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2010年03月11日

失敗を恐れず、成功を恐れよ

失敗を恐れず、成功を恐れよ

「失敗は成功の元」、
「失敗に負けてはいけません。それを克服することが成功への道ですよ」と教えて頂きました。

失敗を恐れない不屈の精神は極めて尊いものですが、誰でも持ち得るものではありませんし、失敗の程度によっては極めて重大な結果をもたらすものだってあるものです。

失敗は繰り返すことによって、人によってはマンネリ化し、鈍感になり、当たり前のこととして認識し恐れることを忘れてしまいます。

また、失敗は繰り返すことによって人の気持を萎えさせ、次への勇気を損ない、投げ遣りになり、諦めを教え、立ち直りへの努力さえ忘れさせてしまいます。

逆に成功は、気持ちを高ぶらせ、次への勇気を培います。

また、成功は慢心を引き寄せ、油断を作り、自己過信を呼び寄せ、頭(こうべ)を垂れることを忘れさせ、足元を見る癖を失い、人の絆の大切さを失わせます。

大切なのは失敗を大切にし、成功に陶酔しない事が大事なようです。

成功体験は出来れば、脳裏から追いやって、
むしろ、失敗の経験を恐れずに果敢に挑戦する勇気こそが人を奮い立たせ、より高い人間性を培ってくれそうな気がします。

ですから、成功の話を聞くより、多くの失敗から学ぶ事の方が人生を上手く生きる力を与えてくれそうです。

また、他人に話すときも成功体験よりも失敗をした体験を語ることが聞く人の耳目を集め、多くの情報も集まってくるような気がします。

人は成功は過大に評価し話すものですが、失敗は事実に近く、しかも歪曲は少ないもの。

失敗を決して恐れない気持ちこそが、成功を呼び込む最大の原動力になりそうです。


『諸君は必ず失敗する。ずいぶん失敗する。
成功があるかも知れませぬけれども、成功より失敗が多い。
失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たなければならぬ。
たびたび失敗すると、そこで大切な経験を得る。
この経験によって、もって成功を期さなければならぬのである。大隈重信』


『成功の鍵が何かは知らないが、失敗の鍵は、万人を喜ばせようとすることだ。ビルコスビー(コメディアン)』


『失敗は、天があなたを見捨てたということではなく、「もっと別の良い考えがあるよ」とやさしく教えてくれているのです。』
  


Posted by misterkei0918 at 23:42Comments(1)

2010年03月11日

自分が分かりますか?

自分が分かりますか?

何時まで経っても、幾ら年齢を重ねても掴みどころの無い自分があります。

むしろ他人の方が分かっていたりするものです。

私に接する他人は、私向けの態度や言葉、アプローチの仕方で接してくるものです。

余程で無い限り、全く違う姿や素振り、言葉を発することはないものです。

私に見せる姿は私様であり、私以外の人に見せる姿とは違うものです。

ですから、他人の事は案外と理解も出来ますし、大よそ想像の範囲です。

所が自分は、この人に対する姿や態度、あの人に対する姿や態度を自ら眺めるわけですから時には全く違う様子を見せることがあるものです。

だから、案外自分の事は分かりませんし、分かっているつもりでも本来の自分は何処にあるのかなかなか掴めないものです。

分かっていると言われる人がいるとすれば、
余程穏やかな人間なのか、

人間が出来ていて、万人に平等に接する事が出来るのか、
或いは鈍感で、自分の変化が掴めないのか、

精神的なゆとりが余程無いのか



私などは余程精進がたり無いと見えて、どれが本当の自分なのかをつかみとることが出来ません。

自分の本来はこれなんだと、時には言ってみたいものです。

右に対する自分があるかと思えば、
左に対する自分がいて、

上に対する自分がいると思えば、
下に対する自分がいたりして。

出来れば、終始一貫した自分が確立出来ればいいのでしょうけど。


『自分自身の感情には、気を許すな。新約聖書、聖パウロ「ローマ人への手紙」』


『自分のことより人のことのほうが、はっきり見きわめがつく。
ラテン、テレンティウス「自責」前2世紀』


『他人を知る者は利口で、自分自身を知る者は明敏である。
他人を克服するものは力を持ち、自分自身を克服する者は勇敢である。老子』
  


Posted by misterkei0918 at 23:04Comments(0)

2010年03月09日

徹底した緊縮財政、小さな政府で良かったのでは?

徹底した緊縮財政、小さな政府で良かったのでは?

政権はどの党がとってもいいのですが、ここに来て大判振る舞いが過ぎて大変な事態が起こりそうな気がしてしようがりません。

私ごとき一市民が胸騒ぎをしても所詮仕方の無いことですが、どうも将来に禍根を残しそうな気がして仕方が無いのです。

今まで緊縮財政とか、小さな政府とか、支出を切り詰めるとか言っていた人々がどうもその事を忘れてしまっているような気がするのです。

国民は贅沢をしようなどとは思っていないのです。
安心、安全は暮らしが出来ればいいのです。

さて、安心、安全が保たれているのでしょうか。
却って、不安が助長される時代になってきました。

どこかに国民目線で政治が出来る人間はいないのでしょうか。
本当に国民が何を望み、何をして欲しいと思っているかを見通せる政治家は出てこないのでしょうか。

このままでは、きっと子供達に負担を負わせることは間違いありません。

高福祉の低負担社会の到来です。
行末は私で無くても大よそ想像が出来ます。

本来、今の与党の方々はそんな事は分かっていたはずではなかったのでしょうか。

もう少々の事では、健全な社会への回帰は難しいような気がします。

日本丸は何処へ行こうとしているのでしょうか。

期待をした与党だけに、最近の体たらくは愕然とした思いや胸を締め付けられるような苦しさが伴ないます。

この日本は一度、奈落の底へ落ちてみないと駄目なんでしょうかね。

「その国の政治のレベルは結局は国民のレベルである」と言います。
でも日本国民の素晴らしさは、世界に比類が無いくらいのものです。

政治の世界だけが、救いようの無い事態に陥っているように見えますが。
  


Posted by misterkei0918 at 20:19Comments(0)

2010年03月09日

何となく国債や財政が気になりませんか

何となく国債や財政が気になりませんか

最近のマスコミで国債の事が良く取り上げられています。
先月発売の週刊朝日3月5日号や文藝春秋の3月号。

7日の朝日新聞の朝刊の一面。

テレビが放送を始めると、一般の国民、特に女性たちが俄に気にしだします。
そうなると収拾のつかない事態が起こるかも知れませんね。

特に日本人は、右を向けと言われれば右を向きますし、危ないと言われれば浮き足立ってくる国民性を持っています。

多くの国民が懐を叩いて購入していると思います。
そうでなくても銀行や生命保険会社、郵便局・・・・・等が大量に購入しています。

そう言われれば何となく思い当たるところが出てきます。

国の予算も国債発行の大判振る舞いをしないと回らなくなってきました。

ある大臣が消費税の議論や増税の話を始めないといけないと言い始めました。

今まで口が裂けても言わないであろうと思われた大臣がです。

国の税収が37兆円しか無いのに53兆円の借金。

GDPの約2倍近い国や地方の借金。

バラマキ予算の挙句が増税や国民負担の増加になるのは誰の目にも明らかです。

22年度の予算はやっとかっと組めましたが、果たして23年度の予算はどうなるのでしょうか。

今の、マスコミの情報によって国債が信用を失うような事にでも無ればとんでも無い事態が起こってきます。

今の国債の90数パーセントは国内で消化しているのです。

今になって国が日本の国債を海外へPRを始めたようですが、何か不吉な予感を感じないでもありません。

危ない!!危ない!!

そうでなくてもそろそろ備えが必要な気がしませんか。

ハイパーインフレとか、デノミとか、大増税時代の到来とか・・・・・

きな臭い匂いが漂ってきました。
只の胸騒ぎや取り越し苦労であればいいのですが。
  


Posted by misterkei0918 at 19:56Comments(0)

2010年03月08日

汗を感じる季節に

汗を感じる季節に

いい季節になってきました。
人の体も自然の一部ですから、春の息吹と共に躍動を始めるものです。

自然界の花々は一斉に芽を吹き、その多くが花をつけてくれます。
野山の木々も青々とした若い葉を出し、風景の色を見違えるほど変えてしまいます。

動物たちは、リズムが新たに刻まれるようでその行動や仕草に大きな変化が見られます。

私ども人間とて同じです。
体のリズムが動き始めるとともに、心まで浮き立ってきますし、まさしく目覚める様な印象です。

或いは心と体のバランスが崩れるときでもありますし、人によっては収拾がつかない事態に陥ったりもします。

私に取っては、素晴らしい季節を迎えることになります。
ダイエット、健康維持の為に始めたウォーキングはもう3年ほどになるでしょうか。
落ちた体重は10キロを越えました。

冬のウォーキングはせいぜい体が暖まる程度ですが、そんなに汗をかく事はありません。

ですが、今からは確実に汗の吹き出る季節です。
折角ウォーキングするなら、背中や首筋を汗が滴り落ちる程が気持いいものです。

以前なら、汗をかく事は何となく嫌なことで出来れば避けたかったことですが、ウォーキングが習慣化した今では汗ナシは嫌になってしまいます。

冬でも汗にまみれる程歩きたいのですが、過ぎては却って健康を害することになってしまいます。

かと言って、室内でやれば良いと思いそうですが私の思いは折角運動するならお天道さんの下で景色を眺め、風に吹かれ、鳥の声や自然の息吹の中でやりたいと思っています。

季節の移ろいを肌を持って感じながら。

それにしても良い季節の到来です。
  


Posted by misterkei0918 at 18:17Comments(0)

2010年03月07日

もう春の様相です

もう春の様相です

今日の福岡地方は幾らか肌寒い気候になりました。

ここ数日は暖かい日々が続いたのですが。

福岡市美術館で開催されている「トリノ エジプト展」を見てきました。
以前から開催されていることは分かっていたのですが、今日が最終日で危ないところ見落とすことでした。

ツタンカーメンやミイラなど、興味深い展示でしたので大勢の方々が拝観に来ていました。
特に子供達が多かったのは嬉しいことです。

またついでに先程、福岡市中央区の護国神社前で開催されている「植木市」に行ってきました。

もう春です。

花を咲かせる樹木も、殆んどが花を付けていましたし一面が春の風情です。

こぶしやみずき、桜や椿、沈丁花・・・・・

幾らか肌寒い気温がなければ全てが春を思わせる様相です。

何かつい、ウキウキしてしまいます。

政治も経済もパッとしませんが、せめて国民感情だけは明るく笑顔を忘れないで過ごしたいものです。

明日の自分は今日の自分が造るもの。


『春を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、…… 松下幸之助』
  


Posted by misterkei0918 at 18:16Comments(0)

2010年03月06日

啓蟄(けいちつ)の季節

啓蟄(けいちつ)の季節

難しい言葉ですね。
それを小学校の校長先生等の入学式の言葉に良く出てきました。


子供達はきょとんとしていますよね。
分からないのが当たり前です。

入学式に出ている親たちも多分殆んど分かっていないのではないでしょうか。
来賓の方々の一部が理解されているくらいではないでしょうか。

私も初めて聞いたときには「何事?」と思い辞書を引いたくらいですから。

或いは「知らないのはお前だけだよ」ってお叱りを乞いそうですが。

啓蟄の啓は謹啓、拝啓など手紙で良く使います。
「手で戸を開く、口を開いてものを言う」の意味。

啓蟄の蟄は「とじこもる、かくれる、冬ごもりをしている虫の意味」

冬眠から覚めて土中の虫たちが、暖かい陽気に誘われて表に出てくることですよね。

もうそんな季節になったんです。
春を感じる季節ですよね。

花の便りがあちこちから聞こえるようになってきました。
気持ちまでが浮き立ってきます。

二四節気の一つです。
並べてみます。

小寒・大寒・立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至
小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至

昔の方々は、多分このような形で季節の移ろいを感じていたのでしょうね。
やはり、メリハリも大切ですし、その時その時で自然と触れ合いながら季節感を体で感じることは大切な事のようです。

それが体の健康にも繋がりますし、心の豊かさや柔軟さも生まれてくるように思います。
  


Posted by misterkei0918 at 14:33Comments(0)

2010年03月05日

あなたはいつ涙を流しましたか?

あなたはいつ涙を流しましたか?

先日も男の涙の事を記載しました。

涙を流す男は弱いとか、
男達ら(おとこだてら)に涙を流すな、
男の癖に涙を見せるなとか言われて育ちました。

滅多に涙を見せるものではないという意見には充分に納得もしますし、そうでないとこんな厳しい時代に家族を導いたり、企業を発展的に向上させることは出来ません。

ですが、男でも涙の一つや二つは流したい時もあるものです。

また、涙は感極まって出ることもあります。
目が潤む程度の涙目も時には人に見せてしまうこともあるものです。

涙の効能は小さい頃を思い出せば、充分にわかるもの。

辛い気持ちが吹っ切れることもありますし、
涙の対象や原因を許すこともできます。

時には嗚咽を漏らすことがないわけでもありませんし、極まったときにはそんな事も許されていいのでは無いでしょうか。

涙の原因にもよりますが、交差点の赤信号の間にほろっとする涙も時にはあるものです。

人知れず流す涙も可愛く、美しく、大事なものです。

男は女性の涙には弱いもの。
つい、絆(ほだ)されてしまいます。
そんな経験をされた男性は殊の外多いものです。



昨夜のNHK5日午前0:10からドキュメンタリー番組をご覧になりましたか・
「熱き青春のライセンス」・・・あなたはいつ涙を流しましたか?・・・

若い方々が、共通経験をする中で厳しい局面に立ちながらも目的を完遂する20分の番組でした。
涙にくれることも時によっては大事であることを教えてくれます。

涙は人の流す涙の理由を教えてくれます。
人の思いを理解しようとする心を養ってくれるものです。


『涙は苦痛の聖なる権利だ。グリルパルツァー』


『母親の涙には、化学で分析できない深く尊い愛情がこもっている。ファラデー』


『気持ちが萎え、ときには涙することもあった、だが、涙を恥じることはない。
この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。フランクル』
  


Posted by misterkei0918 at 14:51Comments(1)

2010年03月04日

早すぎる変化に何か不吉な予感が!!

早すぎる変化に何か不吉な予感が!!

世の中の動きが余りにも早すぎるような気がしませんか。

日本の衰退ぶりもそうです。
中国やインドの急激な成長も驚きです。

日本の政治も急激は変化をしました。
あれほど記録的な長さを記録した好景気も瞬く間に落ち込み、回復の兆しすら見えません。

貧富の差、格差の激しい時代の到来も予想以上です。

日本の財政破綻のニュースが飛び交います。
国債暴落の話が笑い事ではなくなってきました。

怖いのは中国の急激な速さで進む軍事力の増強も何かしら恐ろしいものを感じます。

世界の経済の牽引役となりつつある中国がバブル崩壊とならないように祈るばかりです。
そうなったときには目を覆うばかりの惨状になるような気がするのです。

先日のギリシャの経済危機、再びアイスランド破綻の噂さえ出てきました。
東欧諸国の問題、ユーロの先行き・・・・・

片方では冬季オリンピックと大騒ぎをしながら、片方では地域紛争が一向に止む気配はなく却って拡大の兆しさえ。

地球温暖化の問題もここに来て、顕在化が激しくなってきました。
今年もさくらの開花予想を聞かれましたか。

日本で1番早く開花するのが16日、しかも福岡です。
本来、さくらは南から徐々に北上するのが常識でした。

IT、デジタル化の進展は心配しなくてもいいのでしょうか。
社会生活がより便利になることが人類に取って幸せをもたらす事になるのでしょうか。

インターネットが始まってまだ10年前後。
こんなに急速に変化していいのでしょうかね。

そんなことを常に念頭に置きながら、世の中を見つめていくことにしないとどこかで踏み誤ってしまいそうな気がします。
  


Posted by misterkei0918 at 22:24Comments(0)

2010年03月04日

月の灯りを頼りに

月の灯りを頼りに

昔は蛍雪之功という言葉を良く耳にしました。
確か、蛍雪・・・という雑誌もあったように記憶しています。

蛍を集めてその明かりで勉学に勤しんだり、雪を集めてその灯りで机に向かったりしたという中国の故事です。

今のように電気があるわけでもなく、かと言って油やロウソクを使う習慣やお金もなかったでしょうから、勉学の好きな人や研究熱心な人々はそれなりに工夫をして、頑張ったという例えでしょう。

また、窓辺に差し込む月明かりを頼りに本を読んだりもしたもの。

夜道も月の輝きで暗く感じない夜もあったものです。
ロマンチックな幻想的な世界が身近にあったものです。

環境が全く変化してしまいました。

月の光さえも満足に見えない、ましてや都会では星の数も数えるくらいしか観ることは出来ません。

また、最近は多忙を極め夜空を見上げたり、星の数を数えたりなどの行動もしなくなってしまいました。

本来なら、特に日本人なら月や星の動きにさえ感動を覚え、明日の天気を読んだり、月に遊ぶ兎の姿に心を打たれたりしていたものです。

幼い心を失ったわけでもありませんが、日本人がこよなく心を寄せてきた月と月明かりに再び心を寄せてみたいものです。

強大なもの、自ら光りを放つものにのみ興味を持つのではなく、燻銀(いぶしぎん)のように奥深い底に心惹きつける力を秘めているものにこそより親しみを持ちたいものです。


『月は自分の光で輝いているのではない……と知ったとき、私は大変嬉しかった。ゴーリキー』


『月を取りに行け、たとえ取り損ねても、そこから星を目指すことができる。フランクリンルーズベルト』


『人間というものは、不運になると、己が招いた災いだというのに、それを太陽や月や星のせいにしがちだ。シェークスピア』


『出ずる月を待つべし、散る花を追うことなかれ。中根東里』
  


Posted by misterkei0918 at 21:55Comments(0)

2010年03月04日

開花予想が16日?

開花予想が16日?

梅の季節を迎えたと思った途端に桜です。

昔は(そう遠くない昔ですが)、梅の時期を過ぎて幾らかのゆとりがあって桜の季節になったものです。

梅や蝋梅(ろうばい)の香りに包まれたのはつい昨日です。
満開の梅の香りは何となく落ち着いて、心休まります。

だから、昔の人々は梅を好んだのでしょうね。
「そめいよしの」がまだ一部の花であったのでしょうし、日本の古来では花といえば桜の事であったようです。

寒い寒い凍えるような冬の最中に「もうすぐ訪れる春の使者としての梅」が重宝されたのも理解できます。

また、香りはなんとも言い難いものです。

小学校の入学式には、申し合わせたように桜の花びらが舞い降りたものです。
それもつい、20年前くらいまではそうでした。

それにしても早いですね。

福岡地方は日本で一番早い開花予想です。
どういう事でしょうかね。最近はいつもそうです。

地理的には宮崎とか鹿児島が早そうなものですが。
福岡は本来、日本海側ですから気候的には九州でも寒い方だと思うのです。

これは私の勝手な憶測ですが、
人口の密集度、ビルの林立がそうさせているのではないでしょうか。

その分、都市としての温度が上昇している?
クルマやビルの影響かも。

ですから最近は花見の季節を前倒し、前倒しで予定を組む始末です。

季節の移ろいを味わうのは嬉しいことですが、何となく不安な気持ちが湧いてくるのも私だけではないでしょう。
  


Posted by misterkei0918 at 09:01Comments(0)

2010年03月02日

どうも自分の今は、過去の私が造って来たような気がする

どうも自分の今は、過去の私が造って来たような気がする

「もの事はできるだけ前向きに考えなさい」、
「ポジティブシンキング」等と言います。

最近、「ザ・シークレット」という本を読みました。
その中にもそんな事が書かれています。

未来の自分は自分が引き寄せたもの。
今の自分の考えや意識が将来の自分を造ると。

振り返ってみてもそんな事が確実に言えます。

暗い時代がありました。
絶望的で悲観的で、退廃的。

消極的で自己否定的、及び腰。
人に会うことが嫌で、逃げ腰。

人は変わるものです。
あることから、ある時期から180度変わってしまいました。

昨年の一字は「変」。
世の中が構造的に変わっていくが如く、個人も構造的に、根底から変わることが出来るのです。

それには変わろうとする努力が必要です。
継続的な努力、辛いことにも耐える忍耐力、「変わる」に付き纏う怖さや羞恥心、そこに求められる行動と精神力が要求されます。

変わる事に希望を託し、変わる楽しみを見出さないといけません。
やはり前向きな思いや行動でしょうか。

人には時々、或いは常時壁が立ちふさがります。

それを突き破ることに勇気と行動が要求されますが、壁の向こうに存在する自分の未来を垣間見ようとする努力が至る所で試されるものです。

そのような積み重ねが今の自分を作っているようです。


『失敗や否定といった消極的確信を持つことをやめなさい。
持つなら成功、幸福といった積極的確信にしなさい。
この表面上のちょっとした差が、長い年月にかかると人の境遇において天地の開きがでてきます。マーフィー』
  


Posted by misterkei0918 at 00:17Comments(0)

2010年03月01日

自分が幸福でないといけません

自分が幸福でないといけません

幸福とはなんでしょうか。
贅沢に出来る状態の事でもありませんよね。

人よりも財産やお金があることでもありません。
沢山の人に好かれることでも、友達が多い事でも無いでしょう。

家族や親族が多い事でも、
恋人がいることでも、

奥様がいることでもありません。
健康であることが幸福でもないでしょう。

商売が上手く行っていることでも、
お金が沢山儲かっていることでもありません。

幸福の手助けになることは多いものです。

「心が満ち足りた状態で穏やか、安らいだ状態」の事でしょうか。

人によって感じ方や定義仕方が異なりますし、上記のようなことで充分に自分は幸せと感じる人も多いものです。

外目でその人の幸せを図ることはできませんし、幸せそうに見えても実は不幸な人は結構いるものです。

逆に不幸そうに見えても、ご本人は結構幸せに浸っていることも多いもの。

人に施しをする時は、自分は少なくとも幸せでないといけませんよね。
良くあることですが、自分の生活の明日も分からないのに人への施しに一生懸命な人。

崇高な姿に見えますが、人を幸せへと導こうと思っている人は自分の立場や基本的な生活の基盤はしっかり確立をしておかないといけません。

心のゆとりの無い人から、施しを受けても心のゆとりのある行動には結びつきませんし、困った結果を引き起こしたりもするものです。

私の友人でこんな人がいました。
会社の経営者でした。

ボランティア活動を始めたのはいいのですが、余りにも熱心すぎて自分の会社や家庭を顧みることを忘れてしまいました。

結局は会社は倒産、家庭は離婚の上、離散。

これこそ本末転倒の極みです。


自分の事は顧みないことは、何となく清貧で素晴らしいことに見えますがつい自分自身も坩堝へ引き込まれることがあるものです。


『自分が幸福な気持ちでいなと人を幸福にすることはできません。マーフィー』
  


Posted by misterkei0918 at 18:55Comments(0)