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2010年03月31日

衆目にさらされる経験

衆目にさらされる経験

人は誰しも人前で醜態を見せたり、恥ずかしめにあうのは嫌なものです。

でも、人生の至る所で人前に出たり、或いは人前で話さなくてはいけない場面、大勢の人と接する時が出てくるものです。

そういう意味では昔のように大家族だった方が良かったかも知れませんね。

何かあると一族郎党が寄りあって、語り合い、お祝いをし、お祭りをしお互いの力を持ち寄って普請(ふしん)を行い、農作業や様々な活動、行動を共にしたものです。

そこでは目上の人から様々な知恵を授けられ、道徳を教わり、言葉使いや礼儀、行動規範をそれとなく学んだものです。

当然、大勢の中で厳しい叱声もあり、怒られることもしばしばです。

そのようにして集団の中での自分のあり方を確立し、衆目にもさらされたもの。

恥ずかしい思いも経験し、大勢の前で自分の意見を述べる事も幾度となく練習を重ね、意思伝達の方法も誰教わるとも無く教わっていくものでした。

また集団の中では、我儘も抑えることを余儀無くされますし勝手気ままも許されないものです。

私は一人っ子ですが、今思うと兄弟は数人いた方が良かったと思うようになりました。
親の愛情を一手に受けることは決してよくありません。

今の中国で行われた一人っ子政策が色んな歪や社会問題化していることを思えば、やはり兄弟親戚は多い方が人間の成長にはいい結果をもたらすようです。

それでないと私のような歪(いびつ)な人間が出来上がってしまいますし、その精か、いつも自問自答の日々です。

自分の言動に自信がないのでしょうね。

「それでいいのか」と。

小さい頃から衆目にさらされることは極めて貴重な経験であることが今頃になって理解できてきました。

私のような人間は、自ら飛び込んでその様な経験を積んだ方が良さそうです。
  


Posted by misterkei0918 at 22:58Comments(0)

2010年03月31日

今、政治が面白い。勉強のチャンス!!

今、政治が面白い。勉強のチャンス!!

政治が面白いなどと言うと顰蹙を買いそうです。

今の政治は身近な生活に直結していますので、関心をもつのは当然ですし、マスコミも頻繁に取り上げますので身近なものになってきました。

昔の代議士先生は雲上の人で接点などありませんし、ましてや言葉を交わすなどありえないことでした。

日常的に登場する先生方を見ていると、つい身近な人、いつでも会える人、言葉の交わせる人に人になってきました。

総理大臣にしてもそうです。
天上の人でした。

昔は成れない人と分かっていても「大きくなったら総理大臣になる」等と言ったりしたもの。

重みがなくなったというか、距離感も近くなり、日常的に見ていると若しかすると自分にもあのくらいのことは出来そうだと思ってしまいます。

政権が変わって以来、また距離が縮まったようです。
言うことが二転三転しますし、素人政治のような気がしないでもありません。

興味の殆どが若しかするとまた以前と違うことを言うのではないかと訝う始末。

政治公約といえば、政党と選挙民、とりわけ投票してくれた人との厳然とした約束の筈なのに、マニュフェストと言い換えた途端に選挙のためなら「何でもあり」状態になってしまいました。

野党時代には徹底して非難中傷してきた政治資金の問題も以前よりもひどい状態になってきましたしロッキード事件で象徴的だった「自分は知らぬ存ぜぬ」の一点張りとなってしまいました。

地方選出の代議士の資金問題は表面化していないことが山積しているようです。

外交も変ですし、沖縄の方々には気の毒ですが基地問題も何となく可笑しく滑稽にも見えます。

社会保険も郵貯問題も・・・・・
子ども手当も、高校無料も方向性は理解できますが、もっと他の方法や予算措置を考えるのが先だったのではないでしょうか。

家計の収入と支出のバランス(そう難しいことではないと思いますが)に置き換えて考えても簡単な論理に思えますが。

大きな期待をして投票したことが、今となっては悔やまれて仕方ありません。
騙されたって感じです。

でも、考えてみたら分かりやすい(皮肉です)政治になってきましたので勉強の最大のチャンスです。
今を逃しては勉強の機会は来ないような気がしますので大いに利用しましょう。

本当はそんなのんびりしたことではいけませんね。
  


Posted by misterkei0918 at 16:59Comments(0)

2010年03月31日

幸せには限度がある

幸せには限度がある

ゲゲゲの鬼太郎 水木しげるさんがテレビで語っておられました。
ユニークな方です。

「金持ちになったら幸せになるかと思った。
所が金持ちになっても幸せは2倍にも3倍にもならない」

「死んだらどうなるかというと・・・無でしょう」
「無は怖い、死ねば別世界があるかも知れないが生きてる人間が考える死は無であり怖い」

私どもも金持ちになると幸せになると思っていますが、その幾分かは事実ですよね。
だから躍起になって頑張っています。

所が、その内また幸せを感じなくなってしまいます。
当たり前になるか、これ以上に欲深くなるか。

或いは金持ちになったが故の苦労に悩まされ始めるのです。

人間の欲望は際限がありません。
ぬるま湯に浸かった蛙のように、実は足元から大変な自体が迫っているにも関わらず気づかないのです。

様々な手練手管を使って金持ちになる努力を重ねますが、所詮行ったり来たりの繰り返しです。

極端な場合は一歩進んで二歩下がる状態で、前に進んでいるつもりが実は飛んでもない事態に捕まっていたり、気持ちまでも荒んでいたりするものです。

ですから余り欲張らないで、人並みか或いは良くて少しだけ幸せくらいが良さそうです。



『幸せとは、与えられているものを感謝するところから始まります。
何かが足りないのではありません。
気がつかないのです。
幸せはいつも目の前に、感動はいつも足下に置かれています。
まずは、与えられているものを数えてみましょう』


『行動はいつも幸せをもたらすものではないが、行動なくしては幸せはない。ディスレーリ』
  


Posted by misterkei0918 at 15:33Comments(1)