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2010年01月13日

寒い冬に耐えてこそ

寒い冬に耐えてこそ

昨日から寒い福岡になりました。
今朝は起きてまもなくガラス戸の外を眺めると真っ白の雪が近くの屋根に降り積もっています。

昔は雪景色は当たり前の風景でしたが、最近では滅多に積もる景色を見ることは少なくなりました。

昨年の2月は、積もる雪が見たくて、久住の山並みまで車で出かけたものです。
懐かしく霜柱を踏みつけながら、サクサクの音を思い起こしたりもしたものです。

地球は温暖化と叫ばれながら、この冬は世界的な規模で冷たい冬になってしまいました。

久しぶりに雪に悩まされる日々になったものと思われます。

世の中は冷え切った経済状態。
多くの人々が職を失い、多くの企業が倒産の憂き目を経験いたしました。

非情、非常な事態はいつまで続くかは予想だにつきません。

しかも誰もこの事態を切り抜ける神業を持っているわけでもなさそうです。

でも、寒い冬の後には必ず暖かい春が待ち受けています。
厳しい寒い冬であればこそ、穏やかで心休まる春を期待するものです。

凍えるほどの冬が、満開の桜を育み、溢れんばかりの木々や花華を美しく輝かせてくれます。

じっと耐えながら、満を持して来る春に備える必要が有りそうです。

偶然は備えた人に巡ってくるとも言います。

幸運の女神の前髪を掴むことが出来る人間になるために、辛抱や努力は人間に与えられた武器でも有り、チャンスでも有ります。

寒い冬もまた、楽し。
苦難も乗り越える楽しみがそこにあると言うものです。

勇気を持って、知恵をもって、逞しく生きることの喜びを来る春が教えてくれそうです。
  


Posted by misterkei0918 at 14:47Comments(0)

2010年01月12日

結婚したまえ、君は後悔するだろう?

結婚したまえ、君は後悔するだろう?

結婚の事を考えると、迷いや決断、疑いやもどかしさ、やるせなさや不甲斐なさ、夢や希望、不安・・・・・様々な思いが交錯します。

結婚を決断し、プロポーズを試みますが、それが吉と出るのか、凶と出るのか、言う本人、受ける相手にとっても難しい判断を伴います。

結婚はしてみなければ、その正体は掴めないところが有ります。

『結婚は海図の無い航海』とも言います。
海図の無い航海はコロンブスでは有りませんが、素晴らしいものを発見する反面、とんでも無い事態や苦難に遭遇するものです。

私の知人の女性の話です。結構美人です。
「幸せにする、幸せにする」と何度も何度もプロポーズされ、恋愛時代には過ぎるほどにそれはそれは大事にしてくれた様でした。

所が結婚を境に、人が変わったと言います。
一度も外に連れて行ってもくれないし、子供の面倒も見てくれない。

結局は相手の浮気の果てに離婚をしてしまいました。

こんな言葉を見つけました。


『結婚したまえ、君は後悔するだろう。
結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。キルケゴール』


後悔とはのちのちになって、悔いる事。
結婚しなければ良かったと反省や自問、戒めや相手への責めに心を痛める事です。


所が結婚は先の見えない航海でも有りますが、喜びの絶頂を経験させたり、動物として最大の希望である子供の誕生や男と女が心を寄せ合う事の素晴らしさを体感するものです。

むしろその方が比重が重いと言っても過言ではないでしょう。

結婚はしてみなければ分からない、手探りの世界であることも事実です。

考えようによってはそれだからこそ人間らしいとも言えますし、未知のものに対する努力の尊さや人としてのお互いの高め合いが様々なハーモニーを奏でてくれます。

また、後悔しないと言えば嘘にもなりますし、想像を越える局面が訪れるものです。

それを一人ではなく二人、数人で乗り越えるところに結婚の面白みが出てくる様にも思えます。

結婚相手とのこと、子供や取り巻く家族、社会との関わりの広がりが人間としての深みや高まり、人の幸せを願う機会を増やしてもくれます。

ですから、出来れば結婚の機会を持ち、自分の可能性の領域をも未知の世界に求めて欲しいものです。
  


Posted by misterkei0918 at 19:52Comments(0)

2010年01月09日

結果を目標に置いてみたら

結果を目標に置いてみたら

色んな事を続ける事は「結果ではなく、途中のプロセスが大事なんだよ」等と良く諭されました。

特に私のような凡人、取り柄の無い人間、
結果を出す能力に乏しい人間に取っては何よりの励ましになったものです。

「そうなんだ、結果が出なくても頑張れば評価して貰えるんだ」
「結果重視ではなく、どれだけ努力をしたかなんだ」


プロセスが大事なのは当たり前。
プロセスが色んな曲折を産み、それこそが人生の礎(いしずえ)となって力を与えてくれます。

努力の最中は、一心不乱。
集中の大切さを学びます。
汗を流すこと、喜怒哀楽を経験することが人間としての深みを作ってくれます。

でも、結果は欲しいものです。
出来れば、プロセスを無駄にすることなく、挫折も経験しながら充分に努力もし、結果に到達したいものです。

考えてみたら、
例えば、体重を10キロ減量したい人がいます。(実は私がそうだったのですが)
毎日、一時間歩くように計画しました。

本当に目標は10キロダイエットすることなのにそれを時には見失って、毎日一時間が目標になる事が有ります。

寒い雪の日になってしまいました。
どうしても一時間歩く気になりません。今日はやめてしまいました。

人は一度やめてしまうと、気持ちは緩んでしまいます。
土砂降りになりました。簡単に止める決断をします。

「お父さん、今日はもう止めておいてはどうですか」、咄嗟に待っていたとばかりにやめてしまいます。


天気は快晴です。
もう止める決断をするのに時間は要りません、今日もきついから止めた!!

目標はそうではなかった筈なんです。
10キロ減量でした。

毎日、歩くことではなかったのにそれが目標化してしまった為に簡単なことで途中早々と挫折の坩堝に自分を追い込んでしまいました。

厳しい日には休んでも良い筈なんです。
結果がでれば良いのですから。
10キロ減量に成功すれば良いのです。

プロでは有りませんから、上手な表現は出来ませんが、大よそこんな事ではないでしょうか。
家庭でも、自分のことでも、そして会社や社会でも。

それと挫折を繰り返さないために、無理難題、自分の力、能力を過大に評価する目標は悲しい運命が待ち受けているものです。

まずは少し努力すれば手の届くこと、或いは能力の範疇、他人の目や評価に気にするようでは先が見えてきます。

少しづつ、すこしづつレベルを上げていくことが大事をなすコツの様です。
その為には焦らずに、足元を見つめることから。
  


Posted by misterkei0918 at 09:40Comments(0)

2010年01月09日

三日坊主にならない為に

三日坊主にならない為に

毎年、新年を迎えると新しい目標を立てます。
今年は本を何冊読むとか、体重を何キロ落とすとか、○○をマスターするとか、△△を全て出席し皆勤スルとか・・・・・

或いは今年は結婚まで漕ぎ着けるとか、子供を授かりたいとか・・・・・

結婚をすると、いつ頃には子供が何人で、車をいつ頃買って、何歳で家を作る・・・などの計画を朧気(おぼろげ)ながらも描きます。

企業では新年度が始まると、売上目標や利益、企業規模を計画し想定します。

なかなか上手くいかない事の方が多いのですが、何の目標も希望も持たないままに時を過ごすよりは達成感や自分への評価、今後への展開も異なることがあります。

私も思いつきは良い方なのですが、続かない事が多いタイプだと思っていました。

ですがいつの間にか、周りと比較しても色んな事を継続的に実践するようになってきました。

それは、

1、 やろうとすることが社会的にも重要なことだと思うこと。(重要なことを実践すること)

2、 世のため人の為に大切な事だと信じること。

3、 これは自分の人間性向上への大きな力になると確信すること。

4、 企業の業績の為に有用に働くと信じること。

5、 家族の幸せに必ず繋がると思うこと。

6、 出来れば公言すること。(法螺吹きと言われないように)

7、惰性でやらないで、常に評価を繰り返すこと。(楽しく、確実に階段を登るように積み重なる実績を自信を持って正しく評価し、自分を褒めてあげる)

7、 続けようとすることを好きと思うこと。


人によっては、そんな事をいちいち思わなくても継続する人がいるのでしょうが、私の場合は違うようです。

或いは無意識にこんな事を実践している人が三日坊主では無いのかもしれません。

これでもか、これでもかと続ける内に不思議なものです。

続けることに快感を感じたり、思いも寄らない副産物を手にしたり、小躍りしたくなるような気分や周りからの評価や期待も高まってくるものです。
  


Posted by misterkei0918 at 08:53Comments(0)

2010年01月07日

男は泣け!!

男は泣け!!

小さい頃には「男が泣くな」
「男のくせにめそめそする奴があるか」
「男は涙を見せるものじゃない」


などなどプレッシャーをかけられたものです。

それを言われることが片方では男の子には心地良かったり、一端(いっぱし)の男として認められたのかと感じたものです。

また男として生きることの誇りにも通じたりしたのです。

今朝のあるカリスマ税理士の方のメルマガを拝見していましたら、「感動して泣ける仕事がしたい」との記事が書かれていました。

つい涙すること、泣くことに男を否定するかのごとき解釈を持っていた私としては、つい「そうなんだ」と納得をしてしまいました。

たとえ涙することがあっても決して人前ではいけないとか、隠れて涙するものだと心に決めていたのですが。

考えてみたら、男らしい涙があってもいいですし、それはまた誇らしいものでもあるような気がします。

全力投球した結果が思わしくない、
知力の限りを尽くしても思った成果が上がらない、
限界を越えたギリギリの勝負が実らない、
愛別離苦・・・・・

或いは、逆に
全力投球した結果が期待した異常に良かった、
知力の限りを尽くした成果が素晴らしかった、
限界を越えたギリギリの勝負が身を結んだ
想像を越えた一期一会・・・・・

せめてこんな時は人目をはばからずに涙してもいいのでは無いでしょうか。

私も何度か人前で(他人ではないですよ)涙したことが有ります。

企業経営でもそうですが、全力で頑張った暁には結果の善し悪しに関わらず、溢れる涙を覆い隠す必要は無いと思われます。

社員の前で大泣きというわけにはいきませんが。
むしろ、時と場所を選んで。

家族関係でもそうですよね。
力の限りを尽くした結果には、涙する。

涙は全てを洗い流す洗浄力を持ち、改めて勇気を奮い起こさせ、過去を反省し、精算し、新しい未来への希望をわき出させる呼び水となります。


『気持ちが萎え、ときには涙することもあった、だが、涙を恥じることはない。
この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。フランクル』


『涙は苦痛の聖なる権利だ。グリルパルツァー』


『涙の数だけ強くなれるよ。
アスファルトに咲く 花のように見るものすべてに
おびえないで明日はくるよ 君のために。岡本真夜「TOMORROW」より』


『母親の涙には、化学で分析できない深く尊い愛情がこもっている。ファラデー』
  


Posted by misterkei0918 at 15:55Comments(0)

2010年01月06日

苦難を光り輝くものに

苦難を光り輝くものに

苦労や心配の種は尽きることは有りません。

喜びの最中にあっても人は苦しみや心配から解放されることはないのです。

しかも苦しみや心配は人によって様々な受け取り方や感じ方、衝撃は異なってきます。
同じ程度や内容と思われる苦しみや心配でもそれぞれの人によって、乗り越える人、徹底して悩む人、感じない人がいます。

別に鈍いとか、鈍感とかではなくその人がどれだけ苦難を乗り越えてきたかにかかっているような気がします。

反面教師として物事を捉える人、
挑戦的に乗り越えようと努める人、

次のステップの為と前向きに考える人、
苦難を苦難として見ないで与えられた境遇として逞しく戦う人、


乗り越え方、努力の仕方は様々でもその経験は貴重なものであり、決して無駄や取込し苦労に終わることは無さそうです。

昨日は様々な経済団体の新年賀詞交歓会が開催されました。

その中で地場の大手企業の社長が、今年の抱負を一字で表現するとしたら「輝」で有りたいと挨拶をなさいました。

出来れば光り輝く一年で有りたいものです。

ですが、今年も個人的にも企業的にも予断を許さない、緊張を強いられる年になりそうです。

経済はそう容易くは回復をしないでしょうし、旧態のような景気回復にはなりそうも有りません。

人も社会も、変化の出きない状況では却って後退を強いられるか、良くても現状維持の状態で留まると思われます。

ダーウィンは、「環境の変化に対応したものだけが生き延びる」と言ったとの事。

小泉首相がダーウィンの言葉を引用して

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。
そうではない。
最も頭のいいものか。そうでもない。
それは、変化に対応できる生き物だ」と述べています。

与えられる苦難にただ怯えたり、嘆いたり、愚痴に終始するのではなくより挑戦的に、或いは逆手に取って努力を傾注し乗り越えたいものです。

苦難は人を強くし、勇気を奮い立たせ、乗り越える叡智を授けてくれます。

今はそのチャンス到来の時期と捉え、果敢に変化、変革に取り組みたいものです。
  


Posted by misterkei0918 at 15:57Comments(0)

2010年01月05日

雄弁な人ほど、博識?知識が深い?

雄弁な人ほど、博識?知識が深い?

詭弁や巧言、軽口や無駄口を叩く人の事ではありません。
ましてや口先三寸でも困ります。

とんでも無い事、
大げさな事を口走る人、

饒舌で巧みな言葉使いの人、
ただのおしゃべり、

中身の薄い話に終止する人、
物事の本質を捉えないで、見当違いの発言をする人



私も一分そうですが。

時にはそんな時があってもいいのですが、一事が万事、そんな話し方に終止する人がいるものです。

最初に信用を失ってしまいますよね。
人間として軽さを感じてしまいます。

また、そんな人の話は聞く方もいい加減に聞いてしまいます。

井戸端会議は大事ですよね。
何気ないおしゃべりの中に、詰まったものが多く、多くのことが新しい発見や認識に繋がります。

友人たちの中に雄弁な人がいます。
勉強になります。

彼の様子をつぶさに見てみると

良く調べる、
口に出して言葉にする、

しかも確証の取れることを、
適度な緊張感をもって語っている、

他人の話に耳を傾ける、
しゃべるときに聞く人の為に供しようと努めている、

自分でも理解出来るように咀嚼する、
感動を呼びこむための工夫をする、
情報の整理をする




時と場所をわきまえた詭弁や巧言、軽口や無駄口を決して否定するものではありませんし、むしろ大事なことでもあります。

言葉は潤滑材ですから。

信頼のおける雄弁はつい耳を傾けてしまいます。
  


Posted by misterkei0918 at 16:42Comments(0)

2010年01月04日

幸せや成功は努力と偶然の積み重ね

幸せや成功は努力と偶然の積み重ね

いつもの私でしたら、幸せや成功は努力の積み重ねと言いたいのですが、努力をすれば幸せや成功が来る訳でもありませんよね。

私はどちらかというと、努力型だと自分を見ています。
知的でもありませんし、優秀でもありませんから身にならない努力を重ねています。

それも充分認めているところですが、私から努力を取れば何も残らないとも思っています。

身にならない、結果の出ない努力ではありますが。

でも、時々成功したと感じることがあります。
もしかするとこれが幸せかなとか、もしかすると努力した成果かな等と。

中には何の努力もしていないのに、成功したり、幸福感に浸ったりもします。
私自身には無いことですが。

親やご先祖のお陰や七光り、遺産や財産、結婚相手等の影響をもらったり、思いがけないタナボタだったりもします。

お金や財産、地位や名誉が全ての幸せや成功ではありませんが、比較的多くの人々の胸の内にはそんな事が幸せや成功と思う人々が多いものです。

豊富になくても、心のゆとりが持てるくらいには財産やお金は必要なものです。

社会のために役に立ちたいとか、人の為に尽くしたいと思っても自分が困窮した状態ではそれどころではありません。

或いはそんな考えも浮かばないものです。

考えてみたら、どうも努力の上に偶然が重なることが必要な気がします。
一般的には。

偶然はそんなに巡ってくるものではありませんが、その偶然を呼びこむのが努力のように思えます。

努力が無駄な徒労に終わらないためには、偶然を呼び込む力・・・・・人との繋がりを大切にする気持ちや人の幸せを願う思い、胸筋を開く所作・・・・・。


『偶然は準備のできていない人を助けない。Lパスツール』


『運命の中に偶然はない。
人間はある運命に出会う以前に、自分がそれをつくっているのだ。
ウッドローウイルソン』


『偶然がまだ運命と同一に思われるのは、青春時代の始めだけである。
後になれば、生の本当の道は内面によって規定されていたのだ、
ということを知るようになる。ツヴァイク』


『偶然とは、努力した人に 運命が与えてくれる橋です』


『人生は何事も偶然であり、また必然でもある。
これを我々は運命と称している。
もし一切が必然であるならば、運命というものは考えられない。
偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味を持っているゆえに、
人生は運命なのである。三木清』  


Posted by misterkei0918 at 11:31Comments(0)

2010年01月03日

もう春への準備を?

もう春への準備を?

先日まで紅葉を求めて歩いていたような気がするのですが、いきなり冬本番となってしまいました。

正月を迎え、目標設定や今年への抱負を語らねばいけない時期なのにどうも気が乗らない年のはじめになってしまいました。

今年は極めて大事な一年の筈なのに。

私的には波乱含みの一年になりそうですが、私の本来は直接的に対峙してきた人生ですから真っ向勝負で解決をしていきたいものです。

終りを告げた紅葉の落とした木の葉があちこちの吹き溜まりに積もっているのが何かしら物悲しいようなうら寂しいような気が致します。

銀杏の木々の葉もものの見事に朽ち果てて、そのうち貴重な堆肥になるのでしょう。

その銀杏の木を見上げてみると、葉のついていた部分には来るべき春に備えてか、小さな膨らみに鳴っているような気がします。

木によってはその部分がかすかに色づいているようでもあります。

ピンクというか、薄桃色というか。

生命は確実に来るべき春に向けて動き始めているようです。

やがて来る躍動の時のために、備えが始まっています。


『春を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、……松下幸之助』


『山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く
春夏秋冬あしたもよろし ゆふべもよろし
すなほに咲いて白い花なり。種田山頭火』


『寒い冬の日が続いています。
春の前に厳しい冬があるからこそ、春が待ち遠しくもあり、
春が一段と私たちの心にしみ込んでくるのでしょう。
人生も同じように、嫌なこと辛いことがたくさんあります。
しかし、むしろ果敢に挑戦し、
チャレンジした者だけが味わえる感動を得ていきたいものです。』
  


Posted by misterkei0918 at 18:02Comments(0)

2010年01月02日

努力の成果は確実に上がる、成果は具体的な数字で確認

努力の成果は確実に上がる、成果は具体的な数字で確認

昨年の始めから始めたダイエットは確実の10キロをオーバー。
体が軽くなりましたので、行動も軽やかにスムースになりました。

どうも性格も今までよりも軽く明るく、行動的に成った気がします。
友人たちには細くなったねとか、顔が小さくなったねとか言われます。

久しぶりにあった友人には、「もしかしたら体調でも悪かったの」とか「病気でもしたのか」等と言われたりもします。

振り返ってみたら、太るにはそれなりの最もな理由がありました。

良く食べる、
運動を殆んどしない、
日常がストレスに囲まれている、

自分自身が太ることを容認している、


ダウエットを初めて感じたのですが、ただ漠然と痩せたとか体重が減った、何となく体が軽くなったではいけないようです。

ダイエットを始めるときにも一年間で10キロ減量したい・・・等の目標を立てることも大事ですがそれ以上に成果や結果を数字や言葉で確認をすることが賢いダイエットの仕方のように思います。

ある著名な経営者が、目標に日付を入れなさいと良く言われます。
そのように目標や計画には必ず数値を入れた方が確実性もあり、達成するにも具体性があります。

いつまでに、
どの程度、
どうやって・・・・・

ウォーキングをしていますが、最初はどんなに歩幅を大きく歩いても100mを歩くのに135歩だったのですが、125歩を目標にしていたら今は123歩前後で歩くようになっています。

すると次は120歩を目標にしたくなるものです。

それとダイエットを目標にするのであれば、自分のやっている方法をそれなりに評価してあげることも大事なようです。

人に話すと「あんな方法があるよ」、「こんな方法があるよ」、
「あの方がもっと成果が上がるらしい」と色んな事を教えてくれます。

そのことは決して悪いことではありませんが、自分のやり方をそれなりに評価しておかないと他人から言われたことに目移りがして、持続性がなくなったり惑わされたりして結局は長続きしないものです。

やり始めたら、自分なりの成果や評価を下す事を念頭においておかないと何時まで経っても自分の方法の確立ができないままに結局は成果さえ見ることが出来ないはめになってしまいます。
  


Posted by misterkei0918 at 18:58Comments(0)