2010年03月20日
悲喜こもごもの桜、愛別離苦の季節
悲喜こもごもの桜、愛別離苦の季節
最近は桜の季節も早くなってしまいました。
20年前くらいの記憶では、小さい子供達が入学式で始めて小学校の正門をくぐる時、はらはらと落ちる桜の花びらを見たものでした。
今では3月の中旬に開花宣言、25日前後には満開になってしまいます。
私どもが毎年行う約400名位の参加者の花見も数十年も前から4月の5、6日だったんです。
それでもまだ肌寒くて、ドラム缶に火を入れて震えながら花見をした記憶が鮮明に残っています。
その大人数の花見も今年は3月30日に変更を致しました。
桜は私どもに様々な思いを巡らしてくれます。
楽しい思い出もそうですが、人生は愛別離苦。
桜の季節は新しい人に巡り合う季節でもありますが、
苦しい別れを経験する季節でもあります。
大切なのは、その別れをどのような経験として捉えるかで人生が動いたりもするものです。
また、人生の先々を決定づけたりもするもの。
悲しみや苦しみはその傍らに幸せが潜んでいるものです。
悲しみや苦しみはその乗り越え方が明日の自分の土台を形作っていると思われるのです。
人は誰しも一つ一つの悲しみや苦しみを乗り越えながら、幸せづくりを勤しんでいるものです。
他人は幸せそうに見えるもの。
あなたの傍の恋人も極めて幸せそうに見えるはずです。
でもそうではありません。
想像を超える悶々とした思いや嫉妬、猜疑心、将来への不安、時として眠れない夜、心を繋ぎ止めるための悲しいくらいの苦しみを背負っているものです。
人は生病老死の四苦を背負っているとも言います。
また、愛別離苦を経験しない日々はないものです。
逆にあるから人生は意義深く、喜びも不快にかも知れませんよ。
松田聖子さんの「制服」の歌詞の中に
「桜が枝に咲く頃は 違う世界で ひとりぼっち ひとりぼっち 生きてる」
「失うとき初めて まぶしかったときを知るの」
を発見しました。
今は卒業式のシーズン。
企業では異動、転勤のシーズンでもあります。
伴なう悲しみや苦しみを感じる自分の傍らで、あと一人の自分が見つめているかも知れません。
「どのような対処の仕方をするか」を。
『明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは。親鸞』
『時にあわば散るもめでたし桜花(さくらばな)
めずるは花のさかりのみかは。幕末の兵学者 佐久間象山』
最近は桜の季節も早くなってしまいました。
20年前くらいの記憶では、小さい子供達が入学式で始めて小学校の正門をくぐる時、はらはらと落ちる桜の花びらを見たものでした。
今では3月の中旬に開花宣言、25日前後には満開になってしまいます。
私どもが毎年行う約400名位の参加者の花見も数十年も前から4月の5、6日だったんです。
それでもまだ肌寒くて、ドラム缶に火を入れて震えながら花見をした記憶が鮮明に残っています。
その大人数の花見も今年は3月30日に変更を致しました。
桜は私どもに様々な思いを巡らしてくれます。
楽しい思い出もそうですが、人生は愛別離苦。
桜の季節は新しい人に巡り合う季節でもありますが、
苦しい別れを経験する季節でもあります。
大切なのは、その別れをどのような経験として捉えるかで人生が動いたりもするものです。
また、人生の先々を決定づけたりもするもの。
悲しみや苦しみはその傍らに幸せが潜んでいるものです。
悲しみや苦しみはその乗り越え方が明日の自分の土台を形作っていると思われるのです。
人は誰しも一つ一つの悲しみや苦しみを乗り越えながら、幸せづくりを勤しんでいるものです。
他人は幸せそうに見えるもの。
あなたの傍の恋人も極めて幸せそうに見えるはずです。
でもそうではありません。
想像を超える悶々とした思いや嫉妬、猜疑心、将来への不安、時として眠れない夜、心を繋ぎ止めるための悲しいくらいの苦しみを背負っているものです。
人は生病老死の四苦を背負っているとも言います。
また、愛別離苦を経験しない日々はないものです。
逆にあるから人生は意義深く、喜びも不快にかも知れませんよ。
松田聖子さんの「制服」の歌詞の中に
「桜が枝に咲く頃は 違う世界で ひとりぼっち ひとりぼっち 生きてる」
「失うとき初めて まぶしかったときを知るの」
を発見しました。
今は卒業式のシーズン。
企業では異動、転勤のシーズンでもあります。
伴なう悲しみや苦しみを感じる自分の傍らで、あと一人の自分が見つめているかも知れません。
「どのような対処の仕方をするか」を。
『明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは。親鸞』
『時にあわば散るもめでたし桜花(さくらばな)
めずるは花のさかりのみかは。幕末の兵学者 佐久間象山』
Posted by misterkei0918 at
18:25
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