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2010年05月29日

知らん振りをしない、見過ごさない・・・その2

知らん振りをしない、見過ごさない・・・その2

昨日だけで終われば良かったのですが、馬齢を重ねるとどうも話の整理を上手につけることさえもたどたどしくなってしまいます。

でも、人生は人との関わりなしでは上手に生きてはいけません。

人生の達人だっていますし、未熟な人も数が知れません。

達人は達人として学ぶことは多いものですし、未熟な方はそれなりに学べるものを多く携えているもの。

そんな事であれば、聞きたくない、読みたくないと言う方もおられることは承知の事です。

1、 当然のことですが、人にお会いする機会を自ら創る。
2、 打算や物欲しさ、取り入ることを目当てにして人に会わないこと。
3、 笑顔を忘れず、飾らない自分である事。
4、 頭(こうべ)を垂れることを忘れない。

5、 姿勢や服装を整え、胸を張らず、相手の目を見て会話を。
6、 多くを語らず、相手の話に耳を傾ける事。

7、 名刺など、自分の足跡を残す心がけを。
8、 挨拶が押しかけ、無理強いにならないように。

9、 高い声、低い声は嫌なもの。ソフトでありたいもの。
10、 初対面は時間を掛けず、お互いに余韻を残すくらいに。

11、出来れば顔と名前を覚える努力を。
12、機会があれば、その人を自分の大事な人に紹介する。


色んな事が考えられますが、最後には、
また、その方に再びお会いする機会があった時が大事です。

人を虫眼鏡で見ること無く、関係を打算で測ってはいけません。
どんな人であれ、自らの人生の指針となったり、モデルとなったり、時には反面教師にだって成り得ます。

「知らん振りをしない、見過ごさない・・・」
先日あったから、それで関係は終りではないのです。
終りにしたいなら別ですが。

『さり気なく、爽やかにお声を掛けてみる。
見過ごすことをしない』

相手の方も、先日会った私が近くにいることを察知されているはずです。

改めて挨拶することが迷惑かもしれないような状況であれば、近くに寄ってそれとなく会釈の一つくらいは大事な所作です。

人の関係を長く続けることは、大変なことですがでも、それは人生において大変な財産ですしその事だけでも心豊かになるものです。

人はその方の姿を拝見するだけでも学ぶものがある事を知ることは大事です。

また、万人と深い人間関係を構築するのは不可能に近いものです。
凡人であれば尚更のこと。

深い関係の方、さり気ない付き合いの方。
色んな付き合い方がありますが、せめて後ろ指を指される様な人間関係にはなりたくないものです。

そんな中で商業的な話しに発展したり、極めて深い人間としての関わりに発展することは大いにある事です。

人の関係が極まると「刎頚(ふんけい)の友、刎頚の交わり」、身近には生涯の親友などとの表現がそれでしょうね。  


Posted by misterkei0918 at 12:13Comments(0)

2010年05月29日

知らん振りをしない、見過ごさない・・・その1

知らん振りをしない、見過ごさない・・・その1

先日の守護霊の話のように、どうも今度も長くなりそうですので、その1と明日のその2に分けるようにしました。

あなたは「色んな方をよく知っているね」とか「どうしてそんなに人を知っているのですか」と訪ねられます。

別に極めて近い関係でいたいとか、より深く知ろうと思っているわけではありません。

私自身が人を引きつける力や魅力、注目されるべき何かを保有しているわけでもありません。

親が著名で、その七光りとか際立った経営や社会活動をしているわけでもありませんし、人を引きつける人徳が備わっているわけでもないのです。

そういう意味では、周りの方々からすると「あいつはどうして、あんなに人を知っているのか」とか「親しい人が多いのは何故なのか」と不思議に思われるのは私自身も納得するところです。

私の友人たちの中には、既に大きくなっている企業や著名や人であった親の後継として、その七光りのお陰もあって多くの人間関係を構築している人も多く存在します。

だからと言って、その方々がどうということではないのです。
それはそれで、それなりの苦労を重ねながらのことですから。

所謂、お聞きになる方々は元来、そんなに多くの人を知る得る立場や環境にも無いはずなのにどうして?ということだと思います。

そこまでは言う事はありませんが。
不思議に思う、訝ると言うことでしょうか。

私個人の事ですから、全ての方に当てはまるとも思っていませんので自分なりの方法を考えてみるといいかも知れませんね。

また、人を知るということはそれだけで、事業が成功への道のりを辿るとか、商売に繋がるとか、何か良い事が起こるとかそのように考えてはいけませんよね。

そういうこともある事は否定をするものではありませんし、その為に人の関係を作る人もいるものです。
それも決して悪いことではありませんし、日常的な商業活動や営業にも大事なことではあります。

ですから、私自身の事として書いていることをご容赦下さい。
  


Posted by misterkei0918 at 12:01Comments(0)

2010年05月29日

『肥えてゆく豚は幸福なのではない』

『肥えてゆく豚は幸福なのではない』

こんな言葉の発見です。


『欲するものがすべて手に入りつつある時は警戒せよ。
肥えてゆく豚は幸福なのではない。Cハリス』


最近のアメリカでの議論です。
清涼飲料水に税金を掛ける話です。

所謂、肥満の傾向が強くなってきたアメリカではこれを防ぐためも対策として打ち出されてきたようです。
自国民の健康の維持と高騰する医療費に対抗するために政策というところでしょうか。
健康であれば、国の活力の向上にも繋がりますし、労働力の確保や失業対策、人口対策にも効を奏することにもなりますしね。

人間が肥えていくことは決して歓迎することではなさそうです。
体重が増えることだけではなく、

お金に恵まれすぎること、
物の豊かさに溺れてしまうこと、

心が傲慢で溢れかえってしまうこと、
などなど。

体がそうであるように政治も国家も経済も余りにも膨れ上がった状態は決して感心したものではありません。

破綻への道筋を歩み始めたようなものです。

健康診断でも、そうです。

振切れる体重計、
血糖値が上がりすぎ、

尿酸値の上昇、
体脂肪率の異常、

コルステロール値、
中性脂肪、

r-GTP、
血圧の高騰、
はち切れそうな腹回り・・・・・

上がって良いものはなさそうです。

『欲するものがすべて手に入りつつある時は警戒せよ。
肥えてゆく豚は幸福なのではない。Cハリス』

幸せの絶頂にある時のことを考えてみると、理解できます。
何となく不安が過ぎったりするものです。

「こんなに幸せでいいのだろうか」などがそうでしょう。

そんな時ほど、油断は禁物。
足元を見つめ直し、心を引き締めることを忘れてはいけないようです。

慢心や満ち足りた思い、若しそこに傲慢さや人間性を失うような言動が見え始めたら坂道を下り始めたと思わないといけません。

下り始めはブレーキも聞きますが、いざスピードが出始めると加速をすることはあってももう止まることはないのです。

肝に命じて、『肥えてゆく豚は幸福なのではない』
  


Posted by misterkei0918 at 00:53Comments(0)

2010年05月29日

自らの縁(えにし)は自らの手で創る

自らの縁(えにし)は自らの手で創る

人の縁ほど築くのが難しくて、損なうのが簡単なものはありません。

また、人生の大半が縁で決定されているのも確かです。


自分ひとりで世の中を生きているような錯覚や傲慢な態度、
人を寄せ付けない行動や態度、

人を見下したような言動、
自己過信や自信過剰に満ちあふれた人間、

人を許すことを知らない人間、
自らの保身にのみ走る傾向の強いひと・・・・・


そんな人は余り好きではありません。
私はそうですが、そうだからこそ好きだと言う方もいるかも知れませんね。

私からはそのように見える人間でも、また見方を変えたり、自分の利得や損益が働くと人の見方は攻守ところを変えて、素晴らしい人に見えたりもするものです。

でも、人は縁に守られてこそ豊かで安寧で幸せな日々を過ごせると思っています。

素晴らしいかけがえの無い縁の多くを抱える人ほど、様々に満ちあふれた人生に恵まれるような気がするのです。

私の周りにも多くの縁に恵まれた人々、
言い換えれば多くの縁の創造に、努力を重ねた人々と言い換えた方が正しいようです。

そんな方々は、決まって私共よりは優れた人生を歩んでいるように見えます。

様々な人生の苦難や葛藤がないというのではありません。

むしろ多くの縁を抱えるがために私共以上にそうであるように思いますし、見ていても確実にそうです。

その深さもどうも私共以上でしょう。

ですが多くの縁を大事にする方々は、そのハードルの高さを怖がること無く毅然として乗り越える姿を見せるのです。

私共のように鋸の波状の様な、小さな苦難で日常を費やすのではなく、大波のような高くて広く深い苦難にも関わらず悠然と乗りこなす術を手に入れているかのようです。

それこそ人の縁の様な気がします。
多くの縁を自らの手で創造し、自らの労力でそれをより深いものとし、絆を強固なものにしているようです。

互いの縁は、より結びつきを強め、お互いに知恵と力を授けあい、縁が縁を呼び合うがごとく関係を広げ人間性を高め合っているように見えます。

縁の大切さやその役割の大きさ、もたらす結果の偉大さに早くから気づき、一点集中的に努力重ねた人こそ、人生における勝利者と言えると思われます。

私も早く気づけば良かったのですが、
今からでも決して遅くはないようです。
  


Posted by misterkei0918 at 00:14Comments(0)