2011年02月05日
自分の能力の限界が見えると有難い?
自分の能力の限界が見えると有難い?
自分の能力が無限などと思っている人は殆どいないかもしれません。
無限な能力など、誰も持ち合わせてはいませんし若しそんなことを真剣に思っている人がいるとしたら、とんでもない思い上がりか、自信過剰かもしれませんね。
或いは無知かも。
人間はあらゆる可能性は秘めている動物でしょうが、それは無限ではありません。
何処かで行き詰まりや限界が存在するものです。
また、私は自分の能力の限界が見えると面白いとも思ったのですが、人間の能力は有限であっても実は見えないから面白いんですよね。
限界が見えると、そこで努力を怠ってしまいますし諦めの境地に至ってしまいます。
人間はそこはかとない掴みどころのない側面や何処までやれるかわからない所が又、人間の所以でしょうから。
苦しみも「苦しみ抜く」という言葉があるように、その先には幸せが待っているとか、一筋の灯りが指して来る事を本能的に知っているような気がするのです。
悲しみも「悲しみ抜く」、ぞの暁には、解放されることを知っているんだと思うのです。
幸せの絶頂にいても「何かしら一抹の不安」を感じるものです。
それは、幸せがいつまで続くか誰にも分からないという事を知っている筈です。
それでも人間は、歩む、努力することを怠らないのです。
その先に、自分が望む境地や状態が待ち受けている事を分かっているかのようです。
人生が徒労に終わらない為に、仕組まれているような気がします。
自分の能力が無限などと思っている人は殆どいないかもしれません。
無限な能力など、誰も持ち合わせてはいませんし若しそんなことを真剣に思っている人がいるとしたら、とんでもない思い上がりか、自信過剰かもしれませんね。
或いは無知かも。
人間はあらゆる可能性は秘めている動物でしょうが、それは無限ではありません。
何処かで行き詰まりや限界が存在するものです。
また、私は自分の能力の限界が見えると面白いとも思ったのですが、人間の能力は有限であっても実は見えないから面白いんですよね。
限界が見えると、そこで努力を怠ってしまいますし諦めの境地に至ってしまいます。
人間はそこはかとない掴みどころのない側面や何処までやれるかわからない所が又、人間の所以でしょうから。
苦しみも「苦しみ抜く」という言葉があるように、その先には幸せが待っているとか、一筋の灯りが指して来る事を本能的に知っているような気がするのです。
悲しみも「悲しみ抜く」、ぞの暁には、解放されることを知っているんだと思うのです。
幸せの絶頂にいても「何かしら一抹の不安」を感じるものです。
それは、幸せがいつまで続くか誰にも分からないという事を知っている筈です。
それでも人間は、歩む、努力することを怠らないのです。
その先に、自分が望む境地や状態が待ち受けている事を分かっているかのようです。
人生が徒労に終わらない為に、仕組まれているような気がします。
Posted by misterkei0918 at
13:34
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2011年02月05日
来るものを拒んでいませんか?
来るものを拒んでいませんか?
いつも思う事があります。
会社の受付に、突然の訪問があります。
営業活動の一環です。
あなたの会社の取引先ではありません。
お客様でもありません。
これからお客様になる方、見込み客でもないのです。
あなたならどうしますか。
突然の訪問ですから、長い会議中なら、仕方ありません、断りますよね。
長くなくても大事な会議でしたら中座も勿体ないですから。
もう、出かける時間が迫っています。会いますか、会いませんか。
昼休みです、社内での食事の最中です。
どうします?
電話の最中です。もう終わりそうです。
パソコンの入力作業中です。
資料作りや見積書の作成中です。
・
・
私の極めて個人的な意見としてお聞きくださいませ。
私なら、出ます。
しかも名刺を持って。
初めての人にお会いする機会はそうそうあるものではないですよね。
日常的に会議に出ていても、いつも同じ顔ぶれ。
ましてや買い物をするときなどに、親しげに話すのも出来ませんし、却って怪しまれてしまいます。
その点、訪ねてきてくれた方は何かを伝えようとしてお見えになります。
それも当社や私にターゲットを絞って。
情報は、時として大変な価値や意味をもたらしてくれます。
特に人が言葉や行動を持って伝える情報は、重みが違う事を知る事が大切なように思えます。
そこに意図があり、力が備わっており、練られていますし。
或いは、新しい人間関係が出来る事もありますし、ふとまわり回って人の繋がりを発見したりするものです。
「多くの人を知っていますね」と良く言われます。
多くの人を知る事が大切なのではなく、人から得られる情報や知識、或いは志だって感じる事が出来ると思うのです。
だから、仕事がうまくいくとか、注文が増えるとか、そんな単純は事ではないという事を知っておいた方がいいかもしれません。
打算で考えて行けません。
人間関係の構築はそんな事ではありませんから。
出来れば心を込めて応対したのですが。
時には、そこそこに応対を済ませてしまう事もありますが勿体ない事をしてしまったと後悔する事がないではありませんし、或いは、申し訳ない事をしたとお詫びを申し上げたい時も。
いつも思う事があります。
会社の受付に、突然の訪問があります。
営業活動の一環です。
あなたの会社の取引先ではありません。
お客様でもありません。
これからお客様になる方、見込み客でもないのです。
あなたならどうしますか。
突然の訪問ですから、長い会議中なら、仕方ありません、断りますよね。
長くなくても大事な会議でしたら中座も勿体ないですから。
もう、出かける時間が迫っています。会いますか、会いませんか。
昼休みです、社内での食事の最中です。
どうします?
電話の最中です。もう終わりそうです。
パソコンの入力作業中です。
資料作りや見積書の作成中です。
・
・
私の極めて個人的な意見としてお聞きくださいませ。
私なら、出ます。
しかも名刺を持って。
初めての人にお会いする機会はそうそうあるものではないですよね。
日常的に会議に出ていても、いつも同じ顔ぶれ。
ましてや買い物をするときなどに、親しげに話すのも出来ませんし、却って怪しまれてしまいます。
その点、訪ねてきてくれた方は何かを伝えようとしてお見えになります。
それも当社や私にターゲットを絞って。
情報は、時として大変な価値や意味をもたらしてくれます。
特に人が言葉や行動を持って伝える情報は、重みが違う事を知る事が大切なように思えます。
そこに意図があり、力が備わっており、練られていますし。
或いは、新しい人間関係が出来る事もありますし、ふとまわり回って人の繋がりを発見したりするものです。
「多くの人を知っていますね」と良く言われます。
多くの人を知る事が大切なのではなく、人から得られる情報や知識、或いは志だって感じる事が出来ると思うのです。
だから、仕事がうまくいくとか、注文が増えるとか、そんな単純は事ではないという事を知っておいた方がいいかもしれません。
打算で考えて行けません。
人間関係の構築はそんな事ではありませんから。
出来れば心を込めて応対したのですが。
時には、そこそこに応対を済ませてしまう事もありますが勿体ない事をしてしまったと後悔する事がないではありませんし、或いは、申し訳ない事をしたとお詫びを申し上げたい時も。
Posted by misterkei0918 at
12:08
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2011年02月05日
あなたは自分が好き?
あなたは自分が好き?
「世の中で一番何が嫌いか」と問われれば、私は「自分」と答えるでしょう。
と言うのは、若い頃の話です。
今は、多分一番好きなのは自分かもしれませんね。
でも、時々は
「もう少し何とかならないか」とか、
「どうして、そんな事が人並みに出来ないの」とか、
「なぜ、そんなに頭が悪いのか」、
・
・
などなど、呟いてはいます。
色んな事象や事柄、難題に出会ったとき、
その全てが自分の力や知識、知恵、行動が人より勝るという事があり得ない、あるいは自分の力の大凡の限界を認識し始めた、万全、完全な解決方法は一つではないとか、自らを慰めたり、なだめたりするゆとりが出てきたのでしょうね。
若い頃のように、自分を全面否定したり、自分の傷跡を舐めるような事はしなくなりましたし、その事が決して生産的ではない事、前向きでない事を様々な経験を経る中で自然に体得をしたのでしょうね。
「人は年を重ねると丸くなる」と言いますが、どうも丸くなったというより自分をなだめすかしたり、達観出来たり、諦め等で自己抑制が感情を自然とコントロールしてくれているような気がします。
その証拠に、妙にこだわりが出たり、意地を張ったり、頑固であったりする事もあるものです。
根本的な所では変わってはいないのでしょうが、様々な経験や苦悩、葛藤を重ねるうちに極めて自然に学んでいるのでしょう。
逆に考えますと、安寧な日々や余生を送るためにはむしろ火の中に飛び込んだり、火中の栗を拾ったり、時には取り越し苦労の経験も大切なようです。
そして、そんな自分を好きになる事でしょうかね。
他人は「あなたが好き」等とは滅多に口にしてくれませんから、せめて自分からでも「好き」の一言を。
この体とともに、終生付き合っていく自分ですから、折角なら好きになって上げて時には褒めたり、なだめすかしたり、励ましたりする事が大事だと思われます。
せめて寝床につくときにでも、「良く頑張ったな」位の言葉は掛けてあげたいものです。
どうもそんなことを考えていましたら、明日が楽しいものになりそうです。
「世の中で一番何が嫌いか」と問われれば、私は「自分」と答えるでしょう。
と言うのは、若い頃の話です。
今は、多分一番好きなのは自分かもしれませんね。
でも、時々は
「もう少し何とかならないか」とか、
「どうして、そんな事が人並みに出来ないの」とか、
「なぜ、そんなに頭が悪いのか」、
・
・
などなど、呟いてはいます。
色んな事象や事柄、難題に出会ったとき、
その全てが自分の力や知識、知恵、行動が人より勝るという事があり得ない、あるいは自分の力の大凡の限界を認識し始めた、万全、完全な解決方法は一つではないとか、自らを慰めたり、なだめたりするゆとりが出てきたのでしょうね。
若い頃のように、自分を全面否定したり、自分の傷跡を舐めるような事はしなくなりましたし、その事が決して生産的ではない事、前向きでない事を様々な経験を経る中で自然に体得をしたのでしょうね。
「人は年を重ねると丸くなる」と言いますが、どうも丸くなったというより自分をなだめすかしたり、達観出来たり、諦め等で自己抑制が感情を自然とコントロールしてくれているような気がします。
その証拠に、妙にこだわりが出たり、意地を張ったり、頑固であったりする事もあるものです。
根本的な所では変わってはいないのでしょうが、様々な経験や苦悩、葛藤を重ねるうちに極めて自然に学んでいるのでしょう。
逆に考えますと、安寧な日々や余生を送るためにはむしろ火の中に飛び込んだり、火中の栗を拾ったり、時には取り越し苦労の経験も大切なようです。
そして、そんな自分を好きになる事でしょうかね。
他人は「あなたが好き」等とは滅多に口にしてくれませんから、せめて自分からでも「好き」の一言を。
この体とともに、終生付き合っていく自分ですから、折角なら好きになって上げて時には褒めたり、なだめすかしたり、励ましたりする事が大事だと思われます。
せめて寝床につくときにでも、「良く頑張ったな」位の言葉は掛けてあげたいものです。
どうもそんなことを考えていましたら、明日が楽しいものになりそうです。
Posted by misterkei0918 at
11:25
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