2011年02月17日
ひと雨ごとに!!
ひと雨ごとに!!
今日の福岡地方は朝から雨の一日になってしまいました。
でも、浮足立つような思いがしないでもないのです。
理由は雨の音や降り方に春の気配を確実に感じるからです。
2月3日の節分、
2月4日の立春、
2月19日の雨水、
そして、3月6日(旧2月2日)の啓蟄、
3月21日の春分の日、
街の梅の花が見事に咲き誇り、
蝋梅の花、サザンカ、椿・・・・・
花々や木々が今か今かと春のために備えています。
三寒四温、季節は確実に巡ってきました。
動植物もそうですが、人間も心も体も躍動の季節を待ち望んでいます。
あれほど記録的な灼熱の夏を経験した私どもは、もしかすると冬は顔を見せることなく通り過ぎてしまうのではないか、
いきなり春になってしまうのではないかと心配をしたものです。
所が自然の偉大さ、計り知れない雄大さの所以でしょうか。
確実に記録的な冬を私どもにもたらしました。
嬉しいものです。
冬が来て、春が来て、焼けるような夏が来て。
そして安らぎの秋が来て。
今日の福岡地方は朝から雨の一日になってしまいました。
でも、浮足立つような思いがしないでもないのです。
理由は雨の音や降り方に春の気配を確実に感じるからです。
2月3日の節分、
2月4日の立春、
2月19日の雨水、
そして、3月6日(旧2月2日)の啓蟄、
3月21日の春分の日、
街の梅の花が見事に咲き誇り、
蝋梅の花、サザンカ、椿・・・・・
花々や木々が今か今かと春のために備えています。
三寒四温、季節は確実に巡ってきました。
動植物もそうですが、人間も心も体も躍動の季節を待ち望んでいます。
あれほど記録的な灼熱の夏を経験した私どもは、もしかすると冬は顔を見せることなく通り過ぎてしまうのではないか、
いきなり春になってしまうのではないかと心配をしたものです。
所が自然の偉大さ、計り知れない雄大さの所以でしょうか。
確実に記録的な冬を私どもにもたらしました。
嬉しいものです。
冬が来て、春が来て、焼けるような夏が来て。
そして安らぎの秋が来て。
Posted by misterkei0918 at
19:25
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2011年02月17日
政治家になると友を失う?
政治家になると友を失う?
政治一色の春がまもなくです。
そんなことはないと言われそうです。
議員の方々からみると、そうであっては当選もしませんし、当然立候補する人もいませんよね。
政治家になって友人知人を失うなら、最初から立候補しないというのが殆どかもしれません。
或いはそれを認めながらも敢えて政治信条を貫くために、立候補するという事もあり得ます。
むしろ、政治家になってからの方が多くの友人に恵まれたという方もあると思います。
考えてみましたら、政治家はその位の根性があった方がいいかもしれませんね。
意のある所に敢えて、飛び込む、火中の栗を自分が拾ってやる、世の中を変えてやるくらいの気構えが。
掲題の事は私自身の極めて個人的な意見であり、感じることですので或いは一般的でないことでもあるような気がします。
多くの市会議員をはじめ多くの議員の方々と接点がありましたし、付き合いもあります。
その多くは、魅力的だし精力的です。
尊敬に余りある人々です。
私の性格や経歴、能力がそのように言わせていると思って頂けば。
若い頃幾度か選挙に出ないかと誘われたことがありました。
周りに素晴らしい政治家がおられましたから尻込みをしたのかもしれません。
或いは、自分の能力や学歴のなさや行動力の限界、知的水準の低さが見えていましたし、家族が反対する、そして大変な負担を掛ける事も近くの政治家の様子から日常的に伺えていましたから、十分に予想できたものです。
中でも、一番の理由が「多くのわだかまりのない友人を失う」思いでした。
私も多くの団体に所属もしていましたし、今でも関わっています。
若しそういうことになれば、応援を頼むことにもなりますし、多くの団体の中には政治、宗教をご法度にしているものもあり、当然立候補するとなればそこから退会をすることになるものです。
或いは政治信条の違い、事情によっては応援できないことだってあり得ますし、場合によっては競争する相手を応援する友だって多いものです。
今の時代、友人たちとの仲を割いてまでする政治活動かと思ったりもしたものです。
そんな葛藤を乗り越えてでも、踏み込む勇気が必要なのかもしれませんね。
政治活動にそんな意気盛んになる魅力が足りなかった事もありますよね。
思えば、政治家の行動や信条が厳しく問われないといけません。
こんな言葉があります。
『『「政治屋(ポリティシャン)はつぎの選挙のことを考え、政治家(ステイツマン)はつぎの世代のことを考える。(ジェイムス・フリィマン・クラーク)」
政治一色の春がまもなくです。
そんなことはないと言われそうです。
議員の方々からみると、そうであっては当選もしませんし、当然立候補する人もいませんよね。
政治家になって友人知人を失うなら、最初から立候補しないというのが殆どかもしれません。
或いはそれを認めながらも敢えて政治信条を貫くために、立候補するという事もあり得ます。
むしろ、政治家になってからの方が多くの友人に恵まれたという方もあると思います。
考えてみましたら、政治家はその位の根性があった方がいいかもしれませんね。
意のある所に敢えて、飛び込む、火中の栗を自分が拾ってやる、世の中を変えてやるくらいの気構えが。
掲題の事は私自身の極めて個人的な意見であり、感じることですので或いは一般的でないことでもあるような気がします。
多くの市会議員をはじめ多くの議員の方々と接点がありましたし、付き合いもあります。
その多くは、魅力的だし精力的です。
尊敬に余りある人々です。
私の性格や経歴、能力がそのように言わせていると思って頂けば。
若い頃幾度か選挙に出ないかと誘われたことがありました。
周りに素晴らしい政治家がおられましたから尻込みをしたのかもしれません。
或いは、自分の能力や学歴のなさや行動力の限界、知的水準の低さが見えていましたし、家族が反対する、そして大変な負担を掛ける事も近くの政治家の様子から日常的に伺えていましたから、十分に予想できたものです。
中でも、一番の理由が「多くのわだかまりのない友人を失う」思いでした。
私も多くの団体に所属もしていましたし、今でも関わっています。
若しそういうことになれば、応援を頼むことにもなりますし、多くの団体の中には政治、宗教をご法度にしているものもあり、当然立候補するとなればそこから退会をすることになるものです。
或いは政治信条の違い、事情によっては応援できないことだってあり得ますし、場合によっては競争する相手を応援する友だって多いものです。
今の時代、友人たちとの仲を割いてまでする政治活動かと思ったりもしたものです。
そんな葛藤を乗り越えてでも、踏み込む勇気が必要なのかもしれませんね。
政治活動にそんな意気盛んになる魅力が足りなかった事もありますよね。
思えば、政治家の行動や信条が厳しく問われないといけません。
こんな言葉があります。
『『「政治屋(ポリティシャン)はつぎの選挙のことを考え、政治家(ステイツマン)はつぎの世代のことを考える。(ジェイムス・フリィマン・クラーク)」
Posted by misterkei0918 at
08:41
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