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2010年01月07日

男は泣け!!

男は泣け!!

小さい頃には「男が泣くな」
「男のくせにめそめそする奴があるか」
「男は涙を見せるものじゃない」


などなどプレッシャーをかけられたものです。

それを言われることが片方では男の子には心地良かったり、一端(いっぱし)の男として認められたのかと感じたものです。

また男として生きることの誇りにも通じたりしたのです。

今朝のあるカリスマ税理士の方のメルマガを拝見していましたら、「感動して泣ける仕事がしたい」との記事が書かれていました。

つい涙すること、泣くことに男を否定するかのごとき解釈を持っていた私としては、つい「そうなんだ」と納得をしてしまいました。

たとえ涙することがあっても決して人前ではいけないとか、隠れて涙するものだと心に決めていたのですが。

考えてみたら、男らしい涙があってもいいですし、それはまた誇らしいものでもあるような気がします。

全力投球した結果が思わしくない、
知力の限りを尽くしても思った成果が上がらない、
限界を越えたギリギリの勝負が実らない、
愛別離苦・・・・・

或いは、逆に
全力投球した結果が期待した異常に良かった、
知力の限りを尽くした成果が素晴らしかった、
限界を越えたギリギリの勝負が身を結んだ
想像を越えた一期一会・・・・・

せめてこんな時は人目をはばからずに涙してもいいのでは無いでしょうか。

私も何度か人前で(他人ではないですよ)涙したことが有ります。

企業経営でもそうですが、全力で頑張った暁には結果の善し悪しに関わらず、溢れる涙を覆い隠す必要は無いと思われます。

社員の前で大泣きというわけにはいきませんが。
むしろ、時と場所を選んで。

家族関係でもそうですよね。
力の限りを尽くした結果には、涙する。

涙は全てを洗い流す洗浄力を持ち、改めて勇気を奮い起こさせ、過去を反省し、精算し、新しい未来への希望をわき出させる呼び水となります。


『気持ちが萎え、ときには涙することもあった、だが、涙を恥じることはない。
この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。フランクル』


『涙は苦痛の聖なる権利だ。グリルパルツァー』


『涙の数だけ強くなれるよ。
アスファルトに咲く 花のように見るものすべてに
おびえないで明日はくるよ 君のために。岡本真夜「TOMORROW」より』


『母親の涙には、化学で分析できない深く尊い愛情がこもっている。ファラデー』
  


Posted by misterkei0918 at 15:55Comments(0)