを優先し、自分の幸せよりも人の幸せを先に願う」。
それが私どもの美徳と思っていますよね。
大阪の橋本知事は「道徳とは自己犠牲の精神」と教えてくれました。
「ザ・シークレット」を読んでいましたら、それを覆す論法が出てきました。
私にとっても、今までの世渡り術を考え直さざるを得ないかも。
皆さんもご一読下さい。
『もし、あなたが自分のことを、他人があなたを扱って欲しいように扱っていないとしたら、
周りの状況を変えることは出来ません。
あなたの行動はあなたの強力な思考の表れです。
従って、自分自身を十分に愛していない時は、自分はとても重要だ、自分には十分価値がある、
自分は何かに値するというシグナルを発していない事になるのです。
自分を大切にしていないと、そのシグナルは引き続き放射されて、
他の人から大切に扱われない状況が続きます。
人々のあなたに対する態度はその結果なのです。
あなたの思考がそもそもの原因です。
ですから、先ず自分自身を愛し、尊敬する。
そして、そういうシグナルを力強く放射して、その周波数に乗って下さい。
そうすると「引き寄せの法則」が宇宙のすべてを動かします。
あなたの人生はあなたを愛し、尊敬する人々で溢れるでしょう。
多くの人々は他人のために自分を犠牲にする人はいい人だと思っているからです。
しかし、それは間違いです。
自己犠牲とは、絶対的な不足という考えに由来しています。
この世には全員のためにものが十分あるわけではないので、自分は我慢します、
という考えから出ているからです。
そのとき感情は決して良い気持ちではないのです。
いずれ怒りに変わります。
実は、豊かさは全員に準備されているのです。
自分が望むものを引き寄せるのは、自分自身の責任です。
他の人のために引き寄せる事は出来ません。
それはその人になって感じたり考えたりすることは出来ないからです。
あなたの役割はあなたのことをすることです。
自分の気持ちが良くなる事を優先すると、その素晴らしい波動が光輝き、
自分の周りにいるみんなの心を動かすでしょう。
私たちの多くは自分を後回しにするという謙譲の精神を教えられています。
その結果、自分には価値がないとか、自分は何かに値しないという気持ちを引き寄せています。
そうした気持ちが根付くと、自分は何かに値しないとか、
満足しない気持ちを持った人生を引き寄せてしまいます。
ですから、その様な思考は変えなくてはなりません。
自分を先ず充足させなければ他の人に分け与える事はできません。
ですから先ずあなた自身を大事にすることが急務です。
自分の喜びを大切にして下さい。
人は自分の喜びに責任があります。
自分の喜びや自分を喜ばす事を大切にすると、あなたはあなたと一緒にいる人から見て楽しい人になり、
人生で出会う人々や全ての子どもたちの輝ける模範になれます。
あなたが喜んでいる時に分け与えることなど考えなくても良いのです。
あなたから自然に愛が流れ出ているのです。』
どうでしたか。
何度か読み直すうちにその気になってしまうから不思議です。
今まで書いてきたブログ内でも言及してきたことが否定されたような気もしますが、宗教観や日本人としての対人関係、日本古来のものの考え方にも由来しているのかもしれませんね。
私の個人的見解としては、人の事を先に思いやってあげる事の方がいいと思います。
人生を改めて考える機会が出来たと思えば有難いことです。
私もそうですが日本人的には「まず他人への施しを優先し、自分の幸せよりも人の幸せを先に願う」。
それが私どもの美徳と思っていますよね。
大阪の橋本知事は「道徳とは自己犠牲の精神」と教えてくれました。
「ザ・シークレット」を読んでいましたら、それを覆す論法が出てきました。
私にとっても、今までの世渡り術を考え直さざるを得ないかも。
皆さんもご一読下さい。
『もし、あなたが自分のことを、他人があなたを扱って欲しいように扱っていないとしたら、
周りの状況を変えることは出来ません。
あなたの行動はあなたの強力な思考の表れです。
従って、自分自身を十分に愛していない時は、自分はとても重要だ、自分には十分価値がある、
自分は何かに値するというシグナルを発していない事になるのです。
自分を大切にしていないと、そのシグナルは引き続き放射されて、
他の人から大切に扱われない状況が続きます。
人々のあなたに対する態度はその結果なのです。
あなたの思考がそもそもの原因です。
ですから、先ず自分自身を愛し、尊敬する。
そして、そういうシグナルを力強く放射して、その周波数に乗って下さい。
そうすると「引き寄せの法則」が宇宙のすべてを動かします。
あなたの人生はあなたを愛し、尊敬する人々で溢れるでしょう。
多くの人々は他人のために自分を犠牲にする人はいい人だと思っているからです。
しかし、それは間違いです。
自己犠牲とは、絶対的な不足という考えに由来しています。
この世には全員のためにものが十分あるわけではないので、自分は我慢します、
という考えから出ているからです。
そのとき感情は決して良い気持ちではないのです。
いずれ怒りに変わります。
実は、豊かさは全員に準備されているのです。
自分が望むものを引き寄せるのは、自分自身の責任です。
他の人のために引き寄せる事は出来ません。
それはその人になって感じたり考えたりすることは出来ないからです。
あなたの役割はあなたのことをすることです。
自分の気持ちが良くなる事を優先すると、その素晴らしい波動が光輝き、
自分の周りにいるみんなの心を動かすでしょう。
私たちの多くは自分を後回しにするという謙譲の精神を教えられています。
その結果、自分には価値がないとか、自分は何かに値しないという気持ちを引き寄せています。
そうした気持ちが根付くと、自分は何かに値しないとか、
満足しない気持ちを持った人生を引き寄せてしまいます。
ですから、その様な思考は変えなくてはなりません。
自分を先ず充足させなければ他の人に分け与える事はできません。
ですから先ずあなた自身を大事にすることが急務です。
自分の喜びを大切にして下さい。
人は自分の喜びに責任があります。
自分の喜びや自分を喜ばす事を大切にすると、あなたはあなたと一緒にいる人から見て楽しい人になり、
人生で出会う人々や全ての子どもたちの輝ける模範になれます。
あなたが喜んでいる時に分け与えることなど考えなくても良いのです。
あなたから自然に愛が流れ出ているのです。』
どうでしたか。
何度か読み直すうちにその気になってしまうから不思議です。
今まで書いてきたブログ内でも言及してきたことが否定されたような気もしますが、宗教観や日本人としての対人関係、日本古来のものの考え方にも由来しているのかもしれませんね。
私の個人的見解としては、人の事を先に思いやってあげる事の方がいいと思います。
人生を改めて考える機会が出来たと思えば有難いことです。
Posted by misterkei0918 at
18:52
│Comments(0)
2010年07月12日
若い頃には苦労をしないとね
若い頃には苦労をしないとね
若い頃に苦労をした人は、大概逞しい人が多いものです。
逆に年を重ねてからの苦労は、耐え切れませんし回りを引き込んでしまい、しかも貧相になってしまいます。
若い頃は少々の苦労には十分な耐える力を備えていますし、知恵や知識も大いに吸収し蓄えていきます。
どこの国かの総理大臣が際立った象徴的な事例かもしれませんね。
多分、自分の思うことは全てそのように実現し、叶ってきたのかもしれませんね。
悲しい現実を私どもの眼前に突きつけてくれました。
人は理念や夢を食べては生きてゆけません。
それと並行して際立った努力が存在しないと、実現は不可能なものです。
若い頃に親や周囲、社会に迷惑を掛けてきた人はどこかでその償いを考える、実践しないとどこかでとんでもないしっぺ返しが待っているものです。
若い頃は少々の苦労を厭わず、中年、老年には幾らかゆとりを持った暮らしに終始できるようにするためにも。
「昔から苦労は買ってでもせよ」と言われました。
私は「経験しなくて良い苦労と経験したほうが良い苦労」があるように思うのです。
経験したほうが良い苦労は自ら申し出てでもやる価値があると思っています。
人に取り入ろうとか、それで自分だけが利益を得ようなどの思惑はろくな結果にはなりません。
私自身は青春時代まで、ある意味苦しい日々でありました。
その多くはしなくても良い苦労だったような気がします。
経験したことはしようがありませんから、正当化するために自分を慰めるのです。
「それも今の君を作るために必要な敬虔だったし、十分に役に立っている」などと。
良く若い方々に言います。
「今のうちに積極的な自己投資をしなさい」
お金を使うことをつい投資と言いがちですがそうではありません。
お金を使わなくても出来る自己投資は存在するものです。
若いときほど、自分に鞭打ってでも苦労はしたほうが良さそうです。
若いときは苦労の対応の仕方も柔軟ですし、馬齢を重ねてからの苦労は身にこたえますし人生にずっしりと重荷となって乗っかかってきます。
『苦労人というのは、ややこしい苦境を優雅に切り抜ける人のことである。サマセットモーム』
『失敗することがあっても、大きなことに取り組んで栄誉ある勝利を獲得するほうが、たいした苦労もない代わりにたいした喜びもない臆病者の群れに加わるより、はるかにいい。
臆病者は、勝利も知らなければ、敗北も知らない灰色の生活を送っているのだから。セオドアルーズベルト』
『最初から和尚はいない。
ふき掃除から洗濯まで、小僧の苦労を重ねてこそ大和尚になれる。安藤楢六(実業家)』
『私はたえず喜びを求めながら生きている。
そのための苦労には精一杯に耐える努力を惜しまない。本田宗一郎』
若い頃に苦労をした人は、大概逞しい人が多いものです。
逆に年を重ねてからの苦労は、耐え切れませんし回りを引き込んでしまい、しかも貧相になってしまいます。
若い頃は少々の苦労には十分な耐える力を備えていますし、知恵や知識も大いに吸収し蓄えていきます。
どこの国かの総理大臣が際立った象徴的な事例かもしれませんね。
多分、自分の思うことは全てそのように実現し、叶ってきたのかもしれませんね。
悲しい現実を私どもの眼前に突きつけてくれました。
人は理念や夢を食べては生きてゆけません。
それと並行して際立った努力が存在しないと、実現は不可能なものです。
若い頃に親や周囲、社会に迷惑を掛けてきた人はどこかでその償いを考える、実践しないとどこかでとんでもないしっぺ返しが待っているものです。
若い頃は少々の苦労を厭わず、中年、老年には幾らかゆとりを持った暮らしに終始できるようにするためにも。
「昔から苦労は買ってでもせよ」と言われました。
私は「経験しなくて良い苦労と経験したほうが良い苦労」があるように思うのです。
経験したほうが良い苦労は自ら申し出てでもやる価値があると思っています。
人に取り入ろうとか、それで自分だけが利益を得ようなどの思惑はろくな結果にはなりません。
私自身は青春時代まで、ある意味苦しい日々でありました。
その多くはしなくても良い苦労だったような気がします。
経験したことはしようがありませんから、正当化するために自分を慰めるのです。
「それも今の君を作るために必要な敬虔だったし、十分に役に立っている」などと。
良く若い方々に言います。
「今のうちに積極的な自己投資をしなさい」
お金を使うことをつい投資と言いがちですがそうではありません。
お金を使わなくても出来る自己投資は存在するものです。
若いときほど、自分に鞭打ってでも苦労はしたほうが良さそうです。
若いときは苦労の対応の仕方も柔軟ですし、馬齢を重ねてからの苦労は身にこたえますし人生にずっしりと重荷となって乗っかかってきます。
『苦労人というのは、ややこしい苦境を優雅に切り抜ける人のことである。サマセットモーム』
『失敗することがあっても、大きなことに取り組んで栄誉ある勝利を獲得するほうが、たいした苦労もない代わりにたいした喜びもない臆病者の群れに加わるより、はるかにいい。
臆病者は、勝利も知らなければ、敗北も知らない灰色の生活を送っているのだから。セオドアルーズベルト』
『最初から和尚はいない。
ふき掃除から洗濯まで、小僧の苦労を重ねてこそ大和尚になれる。安藤楢六(実業家)』
『私はたえず喜びを求めながら生きている。
そのための苦労には精一杯に耐える努力を惜しまない。本田宗一郎』
Posted by misterkei0918 at
14:49
│Comments(0)