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2010年05月13日

守護霊を持つことの勧め

守護霊を持つことの勧め

守護霊の話は過去数度に亘ってブログに記載したことがあります。
タイトルは守護霊の文字はついていないかも知れませんが。

宗教人でもありませんし、取り立てて熱心に宗教を信心しているわけでもありません。

日本人ですから、仏教の影響を色濃く受けているのは事実ですが。

私の家系は(家系を言えるほどの家柄でもありません・・・ということ事態が守護霊様に失礼なことですが)、どちらかと言うと神道です。

例えば、今時の考えでいけば、リアルとバーチャルかもしれませんね。

多分、青春時代の不思議な体験がなければ守護霊に考えも及ばなかったかも知れません。

私自身の守護霊は、母方の祖父。
生まれてすぐに母親と暮らすことの出来なかった私は祖父母に育てられることになりました。

私を不憫に思う祖父母はそれはそれは大事に、育ててくれたのです。
大事にと言うのは、自由奔放とか我儘にとか言う意味ではありませんよ。

その時でも私自身は、厳しい思いをしながらの生活であったことは今でも脳裏に焼き付いています。

その祖父がなくなって以降、私の守護霊でいらっしゃるという思いが始まったのですが。色んな体験をしました。

どうして守護霊と思うようになったのか、
どんなことが現実に起こったのかは過去書いてきたような気がしますので割愛をします。

人は色んな問題や悲しみが襲ってくるものです。

かと言ってこれらに負けているわけにもいきませんし、克服したからと言って驕るわけにもいきません。

そんな時には守護霊に「ありがとう」
「お陰さまで」

厳しい状況に立ち向かったときには、「助けてくれ」等と他人に弱音は吐けませんし、その時点で既に負け犬になっているも同然です。

そんな時に「見守っていて下さい。必ずや克服してみせます」

不思議なことに勇気百倍です。

人はそんな事はあり得ない、神がかり的なことは滑稽だと訝るのです。
そのように人はそれでいいんです。
信じないことは個人の勝手ですし、また信じない人に勧めることでもありませんから。

重大な事に直面したら、
「見ていて下さい、お願いいたします。全力投球します」

様々な現象に直面します。
所謂、心の置処とよく言いますが、その事によく似ているかも知れませんね。

或いはもっと心の奥深い問題かも。

今では両手を合わせて、拝むと背筋に何かが走る体感があります。

ここまで書きましたら、如何にも神がかり的になってきましたので筆をおきます。
  


Posted by misterkei0918 at 19:11Comments(0)

2010年05月13日

高ぶる感情こそ大切に

高ぶる感情こそ大切に

私などの性格はどうしても他人に感情むき出しな様子や悲しんだり、心配に暮れる姿は決して見せたくないと考える方です。

男の癖に涙を見せるな的な考えかもしれませんね。

ですから、家族や友人にも焦った姿やとまどい、情に溺れたり、流されたり、ましてや激怒する姿など見せることはありません。

既に亡くなった先輩で、それはそれは感情むき出しの方がおられました。
決して見たくない姿でしたし、冷静な心を持った人間としての行動とは思えないほどでした。

私も被害にあった一人ですが。
亡くなった後に奥様にお会いする機会がありました。
「ご主人が亡くなられて大変でしたね。気を落とされないで元気で頑張ってください」の私の言葉に、

「ほっとしました」。

多分それが正直な奥様のお気持ちだったであろうと簡単に推測できる先輩の言動でした。

人は感情の動物ではありますが、形振(なりふ)り構わない言動や場所や相手をわきまえない姿はその方の品性を疑われますし、信頼を損なうことになってしまいます。

一度失った信頼は、もう取り戻すことは出来ないと思っていた方が良さそうです。
先程の奥様ではありませんが、死人に鞭打つ結果を作ってしまうものです。

「死人に口なし」と言いますから逝ってから弁解は出来ませんが、生きているうちから不信感を買うような行動や心の絆を切るようが事は避けた方が良さそうです。

でも、そうではなくて極めて人間的な姿、
涙を流したり、
正義のために体を張って頑張ったり、

真理を守るために感情がむき出しになったり、
自身の真摯な行動を貫くために理性を失ったり、

あまりの悲しみの表情を隠すことが出来なかったり、
苦しみや心配のあまり、弱々しい姿を露呈したり・・・・・

恥ずかしいと思わないで、大切にすべき感情かもしれませんね。
より人間的で。

私などはそんなところが損をしているところでしょう。
揺れ動く自分をできるだけ隠そうとしたり、見せまいとやせ我慢をしたり。

高ぶる感情を大切に出来る人であればこそ、極めて人間的で心を感じるものです。
信頼の絆をより深いものに出来る人もそんな人かも。
  


Posted by misterkei0918 at 17:23Comments(0)

2010年05月13日

親子の情愛は何処に忘れてきたのでしょうか

親子の情愛は何処に忘れてきたのでしょうか

愛情の中で最も崇高で深いのは親子の情愛であろうと思います。

動物だって、本能的に自分の親や子は分かりますし、それを守るには命を張り、命を賭けた筈です。

ましてや感情の動物と言われる人間であれば、言を待たないでしょう。

最近の親子犯罪、
とりわけ親の子に対する尊属犯罪は、若しかすると社会を根底から揺るがしかねない事態を招くのではないでしょうか。

物が豊かになると、心を失うとも言います。
物を追い求めることに一生懸命で、人間関係は希薄になり、打算的になり、猜疑的、懐疑的、ややもすると自分の立場だけを有利にするために家族をだって、犠牲にしてしまいます。

自分の幸せ、自分の身の回りだけに執着し、相手の立場や幸せをこそ優先させる事が自分を幸せにする最短の道であることを忘れてしまいました。

親が子に対する虐待や暴力、ひいては命さえ奪う行動は、最早人間の顔をした鬼畜生と呼ばねばなりません。

地域がどうとか、学校がどうとか、お役所がどうだとか言いますが1番は家庭における親子関係をどのようにして構築するか、改めて問い直す時代が来ているようです。

そして、1番は教育なのではないでしょうか。
学校や家庭における教育。
私どもは「人間として生きていくべき道」、つまり道徳を忘れている、若しくは教育されていないのではないでしょうか。

ある、著名な知事は道徳は簡単に言うと「自己犠牲」だと言われました。

まさしく、自分を犠牲にして、自分の事は置いといて子供の為に尽くす、全力投球する親として当たり前の行動を失ってしまいました。

本来、学ばなくても良かったのです。
だって、人間は本来的に体の中に子供を幸せにしようとする遺伝子が存在していたはずなんです。

それが時代の変遷とともに、それにも増して悪い方向に変遷してしまいました。

最近はこの類のニュースに事欠かなくなりましたし、「もう聞きたくない」と言いたくもなります。

私のように親不孝な子供もいるものですが、まずは親の方から自らの子に対する言動を改めて見つめ直す事が必要なようです。

「自分は親足り得るのか!!」。


『親であるということは一つの重要な職業だ。
だがいまだかつて、子供のためにこの職業の適性検査が行われたことはない。バーナード・ショウ』


『世界で一番有能な教師よりも、分別のある平凡な父親によってこそ、子供は立派に教育される。ルソー(仏・思想家)』


『母背負い 宮のきざはしかぞえても かぞえつくせぬ母の恩愛。日本船舶振興会会長・笹川良一』


『母親の涙には、化学で分析できない深く尊い愛情がこもっている。ファラデー』


『愛情には一つの法則しかない。それは愛する人を幸福にすることだ。スタンダール(フランスの作家)』


『愛情をケチってはいけない。元手は使うことによって取りもどせるものだ。ジークムントフロイト』
  


Posted by misterkei0918 at 16:27Comments(0)