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2010年05月10日

身の程を知る事の大切さ

身の程を知る事の大切さ

多分、失敗することの殆どがそうではないでしょうか。

自分で出来る事と自分には不可能なことの判断ミス、
所詮高望みにも関わらず背伸びのし過ぎ、

人ができるから自分もできるとの自己過信、
或いは自意識過剰・・・・・

本当は自分の身の程や身の丈が、分かっているといいのですが難しいものです。

でも、色んな事に挑戦することで自分なりのモノサシが出来ていくのが分かります。

この分野は、そこそこでいいもの、
これは頑張れは人並み以上に行けるもの、

時間と力を割くだけ無駄なこと、
むしろ人の力を利用することの方が賢いと思われること、

関わらない方が却って言い分野・・・・・

時間と労力と幾許かのお金にゆとりがあれば、色んな事を啄(ついば)む事も悪いことではありませんよね。

それもやり方、生き方の方法でしょうから。
それでは物事のエキスパートにはならないでしょうが。

私はどちらかと言うと、そちらの方でしょう。
お金はありませんが。

満遍なく、卒が無く、かと言って深い部分は持ち合わせていない。
成功するタイプではないですね。

物事に自信を持ってリード出来るためには、極める部分が存在しないといけないような気もします。

その為には、無闇やたらに食いつぶすのではなく、またすぐ浮気するのではなく一点集中で頑張る人には敵わないようです。

不景気になると言われることに
「原点回帰」
「選択と集中」とよく言います。

所謂、選択と集中ですよね。
自分の持ち得る資源を最大限に、選択したところに集中的に注ぐ。

又、身の程を知るということは「謙虚さ」にも通づることになるようです。

身の丈を知る、足元を見る、身の程をわきまえる・・・そんな配慮も人生には必要と思われます。
  


Posted by misterkei0918 at 16:08Comments(0)

2010年05月10日

来世も、又自分に生まれ変わってみたい

来世も、又自分に生まれ変わってみたい

生まれ変わるとしたら、どうしますか。
よく聞かれますし自分でも考えることがあります。

この世は前世からの繋がりだとも言います。
「犬畜生も人間も、草花も前世の因果を引きずってこの世に来ている」と。

果たして前世は何であったのでしょうか。
犬畜生、魚介類・・・だったのか、或いは路傍の草木、花だったのか

或いはこの世で人間になっている人は、前世で善行をした人、穏やかに過ごした人だとも言いますから、人間だったのかも知れませんね。

若しかするとそんな事は全く有り得ない事かも知れませんし、私の能力では推測さえ可笑しいのですが。

例え話として、
「若し、来世に生まれ変われるとしたら何になりたいですか?」と問われたら、私は「今と同じ自分になってみたい」と答えます。

様々な苦労もしましたし、経験しなくても良さそうなことも随分としてきました。

どうして私だけこんな境遇なのかと親を恨んでみたり、自分を卑下してみたり。
時には、この世を儚く、恨んでも見たり、捨て去ることも考えたりしたものです。

今は違いますが。

所が、世の中は捨てたものではないとも言います。
捨てる神あれば、拾う神ありとも言います。

生まれ変われるとしたら、もっと上手な生き方がしたいのです。

上手に生きると言うと、人を誑(たぶら)かすとか、楽をしたいとか、人を差し置いて等に象徴されるような「上手に生きる」ではありません。

望むなら、人生のスタートだけはこの世のようであって欲しくありません。
恵まれる必要もありませんし、際立って目立事も要りません。

普通の状態で、平均的な状態であればそれで満足なんです。

マイナスからのスタートでは無く、一般的な家庭で、平均的な家族で始まると有り難いと思っています。

その状況で、人生が始まり、どこまで到達できるかが興味深いところなのです。

所が、疑念も存在します。

今の私は実は、マイナスの人生のスタートを切ったからこそ今の私が存在するのであって、若しかするとそうでない私は違う私である事が予想されるのです。

来世で例え、私として生まれてきたとしても今の私ではない可能性があるということです。

考えてみましたら、今を大切に真摯に生きることが大切ということになるのでしょうか。
  


Posted by misterkei0918 at 13:18Comments(0)

2010年05月10日

自分にとってのプレッシャーには負けるな

自分にとってのプレッシャーには負けるな

人はそれぞれ。
その人なりの個性や気力、体力を持っているものです。

同じでないのは私どもの周りを見わたせば、時間を要すること無く簡単に判断出来ます。

でも、誰しも他人と同じでありたいとか、出来れば優位に立ちたい、恵まれたいと望むものです。

子育てだってそうです。
せめて自分の子供は、人並みかそれ以上、できる事なら秀でていて欲しいと望みます。

その事が子育て上で様々な葛藤を生み、尾を引いてその人の生涯の全てに影響を及ぼす事にもなってきます。

でも一様でないから世の中難しいものです。

自分は自分なりでいいとの思いにはなかなか至らないのが普通の人の自己判断でしょう。

人間は欲の絡んだ精神動物であるから尚更複雑です。

自分なりとは思っても、自分なりのプレッシャーは存在するものです。

それは神・仏から与えられたと言っても可笑しくはないと思いますが、どうしても自分に、若しくは自分にだけ与られたプレッシャーはあるものです。

それさえも避けてしまうようではいけません。

せめて自分にのみ与られたであろう葛藤には、自らが立ち向かう姿勢が必要ですよね。
他人とどうのこうのではなく。

自分で立ち向かうも良し、家族の力を借りるも良し。

自分なりの立ち向かい方を確立することが大事なように思います。
それにはやはり打ち勝とうとする経験ですよね。

何事も他人依存、逃避を繰り返していては、ますます持って前進は望めませんし自立することはできないことになってしまいます。

私はある女の子に「頑張りなさい、頑張って自分なりに現状を乗り越えなさい」と申し上げたら、「これ以上頑張れません」という返事でした。

「であれば、頑張ることをやめてみたら」と言いたくなります。
その後は押して知るべしでしょう。

現状にさえも頑張る勇気や気力がないとすれば、どうなるのでしょうか。
自分なりに頑張ってみようと言う気概さえも失った人間はどうなるのでしょうか。

せめて日常生活は出来る人であれば、様々な自分なりの苦難やプレッシャーは乗り越えたいとする努力を見せないといけないのではないでしょうか。

相当程度、気が病んでいる、体が病んでいる方々は別ですが。

物事は、一つ乗り越えることで自信を取り返し、勇気と叡智を受け取ることが出きます。
次は、一つ目のハードル程度を難なくこなし、二つ目のハードルを越す楽しみに変わるものです。

出来れば、人よりも優位に立ちたいとか、優れていたいとかの気持ちに転嫁できるとこれに勝るものはありませんが。

そうです、その気持も萎える自分を奮い立たせ、乗り越える快感を得る内に自然と芽生えてくる感情かも知れませんね。  


Posted by misterkei0918 at 08:35Comments(0)