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2011年06月29日

知恵は出した分だけ賢くなれる

知恵は出した分だけ賢くなれる

いつも反省するのですが。知恵の出し惜しみはどうもいい結果を齎さないようです。

それほど知恵がある訳でもないくせに、私のような自惚れの強い人間に限ってそんな事をするんです。

知恵を披歴する必要はありませんし、見せびらかす事も要りませんが、必要な知恵はそれとなく提供することで新たな知恵が浮かぶものです。

また、その知恵を頂いた方々が、それに倍する知恵を授けてくれますし、人間的な評価だって上がって来るものです。

悲しいかな、持ち合わせがないにもかかわらず、深い知恵を如何にも持っているかのような所作や言動はそのうち見透かされて、人としての値打ちまで落とし、かつ失ってしまいます。

「物事はオープンにしなさい」
「オープンにした以上に情報は集まってくる」
とも教えて頂きました。

事業でもそうです。
よりオープン化されている企業、見える化が徹底している企業は却って顧客との信頼関係が深まり、関係企業ともつながりもより徹底し、第一社員の意識が違って見えます。

ベールに包まれた行動は一時的には、カリスマ的だとか、何か深いものを感じるように思えますが、実は薄気味悪くて実態が見えませんし、不安だとか恐怖心を煽る結果を招きます。

実は知恵の塊と言われる人を良く観察してみると、自分の事を包み隠さず見せる事に衒いが見えませんし、人の言う事に目を輝かせて頷いているようです。

そんな人はまた、人の知恵を引き出すことに長けているのかもしれませんね。

私のように、勉強しても知恵や知識が深まらない所を見ると人との知識の出し合いの行動が足らないかもしれませんね。

多くの人と対面して、笑顔を重ねながら大いに知識知恵のやり取りをしないといけないようです。


『他人の知識で物知りになれるとしても、智恵者には私たち自身の智恵によってでなければなれない。モンテーニュ』


『知識を増やすほど、創造できる。ジュリアチャイルド』


『知識で最も重要なことは、得た知識を生かすことである。孔子』
  


Posted by misterkei0918 at 11:11Comments(0)

2011年06月28日

??宣告をされなくて済みました

??宣告をされなくて済みました

歯切れの悪い言い方はあまり好きではないのですが、今日は歯切れの悪さで終始致します。

約1ヶ月の間、それは悶々とした日々を送りました。
でも一切表情には出しません。

だって変な憶測を呼んだり、関係のない人に無用の心配をお掛けするのも嫌ですから。

まさしく今日の午後2時がそうでした。
ここ数日間の検査結果が出る日でしたし、或いは私の今後に決定的な影響を及ぼす事態が待ち受けているかも知れない由々しき事態でした。

人は、結果が分からないが為に最悪の憶測に終始したり、本来ならしなくてもいい腐心に塞ぎこんでみたり、悟られない為にわざとらしい行動に出てみたりするものです。

結果は幾らか雲のかかった晴れでした。

何かしら、ふっきれたような、ふっきれていないような不思議な気分です。

でも、今後も従来と同じような行動が制約なしで出来ることには大いに喜びたいと思います。

幾らか治療が残ってはいるものの、命に係わる事ではありませんから胸を張って専念できそうです。

その間、色んな思いが交錯しました。

中身はいつかまた、時期が来ればブログにも書いてみたいとも思います。
皆様のご参考になる事も十分あるでしょうから。

??宣告をされる前の恐怖感や焦燥、せつなさや無力感、申し訳ない思い、あるいは諦めなど今まで経験する事のない精神的苦痛と言うか、人生のはかなさと言うか自分の力では如何ともし難い現状にどうしようもない自分の哀れさを重ねたりしたものです。

これでまた、人生に大きな試練に立ち向かう事になりました。
決して無駄にはならないでしょう。

人の生き様は、様々な困難や苦難をひとつひとつ乗り越えながら、成長していくものでしょうから新たな勲章として生きる力にしていかなくてはいけませんよね。


『自分の生命(いのち)を愛しても憎んでもいけない。
だが生きている限りは生命を大切にするがよい。
長く生きるか短命に終わるかは、天に任せるがよい。ミルトン』


『天が私にあと十年の時を、いや五年の命を与えてくれるなら、本当の絵描きになってみせるものを。葛飾北斎』


『心も歓喜と快活に保つがよい。そうすれば百害を防ぎ、寿命をのばす。シェイクスピア』
  


Posted by misterkei0918 at 23:59Comments(0)

2011年06月27日

厳しい言葉だけど、人間としての逞しい生き様を教えて頂けます

厳しい言葉だけど、人間としての逞しい生き様を教えて頂けます

福岡市中央区と南区の境目に鴻巣山が存在します。山と言うにはそんなに高くもありませんから言わば丘と言うのが相応しいかも。

多分、江戸時代には鬱蒼とした山里だったのでしょう。
人が余り近づかない場所だったかも。

近くに、高杉晋作や平野二郎国臣等がひそかに集まった、或いは匿われたとされる野村望東尼さんの居宅もある位ですから福岡藩から目につかない場所であった事は否めません。

その鴻巣山の一部が平尾霊園になっていますが、そのお墓の中でひときわ際立った存在のお墓がそびえたっています。

霊園の入口正面に立っているので、霊園に足を運んだ事のある人であればだれでも一目を置かれたのではないでしょうか。

福岡相互銀行、福岡シティ銀行の創業者一族の方々のお墓です。
と言うか、私どものようにしばしば訪れる者にとっては、一つのモニュメントのような存在です。

建立は、昭和37年、四島一二三と記載されています。

お墓に書きしたためられている言葉が素晴らしいのです。
厳しい時代背景も伺えますが、地域のトップ経営者としてリードしていかれる立場を感じますし、迸るような気概を感じます。

皆さんも平尾霊園のお近くにお見えの時には是非立ち寄って頂き、ご覧くださいませ。
ご覧になるときっと感動されます。


『堅持せよ 鉄の意志と精神力
断行せよ 信念の前に不可能無し』

『希望なきは 死なり 満足は腐敗なり
勇気なきは 精神的死者なり
一も努力、二も努力 努力なくして家庭の繁栄なし 平和なし 幸福なし』

『安心と自惚れと油断は禁物
心の弛みは強盗より怖い
精神は常に武装せよ』

『祖先に対する最上の祭りは
道を守り 業を励むにあり』
  


Posted by misterkei0918 at 19:14Comments(1)

2011年06月24日

人を上げ諂ったり、悲しませたり、苦しめたり、困惑させては駄目

人を上げ諂ったり、悲しませたり、苦しめたり、困惑させては駄目

人はそうでなくても、
上げ諂(へつら)ったり、
悲しませたり、
苦しめたり、
困惑させているものです。

人間の精神の根底にそんな思いや行動が潜んでいるのでしょうね。

若しかすると私だけかもしれませんが。

そのような言動をした後には、後悔はするんです。
後悔する位なら始めからしてはいけないんですよね。

人の性(さが)と言うか、業(ごう)と言うか、人たる所以かもしれませんが考えたら悲しい事です。

人を陥れたり、苦しい環境に追い入れたりする事は結局、自らの道をそこに導いていく事に繋がるようですし結果を作りだしているに過ぎないような気がします。

所謂、自業自得、因果応報、先ほどの言葉ではありませんが業(ごう)と言う事でしょう。

怒りの表情の絶えない人は、どうも怒りの中でしか生きていけないような気がしますし、笑顔の絶えない屈託のない人は終生、屈託のない人生を送れるように思えるのです。

また、そのように信じ、行動する事が大切なんでしょう。

人を上げ諂(へつら)う事に終始する人は、人から蔑視の眼差しで見られ、いつの日にか足元から崩れ去るように人生の根幹を失う事にもなってしまいます。

人を悲しませることに終始する人は、その悲しみが倍加して戻って来る事を記憶するべきです。

人を苦しめることに罪悪を覚えない人は、そのうち奈落の底に落ちる事を想像しておかなくてはいけませんし、地獄の釜が蓋をあけて待ち受けている事を知るべきです。

人を困惑させることに終始する人は、重大な岐路に立った時に間違いなくとんでもない悪路を自らの判断で選択してしまうものです。

「引き寄せの法則」と言われます。
自らの人生は自らの引き寄せによって実現されたものであって、その修復や改善は極めて難しいものと言っても過言ではないでしょう。

明日から、その事を肝に銘じて生きるのか。
私の今の心の在り方こそ明日の命運を分けそうです。
  


Posted by misterkei0918 at 15:33Comments(0)

2011年06月23日

ブログがfacebook上に自動でアップされることに

ブログがfacebook上に自動でアップされることに

自分個人のURLや企業のウエブサイト上に自動で掲載されるようになると有難いと思っていましたが、やっと念願が叶いました。

ブログを書き始めて約7年。
A5サイズの冊子にして、6000から7000ページビュー位になっていると出版関係の方が教えてくれました。

衆目にさらされるほどに恥ずかしく非才に泣くばかりですが生の心が迸(ほとばし)っていると感じて頂ければ有難い・・・・・ただその思いで書いたつもりです。

そんな事をさらけ出していいのかとか、
みっともないとか、
恥ずかしくないのかとか、
自己顕示欲の現れではないかとさえ、自分自身危惧しますが、

その目的はただ一つ、
「今までを大いに反省し、戒め、
これからに勇気を与え、自身を励ますため」

明らかに自分の為と釘をさしながらの事ではありますが、ブログの性格上、多くの方々が目にする訳ですから私の人生や考えを垣間見ることで、ご参考に給する事が出来ればこれに勝る有難さはないと思っています。

恥じる事のない人生いを送るために、これからも継続を旨として無理なく自然体で書いていきたいと思っています。
  


Posted by misterkei0918 at 16:15Comments(0)

2011年06月18日

人物判定?

人物判定?

今日、たまたま出かけて病院の週刊誌で見つけた記事です。
久しぶりに週刊誌を手にしました。

政治関連と原発関連の記事が殆どです。

一番ニュースバリューがあるのでしょうね。
中でも政治関連は、もう食傷気味、
「いい加減で退陣してくれ!!」と言いたくもなります。

三行半を下された人間が未練がましく、しがみつくのも滑稽で見ていても可笑しいものです。

国民の80%を越える人々が、退陣をすべきと考え、自身の党内や閣内を問わず退陣を要求されているのですからいさぎ良くしないと、後世で恥をさらすことにもなってしまいます。

身内や昔の同僚からまで
「彼が総理大臣になったら日本から離れる」
「ペテン師、嘘つき」
「心がない」
「信用できない」


とまで言わせる総理は未だ勝手聞いた事がありません。
ブログに書くのも嫌になってしまいます。

さて、アメリカの人々の人物判定の記事が載っていました。
1、瞬発力  2、論理的発言  3、ユニークさ
4、ネアカな気質とユーモアセンス
らしいです。

これは、通常で言う人間性ではなくて、リーダーとしての素質を見る時の人物判定と見た方がいいでしょうね。

その目で見れば、
1、信頼に基づく行動力、実践力  2、倫理に基づく論理的発言や行動  
3、強力な説得力と独自的、明晰な発想  4、人を引き付ける人間性

私流に言えばこんな所でしょうか。

私に不足している所ばかりで恥ずかしい限りですが、そんなリーダー、
とりわけ国の宰相はそんな人であって欲しいものですね。
  


Posted by misterkei0918 at 15:21Comments(0)

2011年06月18日

人物判定?

人物判定?

今日、たまたま出かけて病院の週刊誌で見つけた記事です。
久しぶりに週刊誌を手にしました。

政治関連と原発関連の記事が殆どです。

一番ニュースバリューがあるのでしょうね。
中でも政治関連は、もう食傷気味、
「いい加減で退陣してくれ!!」と言いたくもなります。

三行半を下された人間が未練がましく、しがみつくのも滑稽で見ていても可笑しいものです。

国民の80%を越える人々が、退陣をすべきと考え、自身の党内や閣内を問わず退陣を要求されているのですからいさぎ良くしないと、後世で恥をさらすことにもなってしまいます。

身内や昔の同僚からまで
「彼が総理大臣になったら日本から離れる」
「ペテン師、嘘つき」
「心がない」
「信用できない」


とまで言わせる総理は未だ勝手聞いた事がありません。
ブログに書くのも嫌になってしまいます。

さて、アメリカの人々の人物判定の記事が載っていました。
1、瞬発力  2、論理的発言  3、ユニークさ
4、ネアカな気質とユーモアセンス
らしいです。

これは、通常で言う人間性ではなくて、リーダーとしての素質を見る時の人物判定と見た方がいいでしょうね。

その目で見れば、
1、信頼に基づく行動力、実践力  2、倫理に基づく論理的発言や行動  
3、強力な説得力と独自的、明晰な発想  4、人を引き付ける人間性

私流に言えばこんな所でしょうか。

私に不足している所ばかりで恥ずかしい限りですが、そんなリーダー、
とりわけ国の宰相はそんな人であって欲しいものですね。
  


Posted by misterkei0918 at 15:21Comments(0)

2011年06月17日

子供たちへ贈る言葉の筆が進まない

子供たちへ贈る言葉の筆が進まない

数ヶ月前から、どう言う訳か「子供たちへ贈る言葉」を纏めようと思いながら筆がなかなか進みません。

六つの項目に分けて、書こうとタイトルは決めているのですが。

1、人や自分を大切に出来る人に。人の痛みの分かる人に。

2、仕事や物を大切にできる人に。

3、お金を大事に使える人に。

4、社会で役立つ人に。

5、心身ともに健康な人に。

6、努力の人に。

ある意味、私に出来なかった事を子供達には伝えたいという思いの発露とでも言うのでしょうか。
或いは、大いなる人生の反省の上に立った私の叫び声とでも言っていい位です。

私にあと少しの裁量があれば、人生もあと少しは旨く渡れたのかもしれません

また、私にあと少しの器量があったなら、あと少しは増しな人生をみんなに差し上げられたのかもしれません。

そして、私にあと少しの度量があったなら、親として経営者として、ふところ深く包み込んであげる事が出来たやも知れません。

もうそろそろ纏め上げないといけない事態になってきました。
時間はそんなに残されてはいないようです。
  


Posted by misterkei0918 at 17:54Comments(0)

2011年06月17日

苦しみ、悲しみを避けては駄目!!

苦しみ、悲しみを避けては駄目!!

先日もこれに近いタイトルで書いたような気もします。

最近、我が身を憂う事態に襲われる事が多くなってしまいました。

何も世の中に反逆的な行為をした訳でもなく、事業や家庭生活で苦痛を与える事をしたでもなく、人に悲しみを与えた訳でもありませんが、避けて通れない事態に悩まされることになってしまいました。

でもでも、私の理屈からすれば決して避けてはいけない事態です。

正面から対峙して、恐れることなく物事の推移に逆らわないで全うする事が重要と思われます。

苦しみを掛けては駄目、
避け始めると逃げの坩堝にハマってしまい、いよいよ這い上がる事さえできなくなってしまいます。

悲しみに負けては駄目、
悲しみは悲しみにどっぷりつかることで、言うに言われぬ快感に満たされるものです。

それこそ、悲しみの思う壺。

避けないこと、負けないことが重要なことです。

萎える気持ちを奮い起して、立ち向かってこそ解決の糸口が見えて来るものです。

人生は絶え間なく、好まないことが押し寄せてくるものです。
その解決にあたる為に、人生が存在すると言っても過言ではないでしょう。

生病老死、
どれをとっても大変なことですが、幸せはその合間を縫って存在するようなものです。

苦しみや悲しみは、経験し、乗り越える所にこそ醍醐味がありそうです。

醍醐味などと勇ましい事言う私にしても、与えられた今の試練を逞しく乗り越えられるかが大きな課題でもありますが。
  


Posted by misterkei0918 at 17:27Comments(0)

2011年06月17日

愛の押し売り

愛の押し売り

今はそんな事は殆どなくなりましたが、昔は良くあったような気がします。

相手が、子供であったり、例えば妻であったり、若しくは友人などに対してもそう言う所があったような気がするのです。

皆さんには記憶はありませんか。

「俺はこんなにお前たちを愛している」
「これほど愛しているのは俺の他には誰も存在しない筈」
「俺以上に愛する人がいれば、その存在を見てみたい」

結局は「俺の愛情が分からないのか」となってしまいます。

愛情の限りを言葉だけでなく、様々な所作で表現していたような気がします。

アメリカやヨーロッパの人々が、これでもか。これでもかとこれ見よがしに表現する愛情はどうも私ども日本人にとっては、オーバーな表現としか映りませんし、どうも希薄な感じがして仕方ありません。

そんな見方をする私どもが、自らが行っている愛情表現をオーバーと言おうとしている訳ですから、人によっては何をかいわんやと言う事になってしまうかもしれませんね。

愛情表現は、受け止める側の人間によっても左右される所ですし一概には言えませんが日本人らしい愛情表現があるわけで、私どもがオーバーだと感じる表現に固守する事はないようにも思います。

感受性の豊かな人、敏感な人は他人の言動や所作にも鋭敏に反応する訳ですしね。

日本人の国民性は、その方ではないでしょうか。

これ見よがしの愛情表現は、鼻もちなりませんし、時には嫌みにも感じてみたら、鬱陶しくもなるものです。

日本人は日本人らしい、古来からの国民性を大事にして、心の繋がりを大切にできる愛情表現であって欲しいものです。

私どもが一番下手なのが、愛情表現と良く言われますが実は「人を愛する技術が存在すると日本人が一番」と思うのですが如何でしょうか。

愛の押し売りはどうも一時的にはOKでも、長続きはしないようです。
愛は相手にそれとなく、心地良く受け取れる程度が良さそうです。

大いに反省を込めて。

良く言います。
「溺愛は子供を駄目にする」!!
  


Posted by misterkei0918 at 16:04Comments(0)

2011年06月09日

雨の日には雨を愛でて

雨の日には雨を愛でて

6月5日には北部九州も梅雨入りとなりました。
どうも平年並みのようですね。

昨年は確か随分と早い梅雨入りではなかったでしょうか。
その分、暑い夏が到来したような気がします。

梅雨と言うと、何かしら鬱陶しい、じめじめ、気分が滅入る、汚い、すっきりしない・・・・・などマイナスのイメージが付き纏いますが、

それはそれ、自然の恵みと受け取れば有難いことではないでしょうか。

当然、農作業や林業、或いは雨に係わる、雨に纏わるお仕事の方々は雨の存在なくしては生計の維持ばかりではなく、仕事そのものが成り立ちませんので、気持ちの中では先ほどのような気分が存在する事はあっても、認知せざるをえませんが。

一般的には、そうですよね。
梅雨は出来れば早めに過ぎ去って貰いたいものです。

若い頃はそうでしたね。
梅雨などなければいいとまでも考えたものです。
自分の今しか実は考えていませんでしたし、心のゆとりもなかったのでしょうね。

今となっては、むしろ訪れ来る季節が愛おしくさえなるようになってきました。

自分の身の周りに、いい影響を及ぼすこと、気分的にいいと思われることにのみ気を奪われて、本来の自然の懐の大きさや及ぼす影響の素晴らしさを気付く事がなかったからでしょう。

雨でもよし、猛暑でもよし、厳寒でもよし・・・・・

それで良しとする事がむしろ自らの心の落ち着きを保ち、平安であるような気がするのです。

これからは約ひと月が梅雨の期間。

折角ですから、楽しむ事にします。
雨の齎す風情の綺麗さや、
紫陽花を始め、この時にしか咲かない花々、
豊かな実りを齎す雨の有難さを・・・・・

時には猛威を奮って、とんでもない悪さをします。
昨年の10月には、観測史上記録的な雨による災害が奄美大島で発生。

とてつもない災害を起こしてしまいました。
悲しい出来事ですが、これを機にまた新しい智恵を重ねて再びの襲来に備える事が私どもに課せられた任務であります。

政府・農林水産省から「激甚災害」の指定を頂き、予算も確保されるようですから早く元の姿に戻って頂きたいものです。

それが、人々のこれからに智恵だと思います。

乗り越え、乗り越え、季節が与える功罪を旨き生かしてきたのが人類のようですから。
  


Posted by misterkei0918 at 08:41Comments(0)

2011年06月07日

この世に無駄は無いような気がする

この世に無駄は無いような気がする

とは言いながら、私自身は随分と無駄な人生を歩んできたような気がしないでもありません。

無駄の「駄」を調べてみました。

のせる、つむ、はきもの、荷役に使うだけで乗馬に適さない所から、転じて、そまつなもの。

駄馬・・・荷物を背負って運ぶ馬。
駄々・・・幼児が甘えてわがままを言う事。むずかる。
駄作・・・つまらない作品。

悲しいかな、有難い表現はありませんが、考えてみましたら決して否定をしている訳でも、良くないことでもないですよね。

駄馬がいなくて良い訳はありませんし、
幼児が駄々をこねる事も大事な意思表現ですから成長にとってはなくてはならないものです。
駄作があるから秀作があるわけで、もしかすると駄作が極めて素晴らしい作品になることだってあり得ます。

ですから、無駄はなくていいものでもありませんし、意味合いから言っても大事な存在である事が伺えます。

決して無駄の存在を否定しない生き方こそ大事かもしれませんよね。

「無から有が生じる」と昔から教えてもらっていました。

仏教でもそうですよね。無の大切さを教えてくれます。

無駄は無駄そうに見えても、意義深い人生はその積み重ねにこそ招かれるもののような気がします。

過去の無益、無駄な人生が今の私の人生を作ったことに想いが馳せる時、そんな無益、無駄な過去が愛おしくさえなるものです。

これからも大いに無駄を経験するのでしょうが、無駄の上に咲く花々こそ美しく、人をなごませてくれるものです。


『自分の心に描く夢の実現に向かって努力する時、普段なら思いもよらぬ、成功が得られる。
空中に楼閣を建てても無駄骨には終わらない。
楼閣は空中に建てるものだ。
さあ、その下に土台を建てよう。ソロー思想家』


『人生、3つの道。寄り道、脇道、回り道。忙しくても、きちんと留まるところは寄り道をし、華やかな道でなくても、脇道を通らなくてはならない時もあり、近道をと願って無駄が多くなることがあるように、労を惜しまず、回り道をする。寄り道、脇道、回り道、人生の道ですね。』


『何を始めるにしても、ゼロからのスタートではない。失敗や無駄だと思われたことなどを含めて、今までの人生で学んできたことを、決して低く評価する必要はない。カーネルサンダース』


『最も無駄な日とは、一度も笑わなかった日のことである。セバスチャンチャムフォート』
  


Posted by misterkei0918 at 14:18Comments(0)

2011年06月07日

自分を大切にしていますか?

自分を大切にしていますか?

自己保全を図るとか、自己保身の事ではなく、本当に自分を大切に出来る人間になりたいものですね。

誰でも自分は可愛いものです。
ですから、「大切にしています」と答えそうですが、自分を大切に取り扱うという事は自分の尊厳とか、命や想いを大切にすることであって、先ほど書きました保全、保身、自己防衛の事ではないのです。

自らを大切にすることは、自らを助ける他人をも大切にすることであって、それが優先する事がであると解釈を致します。

自分を大切にする事の中には、当然、文字通り自分を大切に取り扱う事もそうであると理解されそうですが、自分に危害をもたらす者、物や事、損害を与えるであろうと思われる事象や対象から自分を守る事ではないことが想像されます。

それは単なる保全や保身、防護、防衛であって、自分を大切にする事には繋がっていかないように思うのです。

理不尽な出来事や常軌を逸した行動、倫理や正義を無視した行動には人間として毅然とした行動を取る事は当然であって、それは身を守ると事とは別次元の事のように思うのです。

自分を大切にするという事は、自らの尊厳や命を守る事がひいては、家族を守り、社会、自然を守ることに繋がるような行動、それを「自分を大差つにしていますか」の言葉の意味にしたいと思っております。

独断、独善のようにも思えますが。
  


Posted by misterkei0918 at 13:03Comments(0)

2011年06月01日

悪い事を企む者には、悪い結果が待ち受ける

悪い事を企む者には、悪い結果が待ち受ける

人は日常的にそんなに悪い事を考えたり想像したりしている訳ではないのですが、意識して自分を見つめてみると案外、マイナス的な思考や、ネガティブな判断、後ろ向きな想いを抱いたりしているものです。

その全てを、プラス、ポジティブ、前向きという訳にもいきませんし、それこそノー天気と揶揄される結果を招いてしまいます。

私の性格は、こんな事を書く位ですから、マイナス、ネガティブ、後ろ向きの典型的な人間である事は間違いありません。

こんな言葉を発見です。


『悪いことを考えながら良い結果を期待することはできない。
良いことを考えて悪い結果を得ることはできない。カーネギー』


確かに心当たりがあります。
悪い想像や予感は、不思議と的中するのです。

「あの時、そう言えばそうなる予感がした」などとよく言います。

最近、良く言われる「引き寄せの法則」
不思議なものです。
確かに今の自分は自らが引き寄せた人生を実感します。

「幸せはそれなりに準備した人に廻って来る」と言います。

過去を振り返ってみると、確実に実感できるものです。

苦しい判断を求められた時、
状況がどうも不利、
苦境に立たされた時、
心配が重なった時、


判断や行動の全てを、プラス、ポジティブ、前向きと言う事も出来ませんが一部にでもそんな思いがあると案外目指した結論が舞い込んだりするものです。

しかも思わぬ結論、望まぬ結果が出たとしても怯まずに、心塞ぐことなく希望を持ち続けることではないでしょうか。

「悪い事を企む者には、悪い結果が待ち受ける」と言う事もありますが、
「悪い結果を想像するものには悪い結果が待ち受ける」と言い換えてもいいと思っています。
  


Posted by misterkei0918 at 19:05Comments(1)

2011年06月01日

「命がある事」の有難さを

「命がある事」の有難さを

東日本大震災は私どもの想像を遥かに超えるものでした。

残念ながら命を落とされた方、
未だに行方が分からない方、
家や仕事を失った方、
精神的な支柱を失ってしまった人、


多分、多くの被災された方々が「助かって良かった」「命があって良かった」と思っておられる事は間違いないでしょう。

或いは、身内やご家族を失って自暴自棄になられたり、悔しさに胸が打ちひしがれた方々もおられる事でしょうし、「出来るなら自分も一緒に死にたかった」とも、一時的には「命など要らなかった」とさえ思われた事だと思います。

命は失ったからどうと言う事ではなく、生きているから命なのであって、存在そのものが大事だと思うのです。

人は命は、存在することで喜びも有り、悲しみも存在する訳で、そんな一喜一憂が命の齎す最大の機微であって、だからこそ人は生きようと努めるのであります。

最近、頻繁に告別式に出る事になりました。
確かに悲しみに打ちひしがれますが、時の経過とともに少しづつ少しづつ離れて行くのを感じます。

いつまでも癒えないのようではありますが、記憶の片隅から全部ではなくても消えて行くのを抑える事は出来ません。

そんな無碍な事を言わなくてもと言いますが、命あってのモノダネ、命あっての語り草だと思うのです。

ですから、命を授かっている事に心から感謝の気持ちを忘れず、大切にしなくてはいけないと思われます。

人間の尊厳を語るには、幾ら時間があっても語り尽くされるものではありません。
それにも、命の存在の大切さが根源ではないでしょうか。

与えられた命は、与えられた時間の限り大切に!!


『あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。
きみよ、生きよ。生きたほうがよい。
命があってこそ諸々の善行をなすこともできるのだ。ブッダ』


『命を知れる者は天を恨みず、己を知る者は人を恨まず。「十訓抄」より』


『命があるかぎり、希望はあるものだ。セルバンテス』


『人生に命を賭けていないんだ。だからとかくただの傍観者になってしまう。岡本太郎』
  


Posted by misterkei0918 at 18:33Comments(0)