2010年05月15日
守護霊の話、その3
守護霊の話、その3
文章を短く纏める力のない私ですので三日がかりになってしまいました。
でも、私自身の大事な部分を纏める機会を頂いたのですから中途半端に終わらないで纏めることにしました。
そういう意味では、貴重なコメントを頂いた方に感謝です。
若い頃は勢いで生きていますし、自分の事で精いっぱい、身の回りの事を収集するのに全ての時間を集中してしまいます。
そんな大事な祖父が私をどんなに大事に思い、遠く離れた地から高年齢にも関わらず思いの丈を発信されていたことに気づいたのは、漸く人間的にも落ち着き、社会的にも様々な活動を始める時期に差し掛かった時でしょうか。
祖父がなくなった時は、高齢でしたから体調は幾らか悪かったのでしょうが所謂大往生とのことでした。
最後を迎える祖父にお会いすることは出来ませんでしたが、祖父は確実に私にお別れを言いにあの日、あのようにして私の枕元にお見えになったのでした。
そんな事は誰も信じては頂けないでしょうが、まだ息を引き取る前の人がその直前に1000キロも離れた場所の私の夢枕にどうして立てたのでしょうか。
多分、40歳くらいの頃からでしょうか。
私の人生が少しづつ変化を遂げ始めました。
どうも私以外の力が働いているような気がするのです。
私自身は、知識も能力も人並み以下と思っていますから、自分の力でないことは充分に分かっています。
その頃、皆さんもそうでしょうが40歳頃は男は厄年に近づいてきることもありますし、また「四十にして惑わず」という言葉があるように社会的にも家庭的にも自立を求められ、自分の立つ位置を確保する時でもあります。
つまり、これからの人生を決める時期であり、この時期をどのように意義深いものに出来るかで今後の精神的に豊かなものに出来るかの瀬戸際でした。
幼い頃は両親と生活が出来ず、青春時代は自分の精神的な欠陥や弱さ、身体的にも悩み多きものに埋没し惨憺たるものでした。
人生において好転の兆しが見え始めたのが、24歳の結婚とか、25歳での一軒家の建設、子供達の誕生、29歳の起業・・・・・
振り返ると前記のようにどうも誰かが後押しをしてくれているのです。
始めました。
何か、大事なことに当たるときには「よろしくお願いいたします。お守り下さい」
他力本願的な「なんとかしてください、助けてください」などは決して口にしません。
何事も事に当たるのは、解決の糸口は自分で見つけるものですし、行動は自分がするべきものだから。
結果の殆んど失敗や悪い方向へいくことはありませんでした。
当然、感謝の気持ちを忘れてはいけません。
心で呟きます。「有難うございました」
感謝は「お陰様を感じ、行動や心のあり方に現す」ことではないでしょうか。
感謝は、心の結びつきを深め、お互いの感謝の響きあいを呼び起こすような気がします。
私は、守護霊との結びつきを深めるために色んな事を思いつきました。
打算では無いのですよ。
祖父とより身近にありたいと願うのです。
先程のお守りの依頼や感謝もそうですが、両手を胸の前で合わせることでコンタクトを取っていることも。
今では、両手を合わせることで首筋から背中にかけて何かしら不思議なものが走るのを感じるようになりました。
これは多分、お分かりにならないと思います。
大事な会議や重要な案件を抱えたときに臨む前にかならずその行動をします。
当然、人目につかない場所、例えばトイレとか車の中とか。
* ******
今日も長くなりました。
また、明日に続きます、ごめんなさい。
文章を短く纏める力のない私ですので三日がかりになってしまいました。
でも、私自身の大事な部分を纏める機会を頂いたのですから中途半端に終わらないで纏めることにしました。
そういう意味では、貴重なコメントを頂いた方に感謝です。
若い頃は勢いで生きていますし、自分の事で精いっぱい、身の回りの事を収集するのに全ての時間を集中してしまいます。
そんな大事な祖父が私をどんなに大事に思い、遠く離れた地から高年齢にも関わらず思いの丈を発信されていたことに気づいたのは、漸く人間的にも落ち着き、社会的にも様々な活動を始める時期に差し掛かった時でしょうか。
祖父がなくなった時は、高齢でしたから体調は幾らか悪かったのでしょうが所謂大往生とのことでした。
最後を迎える祖父にお会いすることは出来ませんでしたが、祖父は確実に私にお別れを言いにあの日、あのようにして私の枕元にお見えになったのでした。
そんな事は誰も信じては頂けないでしょうが、まだ息を引き取る前の人がその直前に1000キロも離れた場所の私の夢枕にどうして立てたのでしょうか。
多分、40歳くらいの頃からでしょうか。
私の人生が少しづつ変化を遂げ始めました。
どうも私以外の力が働いているような気がするのです。
私自身は、知識も能力も人並み以下と思っていますから、自分の力でないことは充分に分かっています。
その頃、皆さんもそうでしょうが40歳頃は男は厄年に近づいてきることもありますし、また「四十にして惑わず」という言葉があるように社会的にも家庭的にも自立を求められ、自分の立つ位置を確保する時でもあります。
つまり、これからの人生を決める時期であり、この時期をどのように意義深いものに出来るかで今後の精神的に豊かなものに出来るかの瀬戸際でした。
幼い頃は両親と生活が出来ず、青春時代は自分の精神的な欠陥や弱さ、身体的にも悩み多きものに埋没し惨憺たるものでした。
人生において好転の兆しが見え始めたのが、24歳の結婚とか、25歳での一軒家の建設、子供達の誕生、29歳の起業・・・・・
振り返ると前記のようにどうも誰かが後押しをしてくれているのです。
始めました。
何か、大事なことに当たるときには「よろしくお願いいたします。お守り下さい」
他力本願的な「なんとかしてください、助けてください」などは決して口にしません。
何事も事に当たるのは、解決の糸口は自分で見つけるものですし、行動は自分がするべきものだから。
結果の殆んど失敗や悪い方向へいくことはありませんでした。
当然、感謝の気持ちを忘れてはいけません。
心で呟きます。「有難うございました」
感謝は「お陰様を感じ、行動や心のあり方に現す」ことではないでしょうか。
感謝は、心の結びつきを深め、お互いの感謝の響きあいを呼び起こすような気がします。
私は、守護霊との結びつきを深めるために色んな事を思いつきました。
打算では無いのですよ。
祖父とより身近にありたいと願うのです。
先程のお守りの依頼や感謝もそうですが、両手を胸の前で合わせることでコンタクトを取っていることも。
今では、両手を合わせることで首筋から背中にかけて何かしら不思議なものが走るのを感じるようになりました。
これは多分、お分かりにならないと思います。
大事な会議や重要な案件を抱えたときに臨む前にかならずその行動をします。
当然、人目につかない場所、例えばトイレとか車の中とか。
* ******
今日も長くなりました。
また、明日に続きます、ごめんなさい。
Posted by misterkei0918 at
10:46
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2010年05月15日
守護霊の話、その2
守護霊の話、その2
昨日のブログで守護霊の話をしましたら、幾つかご質問などを頂きましたので改めて書くことにしました。
昨日の申し上げましたが、私自身は霊能者でも宗教家でも無く信心を極めている人間でもありません。
従って専門家の方から見たら色んな異論があり、又間違った理解や勘違いがあるのかも知れません。
若しかすると、望むところですが、或いは私が述べている事に真実が転がっているかも知れません。
守護霊は右肩におられるとか、120年を遡る人でなければ守護霊でないとか言いますが、私に取ってはそれはどうでもいいことで、
自分の人生で家族と同じように一番信頼が出来て、私の成長や順調な人生の歩みを見届けてくれて、時には叱咤、時には一緒に涙し、常に私から離れること無く見守っていただける方。
それでいいのです。
始まりは、長男が生まれた頃ですから27歳の頃でしょうか。
明け方4、5時頃。
夢枕に立った祖父は、私ににこやかに穏やかに何やら話しかけておられたのですが、途中から亡くなったという夢に変わってしまいました。
私は、自分の恩人ですからそれは仰天の出来事で布団から飛び起きたのです。
家内に「今、祖父が亡くなった夢を見た」と慌てる私は如何にも現実の問題のごとく話したのです。
家内曰く「夢だから心配はいらないよ」。
それで安心し、再び床についたのです。
その夢の事をすっかり忘れて出勤し、お昼の食事を社外で済ませ社内に戻ったところ、「奥様から緊急の電話が入っていました」との事。
取って返しすぐ様、自宅へ電話です。お昼1時前。
電話の向こうの家内から「田舎のおじいちゃんが亡くなったとの事よ」、
それでも私は夢のことを全く思い出しません。
家内が続けて言います「そう言えばあなたは今朝の早朝に亡くなった夢を見たと言っていたよね」
この言葉で、背筋に冷たいものが走る思いをしたのです。
死の病に直面していた祖父は、誰よりも不憫に思い、大切にしていた私の枕元にお見えになられていたのです。
生まれたから、両親と生活の出来なかった私を、我が子以上に大切にしてくれた恩人です。
別れたのは、6歳の頃。
遠隔地に住む母親の元へ私を手放すことになったのです。
見送る祖父の様子は今でも脳裏から離れませんが、それは可哀想なものでした。
その後、病弱になられすっかり憔悴しきってしまった人のことでした。
多分、生きがいを失ったが如く、気力をなくされたのでしょう。
私の成長を誰よりも望み、喜び、期待をしてくれました。
* ****
長くなりましたので、明日に廻しますね。
ごめんなさい。
昨日のブログで守護霊の話をしましたら、幾つかご質問などを頂きましたので改めて書くことにしました。
昨日の申し上げましたが、私自身は霊能者でも宗教家でも無く信心を極めている人間でもありません。
従って専門家の方から見たら色んな異論があり、又間違った理解や勘違いがあるのかも知れません。
若しかすると、望むところですが、或いは私が述べている事に真実が転がっているかも知れません。
守護霊は右肩におられるとか、120年を遡る人でなければ守護霊でないとか言いますが、私に取ってはそれはどうでもいいことで、
自分の人生で家族と同じように一番信頼が出来て、私の成長や順調な人生の歩みを見届けてくれて、時には叱咤、時には一緒に涙し、常に私から離れること無く見守っていただける方。
それでいいのです。
始まりは、長男が生まれた頃ですから27歳の頃でしょうか。
明け方4、5時頃。
夢枕に立った祖父は、私ににこやかに穏やかに何やら話しかけておられたのですが、途中から亡くなったという夢に変わってしまいました。
私は、自分の恩人ですからそれは仰天の出来事で布団から飛び起きたのです。
家内に「今、祖父が亡くなった夢を見た」と慌てる私は如何にも現実の問題のごとく話したのです。
家内曰く「夢だから心配はいらないよ」。
それで安心し、再び床についたのです。
その夢の事をすっかり忘れて出勤し、お昼の食事を社外で済ませ社内に戻ったところ、「奥様から緊急の電話が入っていました」との事。
取って返しすぐ様、自宅へ電話です。お昼1時前。
電話の向こうの家内から「田舎のおじいちゃんが亡くなったとの事よ」、
それでも私は夢のことを全く思い出しません。
家内が続けて言います「そう言えばあなたは今朝の早朝に亡くなった夢を見たと言っていたよね」
この言葉で、背筋に冷たいものが走る思いをしたのです。
死の病に直面していた祖父は、誰よりも不憫に思い、大切にしていた私の枕元にお見えになられていたのです。
生まれたから、両親と生活の出来なかった私を、我が子以上に大切にしてくれた恩人です。
別れたのは、6歳の頃。
遠隔地に住む母親の元へ私を手放すことになったのです。
見送る祖父の様子は今でも脳裏から離れませんが、それは可哀想なものでした。
その後、病弱になられすっかり憔悴しきってしまった人のことでした。
多分、生きがいを失ったが如く、気力をなくされたのでしょう。
私の成長を誰よりも望み、喜び、期待をしてくれました。
* ****
長くなりましたので、明日に廻しますね。
ごめんなさい。
Posted by misterkei0918 at
10:40
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