2010年05月01日
親の七光、与えたくとも与えられず!!
親の七光、与えたくとも与えられず!!
昨日のブログ、「所詮、人生は親の七光りのお陰」というタイトルで書きました。
気にはなっていたのです。
このようなコメントを楽天ブログで頂きました。
「親の七光、与えたくとも与えられず
負から~一人で奮闘している子供を
せめて応援する気持ちだけ頑張っています」
ありがたい事です、七光について改めて書く機会を頂きました。
七光りを調べてみましたら、
『正しくは「親の光は七光り」。
三省堂「大辞林第二版」には、この場合「七は大きな数として使う」。
つまり、「多くの・偉大な」という意味での「七」であって具体的に何かを数え上げたわけではない』
七光りのお陰で楽をしたり社会的地位を得たり、棚ぼた的な生涯を送る人もいるものです。
逆に親の七光りが嫌だったり、プレッシャーになって人生の没落者になったりもします。
一般的に若い頃は親の威光や七光りなど邪魔者の何ものでもなかったりします。
過去の私は七光りどころか、逆にマイナス面が多かったようにも感じていましたが人生は実はそんな単純なことではないことがわかってきました。
実はコメントを頂いたようなことで充分だと思うのです。
「親の七光、与えたくとも与えられず、負から~一人で奮闘している子供をせめて応援する気持ちだけ頑張っています」
それなんです。
それで充分なんです。
親は子どものために必死に働きますし頑張ります。
それが子供の為になるかならないかは誰にも分からないことであり、場合によっては親の自己満足かも知れませんし、子供にとって大変な重荷になる事だってあります。
大事なことは親が我が子のために、真摯に頑張ることだと思うのです。
結果はどうでも良いことではないでしょうか、子供の足を引っ張る様では困りますが。
色んな親を見る機会がありましたし、今の社会情勢を見ると親子の情愛は何処に行ったのかと疑念を持つことも多々ありますが、貧しくとも親子睦ましく、微笑ましく過ごす姿は崇高にさえ見えます。
それで充分だと思うのです。
清廉な気持ちを頂きました、有難うございました。
昨日のブログ、「所詮、人生は親の七光りのお陰」というタイトルで書きました。
気にはなっていたのです。
このようなコメントを楽天ブログで頂きました。
「親の七光、与えたくとも与えられず
負から~一人で奮闘している子供を
せめて応援する気持ちだけ頑張っています」
ありがたい事です、七光について改めて書く機会を頂きました。
七光りを調べてみましたら、
『正しくは「親の光は七光り」。
三省堂「大辞林第二版」には、この場合「七は大きな数として使う」。
つまり、「多くの・偉大な」という意味での「七」であって具体的に何かを数え上げたわけではない』
七光りのお陰で楽をしたり社会的地位を得たり、棚ぼた的な生涯を送る人もいるものです。
逆に親の七光りが嫌だったり、プレッシャーになって人生の没落者になったりもします。
一般的に若い頃は親の威光や七光りなど邪魔者の何ものでもなかったりします。
過去の私は七光りどころか、逆にマイナス面が多かったようにも感じていましたが人生は実はそんな単純なことではないことがわかってきました。
実はコメントを頂いたようなことで充分だと思うのです。
「親の七光、与えたくとも与えられず、負から~一人で奮闘している子供をせめて応援する気持ちだけ頑張っています」
それなんです。
それで充分なんです。
親は子どものために必死に働きますし頑張ります。
それが子供の為になるかならないかは誰にも分からないことであり、場合によっては親の自己満足かも知れませんし、子供にとって大変な重荷になる事だってあります。
大事なことは親が我が子のために、真摯に頑張ることだと思うのです。
結果はどうでも良いことではないでしょうか、子供の足を引っ張る様では困りますが。
色んな親を見る機会がありましたし、今の社会情勢を見ると親子の情愛は何処に行ったのかと疑念を持つことも多々ありますが、貧しくとも親子睦ましく、微笑ましく過ごす姿は崇高にさえ見えます。
それで充分だと思うのです。
清廉な気持ちを頂きました、有難うございました。
Posted by misterkei0918 at 08:48│Comments(0)