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2010年02月20日

苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいる

苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいる

人は自分の幸福には気づかないことが多いものです。
充分に幸福であるにも係わらず、幸福であることに気づかない。

人にはそれぞれに応じた幸福があると思うのです。
昔はたしかにそうであったものです。

他人の幸福の度合いを覗き込むことは出来ませんでしたが、今は好む好まないに係わらずマスコミや雑誌、ネットで感じることが出来ます。

人はどのようにあることが幸せだとか、・・・でないことは幸せでないとか価値判断を画一的にしてしまう状況が生まれてしまいました。

本来はそうではなくて、その人その人なりの幸せがあった筈なんです。

あの人は幸福と感じないことであっても、この人に取っては掛け替えの無い幸福であったり。

主観的であったはずの幸せは、人との比較の上で判断するような時代となってきました。

「貧しくてもとても幸せ」とか、
「ご版が食べれるだけで幸福」などと言うことも殆んどなくなっています。

昔は「衣食足りて礼節を知る」とか言われました。
衣食の足りない時代が存在したことの証です。

お金に恵まれること、
大きな家に住むこと、
高級車を乗り回すこと、
旅行にいつでも行けること・・・・・

それらが実現すること、リアルに感じられることが即、幸せと感じることなんです。

貧しくても家族が笑い合って、小さな家でもつましく過ごすことは幸せとは感じなくなったのです。

物質的な満足感が、幸福感と化してしまったのです。

昔は、汗水たらして頑張っている苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいると信じて労苦を惜しまなかったものです。

楽な道を選んではいけません。
忘れてはいけませんね、
真の幸せは、苦難の陰にこそ真の幸福は潜んでいると。
  


Posted by misterkei0918 at 21:16Comments(1)

2010年02月20日

使いすぎた体は早く衰える?

使いすぎた体は早く衰える?

ある方との会話です。
私・「最近太り過ぎでしたので、頑張って運動に努めたら、ここ一年程で10キロ程度体重が減ってきました」

「体が軽くなって、歩くのが楽しくなってきました」

ある方曰く「運動しても、亡くなる人は亡くなるし、病気になる人はなるんだからそんな無理なことはしなくって良い」

その方は痩せている方で、勿論健康体なんでしょうね。

多分、太って困った経験や重度の病気で入院などの経験もないのでしょう。

つまり、人の痛みが分かっていない人です。

そうですよね、亡くなる人は亡くなるし、病気になる人はなるんです。

運動することで100%病気にならないことがわかっていれば、誰でも運動に勤しみますし、逆に運動しないことで100%病気になるのであれば誰でも運動をするものです。

中には、好んで病気になりたいがために運動をしない人がいるかも知れませんね。
自殺行為のようなものです。

若しかするとその方に取っての運動は、無意味なものか、無益、無駄と言う解釈なんでしょう。

いつも考えるのですが、使いすぎる体は衰えが早く来るのでしょうか。
どうもそうではなさそうです。

戦後の混乱を苦労して乗り越えた方々の平均寿命が証明しているようにも思えます。

当時から比べると楽をしている今の子供達が果たして、現在の平均寿命まで行けるのでしょうか。

栄養のバランス良さや医療技術の向上による貢献度を取ってしまえば、むしろ寿命は短くなるような気がします。

今、冬季オリンピックの真っ最中です。
鍛えに鍛えた彼らの肉体は果たして衰えは早いのでしょうか。

むしろ鍛えた肉体に限って、健康を保持し、寿命を保つ原因になっているような気もしますが如何でしょうか。

そして鍛え抜かれた肉体には何ものにも耐える強靭な精神が宿っているものです。


『人間は働きすぎて駄目になるより、
休みすぎてサビつく方がずっと多い。カーネル・サンダース』
  


Posted by misterkei0918 at 19:15Comments(0)

2010年02月20日

実は自分との戦いであった

実は自分との戦いであった

長い人生であればこそ、葛藤はつきもの。
複雑な社会であればこそ、苦難はつきもの。

前進をしようと思えばこそ、大きな壁が立ちはばかります。

人を憎むこともしばしばです。
思うように行かない世の中を嘆き悲しくも思います。」

遠ざかる幸せを無理を承知で引き寄せたりもするものです。

人生を振り返ってみると、案外自分の心のあり方が様々な葛藤や苦難の原因でもあったような気がします。

人を憎く思う心も、ややもすると他人の精や他人に原因があったように思いがちですが元はと言えば自分の心の様の写鏡のような気がするのです。

楽なのは、他人に精にすることですが、
若しかすると訓練によっては自分のせいとして転嫁出来るのではないでしょうか

そう成れば、むしろ逆に安寧の気持ちをもって人生に望めるような気がします。

そんな境地になったことがありませんのであくまでも想像ですが。

自分の人生を顧みると、殆んどの出来事は「実は自分との戦いであった」と言っても可笑しくはないようです。

自虐的のような気がしないでもありませんが、全ての事の根源は自分の中に存在しているような。

自分を達観出来るようになるとか、お坊さんではありませんが悟りの境地などはそんな事を言うのではないかと思ったりしています。

一度、修行された方にでもお聞きしないといけませんね。


『敵に憎しみを感じると、自分自身が敵に支配される。Dカーネギー』


『敵と戦う時間は短いものです。自分との戦いこそが明暗を分けるのです。王貞治』
  


Posted by misterkei0918 at 18:40Comments(0)