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2010年02月06日

教えて頂きました「積小為大(せきしょういだい)」

教えて頂きました「積小為大(せきしょういだい)」

二宮尊徳さんの言葉。
勉強会で教えて頂きました。

恥ずかしいことですが、初めて耳にした言葉でした。
「小さな事でも、コツコツと地道に積み重ねていけば偉大なものとなる」の意でしょう。

日の目を見ないと思われること、
やっても無駄と思われがちなこと、

どうせ続けても役に立たない、
続けるのが嫌な事、


昔から、「門前の小僧、習わぬ経を読む」とも言います。
意識しなくても続けることは思いのほか、頭や心に残っているものです。

「継続は力なり」とは小さい頃から先生などに教えては頂きましたが、性格の弱い私に取っては派手なもの、効能がすぐにでも出そうなものに神経が走ってしまうことが常でした。

二宮尊徳さんの銅像も殆んど見ることがなくなってしまいました。
薪を背に、本を読みながら歩かれる姿に、親近感と共に諭される思いがあったものです。

最近、二宮尊徳さんの像を見つけたのです。
福岡の方なら、或いはご存知かも。

福岡市中央区の警固小学校の校門の傍の木陰に包まれて立っておられます。

二宮尊徳さんの言葉で
『天理に叶う時、富貴来る』

『道徳のない経済は犯罪なり、経済のない道徳は陳腐である』

があります。

今であれば経済学者との呼称が相応しい方の言葉です。
  


Posted by misterkei0918 at 17:48Comments(0)

2010年02月06日

使命に燃えれば、出来るんですね

使命に燃えれば、出来るんですね

今日は午前中の2時間程度をかけて、江戸後期の日本地図を作られた伊能忠敬さんを学んできました。

50歳を越えてから、一大事業に取り組んだ話です。

家業を終えて隠居の身からのスタートですから、今時の私どもには到底想像のつかない話でした。
今であれば定年退職でしょうか。

60歳、65歳で定年を迎えて後はのんびり余生を年金ぐらしに明け暮れるのが精々です。
年金を貰うまで、或いは貰い始めてアルバイトや趣味、社会活動に少し手を染める程度が関の山です。

伊能忠敬さんは50歳を過ぎて、19歳年下の高橋至時に弟子になります。
これも驚きです。

数歳下の方ならわかるのですが、当時で言えばまさしく子供の年齢でしょう。
そこがこの人らしい所以なんでしょうね。

55歳から21年かけて、「大日本沿海輿地全図」を完成させるのです。
その間、歩いた距離が3万5千キロ。
つまり地球一周分です。

恐ろしい想いが致します。
人はやはり出来るんですね。

まさしく命を捧げると言うことはこの様な事でしょう。

私どもはしない理由、出来ない理由を考えるのは得意中の得意です。
また、他人の精にすることも。

伊能忠敬さんは下総国佐原村の大きな商家の経営者として、村のリーダー的存在として力を大いに発揮された方のようですから、現役の頃も力を惜しまず全力投球をされていた筈なんです。

息子に残した家訓書です。
1、 仮にも偽をせず、孝悌忠信にして正直なるべし。

2、 身の上の人は勿論、身下の人にても教訓意見あらば急度相用堅く守るべし。

3、 篤敬謙譲にて言語進退を寛裕に諸事謙り敬み、少も人と争論など成べからず。

お人柄の滲み出る家訓です。

1861年、明治維新の少し前ですが日本近海に測量のために訪れたイギリス海軍の測量船に渡された伊能忠敬さんの地図にびっくりされたとのことです。

日本にこれ程精巧な測量の技術があったことを。

人は幾つになっても、世の為、人の為のなる事を探し続けることが大事だと思われます。
自分にも与られた使命、天命みたいなものがあるのかも知れませんね。

それを探さないで、しかも全うしないで世を去ることは極めて勿体無いことかも知れません。
  


Posted by misterkei0918 at 17:13Comments(0)

2010年02月04日

あなたの敵は誰?

あなたの敵は誰?

様々な葛藤や困難にぶつかるときはいつも相手がいたものです。

憎しむにも相手が必要、
挫折するのも人の精、

競争するにもライバルを作ってしまう、
負けるときにも相手の精・・・・・

成功したり、物事が順調に推移するときには決まって自分の力を褒め、誇示したくなるものです。

私に取っての一番の敵は私自身でしょうね。

すぐ妥協してしまいますし、
怠けなさいと囁く事を忘れない、

自分の事を優先しなさいと唆し、
作り笑いで誤魔化す事を教え、

心にもないお世辞を考えつき、
頭(こうべ)を垂れるふりをして、

人を上目遣いに見ることや、
見下すことを良しとして、

人の不幸や悲しみを喜びとし、
人の失敗を他山の石とし、

蔑むことを忘れず、
笑顔の後ろでは舌を出す・・・・・

哀しいかな、自分の心の有り様を反省することに躊躇し、人の足元を見て、顔色を伺う。

そんな事には、神経をすり減らすことを惜しまないものです。

反省!!
反省!1

自分の心こそ戒めて、一番怖い存在は自分であることを再認識しなくてはいけません。

本来は、自分にこそ非があり、責任があることを悟ることが一番心地良いはずなんです。


『敵に憎しみを感じると、自分自身が敵に支配される。Dカーネギー』


『敵に憎しみを感じると、自分自身が敵に支配される。王貞治』
  


Posted by misterkei0918 at 21:57Comments(0)

2010年02月04日

天からの恵みに気づいてますか?

天からの恵みに気づいてますか?

人はそれぞれに天からの役割を背負って、この世に来ていると申します。
それが何なのかは誰にも分からないように出来ているようです。

そこが人生の難しいことでもありますし、分からないところ、想像を越えるところです。

役割が分かっていたら、逆にこんなにつまらないものもありません。

プログラムが組まれている人生などが若しあったとしたら、努力もしませんし、心配や苦労、悩みのないかも知れませんね。

悲嘆にくれたり、嫉妬や葛藤、競争もなくなってしまうかも知れませんね。

ですから、人にはそれぞれに役割に応じて、或いは償いとして天からも恵みもあるような気がしますが如何でしょうか。

人生を振り返ってみたら「あの時がそうだった」等と感じる事もあるのではないでしょうか。

まだ気付いていないから、これからという人もいるのかも知れませんね。

これもまた、いつどこでどんな恵みなのか分からないように作られているんでしょうね。

人によっては死後に、賞賛という形で与えられるのかも。

いずれにしても、人の生き方はまさしく掴みどころのないものです。
明日さえ、分からない有様です。

明日はうまくいくのか、嘆きの日なのか、ましてや命が生き永らえているのかさえ分からないもの。

今日は明日のためとは言いながら、心の片隅には明日のために頑張ってどうするかと言う囁きも聞こえるものです。

でも、天からの恵みを感じる日々はもうすぐなのかも知れませんし、明日かも知れません。

それは、自分の努力に支えられるものであり、天に対する真摯な態度こそ恵みを呼び寄せる原動力になりそうです。


『天、我が材を生ずる。必ず用あり。李太白』


『天が私にあと十年の時を、いや五年の命を与えてくれるなら、
本当の絵描きになってみせるものを。葛飾北斎』


『天理に叶う時、富貴来る。二宮尊徳』
  


Posted by misterkei0918 at 16:29Comments(0)

2010年02月03日

遅れを取るのは早いが取り戻すには大変な労力を要する

遅れを取るのは早いが取り戻すには大変な労力を要する

マラソンや駅伝にとって、最も相応しいシーズンです。
スポーツの不得手な私には、一年で最もテレビにしがみつく時期のような気がします。

鍛え抜かれた彼らが、蓄えた力の限りを尽くして戦う姿は見ている者の胸を打ちます。

紀元前489年、第2次ペルシャ戦争の時に迎え撃ったギリシャの兵士ペイディピアデスが我が勝利を伝えるために戦場であったマラトンからアテネまでの42キロを駆け抜け「われ勝てり」と叫んで息絶えたと言います。

マラソンの始まりと言われるもののようです。

駅伝は日本で考案された競技と聞きました。
何かしら、日本人らしいスポーツに見えます。

いつも思うのですが、
長い距離を走るのですから、少しの遅れくらいは少し頑張れば挽回出来そうに思うのですが、実はなかなか難しいようです。

贔屓の選手が追い越せないのを見ていると歯がゆいくらいに思うのですが、これがどうも大変な労力を擁するようです。

遅れを取るのはいとも簡単ですが。

つまり、前に走る選手と遅れを取る選手の差は短時間に開いていきますが、逆に前の選手に追いつくには当然かなりのスピードがないと難しいものです。

私どもの普段の生活でも同じことですよね。

当然企業でも。

日常の生活や企業の業績を、周りの人々やライバルの企業と肩を並べようと思うなら、能力が同じであれば同じ程度の努力を惜しまずにするか、能力が劣るとしたら当然それ以上の努力をしないとレベルは保てないでしょう。

つきすぎた差は取り戻すには並大抵の労力や努力では難しいもの。

「遅れを取るのは早いが取り戻すには大変な労力を要する」という事を頭の片隅にでも置いておいた方が良さそうです。

特に私の様な人間にとっては。
  


Posted by misterkei0918 at 20:59Comments(0)

2010年02月03日

梅の香に誘われて

梅の香に誘われて

日本人が言う花は「桜」と相場が決まっていますが、とりわけ年のはじめに咲き乱れる梅の花には何かしら哀愁を感じます。

哀愁と言うか、裏寂しいと言うか、
パッと華やいだ気分にはどうしてもなりません。

私だけでしょうか。

「東風吹かば匂い起こせよ梅の花、主なきとて春名忘れそ」

菅原道真が当時の天皇と意見が合わず福岡の太宰府に流刑されて詠んだ句です。

そんな菅原道真の当時の姿や
梅の木の枝葉の様子や花の咲き方からしても何か物寂しい気がします。

その分また、桜への思い入れや華やかさを感じてしまうのでしょうね。

近くの野村望東尼さんの公園で早くも梅の花が咲き始めました。
福岡市内では最も早い開花のようです。

甘い香りが傍を通りすがっただけで、感じることが出来ます。

隠れ家だったこの平尾の地で、当時の勤王の志士たちも同じ香りを楽しんだのでしょう。

多分、花の咲き始めが一番香のかも知れませんね。


バラ科の植物で中国原産。
奈良時代の遣隋使か遣唐使が中国から持ち帰ったらしい。

「万葉集」の頃は白梅が、
平安時代になると紅梅がもてはやされた。
万葉集では梅について百首以上が詠まれており、植物の中では萩に次いで多い。
  


Posted by misterkei0918 at 17:45Comments(0)

2010年02月01日

夫在宅ストレス症候群?

夫在宅ストレス症候群?

面白い言葉を思いつく方がおられるものです。
先日、ラジオを聞いていましたら、ある奥様が定年後の夫を抱えた私は「夫在宅ストレス症候群」ですとおっしゃいます。

昔から「夫は元気で留守がいい」等と言われ肩身の狭い思いをしていたものです。

確かに今までは、朝出勤した亭主が帰ってくるのは夕方は早い方で、接待だとか付き合いだとかでその日のうちに返ってくるのか分からない御仁もいたものです。

最近の若者は案外そうでも無いように見えますが。

定年を迎えたり、最近ですとリストラ絡みで会社へ出て行く理由がなくなると当然のことですが朝から番まで家の中。

奥様と24時間、顔をつきあわすことにもなってしまいます。

旦那はそうでなくても奥様にとっては、今までの自由な時間を奪われ、
食事は作らないといけない、

話し相手にもなってあげないといけない、
時には買い物にも一緒に連れていってあげないと寂しがる、

愚痴は言うし、
今まで見なくても良かった旦那の嫌な癖や
或いは知識や能力まで見透かす環境になってしまいます。

外でのボランティアや趣味でも持っていて、不在がちであれば良いのでしょうが。

ここまで書いていて、或いは夫が家にいて邪魔にならない、役に立つことは無いのかと考えてみました。

力仕事は任せられますよね、
買い物の運転や荷物運び、

庭の手入れ、
掃除の手伝いをさせる、

洗濯、家事をさせる、
地域の出事を任せる、

それでもたいした事ではありませんね。

その点、企業や商店などのオーナーであれば健康の内は働けますから幾らか奥様にとってはこのような心配は開放されるのでしょうね。

いずれにしても「夫在宅ストレス症候群」を患う奥様は減ることはなさそうです。
  


Posted by misterkei0918 at 18:55Comments(1)