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2010年05月10日

身の程を知る事の大切さ

身の程を知る事の大切さ

多分、失敗することの殆どがそうではないでしょうか。

自分で出来る事と自分には不可能なことの判断ミス、
所詮高望みにも関わらず背伸びのし過ぎ、

人ができるから自分もできるとの自己過信、
或いは自意識過剰・・・・・

本当は自分の身の程や身の丈が、分かっているといいのですが難しいものです。

でも、色んな事に挑戦することで自分なりのモノサシが出来ていくのが分かります。

この分野は、そこそこでいいもの、
これは頑張れは人並み以上に行けるもの、

時間と力を割くだけ無駄なこと、
むしろ人の力を利用することの方が賢いと思われること、

関わらない方が却って言い分野・・・・・

時間と労力と幾許かのお金にゆとりがあれば、色んな事を啄(ついば)む事も悪いことではありませんよね。

それもやり方、生き方の方法でしょうから。
それでは物事のエキスパートにはならないでしょうが。

私はどちらかと言うと、そちらの方でしょう。
お金はありませんが。

満遍なく、卒が無く、かと言って深い部分は持ち合わせていない。
成功するタイプではないですね。

物事に自信を持ってリード出来るためには、極める部分が存在しないといけないような気もします。

その為には、無闇やたらに食いつぶすのではなく、またすぐ浮気するのではなく一点集中で頑張る人には敵わないようです。

不景気になると言われることに
「原点回帰」
「選択と集中」とよく言います。

所謂、選択と集中ですよね。
自分の持ち得る資源を最大限に、選択したところに集中的に注ぐ。

又、身の程を知るということは「謙虚さ」にも通づることになるようです。

身の丈を知る、足元を見る、身の程をわきまえる・・・そんな配慮も人生には必要と思われます。
  


Posted by misterkei0918 at 16:08Comments(0)

2010年05月10日

来世も、又自分に生まれ変わってみたい

来世も、又自分に生まれ変わってみたい

生まれ変わるとしたら、どうしますか。
よく聞かれますし自分でも考えることがあります。

この世は前世からの繋がりだとも言います。
「犬畜生も人間も、草花も前世の因果を引きずってこの世に来ている」と。

果たして前世は何であったのでしょうか。
犬畜生、魚介類・・・だったのか、或いは路傍の草木、花だったのか

或いはこの世で人間になっている人は、前世で善行をした人、穏やかに過ごした人だとも言いますから、人間だったのかも知れませんね。

若しかするとそんな事は全く有り得ない事かも知れませんし、私の能力では推測さえ可笑しいのですが。

例え話として、
「若し、来世に生まれ変われるとしたら何になりたいですか?」と問われたら、私は「今と同じ自分になってみたい」と答えます。

様々な苦労もしましたし、経験しなくても良さそうなことも随分としてきました。

どうして私だけこんな境遇なのかと親を恨んでみたり、自分を卑下してみたり。
時には、この世を儚く、恨んでも見たり、捨て去ることも考えたりしたものです。

今は違いますが。

所が、世の中は捨てたものではないとも言います。
捨てる神あれば、拾う神ありとも言います。

生まれ変われるとしたら、もっと上手な生き方がしたいのです。

上手に生きると言うと、人を誑(たぶら)かすとか、楽をしたいとか、人を差し置いて等に象徴されるような「上手に生きる」ではありません。

望むなら、人生のスタートだけはこの世のようであって欲しくありません。
恵まれる必要もありませんし、際立って目立事も要りません。

普通の状態で、平均的な状態であればそれで満足なんです。

マイナスからのスタートでは無く、一般的な家庭で、平均的な家族で始まると有り難いと思っています。

その状況で、人生が始まり、どこまで到達できるかが興味深いところなのです。

所が、疑念も存在します。

今の私は実は、マイナスの人生のスタートを切ったからこそ今の私が存在するのであって、若しかするとそうでない私は違う私である事が予想されるのです。

来世で例え、私として生まれてきたとしても今の私ではない可能性があるということです。

考えてみましたら、今を大切に真摯に生きることが大切ということになるのでしょうか。
  


Posted by misterkei0918 at 13:18Comments(0)

2010年05月10日

自分にとってのプレッシャーには負けるな

自分にとってのプレッシャーには負けるな

人はそれぞれ。
その人なりの個性や気力、体力を持っているものです。

同じでないのは私どもの周りを見わたせば、時間を要すること無く簡単に判断出来ます。

でも、誰しも他人と同じでありたいとか、出来れば優位に立ちたい、恵まれたいと望むものです。

子育てだってそうです。
せめて自分の子供は、人並みかそれ以上、できる事なら秀でていて欲しいと望みます。

その事が子育て上で様々な葛藤を生み、尾を引いてその人の生涯の全てに影響を及ぼす事にもなってきます。

でも一様でないから世の中難しいものです。

自分は自分なりでいいとの思いにはなかなか至らないのが普通の人の自己判断でしょう。

人間は欲の絡んだ精神動物であるから尚更複雑です。

自分なりとは思っても、自分なりのプレッシャーは存在するものです。

それは神・仏から与えられたと言っても可笑しくはないと思いますが、どうしても自分に、若しくは自分にだけ与られたプレッシャーはあるものです。

それさえも避けてしまうようではいけません。

せめて自分にのみ与られたであろう葛藤には、自らが立ち向かう姿勢が必要ですよね。
他人とどうのこうのではなく。

自分で立ち向かうも良し、家族の力を借りるも良し。

自分なりの立ち向かい方を確立することが大事なように思います。
それにはやはり打ち勝とうとする経験ですよね。

何事も他人依存、逃避を繰り返していては、ますます持って前進は望めませんし自立することはできないことになってしまいます。

私はある女の子に「頑張りなさい、頑張って自分なりに現状を乗り越えなさい」と申し上げたら、「これ以上頑張れません」という返事でした。

「であれば、頑張ることをやめてみたら」と言いたくなります。
その後は押して知るべしでしょう。

現状にさえも頑張る勇気や気力がないとすれば、どうなるのでしょうか。
自分なりに頑張ってみようと言う気概さえも失った人間はどうなるのでしょうか。

せめて日常生活は出来る人であれば、様々な自分なりの苦難やプレッシャーは乗り越えたいとする努力を見せないといけないのではないでしょうか。

相当程度、気が病んでいる、体が病んでいる方々は別ですが。

物事は、一つ乗り越えることで自信を取り返し、勇気と叡智を受け取ることが出きます。
次は、一つ目のハードル程度を難なくこなし、二つ目のハードルを越す楽しみに変わるものです。

出来れば、人よりも優位に立ちたいとか、優れていたいとかの気持ちに転嫁できるとこれに勝るものはありませんが。

そうです、その気持も萎える自分を奮い立たせ、乗り越える快感を得る内に自然と芽生えてくる感情かも知れませんね。  


Posted by misterkei0918 at 08:35Comments(0)

2010年05月09日

テレビチャンネルを変えてしまいました

テレビチャンネルを変えてしまいました

昨夜は、興味深いテレビ番組がありましたので家内と二人で見始めました。

或いは今最も皆さんが興味を持つであろうテーマでしたので多くの方々が視聴されていたのではないでしょうか

最初は気にすること無く、番組もコマーシャルも見ていましたが、時間経過とともにどうも放送局に繰られているような気がし始めたのです。

興味を唆(そそ)ってはコマーシャル。
ものの数分、番組を流して、興味を誘ってはコマーシャル。

そんなに結論を急いで聞こうとは思いませんが、それでも酷すぎです。

コマーシャルが終わると今度はコマーシャル前の内容を何度も何度も繰り返します。

おかしいと気になりだしたのは私だけではありません。
「お父さん、この番組何かおかしいね」

視聴者を欺くような、馬鹿にしたような番組構成のあり方、展開の進め方に疑問を持ってしまいました。

だから、最近テレビ離れが激しくなるのです。
特に若い方々が。

私どもに取っては貴重な情報源であったり、憩いや気休め、癒しであったテレビ放送が時代の流れとは言え、遠ざかっていくのか悲しいものです。

メディアが多様化する中、何時までも大事なテレビであって欲しいものですが。

結局は番組を切り替えてしまいました。

調べましたらこんな記事がありました。
皆さん、思いは共通のようです。


『最もイライラするテレビ番組の演出

最近、若者の間で進んでいるといわれる“テレビ離れ”。
番組自体の質の低下もあるかもしれませんが、過剰な演出もその原因の一つかもしれません。

では実際に、若者がテレビを見ていてイライラしてしまう瞬間とはどんなときなのでしょうか。
20代男性175名にもっともイライラするテレビ番組の演出を聞いてみました。

男性
Q.テレビ番組のどの演出にイライラしたことがありますか? (複数回答)
1位 CMまたぎ 68.0%
2位 さんざん引っ張った挙句、「次週(近日)放送」で締める 45.7%
3位 CM明けにCM直前の部分を再度放送する 33.1%
4位 放送禁止用語を言ってスタジオだけ大爆笑 21.1%
5位 アイドルたちがわざとボケ解答をする 20.0%

女性
Q.テレビ番組のどの演出にイライラしたことがありますか? (複数回答)
1位 CMまたぎ 71.0%
2位 さんざん引っ張った挙句、「次週(近日)放送」で締める 58.4%
3位 CM明けにCM直前の部分を再度放送する 44.8%
4位 誰のことにつて言及しているか分からないイニシャルトーク 35.8%
5位 放送禁止用語を言ってスタジオだけ大爆笑 33.3%

調査時期:2010年3月23日~3月29日
調査対象:COBS ONLINE会員
調査数:男性175  女性 名469名
調査方法:インターネットログイン式アンケート』


最近のテレビ放送がどうもおかしいとか、つまらくなったとか思い始めたのはどうも私だけで話さそうです。

視聴者の貴重な思いを大事にしないといけませんね。
  


Posted by misterkei0918 at 07:45Comments(0)

2010年05月07日

ルールは守るほうがカッコイイ

ルールは守るほうがカッコイイ

社会秩序とか社会規範、或いは法律とか条例、道徳とか、規律・・・・・

身近なところでは家庭での躾や決まり事、
学校で言えば、校則とか。

社会活動でも組織があればそれなりに定款や規則が定められているものです。

人が善意でのみ行動出来る動物であればいいのですが、人間ほど始末におけない動物は存在しないものです。

ですから、自ら決まりや規則を決めて枠に嵌めることを自らが行うもの。

特に人間には、嫌がらせだとか、人の嫌がることをすることで快感を覚えたり、粋がったり、社会からはみ出すことで利益を誘導しようとする輩もいます。

人を悲しませたり、苦しませることで自己の満足を拡大しようともしますし、陥れることに喜びを感じる人もいるものです。

「自分のものはより自分のモノであり、他人のモノも自分のモノ」と心の底から信じている人間も確実に存在するものです。

また、人は感情の動物。

理性はありながらも他人の命や財産を脅かす人、
感情に溺れるが故に他人の命や財産を損なう人がいるものです。

東京・山手線の吊り広告にこんな言葉を発見しました。
「ルールは守るほうが守らないほうよりカッコイイ」
提供はビール酒造組合でした。

哀しいかな人間は、正しいことや真実と対峙したときに頭では分かっていてもそれと逆の行動をすることに快感を覚えたり、示威的な態度に存在を誇示したり致します。

誰しもルールは守るものと分かってはいるのですが。

人間という動物は、守らないことが日常化してしまうとそれが人として当たり前の行動として受け入れてしまいます。

それが怖いことですが悪い意味で習慣化すると言うことでしょうね。

ルールを守る人が得をして、尊敬され、守らない人が損をして、勇気を持って非難出来る社会でなければいけません。
  


Posted by misterkei0918 at 17:23Comments(0)

2010年05月07日

20~60歳で一年間に20万人

20~60歳で一年間に20万人

日本人の死亡率のトップが数年前からがんになっています。
以前は、心臓だとか循環器系だったような気がします。

癌でも日本人に多いのは胃がんだったのですが、最近は様子が異なってきたような気もします。
大腸がんが増えてきたのは、食生活の欧米化が影響しているのでしょうか。

確か、欧米の方々は大腸がんが多いと聞いていたのですが。

2008年の統計による死亡数は
男性・・・肺、胃、肝臓、結腸、膵臓
女性・・・胃、肺、結腸、肝臓、乳房
   女性の場合、結腸と直腸を合わせた大腸がんは1位の様です。

男女とも肺がんが上位に来ているのは、たばこの影響が大きいのでしょうがややもすると環境汚染による空気の汚染も関係ないとは言えないのではないでしょうか。

20~60歳のうち、一年間に癌と診断される人が20万人と言われます。

最近亡くなる方々の病名を聞くと、それだけで如何にがんの罹患率の高さが伺えます。

がんは「癌」と書きますが、最近の表記は殆どがひらがなの「がん」になりました。
理由はわかりませんが私が勝手に判断しますに、

癌の字は、如何にも手強い、厳つい、難解・・・・・・
そんな感じがします。

つまり「癌」に罹ったら絶対治らないとか、命に係わる病いだという印象を払拭しようという思惑が働いているのでしょうか。

確かに、がんに罹っても早期発見であれば治癒出来る状況が多くなりました。

でも、罹りたくない病気ですね。

そのためには、暴飲暴食をせずに、ストレスを溜めず、タバコを吸わず、定期的な健康診断が有効なことは立証されていますので心掛けたいものです。

とは言いながら、粋がって「健康診断はした事がないとか」等と言う事に得意がっている自分がそこにいたりするものです。
  


Posted by misterkei0918 at 13:57Comments(0)

2010年05月06日

ホテルの女性を泣かせてしまいました

ホテルの女性を泣かせてしまいました

先程、リッツカールトンのホスオイタリティの話が記載されたメールを読んでいましたら、再び思い出しブログに記載する衝動に駆られました。

昨年の4月19日の事でした。

金沢観光を予定していました私ども夫婦は、連休直前でもありますし観光シーズンに入った4月後半に無理な事を承知で申し込みを致しました。

やはり想像の通り。
「今頃の金沢はとてもお取りできまん」との事、でも食い下がって
「あと少し他のホテルも探して頂けませんか」

返事は同じでした。「お客様、頑張って問合せを致しましたがやはり無理でした。もうしわけございません」

咄嗟に思い出しました。
38年目の結婚記念日がその日であることを。

家内と急遽の相談です。一発でOKでした。
「申し訳ないのですが、三重県の鳥羽の小涌園は取れませんか」

願いは叶うものです。
38年目に再び新婚旅行のホテルを訪ねることに致しました。

長い年月ですから多分、ホテルの姿も付近の風景も大幅に変わっていて思いでの場所として私ども夫婦の脳裏に焼き付いている思い出が蘇るか、幾らか不安ではありました。

当時の私の経済状態からすれば、その付近の新婚旅行が精一杯だったのです。

大阪に一泊、京都に一泊、近鉄特急で奈良を経て鳥羽へ向かったのです。
古めかしい表現ですが、確かロマンスシートだったと記憶しています。

ホテルへは、「38年目の新婚旅行の場所であるそちらに宿泊をさせて頂きます」と一言のメールを致しました。

特別のサービスやおもてなしを期待するものではありませんが。

到着しましたらフロントからお部屋へ案内する女性が涙ぐんでいます。
「こんな事は初めての経験です。38年にもなるのに新婚旅行のホテルを改めて訪問して頂ける事に感激をしました」

お部屋も特別な部屋で最高の見晴らしの場所をご提供頂き、夕食の席には特別のお花を供えてくださっていました。

当然、席の位置も他の皆様とは少し異なった雰囲気でおもてなしを充分に感じる配慮がなされていたのです。

充分に満足のいく旧婚旅行?でした。
ホテルの下の砂浜も当時のままのような気がしました。

当時もそうであったようにホテルの全景を写真に納めることを忘れませんでした。

自宅に帰りつきましたら、ホテルの支配人からメールが届いておりました。
感謝と驚きの言葉が並んでいましたが、
「この度の○○様のご宿泊の事を従業員全てに報告をしました」

私ども夫婦が自分達の為と思って行った新婚旅行のホテルを訪ねる旅は、思わぬところで波紋を呼び感動を与えたいたのだと思うと、何かしら実行したことが生涯の思い出として新たなページを作ってくれました。

始まりは、とある旅行代理店から宿が取れないと金沢旅行を断られた所からの始まりです。

物事はどこから、素晴らしい体験を生み出すか分からないものです。
  


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2010年05月03日

220万人の競演「博多どんたく港まつり」

220万人の競演「博多どんたく港まつり」

今日は素晴らしい天気に恵まれました。
27度ですので、もう真夏です。

出で立ちは気候不順だった初春の格好ですので暑いというのが正直なところ。

今日3日と4日は220万人の人手が予想される「博多どんたく港まつり」

博多が昔からの芸所であったことを思わせるゴールデンウィーク最大のお祭り。

「どんたく」の名称は、オランダ語のZondag(休日)がその語源であるといわれています。

『博多どんたく』は、治承3年(1179年)に始まったと筑前国続風土記(貝原益軒著)に記されている「松ばやし」がその起源と言いますから830年余の歴史を誇るお祭りです。

私どもは福岡市中央区に居住していますが、実はどんたくを見ることを目的に出かけたのは2,3度だけです。

それだけ町中がお祭り一色になります。

当然、住んでいる私どもよりも他より見物に来られる方々で満杯状態で異常な賑わいになってしまいますので出かけるのが億劫になるというのが本心です。

街中の至る所に設置される演舞台の出演者がひっきりなしで途絶えるところがないところからしても博多の人々がどんなにお祭り好きで芸能に優れているという証左でしょうね。

以前から、博多は芸能人を多く輩出しているところですが、博多の文化、風土や人柄がその雰囲気を髢出すのでしょう。

明日も、上天気のようですから今日以上に賑わうことでしょうね。

私ども家族は、行き先不明のミステリツアーに参加です。
  


Posted by misterkei0918 at 21:38Comments(0)

2010年05月02日

蛙の目借り時・・・春眠暁を覚えず!

蛙の目借り時・・・春眠暁を覚えず!

今時は昼間でもどうしても眠気が襲ってくることがありますが皆さんはいかがですか?

人間の体のリズムが、高揚する時期とも重なっているように思うのですが如何でしょうか。

人間だけではないかも知れませんが。

先日、NHKの天気予報を聞いていましたら「蛙の目借り時」という言葉が耳に飛び込んできました。

時期は今頃で、眠気がさすことを「春眠暁を覚えず」とは昔から言いました。
私の浅学さを暴露するようですが、全く知りませんでした。

それでネット上で調べてみました。
晩春の季語のようです。

文章の一部を借用することをお許し下さいませ。


『人が眠いのは、実は、蛙が人の目を借りていくためなのである。では、蛙は自分の目を持ちながら、何故この時期、人の目を借りようとするのだろうか。

目借時は、妻狩り時(めかりどき)のこと。
蛙が、それぞれのパートナーを探しに、池や沼に集まる季節の春。
大勢の雄、雌の中から、自分にぴったりの相手を探すには、何と言っても、よい目が必要。

所が、蛙の目は、後ろのほうに着いているため、立ち上がったりすると、前が見えなくなる。
そのことから、古来、蛙の目は、前方が見えないという弱点をもっていると思われてきた。

「蛙の行列」が、前が見えない向こう見ずの人々の集まりという意味で使われ、「蛙の頬かむり」が目先の利かない喩えに使われたりしているのは、そのためなのである。
また、「蛙女房」というのは、目が上の・・ということから、妻(め)が上の、つまり夫より年上の女房を言う。

そこで、蛙は考えた。
自分の頼りない目を補うために「そうだ、人の目を借りてやろう」と。
それで、蛙に目を貸した人々は、眠くて眠くて仕方なくなるという寸法なのだ』


昔は身近にいた蛙ですが、最近では鳴き声も殆んど聞くことが無くなりました。
牛のような鳴き声を聞きながら月夜の田んぼの畦道を歩いたのは久しい昔のことになってしまいました。

でも、そんな時代に戻りたいなどと言う事さえ、口にしないほど忙しい時代になりました。
  


Posted by misterkei0918 at 21:56Comments(0)

2010年05月01日

幸せのお裾分け

幸せのお裾分け

お裾分けといえば「袖触り合うも他生の縁」を思い出しました。

裾も袖も似たようなものですから何事も縁を頂いたと思いながら経験するといいと言うことでしょうね。

不思議なもので、苦労している時や心配事を抱えている時に、友人だとか家族に話してみると案外解決の糸口を見つけたり、心が和んだりするものです。

結論を得ようとか、解決をしてもらおうとか、性急な結果を求めるのではなく話しを聞いてもらおうくらいの気持ちが却って良いようです。

それから判断すると、悲しいとき、苦しいとき、悩みを抱えた時はそれとなく口にしてみること。

つまり、少しだけのお裾分けがいい結果をもたらす様に思われます。

相手にとっては迷惑と思いがちですが、話された人にとっては決して嫌な事や迷惑千万なことではなく、却って相手の心を引きつける方法であり、人間としての信頼を増加させる近道でもあります。

人は、口にすることによって病む心を広げ、自然治癒する素晴らしい方法と思われます。

幸せなときにもそうですよね。
こんな言葉を発見しました。


『幸福は時としてだれかを犠牲にして作られることがある。
それはもう幸福ではない。
真の幸福は自分の幸福を相手の幸福に変えることである。
ブールボン=ビュッセ』

幸せなときにも人々に分け与える事に喜びが倍化されるような気がします。

自らの笑顔が周りに伝染していくように。

一歩踏み込んで考えると、自分の幸せのお裾分けも大切ですが、自分の幸せの前に他人の幸せを優先出来るように成ればしめたものです。

難しいことですが。

何事も「胸筋を開く」という言葉がありますが、自らの心を開くことで相手も呼応してくれますし、信頼の度合いが深まることは必然です。

私などはどうしても卑屈な性格ですので、自分の殻に閉じこもってしまい勝ちですが肝に命じて繰り返し繰り返し自問をしなくてはいけないようです。
  


Posted by misterkei0918 at 16:47Comments(0)

2010年05月01日

この世は有り難い

この世は有り難い

この世こそ安楽、安住の地の様な気がします。
来世や前世がどのようなところか、存在する想像はつきませんが。

「この世には選ばれて来ている」とも言い、
「その中でも人間として来れたのは素晴らしい」とも言います。

輪廻転生とか、
因果応報。

いずれにしても前世、来世を思わせます。

干支の十二支、
子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥
(ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い)

昔の方々が生まれ年を表現したり、理解するのに十二支を使われるのもどうもそんな想像をさせてくれます。

自分にとって、悩みの無い、苦労もない、心配の種もない世界が果たして良いのでしょうか。

かと言って全く逆に、心の休まらない、修羅場のような、阿鼻叫喚の世界が言い訳でもありませんが。

この世で折角、一生を迎え、終えるわけですからどんなことがあっても心の片隅にでも「この世が自分にとって1番素晴らしい所」だと思っていた方が良さそうです。

不思議なもので、そんな思いで日常を迎えていると思いは開けますし、束の間の喜びでも訪れることを忘れてはいないようです。

「引き寄せの法則」というものがあると言われます。

自分の今は自分が引き寄せたものだとも言います。

望んだ世界ではないのかも知れませんが、「最悪の世界」と叫んでいる内は全ての幸福や笑顔の源泉は訪れることは決してないのかも知れませんね。

崖っぷちに立った状態でも一縷の望みを忘れないことこそ、大事なことでしょう。

『花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり』

林芙美子さんの「浮雲」の最後に出てきます。

「自分にとって、この世は有り難いところ」
どうせ生きるなら、心の片隅に、或いは時々呟いてみるのも良さそうです。
  


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2010年05月01日

親の七光、与えたくとも与えられず!!

親の七光、与えたくとも与えられず!!

昨日のブログ、「所詮、人生は親の七光りのお陰」というタイトルで書きました。
気にはなっていたのです。

このようなコメントを楽天ブログで頂きました。

「親の七光、与えたくとも与えられず
負から~一人で奮闘している子供を
せめて応援する気持ちだけ頑張っています」

ありがたい事です、七光について改めて書く機会を頂きました。
七光りを調べてみましたら、


『正しくは「親の光は七光り」。
三省堂「大辞林第二版」には、この場合「七は大きな数として使う」。
つまり、「多くの・偉大な」という意味での「七」であって具体的に何かを数え上げたわけではない』

七光りのお陰で楽をしたり社会的地位を得たり、棚ぼた的な生涯を送る人もいるものです。
逆に親の七光りが嫌だったり、プレッシャーになって人生の没落者になったりもします。

一般的に若い頃は親の威光や七光りなど邪魔者の何ものでもなかったりします。

過去の私は七光りどころか、逆にマイナス面が多かったようにも感じていましたが人生は実はそんな単純なことではないことがわかってきました。

実はコメントを頂いたようなことで充分だと思うのです。
「親の七光、与えたくとも与えられず、負から~一人で奮闘している子供をせめて応援する気持ちだけ頑張っています」

それなんです。
それで充分なんです。

親は子どものために必死に働きますし頑張ります。

それが子供の為になるかならないかは誰にも分からないことであり、場合によっては親の自己満足かも知れませんし、子供にとって大変な重荷になる事だってあります。

大事なことは親が我が子のために、真摯に頑張ることだと思うのです。
結果はどうでも良いことではないでしょうか、子供の足を引っ張る様では困りますが。

色んな親を見る機会がありましたし、今の社会情勢を見ると親子の情愛は何処に行ったのかと疑念を持つことも多々ありますが、貧しくとも親子睦ましく、微笑ましく過ごす姿は崇高にさえ見えます。

それで充分だと思うのです。
清廉な気持ちを頂きました、有難うございました。
  


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