2010年07月20日
それでもお客様は神様?
それでもお客様は神様?
商売でもやはり人と人との真心のぶつかりあいだと思うのです。
こちらの誠意を踏みにじったり、
無視したり、
理不尽な行動に出る、
自己都合に終始する、
我儘の限りをする、
こちらの誠意を認めようとしない、
どこまでも値切り倒そうとする
支払いのお金を台の上に放り投げる・・・・・
そんな態度のお客様がいます。
それでも神様と崇めるのは可笑しいですよね。
当然、こちらがお客様をお客様とも思わないような態度を取っているとしたらそれは言語道断です。
そんな態度でお客様に接するようであれば即刻商売はするべきではありませんし、長続きもしませんし、当然信頼関係など構築できるわけがありません。
お客様に前期のような態度を起こさせる要因を作っている場合もそうでしょう。
むしろお客様の態度の是非を問うどころの騒ぎではありません。
お客様でなくても、私もとんでもない人に出会った事があります。
原因も見当たらないのに、人を罵倒したり、想像も出来ないような理不尽な行動をして見たり。
それはそれは不思議な存在の方でした。
その方は、それが原因ではないでしょうが、晩年は泥棒に入られて人から預かっていた大金を盗まれたり、亡くなった後に奥様にお会いして、
「大変でしたね、ご愁傷さまでした」と申し上げたら、奥様が
「いいえ、ほっとしました」とにこやかにお答えになったのには、
「なるほど」と頷いてしまいました。
にこやかに誠意を持って対応してくれる方には、こちらも同じ様な心持ちで接してあげる事が大事。
不思議なものです。
それ以上の対応が待ち受けているものです。
誠意に対して、誠意で答えられない人、
どこかで損をしたり、予想をしない不手際に出会ったりするものです。
世の中は上手に出来ているものです。
やはり、良いお客様である人が得をするように出来ているようです。
神様然(ぜん)としている人に限って、人を大事にしない人であったり、逆に大事にされる人でなかったり、大切には決してされないものです。
人はフィフティ・フィフティ。
お客様であっても、選ぶ事は決して非難される事ではないと思うのです。
むしろ、どんな人であっても、何があってもお客様は神様とすることの方がいけませんし、悪い結果を招いてしまいます。
商売でもやはり人と人との真心のぶつかりあいだと思うのです。
こちらの誠意を踏みにじったり、
無視したり、
理不尽な行動に出る、
自己都合に終始する、
我儘の限りをする、
こちらの誠意を認めようとしない、
どこまでも値切り倒そうとする
支払いのお金を台の上に放り投げる・・・・・
そんな態度のお客様がいます。
それでも神様と崇めるのは可笑しいですよね。
当然、こちらがお客様をお客様とも思わないような態度を取っているとしたらそれは言語道断です。
そんな態度でお客様に接するようであれば即刻商売はするべきではありませんし、長続きもしませんし、当然信頼関係など構築できるわけがありません。
お客様に前期のような態度を起こさせる要因を作っている場合もそうでしょう。
むしろお客様の態度の是非を問うどころの騒ぎではありません。
お客様でなくても、私もとんでもない人に出会った事があります。
原因も見当たらないのに、人を罵倒したり、想像も出来ないような理不尽な行動をして見たり。
それはそれは不思議な存在の方でした。
その方は、それが原因ではないでしょうが、晩年は泥棒に入られて人から預かっていた大金を盗まれたり、亡くなった後に奥様にお会いして、
「大変でしたね、ご愁傷さまでした」と申し上げたら、奥様が
「いいえ、ほっとしました」とにこやかにお答えになったのには、
「なるほど」と頷いてしまいました。
にこやかに誠意を持って対応してくれる方には、こちらも同じ様な心持ちで接してあげる事が大事。
不思議なものです。
それ以上の対応が待ち受けているものです。
誠意に対して、誠意で答えられない人、
どこかで損をしたり、予想をしない不手際に出会ったりするものです。
世の中は上手に出来ているものです。
やはり、良いお客様である人が得をするように出来ているようです。
神様然(ぜん)としている人に限って、人を大事にしない人であったり、逆に大事にされる人でなかったり、大切には決してされないものです。
人はフィフティ・フィフティ。
お客様であっても、選ぶ事は決して非難される事ではないと思うのです。
むしろ、どんな人であっても、何があってもお客様は神様とすることの方がいけませんし、悪い結果を招いてしまいます。
Posted by misterkei0918 at 13:10│Comments(0)