2011年02月01日
戦いは終わらない
戦いは終わらない
平和そうに見えていたチュニジアやエジプト。
内情は混乱の火種が燻っていたのでしょうね。
人類の戦いの終息はどうしても果てしない歴史の彼方のあるのでしょうか。
どうも果てしないどころか、終わるところを知らないのではないでしょうか。
それが人類の社会なんでしょうね。
宗教や政治、領土問題、人種や領土拡張主義、資源の取り合い・・・・・
人間である以上、存在そのものが戦いの連続かもしれませんね。
私どもの日常でも、そうです。
戦いとは言わなくても、諍(いさか)いや混乱、葛藤はとどまることを知らないようです。
それを全く避ける手立てはないのかもしれませんが、
出来れば、心穏やかに保とうとする意識を常に持つ事のような気がします。
穏やかさを保つには、人との関わりを常に感謝し、様々な自然や事象に逃げずに正面から真摯に取り組む努力を続ける事のような気がします。
むき出しな競争心や、そんざいな態度や行動、不遜、高邁や思いや言動は敵を作る事はあっても相応しい人間関係の構築には繋がらないようです。
上手は世渡りは、自然とその人に備わってくるようですし、日頃からの精進の賜物なのでしょうね。
私などがそこに行きつくには、まだまだ時間が足りませんし生涯到達できるとも思えませんが、かといって努力を忘れたら、心の安寧はいつまで経っても取得できないような気がします。
問題や葛藤、戦いを上手に乗り越える能力も、人間の知恵でしょうからやはり経験を積み上げて行く以外になさそうですね。
『生きるとは、死と直面して戦うことである。そこに真の生きがいがある。岡本太郎』
『敵と戦う時間は短いものです。自分との戦いこそが明暗を分けるのです。王貞治』
『よく戦う者は、勝ちやすきに勝つ者なり。孫子』
『艱難は真理に向かう第一歩である。
戦争であれ、嵐であれ、女の怒りであれ、艱難を見事に耐え抜いた者は、たとえ18才であろうと80才になっていようと、非常に貴重な体験をしたことになる。バイロン』
平和そうに見えていたチュニジアやエジプト。
内情は混乱の火種が燻っていたのでしょうね。
人類の戦いの終息はどうしても果てしない歴史の彼方のあるのでしょうか。
どうも果てしないどころか、終わるところを知らないのではないでしょうか。
それが人類の社会なんでしょうね。
宗教や政治、領土問題、人種や領土拡張主義、資源の取り合い・・・・・
人間である以上、存在そのものが戦いの連続かもしれませんね。
私どもの日常でも、そうです。
戦いとは言わなくても、諍(いさか)いや混乱、葛藤はとどまることを知らないようです。
それを全く避ける手立てはないのかもしれませんが、
出来れば、心穏やかに保とうとする意識を常に持つ事のような気がします。
穏やかさを保つには、人との関わりを常に感謝し、様々な自然や事象に逃げずに正面から真摯に取り組む努力を続ける事のような気がします。
むき出しな競争心や、そんざいな態度や行動、不遜、高邁や思いや言動は敵を作る事はあっても相応しい人間関係の構築には繋がらないようです。
上手は世渡りは、自然とその人に備わってくるようですし、日頃からの精進の賜物なのでしょうね。
私などがそこに行きつくには、まだまだ時間が足りませんし生涯到達できるとも思えませんが、かといって努力を忘れたら、心の安寧はいつまで経っても取得できないような気がします。
問題や葛藤、戦いを上手に乗り越える能力も、人間の知恵でしょうからやはり経験を積み上げて行く以外になさそうですね。
『生きるとは、死と直面して戦うことである。そこに真の生きがいがある。岡本太郎』
『敵と戦う時間は短いものです。自分との戦いこそが明暗を分けるのです。王貞治』
『よく戦う者は、勝ちやすきに勝つ者なり。孫子』
『艱難は真理に向かう第一歩である。
戦争であれ、嵐であれ、女の怒りであれ、艱難を見事に耐え抜いた者は、たとえ18才であろうと80才になっていようと、非常に貴重な体験をしたことになる。バイロン』
Posted by misterkei0918 at
12:08
│Comments(0)
2011年02月01日
働いた手は美しい
働いた手は美しい
昨日、テレビを観ていましたら老人の手がクローズアップされています。
手の甲も汚れていますが、爪の中まで油でまみれています。
手の皺の中まで、入り込んでいて年季を感じますし、労働の過酷さや厳しさを感じます。
でも、嬉しいです。
何も臆することなく、人前に出された手。
私であれば、多分人前に出すことを嫌がるでしょうし、ましてやテレビ撮影事態を嫌がるでしょうね。
労働をしていると、当然油まみれ、泥まみれが当たり前ですし、手足が汚れても仕方ありません。
ましてやそんなことを嫌がっていては、世の中の働く場所、環境に偏りができ、国民の生活を維持する事さえ出来なくなるものです。
労働の尊さをみんなで噛みしめなくてはいけませんね。
昔は「職業に貴賎はない」と言ったものです。
現代は歪な社会ですから、社会悪的な仕事も多く存在しますし、明らかに人を騙し欺く仕事や人間が存在します。
昔のように「職業に貴賎はない」などとも言えない時代になりましたが、大方の仕事や職業は貴賎がなくそれぞれに貴重なものであると思っています。
特に永い年月を掛けて、労働にまみれた手足や体、節くれだった手指、黒光りの顔・・・・・
それに尊敬すべきは、春夏秋冬、猛暑、厳寒に鍛え抜かれた強靭な体と心意気でしょうね。
綺麗に磨かれた建物や汚れを知らない職場環境で育った人々は、そういう多くの方々の存在に感謝をすべきであって、実は我々の生活の根幹を支えて頂いているという認識を持たねばいけませんよね。
世の中、知識集約型の産業が余りにももてはやされた結果が今の混迷です。
お天道様の下で、雨風に打たれ、季節を読みながら、自然の懐で労働する事の貴さを忘れてしまっています。
そうでした。
そのような方々の存在を日頃から感じないといけません。
大いなる反省です。
昨日、テレビを観ていましたら老人の手がクローズアップされています。
手の甲も汚れていますが、爪の中まで油でまみれています。
手の皺の中まで、入り込んでいて年季を感じますし、労働の過酷さや厳しさを感じます。
でも、嬉しいです。
何も臆することなく、人前に出された手。
私であれば、多分人前に出すことを嫌がるでしょうし、ましてやテレビ撮影事態を嫌がるでしょうね。
労働をしていると、当然油まみれ、泥まみれが当たり前ですし、手足が汚れても仕方ありません。
ましてやそんなことを嫌がっていては、世の中の働く場所、環境に偏りができ、国民の生活を維持する事さえ出来なくなるものです。
労働の尊さをみんなで噛みしめなくてはいけませんね。
昔は「職業に貴賎はない」と言ったものです。
現代は歪な社会ですから、社会悪的な仕事も多く存在しますし、明らかに人を騙し欺く仕事や人間が存在します。
昔のように「職業に貴賎はない」などとも言えない時代になりましたが、大方の仕事や職業は貴賎がなくそれぞれに貴重なものであると思っています。
特に永い年月を掛けて、労働にまみれた手足や体、節くれだった手指、黒光りの顔・・・・・
それに尊敬すべきは、春夏秋冬、猛暑、厳寒に鍛え抜かれた強靭な体と心意気でしょうね。
綺麗に磨かれた建物や汚れを知らない職場環境で育った人々は、そういう多くの方々の存在に感謝をすべきであって、実は我々の生活の根幹を支えて頂いているという認識を持たねばいけませんよね。
世の中、知識集約型の産業が余りにももてはやされた結果が今の混迷です。
お天道様の下で、雨風に打たれ、季節を読みながら、自然の懐で労働する事の貴さを忘れてしまっています。
そうでした。
そのような方々の存在を日頃から感じないといけません。
大いなる反省です。
Posted by misterkei0918 at
11:18
│Comments(0)