2010年10月31日
何事も前準備が必要
何事も前準備が必要
先ほど、成功者と言われる方の本を読んでいました。
どうしてその方が成功したのか。
成功本ですので、いろんな事が記載されていますが私が非常に共鳴した部分がありました。
それは、成功するにはそれなりの準備や行動が日常的に大切である事。
今は手元に本がありませんので言い回しが正確ではないかもしれませんが、成功するにはそれなりの法則があると説かれています。
私もそんな気がします。
成功といっても色んな成功がありますが、
特に会社経営で成功する、
ある程度のお金を稼ぎ、
不自由の無い生活に自分を持っていく、
社会的地位を確保する、
結婚も、
安定的な家庭生活、
心身ともに健康を維持する、
・
・
色んな事が考えられますが、ほぼ上記のような事ではないでしょうかね。
当然、親の後を継いだから、とか先代の社長の事情によって椅子が転がってきたとか、結婚相手の家が恵まれていたとか・・・自分の力ではなくて偶然とか、たまたまとか、タナボタ的に転がり込んでくる事もあります。
私も若い頃は大企業に勤めていましたので、正直そんな事は考えてもいませんでした。
ただ与えられた仕事に没頭し、決められたままに、真面目に、仕事に絡む勉強に精を出し、ただ目の前の日常を淡々とこなせば良かったんです。
ところが、会社を飛び出し起業をした途端に、人生が変りましたし考え方が180度回転を始めました。
人生に欲が出てきたと言うのでしょうかね。
どうすれば、人生(自分の人生、つまり家族の人生、社員の人生ですよね)を好転できるかを真剣に考え始めました。
と言うとかっこいいのですがそういう事態に追い込まれたというのが正直なところです。
人生は考え方や、取り組み方、積極的、能動的な行動によって間違いなく変っていくものです。
本当は若い方々に早くこのことに気付いて、真剣に取り組んで欲しいのです。
この事は、殆ど誰も具体的には教えてくれませんよね。
人を大事にしなさい、
挨拶はしっかり、
人生には真面目に取り組みなさい、
誠実に、
一生懸命、
・
・
そんな事は分かっているんです。
いつか、具体的に書きたいとも思いますが、やはり法則みたいなものがあるようですよ。
著名な方々でも表現が上手い方、心から成功者であることを願っている方の言葉の中に時々散見します。
と言う事は、そういう方に巡り合う事ですよね。
どのようにして廻り合うか、これもどうも方法があるようです。
私の結論は「何事も前準備が必要」と言う事に尽きるように思います。
加えるならば、継続と真摯な心構え。
先ほど、成功者と言われる方の本を読んでいました。
どうしてその方が成功したのか。
成功本ですので、いろんな事が記載されていますが私が非常に共鳴した部分がありました。
それは、成功するにはそれなりの準備や行動が日常的に大切である事。
今は手元に本がありませんので言い回しが正確ではないかもしれませんが、成功するにはそれなりの法則があると説かれています。
私もそんな気がします。
成功といっても色んな成功がありますが、
特に会社経営で成功する、
ある程度のお金を稼ぎ、
不自由の無い生活に自分を持っていく、
社会的地位を確保する、
結婚も、
安定的な家庭生活、
心身ともに健康を維持する、
・
・
色んな事が考えられますが、ほぼ上記のような事ではないでしょうかね。
当然、親の後を継いだから、とか先代の社長の事情によって椅子が転がってきたとか、結婚相手の家が恵まれていたとか・・・自分の力ではなくて偶然とか、たまたまとか、タナボタ的に転がり込んでくる事もあります。
私も若い頃は大企業に勤めていましたので、正直そんな事は考えてもいませんでした。
ただ与えられた仕事に没頭し、決められたままに、真面目に、仕事に絡む勉強に精を出し、ただ目の前の日常を淡々とこなせば良かったんです。
ところが、会社を飛び出し起業をした途端に、人生が変りましたし考え方が180度回転を始めました。
人生に欲が出てきたと言うのでしょうかね。
どうすれば、人生(自分の人生、つまり家族の人生、社員の人生ですよね)を好転できるかを真剣に考え始めました。
と言うとかっこいいのですがそういう事態に追い込まれたというのが正直なところです。
人生は考え方や、取り組み方、積極的、能動的な行動によって間違いなく変っていくものです。
本当は若い方々に早くこのことに気付いて、真剣に取り組んで欲しいのです。
この事は、殆ど誰も具体的には教えてくれませんよね。
人を大事にしなさい、
挨拶はしっかり、
人生には真面目に取り組みなさい、
誠実に、
一生懸命、
・
・
そんな事は分かっているんです。
いつか、具体的に書きたいとも思いますが、やはり法則みたいなものがあるようですよ。
著名な方々でも表現が上手い方、心から成功者であることを願っている方の言葉の中に時々散見します。
と言う事は、そういう方に巡り合う事ですよね。
どのようにして廻り合うか、これもどうも方法があるようです。
私の結論は「何事も前準備が必要」と言う事に尽きるように思います。
加えるならば、継続と真摯な心構え。
Posted by misterkei0918 at
10:32
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2010年10月29日
若しかすると四面楚歌?
若しかすると四面楚歌?
今夜行われことになっていた日中首脳会談、
先ほどのニュースで結局はご破算になった模様です。
理由は今日行われた日中外相会談の日本側発表が、どうも曲げられて発表された事が理由との事。
可笑しい話ですよね。
曲げられた発表が例えあるとしたら、後の首脳会談で正せば言い訳ですから。
それが首脳会談でしょう。
いつまでも首脳会談の日程も決めず、決まったと思えば理由をつけてドタキャン。
結局は、したくない理由があることを我々に気付かせてしまいました。
国内事情を他人に転嫁する、いつもの常套手段。
自らの足元を救われないために責任を他にあることにしておいて、如何にも正当な手段であることを強調しようとする姑息な手段。
何か、変な不思議な感覚に捕らわれませんか。
最近の異常な円高、
中国、インド等の経済成長、
最近の中国との諸問題、
近年最悪のロシアとの関係、
どうもアメリカも日本を快く思っていない?、
・
・
四面楚歌のような気がしませんか。
戦前の事は詳しくは知りませんが、若しかすると戦前日本が置かれた立場に似ている?
どうも、日本が明るい方向に向かっているような気がしません。
何か可笑しい。
もうそろそろ、グローバル競争は終わりにした方がいいかもしれません。
日本は、日本国内の需要と供給でバランスがとれてそれで満足するような形に舞い戻った方がいいかもしれませんね。
外に振り回されて、
自国の工場も主要なものは海外移転して、
国民は就職先がなくなり、
デノミに苦しんで、
資源の無い日本は土下座外交に終始して
昔の痛い傷に触れられるとお詫びとお礼、
ODAで誤魔化して、
・
・
江戸時代ではありませんが、再び鎖国時代にでも戻ってはどうでしょうね。
その方が余ほど、神経を摺り減らさず、秩序も保たれて、安定した、豊かな日本でおれるかもしれません。
いずれにしても何か、日本バッシングをされているような、或いは13億の国民を持つ中国の国内問題に引きずられているような気がします。
怖い怖い!!
今夜行われことになっていた日中首脳会談、
先ほどのニュースで結局はご破算になった模様です。
理由は今日行われた日中外相会談の日本側発表が、どうも曲げられて発表された事が理由との事。
可笑しい話ですよね。
曲げられた発表が例えあるとしたら、後の首脳会談で正せば言い訳ですから。
それが首脳会談でしょう。
いつまでも首脳会談の日程も決めず、決まったと思えば理由をつけてドタキャン。
結局は、したくない理由があることを我々に気付かせてしまいました。
国内事情を他人に転嫁する、いつもの常套手段。
自らの足元を救われないために責任を他にあることにしておいて、如何にも正当な手段であることを強調しようとする姑息な手段。
何か、変な不思議な感覚に捕らわれませんか。
最近の異常な円高、
中国、インド等の経済成長、
最近の中国との諸問題、
近年最悪のロシアとの関係、
どうもアメリカも日本を快く思っていない?、
・
・
四面楚歌のような気がしませんか。
戦前の事は詳しくは知りませんが、若しかすると戦前日本が置かれた立場に似ている?
どうも、日本が明るい方向に向かっているような気がしません。
何か可笑しい。
もうそろそろ、グローバル競争は終わりにした方がいいかもしれません。
日本は、日本国内の需要と供給でバランスがとれてそれで満足するような形に舞い戻った方がいいかもしれませんね。
外に振り回されて、
自国の工場も主要なものは海外移転して、
国民は就職先がなくなり、
デノミに苦しんで、
資源の無い日本は土下座外交に終始して
昔の痛い傷に触れられるとお詫びとお礼、
ODAで誤魔化して、
・
・
江戸時代ではありませんが、再び鎖国時代にでも戻ってはどうでしょうね。
その方が余ほど、神経を摺り減らさず、秩序も保たれて、安定した、豊かな日本でおれるかもしれません。
いずれにしても何か、日本バッシングをされているような、或いは13億の国民を持つ中国の国内問題に引きずられているような気がします。
怖い怖い!!
Posted by misterkei0918 at
23:28
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2010年10月29日
全ては過ぎ去る
全ては過ぎ去る
嫌な事や失敗した事、恥をかいた事はいつまでも引きずってしまいます。
悲しいかな、人間の脳裏はそんなに出来ているようです。
引きずる事が全て悪いことではありませんが、事や次第によっては引きずる事が前向きになれなかったり、全てのことが手につかなかったり、落ち着きさえも失ったしまいます。
酷い時にはパニック、精神的に不安定な状況さえも生み出してしまうものです。
嵩じると体にまで異変を及ぼしたり、専心安定剤のお世話になる事だってありえます。
「時が解決してくれる」
「時間が薬」とも昔から言ったものです。
そのことが大事だと思うのです。
物事は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の言葉の如く、時間の経過と共に記憶の片隅に追いやられてしまいますし、感情の高まりも収まっていくものです。
物事を纏めるには、集中的に感情を高ぶらせて一挙に解決へ導く方法もありますが、それは自分が主体性を持っているときや主導権を握っている時、何かの会議や講義などの情報の整理や纏めには有効でしょうが、揉め事や嫌な事や失敗した事、恥をかいた事はしばし時間を置いて、冷却期間を置いたほうが良さそうです。
「雨降って地固まる」と言う言葉もあるように、関係はトラブルなどが生じる事で却って深まってみたり、解決のやり方によっては信頼関係を深く構築できる事にもなります。
問題が生じても、事を荒立てることなく冷静に事の成り行きや今後の対処に深い配慮が働く事が重要なようです。
解決や諌めることを急ぐが余り、却ってこじらせる事や関係をこじらせる事も多いものです。
逆に、一瞬を争って対処や修復をすることが大切であることも多いことを否定するものではありませんが、見極めも大切ですよね。
『落胆したとき、次のことを思い出しなさい。すなわち「すべてのことは過ぎ去る」のだと……。マーフィー』
嫌な事や失敗した事、恥をかいた事はいつまでも引きずってしまいます。
悲しいかな、人間の脳裏はそんなに出来ているようです。
引きずる事が全て悪いことではありませんが、事や次第によっては引きずる事が前向きになれなかったり、全てのことが手につかなかったり、落ち着きさえも失ったしまいます。
酷い時にはパニック、精神的に不安定な状況さえも生み出してしまうものです。
嵩じると体にまで異変を及ぼしたり、専心安定剤のお世話になる事だってありえます。
「時が解決してくれる」
「時間が薬」とも昔から言ったものです。
そのことが大事だと思うのです。
物事は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の言葉の如く、時間の経過と共に記憶の片隅に追いやられてしまいますし、感情の高まりも収まっていくものです。
物事を纏めるには、集中的に感情を高ぶらせて一挙に解決へ導く方法もありますが、それは自分が主体性を持っているときや主導権を握っている時、何かの会議や講義などの情報の整理や纏めには有効でしょうが、揉め事や嫌な事や失敗した事、恥をかいた事はしばし時間を置いて、冷却期間を置いたほうが良さそうです。
「雨降って地固まる」と言う言葉もあるように、関係はトラブルなどが生じる事で却って深まってみたり、解決のやり方によっては信頼関係を深く構築できる事にもなります。
問題が生じても、事を荒立てることなく冷静に事の成り行きや今後の対処に深い配慮が働く事が重要なようです。
解決や諌めることを急ぐが余り、却ってこじらせる事や関係をこじらせる事も多いものです。
逆に、一瞬を争って対処や修復をすることが大切であることも多いことを否定するものではありませんが、見極めも大切ですよね。
『落胆したとき、次のことを思い出しなさい。すなわち「すべてのことは過ぎ去る」のだと……。マーフィー』
Posted by misterkei0918 at
09:19
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2010年10月27日
取り返しのつかない失敗などない!!
取り返しのつかない失敗などない!!
取り返しのつかない失敗・・・・・
それはどんな失敗かと考えてみました。
人の命に関わる事、
例えば、命を奪う、危害を加える、一生傷となる精神的打撃を与える・・・
物や自然に関わる事、
人が大切にしている物、自然や財産を奪う若しくは破壊し、元に戻す事のできない程の打撃を与える・・・
こんな事は失敗ではなくて、犯罪、若しくは暴力行為、冒涜、万人誰が考えても赦されない、赦してはいけない行為であって、失敗などではありませんよね。
家族関係が崩れ去る、これは失敗でしょう。
会社を倒産させてしまった、これも失敗です。
友人関係を壊してしまった、これも失敗。
目標目的を十分に果たせなかった、これも失敗。
このように羅列してみると失敗した事は、再度試みることが出来ますし、修復が出来るものが殆どです。
と言う事は失敗は、我々が考えるほど深刻な事ではなくて捉え方によっては次へのステップアップだったり、一過性のつまづきだったり、一つの経験と捉え、前向きに対処する事を考えれば、恐るに足らないようです。
私も日常的に失敗や恥ずかしい事を繰り返していますが、どうもその繰り返しや恐れない事が大切に思えます。
むしろ心を大きく持って、失敗して当たり前とし、次への階段と思えば失敗も楽しいものです。
人は同じ失敗を数度が繰り返しますが、それはいつの間にかもう2度と繰り返すことはなくなりますし、
あるとしたら、それより少し高度なレベルの高い失敗へと進化を繰り返すものです。
ですから「失敗は成功の元、成功の母」と言うのです。
失敗しない人、それは成功へのステップを逃す人、あるいは意気地なしと呼んでもいいかも。
失敗は、怖がらない人の処へは寄り付こうともしませんし、怖がる人の処へは執念を持って付き纏うような気がします。
『ただの1日は間違いと失敗にすぎぬが、それが積み重なって、ある期間になれば結果や成功がもたらされる。ゲーテ』
『取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。湯川秀樹』
『大多数の人間が失敗するのは、失敗した計画に勝る新しい計画をたてるだけの粘り強さに欠けるからである。ナポレオンヒル』
『チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。本田宗一郎』
『百の事を行なって一つだけが成ったとき、成らなかった九十九に目を向け力を落とすか、成った一つに目を向け希望を抱くか、成功か失敗かの分かれめがこんなところにもある。松下幸之助』
『有能な人間は失敗から学ぶから有能なのである。成功から学ぶものなどたかが知れている。ウィリアムサローヤン』
『私は実験において 失敗など一度たりともしていない。これでは電球は光らないという発見をいままでに、2万回してきたのだ。トーマスAエジソン』
取り返しのつかない失敗・・・・・
それはどんな失敗かと考えてみました。
人の命に関わる事、
例えば、命を奪う、危害を加える、一生傷となる精神的打撃を与える・・・
物や自然に関わる事、
人が大切にしている物、自然や財産を奪う若しくは破壊し、元に戻す事のできない程の打撃を与える・・・
こんな事は失敗ではなくて、犯罪、若しくは暴力行為、冒涜、万人誰が考えても赦されない、赦してはいけない行為であって、失敗などではありませんよね。
家族関係が崩れ去る、これは失敗でしょう。
会社を倒産させてしまった、これも失敗です。
友人関係を壊してしまった、これも失敗。
目標目的を十分に果たせなかった、これも失敗。
このように羅列してみると失敗した事は、再度試みることが出来ますし、修復が出来るものが殆どです。
と言う事は失敗は、我々が考えるほど深刻な事ではなくて捉え方によっては次へのステップアップだったり、一過性のつまづきだったり、一つの経験と捉え、前向きに対処する事を考えれば、恐るに足らないようです。
私も日常的に失敗や恥ずかしい事を繰り返していますが、どうもその繰り返しや恐れない事が大切に思えます。
むしろ心を大きく持って、失敗して当たり前とし、次への階段と思えば失敗も楽しいものです。
人は同じ失敗を数度が繰り返しますが、それはいつの間にかもう2度と繰り返すことはなくなりますし、
あるとしたら、それより少し高度なレベルの高い失敗へと進化を繰り返すものです。
ですから「失敗は成功の元、成功の母」と言うのです。
失敗しない人、それは成功へのステップを逃す人、あるいは意気地なしと呼んでもいいかも。
失敗は、怖がらない人の処へは寄り付こうともしませんし、怖がる人の処へは執念を持って付き纏うような気がします。
『ただの1日は間違いと失敗にすぎぬが、それが積み重なって、ある期間になれば結果や成功がもたらされる。ゲーテ』
『取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。湯川秀樹』
『大多数の人間が失敗するのは、失敗した計画に勝る新しい計画をたてるだけの粘り強さに欠けるからである。ナポレオンヒル』
『チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。本田宗一郎』
『百の事を行なって一つだけが成ったとき、成らなかった九十九に目を向け力を落とすか、成った一つに目を向け希望を抱くか、成功か失敗かの分かれめがこんなところにもある。松下幸之助』
『有能な人間は失敗から学ぶから有能なのである。成功から学ぶものなどたかが知れている。ウィリアムサローヤン』
『私は実験において 失敗など一度たりともしていない。これでは電球は光らないという発見をいままでに、2万回してきたのだ。トーマスAエジソン』
Posted by misterkei0918 at
00:00
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2010年10月26日
弱り目に祟り目(よわりめにたたりめ)とはこんな事
弱り目に祟り目(よわりめにたたりめ)とはこんな事
悪い事が続く時には、続くものです。
記録的大雨で、極めて酷い影響を受けた奄美大島で今度は大火事です。
どうも放火ということのようですが、こんな時にと言う思いがします。
豪雨は自然災害ですが、今度は人間として恥ずべき人災。
雨の集中は奄美市住用町ですが、今度はどうも奄美市の中心部のようです。
昔、奄美市当時は名瀬市ですが、記録に残るような大火を経験しています。
奄美大島は、戦後沖縄と同じ様に米軍の統治下に置かれ祖国日本と切り離されておりました。
この事は現在でも国民の多くはご存じない事のようです。
当時の奄美大島では、島民上げての復帰運動が繰り広げられ、餓死者が出るのではないかと言われるほどに激しい行動だって様です。
世界的にも非常に珍しい形での祖国復帰だと思っています。
政治の力でもなく、軍事力でもなく、力なき住民が体を挺して勝ち取った日本復帰だったのです。
当時のアメリカ・ダレス米国務長官が昭和28年8月3日に奄美群島の返還を声明。
12月24日に奄美群島返還日米協定調印。
12月25日に奄美群島日本復帰。
そして復帰後の昭和30年12月3日に、当時の名瀬市屋仁川通りでおこった大火は、1,361棟焼失を喪失すると言う記録的な火災を経験したものです。
実は、この時に驚くべき事を経験したのです。
被災した名瀬市に対し、アメリカから大量の救援物資が届き、海岸に山のように積まれていたのを記憶しています。
ミルク、毛布や衣類、子供たちへの文房具・・・・・
被災していない私どもまでもが色んなものを頂いた記憶が残っています。
話は戻りますが、ついていない時はこんなものなんですね。
打撃は一度だけで十分すぎるのに。
それが人災では泣くに泣けません。
でも、今日本全国から善意の救援が増えているようにも聞きます。
現に本日夕刻開催された私の所属する会の役員会でも、奄美への義捐金の拠出が決まりました。
皆さんの貴重な浄財が生きた形で、使われることをお願いしたいものです。
悪い事が続く時には、続くものです。
記録的大雨で、極めて酷い影響を受けた奄美大島で今度は大火事です。
どうも放火ということのようですが、こんな時にと言う思いがします。
豪雨は自然災害ですが、今度は人間として恥ずべき人災。
雨の集中は奄美市住用町ですが、今度はどうも奄美市の中心部のようです。
昔、奄美市当時は名瀬市ですが、記録に残るような大火を経験しています。
奄美大島は、戦後沖縄と同じ様に米軍の統治下に置かれ祖国日本と切り離されておりました。
この事は現在でも国民の多くはご存じない事のようです。
当時の奄美大島では、島民上げての復帰運動が繰り広げられ、餓死者が出るのではないかと言われるほどに激しい行動だって様です。
世界的にも非常に珍しい形での祖国復帰だと思っています。
政治の力でもなく、軍事力でもなく、力なき住民が体を挺して勝ち取った日本復帰だったのです。
当時のアメリカ・ダレス米国務長官が昭和28年8月3日に奄美群島の返還を声明。
12月24日に奄美群島返還日米協定調印。
12月25日に奄美群島日本復帰。
そして復帰後の昭和30年12月3日に、当時の名瀬市屋仁川通りでおこった大火は、1,361棟焼失を喪失すると言う記録的な火災を経験したものです。
実は、この時に驚くべき事を経験したのです。
被災した名瀬市に対し、アメリカから大量の救援物資が届き、海岸に山のように積まれていたのを記憶しています。
ミルク、毛布や衣類、子供たちへの文房具・・・・・
被災していない私どもまでもが色んなものを頂いた記憶が残っています。
話は戻りますが、ついていない時はこんなものなんですね。
打撃は一度だけで十分すぎるのに。
それが人災では泣くに泣けません。
でも、今日本全国から善意の救援が増えているようにも聞きます。
現に本日夕刻開催された私の所属する会の役員会でも、奄美への義捐金の拠出が決まりました。
皆さんの貴重な浄財が生きた形で、使われることをお願いしたいものです。
Posted by misterkei0918 at
23:03
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2010年10月26日
政治が動き始める
政治が動き始める
来年は統一地方選挙の年です。
アメリカは今が中間選挙で大変な状況のようですね。
私どもはオバマ大統領の民主党が極めて有利に選挙を進めていると思いがちですが、どうも最近のマスコミの風潮を見ているとそうでもないようです。
現在は民主党が過半数を確保しているようですが、状況はどうなるのでしょうか。
経済が思わしくない、混迷を深めている時には政治も大きく動くような気もします。
逆に政治が動けば、経済が上向けばいいのですが、こればかりはそうでもなさそうです。
やはり経済に強い政治家が出てこないといけませんね。
よりグローバル化し、世界的規模で経済が動く世の中は政治と経済は一体化せざるを得ませんし、その力の無い国は衰退の方向へ向かうことにもなってしまうようです。
政治家が育つのを待ってる時間的ゆとりもありません。
優秀で実践的な能力のある人に政治家になっていただきたいものです。
それは若いければ言い訳でも、老練であれば良いわけでもないでしょう。
私の身近でも若い優秀な方が政治を目指しています。
日常的に政治を真剣に考え、人や社会のために身を投げ打ってでも尽くしたいタイプの素晴らしい方々が来年の統一選挙で立候補して欲しいですね。
その中には、実績を重ねた人あり、
初めての挑戦を試みる人あり。
この人は政治家になったら素晴らしいステイツマンとして、活躍してくれそうな方もおられますが、本人がその気にならないといけませんよね。
それと出来れば庶民感覚で政治を行える方。
中には、金銭感覚の無い人、余りにもお金に執着する人、地位を求め、権力を傘に着る人・・・こんな人がいますが嫌なものです。
今は一刻の猶予もありません。
決断もたいせつ。
果敢な決断が出来ないと、世の中のスピードとずれが生じてしまいます。
政治が良回転を始めると、国民の思いや消費も上向き、企業も設備投資や雇用にも前向きに取り組んでいく事にもなります。
来年は統一地方選挙の年です。
アメリカは今が中間選挙で大変な状況のようですね。
私どもはオバマ大統領の民主党が極めて有利に選挙を進めていると思いがちですが、どうも最近のマスコミの風潮を見ているとそうでもないようです。
現在は民主党が過半数を確保しているようですが、状況はどうなるのでしょうか。
経済が思わしくない、混迷を深めている時には政治も大きく動くような気もします。
逆に政治が動けば、経済が上向けばいいのですが、こればかりはそうでもなさそうです。
やはり経済に強い政治家が出てこないといけませんね。
よりグローバル化し、世界的規模で経済が動く世の中は政治と経済は一体化せざるを得ませんし、その力の無い国は衰退の方向へ向かうことにもなってしまうようです。
政治家が育つのを待ってる時間的ゆとりもありません。
優秀で実践的な能力のある人に政治家になっていただきたいものです。
それは若いければ言い訳でも、老練であれば良いわけでもないでしょう。
私の身近でも若い優秀な方が政治を目指しています。
日常的に政治を真剣に考え、人や社会のために身を投げ打ってでも尽くしたいタイプの素晴らしい方々が来年の統一選挙で立候補して欲しいですね。
その中には、実績を重ねた人あり、
初めての挑戦を試みる人あり。
この人は政治家になったら素晴らしいステイツマンとして、活躍してくれそうな方もおられますが、本人がその気にならないといけませんよね。
それと出来れば庶民感覚で政治を行える方。
中には、金銭感覚の無い人、余りにもお金に執着する人、地位を求め、権力を傘に着る人・・・こんな人がいますが嫌なものです。
今は一刻の猶予もありません。
決断もたいせつ。
果敢な決断が出来ないと、世の中のスピードとずれが生じてしまいます。
政治が良回転を始めると、国民の思いや消費も上向き、企業も設備投資や雇用にも前向きに取り組んでいく事にもなります。
Posted by misterkei0918 at
14:59
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2010年10月25日
命は限りがあること、いつか尽きる事を
命は限りがあること、いつか尽きる事を
親不孝者の私が、こんな事を語るのも不思議ですが最近の世情や私の個人的思い入れを語ってみたいと思います。
命の尊さや大切さは世の古今東西変ってはいけないものでしょうが、何か最近、親子関係とか血とか尊属的な意味で可笑しい状況が日常的に起こっているような気がします。
これは、親の教育、取り分け学校教育のあり方や社会そのものが個人にとって生易しいものでありすぎるような気がします。
昔は親の子に対する教育もそれは厳しいものでしたし、期待も大きかったものです。
学校でも、先生方は情熱的でしたし、道徳的な規範に対しても熱心意教えていただいたものです。
私もPTAの会長などもさせて頂きましたので、最近の親、学校現場の姿をつぶさに見たつもりです。
社会も他人の子供であっても、ほっておくことはしませんでした。
それは誰の子であっても社会や地域の財産と思っているから、時には厳しく、時には十分な愛情を注いであげたものでした。
核家族化の問題や、
親や先生の資質、
価値観の変化、
社会情勢の変化、
マスコミ、
有害情報の氾濫、
経済の低迷、
政治の貧困、
物質的な豊かさ、
・
・
・
上げるときりがありません。
多分、もう元に戻る事は無いような気さえします。
歴史に学ぶ事、先人に学ぶ事も忘れてしまったような悲しい想いにさえなります。
そんな事、あんな事で、親を思う気持ちも薄れてしまいました。
「それはお前だけではないの」などと切り返されそうではありますが。
それと先祖を崇敬する機会、
お線香を手向ける機会も少なくなりました。
最近の世情の動き、取り分け親子の関係の希薄さは「命は限りがあること、いつか尽きる事」を語ることやその現場に行き会うことが少なくなった事も大きく起因しているような気もするのです。
核家族や都会に離れて暮らすことが結局は人を疎遠にし、家族の絆を切り離し、「命は限りがあること、いつか尽きる事」を目の当たりにすることも少なくなりました。
或いはなくなったと言ってもいいかも知れませんね。
自分たちの親に対しても「命は限りがあること、いつか尽きる事」が現実の事ではなく、大よそかけ離れた他所事のような出来事になりました。
昔の大家族時代は、様々な場面で、様々な局面を経験し、命について、生命について家族全員で話す機会も多かったものでした。
それからしますと、当然これからも尊属の大切さを見失うようなトラブルが多発するのかもしれません。
昔は「親はいつまでも生きていると思うな」といわれましたが、今は親はいつまでも生きている時代ともなりました。
親孝行はいつでも出来るものだと思うようになったのです。
後悔先に立たず!!
親不孝者の私が、こんな事を語るのも不思議ですが最近の世情や私の個人的思い入れを語ってみたいと思います。
命の尊さや大切さは世の古今東西変ってはいけないものでしょうが、何か最近、親子関係とか血とか尊属的な意味で可笑しい状況が日常的に起こっているような気がします。
これは、親の教育、取り分け学校教育のあり方や社会そのものが個人にとって生易しいものでありすぎるような気がします。
昔は親の子に対する教育もそれは厳しいものでしたし、期待も大きかったものです。
学校でも、先生方は情熱的でしたし、道徳的な規範に対しても熱心意教えていただいたものです。
私もPTAの会長などもさせて頂きましたので、最近の親、学校現場の姿をつぶさに見たつもりです。
社会も他人の子供であっても、ほっておくことはしませんでした。
それは誰の子であっても社会や地域の財産と思っているから、時には厳しく、時には十分な愛情を注いであげたものでした。
核家族化の問題や、
親や先生の資質、
価値観の変化、
社会情勢の変化、
マスコミ、
有害情報の氾濫、
経済の低迷、
政治の貧困、
物質的な豊かさ、
・
・
・
上げるときりがありません。
多分、もう元に戻る事は無いような気さえします。
歴史に学ぶ事、先人に学ぶ事も忘れてしまったような悲しい想いにさえなります。
そんな事、あんな事で、親を思う気持ちも薄れてしまいました。
「それはお前だけではないの」などと切り返されそうではありますが。
それと先祖を崇敬する機会、
お線香を手向ける機会も少なくなりました。
最近の世情の動き、取り分け親子の関係の希薄さは「命は限りがあること、いつか尽きる事」を語ることやその現場に行き会うことが少なくなった事も大きく起因しているような気もするのです。
核家族や都会に離れて暮らすことが結局は人を疎遠にし、家族の絆を切り離し、「命は限りがあること、いつか尽きる事」を目の当たりにすることも少なくなりました。
或いはなくなったと言ってもいいかも知れませんね。
自分たちの親に対しても「命は限りがあること、いつか尽きる事」が現実の事ではなく、大よそかけ離れた他所事のような出来事になりました。
昔の大家族時代は、様々な場面で、様々な局面を経験し、命について、生命について家族全員で話す機会も多かったものでした。
それからしますと、当然これからも尊属の大切さを見失うようなトラブルが多発するのかもしれません。
昔は「親はいつまでも生きていると思うな」といわれましたが、今は親はいつまでも生きている時代ともなりました。
親孝行はいつでも出来るものだと思うようになったのです。
後悔先に立たず!!
Posted by misterkei0918 at
17:32
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2010年10月24日
奄美が酷いことになっている
奄美が酷いことになっている
「ふるさとは遠きにありて想うもの」とは言いますが、今回のように災害に見舞われると何も出来ないもどかしさに悲しくもなります。
日本の気象観測史上で最高に降った雨の量だったようです。
奄美大島は沖縄もそうですが、台風銀座と昔から言われたものです。
オーバーな言い方をすれば台風が来ない時は、何となく物忘れでもしたような、変な気持ちになるほど台風に見舞われるところです。
当然、台風の風の凄さや雨の量は半端ではないのです。
フィリピンあたりで誕生した台風が勢いをつけて、襲ってくるのですから本土の台風のひではありません。
ですから、雨風の備えは万全であって、そんなに被害が出るわけでもありません。
そんな奄美で豪雨で、被害が出たと言う事は、備えを上回る、想像を超えた雨量だった事は想像できます。
友人たちに電話したところ、「こんな雨は過去、経験したことが無い」と口を揃えて言います。
昨日は、奄美出身と言うことで、共同通信社や新聞社から取材の電話を頂きました。
出来れば、本土の皆様方に是非是非応援をお願いしたいところです。
だって、経済もままならぬ奄美大島、これといった産業もなく、沖縄のように観光で潤うわけでもなく、国のお金も余り回ってこない置き去りになった離島ですから。
皆様はご存知でしょうかね。
奄美大島はその昔、沖縄と同じ様に米軍の統治下にあったことを。
そのその昔から苦しい、悲しい歴史にも翻弄されていたことを。
でも、友人たちは「頑張って立ち直る」といってくれたのです。
そうです、貧しくても逞しく数多くの試練を乗り越えてきた奄美大島ですから。
「ふるさとは遠きにありて想うもの」とは言いますが、今回のように災害に見舞われると何も出来ないもどかしさに悲しくもなります。
日本の気象観測史上で最高に降った雨の量だったようです。
奄美大島は沖縄もそうですが、台風銀座と昔から言われたものです。
オーバーな言い方をすれば台風が来ない時は、何となく物忘れでもしたような、変な気持ちになるほど台風に見舞われるところです。
当然、台風の風の凄さや雨の量は半端ではないのです。
フィリピンあたりで誕生した台風が勢いをつけて、襲ってくるのですから本土の台風のひではありません。
ですから、雨風の備えは万全であって、そんなに被害が出るわけでもありません。
そんな奄美で豪雨で、被害が出たと言う事は、備えを上回る、想像を超えた雨量だった事は想像できます。
友人たちに電話したところ、「こんな雨は過去、経験したことが無い」と口を揃えて言います。
昨日は、奄美出身と言うことで、共同通信社や新聞社から取材の電話を頂きました。
出来れば、本土の皆様方に是非是非応援をお願いしたいところです。
だって、経済もままならぬ奄美大島、これといった産業もなく、沖縄のように観光で潤うわけでもなく、国のお金も余り回ってこない置き去りになった離島ですから。
皆様はご存知でしょうかね。
奄美大島はその昔、沖縄と同じ様に米軍の統治下にあったことを。
そのその昔から苦しい、悲しい歴史にも翻弄されていたことを。
でも、友人たちは「頑張って立ち直る」といってくれたのです。
そうです、貧しくても逞しく数多くの試練を乗り越えてきた奄美大島ですから。
Posted by misterkei0918 at
21:47
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2010年10月22日
妻が敵?
妻が敵?
『ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。バイロン』
この言葉をブログ上にアップしました。
若しかすると特に若い女性あたりから、お叱りを請うかも知れないと思ったのですが、何回か読み返しているうちに「どうも、そうではない処に作者の気持ちが潜んでいる」と思い始めました。
却って、妻に対する愛情が滲み出ているような気がするのです。
「可愛い奴ほど憎たらしい」とかも言いますし、
愛情は急変すると、全く逆の憎悪や義憤に変る事もあります。
夫婦は、当然赤い糸で結ばれていたから結婚と言う形にもなるのでしょうが、本来氏素性(うじすじょう)の異なる、しかも価値観や思想信条も十分に分からない二人が365日、あるいは数十年に亘って一つ屋根の下で生活をするわけですから様々な問題も出てきて当たり前。
また、一つの家庭ができる事によって周辺との関わりや繋がりも出てくるものです。
そんな二人が、今までの独り身のときのような、または親の庇護の元に生活していたときのような生活のリズムが保てるわけもありません。
時には敵であったり、ライバルで会ったりもするものです。
当然、相手にだけ負担を強いる事もいけませんし、自分だけが楽な道を選択するのもいけません。
お互いが最大限の努力を果たしながら、相手の立場に立ち、全体として、つまり家族としての利益を確保する事に努めないといけないと思っています。
『ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。バイロン』
敵と言う言葉は、敵愾心(てきがいしん)を持つとか、そこに憎しみが伴うと言う事ではなく人生を一緒に歩む伴侶として、時にはライバルで会ったり、乗り越えないといけない相手であったりすることを表現しているような気がします。
夫婦は、お互いが人としての尊厳を持っている相手であって、しかもお互いの人間性を如何に高めあう事が出来るかを問われているような気がします。
すると、相手を高めるためには相手以上に勉強もしなくてはいけませんし、修練や精進に心を砕く必要も出てきます。
このように考えますと、夫婦であっても時には敵とみなして応戦をする必要があると解釈しても良さそうです。
そんな時もあり、また睦まじい時もあり・・・・・
『ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。バイロン』
この言葉をブログ上にアップしました。
若しかすると特に若い女性あたりから、お叱りを請うかも知れないと思ったのですが、何回か読み返しているうちに「どうも、そうではない処に作者の気持ちが潜んでいる」と思い始めました。
却って、妻に対する愛情が滲み出ているような気がするのです。
「可愛い奴ほど憎たらしい」とかも言いますし、
愛情は急変すると、全く逆の憎悪や義憤に変る事もあります。
夫婦は、当然赤い糸で結ばれていたから結婚と言う形にもなるのでしょうが、本来氏素性(うじすじょう)の異なる、しかも価値観や思想信条も十分に分からない二人が365日、あるいは数十年に亘って一つ屋根の下で生活をするわけですから様々な問題も出てきて当たり前。
また、一つの家庭ができる事によって周辺との関わりや繋がりも出てくるものです。
そんな二人が、今までの独り身のときのような、または親の庇護の元に生活していたときのような生活のリズムが保てるわけもありません。
時には敵であったり、ライバルで会ったりもするものです。
当然、相手にだけ負担を強いる事もいけませんし、自分だけが楽な道を選択するのもいけません。
お互いが最大限の努力を果たしながら、相手の立場に立ち、全体として、つまり家族としての利益を確保する事に努めないといけないと思っています。
『ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。バイロン』
敵と言う言葉は、敵愾心(てきがいしん)を持つとか、そこに憎しみが伴うと言う事ではなく人生を一緒に歩む伴侶として、時にはライバルで会ったり、乗り越えないといけない相手であったりすることを表現しているような気がします。
夫婦は、お互いが人としての尊厳を持っている相手であって、しかもお互いの人間性を如何に高めあう事が出来るかを問われているような気がします。
すると、相手を高めるためには相手以上に勉強もしなくてはいけませんし、修練や精進に心を砕く必要も出てきます。
このように考えますと、夫婦であっても時には敵とみなして応戦をする必要があると解釈しても良さそうです。
そんな時もあり、また睦まじい時もあり・・・・・
Posted by misterkei0918 at
13:15
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2010年10月21日
「ありがとう」は感謝の入り口
「ありがとう」は感謝の入り口
毎日「ありがとう」を何回くらい言っているのでしょうかね。
折角のありがたい施しや言動に、言葉一つでお返しが出来るとしたら、こんな素晴らしい事はありません。
それの代表選手が「ありがとう」でしょうね。
言葉だけでは足りない事もあるかもしれませんが。
リアルに接する人々に対しては当然の事ですが、最近ではバーチャルな世界でも多くの人々に接するものです。
例えば、ブログを見てくれる人、コメントをくれる人、貴重でしかも参考になるような考え方や意見をいただけるメルマガ、大切な情報を授けてくれるメール、SNSのコミュニティの仲間やフレンドリィ・・・・・もそうです。
その感謝の気持ちが次にはそれ以上のものを届けていただける事にもなるものです。
私は「感謝」って何?と自問した時に以前のブログに書いた記憶があります。
感謝は「お陰様を感じ、態度や行動に表わすこと」
態度や行動に表わすのに最も相応しい言葉が「ありがとう」でしょう。
ある方から、「ありがとう百万遍」を教えていただいて、ただ今実践中です。
「すみません」の言葉も「ありがとう」に置き換えて。
不思議な事です。
どんな事が不思議なのは、いつかの機会に譲るとして、実践して見られると面白い結果が出てきます。
口先三寸では駄目ですよ。
人は必ず気付いてしまいますし、却って逆効果。
人間関係を壊してしまう結果を招いてしまいます。
時には、悔しい時もありますが、許せる範囲であれば「ありがとう」
辛抱しながらも「ありがとう」
何かおかしいと思うときでも「ありがとう」
そうではないだろうと思われるときにでも一言、「ありがとう」
昨日のある方のメルマガを見ていましたら、こんな記載がありました。
あ、同じ様なことを感じている人がいるもんだと感心しています。
『感謝力=「感」力+「謝」力
「感」力とは、日々の何気ない出来事を見逃さずに心に留める力。
「謝」力とは、「ありがたい」と感じたことを言葉にして相手に伝える力』
感謝と言うと、堅苦しいような杓子定規のような気がしますが、それを具現化した態度や行動が「ありがとう」と思えば心安いものです。
「ありがとう」も繁く口にするのは恥ずかしかったりするものですが、当分の間、堪えて言う内に自然体になるもの。
私も早く百万遍の満願成就を経験したいものです。
或いは、比較的近くに実現するかも知れませんよね。
その後は、寿命の事もありますから、20万遍くらいに短縮して実践を始める事にします。
『人間社会の全構成員は、相互に援助を必要としている。その援助が「愛」と「感謝」から「友情」と「尊敬」から提供されるとき、その国は繁栄し幸福である。アダム・スミス』
『ビショビショにぬれ切ってしまえ!すると、たかが入浴ていどの日常茶飯事にさえ、ものすごい感謝と幸福感を抱くことができるようになる。「幸福を感じる心根」が、すさまじく飛躍し、研ぎすまされるのである。櫻木健古「生きるヒント「一日一話」(三笠書房知的生き方文庫)より」
『深い思いやりから出る感謝のことばをふりまきながら日々を過ごす これが、友をつくり、人を動かす妙諦である。Dカーネギー『人を動かす』(創元社)より』
毎日「ありがとう」を何回くらい言っているのでしょうかね。
折角のありがたい施しや言動に、言葉一つでお返しが出来るとしたら、こんな素晴らしい事はありません。
それの代表選手が「ありがとう」でしょうね。
言葉だけでは足りない事もあるかもしれませんが。
リアルに接する人々に対しては当然の事ですが、最近ではバーチャルな世界でも多くの人々に接するものです。
例えば、ブログを見てくれる人、コメントをくれる人、貴重でしかも参考になるような考え方や意見をいただけるメルマガ、大切な情報を授けてくれるメール、SNSのコミュニティの仲間やフレンドリィ・・・・・もそうです。
その感謝の気持ちが次にはそれ以上のものを届けていただける事にもなるものです。
私は「感謝」って何?と自問した時に以前のブログに書いた記憶があります。
感謝は「お陰様を感じ、態度や行動に表わすこと」
態度や行動に表わすのに最も相応しい言葉が「ありがとう」でしょう。
ある方から、「ありがとう百万遍」を教えていただいて、ただ今実践中です。
「すみません」の言葉も「ありがとう」に置き換えて。
不思議な事です。
どんな事が不思議なのは、いつかの機会に譲るとして、実践して見られると面白い結果が出てきます。
口先三寸では駄目ですよ。
人は必ず気付いてしまいますし、却って逆効果。
人間関係を壊してしまう結果を招いてしまいます。
時には、悔しい時もありますが、許せる範囲であれば「ありがとう」
辛抱しながらも「ありがとう」
何かおかしいと思うときでも「ありがとう」
そうではないだろうと思われるときにでも一言、「ありがとう」
昨日のある方のメルマガを見ていましたら、こんな記載がありました。
あ、同じ様なことを感じている人がいるもんだと感心しています。
『感謝力=「感」力+「謝」力
「感」力とは、日々の何気ない出来事を見逃さずに心に留める力。
「謝」力とは、「ありがたい」と感じたことを言葉にして相手に伝える力』
感謝と言うと、堅苦しいような杓子定規のような気がしますが、それを具現化した態度や行動が「ありがとう」と思えば心安いものです。
「ありがとう」も繁く口にするのは恥ずかしかったりするものですが、当分の間、堪えて言う内に自然体になるもの。
私も早く百万遍の満願成就を経験したいものです。
或いは、比較的近くに実現するかも知れませんよね。
その後は、寿命の事もありますから、20万遍くらいに短縮して実践を始める事にします。
『人間社会の全構成員は、相互に援助を必要としている。その援助が「愛」と「感謝」から「友情」と「尊敬」から提供されるとき、その国は繁栄し幸福である。アダム・スミス』
『ビショビショにぬれ切ってしまえ!すると、たかが入浴ていどの日常茶飯事にさえ、ものすごい感謝と幸福感を抱くことができるようになる。「幸福を感じる心根」が、すさまじく飛躍し、研ぎすまされるのである。櫻木健古「生きるヒント「一日一話」(三笠書房知的生き方文庫)より」
『深い思いやりから出る感謝のことばをふりまきながら日々を過ごす これが、友をつくり、人を動かす妙諦である。Dカーネギー『人を動かす』(創元社)より』
Posted by misterkei0918 at
08:32
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2010年10月20日
車は人にも似て
車は人にも似て
変な話が始まりそうです。
車は「運転する人に似てくる」と言いますが、そんな瞬間があるような気がしませんか。
「目は心の窓」と言いますが、「車は運転者に瓜二つ」?
運転者の心の状態を映す鏡のような気がします。
「あんなに大人しい子が荒々しい運転をする」とか「車に乗ると人が変る」などとも言います。
気忙しい人の運転は、車の動きも気忙しいものです。
荒っぽい言動の人に運転は、車の動きも荒っぽいもの。
イライラの人の運転は車もイライラに見えてしまいます。
先を急ぐ人の運転は、すぐ分かります。
車の動きも、険しく殺気立っているようにも見えます。
のんびりの方の運転はじれったいほど、のんびりですし、
おしゃべりの方の運転は、気持ちが運転から離れていて、どこと無くじれったくもなるものです。
負けず嫌いの気性の激しい方の運転はそれこそ見ものです。
いつもスピードを出す車は、アクセルを少し踏みこむだけで凄く加速しますし、常に急ブレーキを踏む癖のある車はブレーキがその癖を覚えているようです。
車にも人格が備わっているかのようです。
或いは、その方の人間性を見抜きたいなら、数時間にわたって助手席に座っているといいかもしれませんね。
車の中は普通は一人ですから、癖や個性が出しやすい、しかも誰が見ているわけでもありませんからついつい習慣になっているものです。
運転席に座った途端、日頃の運転、つまり普段や本来の自分が現れてくるようです。
本性といってもいいかもしれませんね。
余程、自制の気持ちを持って運転に心掛ける事が、却って人間性の修練にも役立つのかもしれません。
変な話が始まりそうです。
車は「運転する人に似てくる」と言いますが、そんな瞬間があるような気がしませんか。
「目は心の窓」と言いますが、「車は運転者に瓜二つ」?
運転者の心の状態を映す鏡のような気がします。
「あんなに大人しい子が荒々しい運転をする」とか「車に乗ると人が変る」などとも言います。
気忙しい人の運転は、車の動きも気忙しいものです。
荒っぽい言動の人に運転は、車の動きも荒っぽいもの。
イライラの人の運転は車もイライラに見えてしまいます。
先を急ぐ人の運転は、すぐ分かります。
車の動きも、険しく殺気立っているようにも見えます。
のんびりの方の運転はじれったいほど、のんびりですし、
おしゃべりの方の運転は、気持ちが運転から離れていて、どこと無くじれったくもなるものです。
負けず嫌いの気性の激しい方の運転はそれこそ見ものです。
いつもスピードを出す車は、アクセルを少し踏みこむだけで凄く加速しますし、常に急ブレーキを踏む癖のある車はブレーキがその癖を覚えているようです。
車にも人格が備わっているかのようです。
或いは、その方の人間性を見抜きたいなら、数時間にわたって助手席に座っているといいかもしれませんね。
車の中は普通は一人ですから、癖や個性が出しやすい、しかも誰が見ているわけでもありませんからついつい習慣になっているものです。
運転席に座った途端、日頃の運転、つまり普段や本来の自分が現れてくるようです。
本性といってもいいかもしれませんね。
余程、自制の気持ちを持って運転に心掛ける事が、却って人間性の修練にも役立つのかもしれません。
Posted by misterkei0918 at
11:23
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2010年10月18日
結婚おもしろ談義・・・その5
結婚おもしろ談義・・・その5
結婚も長くなると、若い頃のような感情ではなくなりますし、お互いの良い所、悪い所、考え方や言動も大よそ想像がつきますし、想定の範囲内です。
それが物足りなかったり、新鮮味が無かったり、もどかしさを感じたりの原因にもなりがちですが、それはお互い様。
逆にお互いが不足の部分、苦手な部分も理解できていますから「補いの思い」に立てば、お互いが大事な存在ですよね。
却って、その存在がなくなることに恐ろしさを感じることもないではありません。
良く「空気のような存在」と言いますが、そんなものではないでしょう。
空気はあるか無いか定かではありませんが、
人は感情や理性が伴っていますからその分、相手の心に作用したり働きかけたり、明らかな刺激や動揺を与えるものです。
それこそが人間らしい所以であって、お互いのその働きかけが心地よく、刺激的でないといけないと思うのです。
そしてお互いが人間的に高めあう存在。
理想ですが。
50年も60年もの結婚生活は、それは経験したお二人にしか分からない境地が存在するのかもしれませんね。
さてさて、
結婚おもしろ談義・・・その5。
これで終わりにしますね。
『結婚前には両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ。フラー』
『結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。バーナード・ショウ』
『結婚へは歩け。離婚へは走れ。ユダヤの格言』
『ウェディングケーキはこの世で最も危険な食べ物である。アメリカの諺』
『独身者とは妻を見つけないことに成功した男である。アンドレ・プレヴォー』
『愛はしばしば結婚の果実である。モリエール』
結婚も長くなると、若い頃のような感情ではなくなりますし、お互いの良い所、悪い所、考え方や言動も大よそ想像がつきますし、想定の範囲内です。
それが物足りなかったり、新鮮味が無かったり、もどかしさを感じたりの原因にもなりがちですが、それはお互い様。
逆にお互いが不足の部分、苦手な部分も理解できていますから「補いの思い」に立てば、お互いが大事な存在ですよね。
却って、その存在がなくなることに恐ろしさを感じることもないではありません。
良く「空気のような存在」と言いますが、そんなものではないでしょう。
空気はあるか無いか定かではありませんが、
人は感情や理性が伴っていますからその分、相手の心に作用したり働きかけたり、明らかな刺激や動揺を与えるものです。
それこそが人間らしい所以であって、お互いのその働きかけが心地よく、刺激的でないといけないと思うのです。
そしてお互いが人間的に高めあう存在。
理想ですが。
50年も60年もの結婚生活は、それは経験したお二人にしか分からない境地が存在するのかもしれませんね。
さてさて、
結婚おもしろ談義・・・その5。
これで終わりにしますね。
『結婚前には両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ。フラー』
『結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。バーナード・ショウ』
『結婚へは歩け。離婚へは走れ。ユダヤの格言』
『ウェディングケーキはこの世で最も危険な食べ物である。アメリカの諺』
『独身者とは妻を見つけないことに成功した男である。アンドレ・プレヴォー』
『愛はしばしば結婚の果実である。モリエール』
Posted by misterkei0918 at
19:04
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2010年10月18日
結婚おもしろ談義・・・その4
結婚おもしろ談義・・・その4
人生の中で一番の転機はなんですか?と問われれば、私は一番に「結婚」と答えます。
なんとならば私を変えた一番の功績者だから。
結婚を機に
素晴らしく成長する人、
堕落の道を歩む人、
豹変したのではないかと疑うほど人が変った人、
満ち足りた表情に変る人、
明るくなる人、
何となく生気を失う人、
躍動的になる人、
やつれてしまう人・・・・・
様々ですが、結婚はお互いの人生を新たにしかも豊かに切り開くための区切り、儀式であると私は思っています。
ですから、それを機に人生が好転するようにするためにどのように二人があることが大切なのかを真剣に考えて欲しいと思うのです。
中途半端ではいけません。
お互いの長い長い人生がかかっているのですから。
人生がそれこそつまらないものになるのか、挫折の極みを経験するのか、時には苦難を乗り越えながらも歓喜の生涯を二人で送るのか。
ではでは、その4.
『急いで結婚する必要はない。結婚は果物と違って、いくら遅くても季節はずれになることはない。トルストイ』
『結婚とは誰もが犯さなければならない過ちである。ジョージ・ジュセル』
『その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか。教会での結婚式の宣誓の問いかけ』
『結婚とは、熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる。リヒテンベルグ』
『結婚生活とはいわば冷蔵庫のようなものである。冷蔵庫に入っている限られた素材で、いかにおいしいご馳走を作り出すか、それに似ている。決して、他人の冷蔵庫を羨ましがらないことだ。柴門ふみ』
人生の中で一番の転機はなんですか?と問われれば、私は一番に「結婚」と答えます。
なんとならば私を変えた一番の功績者だから。
結婚を機に
素晴らしく成長する人、
堕落の道を歩む人、
豹変したのではないかと疑うほど人が変った人、
満ち足りた表情に変る人、
明るくなる人、
何となく生気を失う人、
躍動的になる人、
やつれてしまう人・・・・・
様々ですが、結婚はお互いの人生を新たにしかも豊かに切り開くための区切り、儀式であると私は思っています。
ですから、それを機に人生が好転するようにするためにどのように二人があることが大切なのかを真剣に考えて欲しいと思うのです。
中途半端ではいけません。
お互いの長い長い人生がかかっているのですから。
人生がそれこそつまらないものになるのか、挫折の極みを経験するのか、時には苦難を乗り越えながらも歓喜の生涯を二人で送るのか。
ではでは、その4.
『急いで結婚する必要はない。結婚は果物と違って、いくら遅くても季節はずれになることはない。トルストイ』
『結婚とは誰もが犯さなければならない過ちである。ジョージ・ジュセル』
『その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか。教会での結婚式の宣誓の問いかけ』
『結婚とは、熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる。リヒテンベルグ』
『結婚生活とはいわば冷蔵庫のようなものである。冷蔵庫に入っている限られた素材で、いかにおいしいご馳走を作り出すか、それに似ている。決して、他人の冷蔵庫を羨ましがらないことだ。柴門ふみ』
Posted by misterkei0918 at
18:39
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2010年10月18日
結婚おもしろ談義・・・その2
結婚おもしろ談義・・・その2
結婚ほど、先の見えない、しかも責任感が伴い、いい加減には対処できないものは無いですよね。
また、これほど精神を豊かに人生を楽しくしてくれるものもなさそうです。
勇気だって与えてくれますし、
そこに子供がいれば、それこそ万々歳です。
私の経験から言えば、人生を変えるほどのインパクトを持っていますし、心の安らぎだって結婚に優るものは無いでしょう。
その1に続いて!!
『「結婚を考えたことはないのか」「あるさ。でも考えるのとするのは違う」。映画・夕日の挽歌』
『結婚は鳥カゴのようなものだ。カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ入りたがり、カゴの中の鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。モンテーニュ』
『正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。ワイルド』
『朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。伊達政宗』
『できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。バーナード・ショー』
『すべての悲劇というものは死によって終わり、すべての人生劇は結婚をもって終わる。バイロン』
結婚ほど、先の見えない、しかも責任感が伴い、いい加減には対処できないものは無いですよね。
また、これほど精神を豊かに人生を楽しくしてくれるものもなさそうです。
勇気だって与えてくれますし、
そこに子供がいれば、それこそ万々歳です。
私の経験から言えば、人生を変えるほどのインパクトを持っていますし、心の安らぎだって結婚に優るものは無いでしょう。
その1に続いて!!
『「結婚を考えたことはないのか」「あるさ。でも考えるのとするのは違う」。映画・夕日の挽歌』
『結婚は鳥カゴのようなものだ。カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ入りたがり、カゴの中の鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。モンテーニュ』
『正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。ワイルド』
『朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。伊達政宗』
『できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。バーナード・ショー』
『すべての悲劇というものは死によって終わり、すべての人生劇は結婚をもって終わる。バイロン』
Posted by misterkei0918 at
17:57
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2010年10月18日
結婚おもしろ談義・・・その1
結婚おもしろ談義・・・その1
結婚を茶化して考えるのはいけませんよね。
私の性格から言えば、結婚について語るなら真剣に、正直にしかも相手に失礼の無いように語るのが当然と思っていますから、世の中にいい加減に捉える言葉があるとすれば、徹底して糾弾したいほうですが、時には角度を変えて「そんな側面もあるね」程度の軽い気持ちもあって良いかと思うことにしました。
そんな思いで言葉を捜したら、色んな言葉が出てきました。
勝手ながら羅列をして見ます。
そうしますと、滑稽だったり、頷いたり、笑えたり・・・・・
時には結婚をそんな軽いのりで第3者的に眺めるのもいいかも知れません。
『女には、どうしてもわからないテーマが一つある。男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。D・デックス』
『女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。ベンジャミン・ディズレーリ』
『男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。フレデリック・リット』
『結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。ハイネ』
『結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。キルケゴール』
『結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった。アーサー・ゴッドフリー』
『夫が浮気していると思った妻の80%は、結局、それが事実だと知らされます。アィリアム・カッツ』
『妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。日本国民法第772条』
『君がよい妻を持てば幸福になるだろうし、悪い妻を持てば哲学者になれる。ソクラテス』
結婚を茶化して考えるのはいけませんよね。
私の性格から言えば、結婚について語るなら真剣に、正直にしかも相手に失礼の無いように語るのが当然と思っていますから、世の中にいい加減に捉える言葉があるとすれば、徹底して糾弾したいほうですが、時には角度を変えて「そんな側面もあるね」程度の軽い気持ちもあって良いかと思うことにしました。
そんな思いで言葉を捜したら、色んな言葉が出てきました。
勝手ながら羅列をして見ます。
そうしますと、滑稽だったり、頷いたり、笑えたり・・・・・
時には結婚をそんな軽いのりで第3者的に眺めるのもいいかも知れません。
『女には、どうしてもわからないテーマが一つある。男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。D・デックス』
『女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。ベンジャミン・ディズレーリ』
『男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。フレデリック・リット』
『結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。ハイネ』
『結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。キルケゴール』
『結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった。アーサー・ゴッドフリー』
『夫が浮気していると思った妻の80%は、結局、それが事実だと知らされます。アィリアム・カッツ』
『妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。日本国民法第772条』
『君がよい妻を持てば幸福になるだろうし、悪い妻を持てば哲学者になれる。ソクラテス』
Posted by misterkei0918 at
17:40
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2010年10月18日
CD、DVDの影が薄くなってきた
CD、DVDの影が薄くなってきた
デジタルの進化のスピードを留まるところを知りません。
コンピューターの出現が、昭和30年代の後半。
パソコンが出てきて、20年くらいでしょう。
ハードのスピード、取り分けCPUはとんでもない速さになりましたし、記憶容量も膨大になってきました。
ソフトの進化も激しいですが、今度はクラウドの時代ですからどう変化するかが楽しみです。
楽しみと言うか、何かしら空恐ろしいような気がしないでもありません。
回線スピードも飛躍的に速くなり、しかもナローバンドからブロードバンドへ変りどこまで進むのか。
また、メディア(媒体)の変遷も目を見張るものがあります。
昔はコンピューターの記録媒体は紙テープから磁気テープへ。
今では外部の記録媒体など要らなくなってきました。
平成16年9月4日にこのブログで「CD、DVDがなくなる?」と書いたものです。
当時は、CD、DVDの全盛でしたから、そんな事はありえないと思っていたのですが、当時のアメリカの情報で近いうち無くなると出ていたのです。
最近は真実味を帯びてきましたね。
情報をUSBメモリーにしたり、
HDの要領が想像を超えるほどの大きさになってきましたのでそこに保管したり、
或いは、クラウド上に置いたり、
やり取りがネットになるためにいちいちCD、DVDにしなくなったり・・・・・
音楽配信もDVDの必要がなくなってきました。
いきなり、ダウンロードをすれば時間も要しませんから。
どこまで変っていくのでしょうか。
いつかは何処かで落ち着いて欲しいものですね。
デジタルの進化のスピードを留まるところを知りません。
コンピューターの出現が、昭和30年代の後半。
パソコンが出てきて、20年くらいでしょう。
ハードのスピード、取り分けCPUはとんでもない速さになりましたし、記憶容量も膨大になってきました。
ソフトの進化も激しいですが、今度はクラウドの時代ですからどう変化するかが楽しみです。
楽しみと言うか、何かしら空恐ろしいような気がしないでもありません。
回線スピードも飛躍的に速くなり、しかもナローバンドからブロードバンドへ変りどこまで進むのか。
また、メディア(媒体)の変遷も目を見張るものがあります。
昔はコンピューターの記録媒体は紙テープから磁気テープへ。
今では外部の記録媒体など要らなくなってきました。
平成16年9月4日にこのブログで「CD、DVDがなくなる?」と書いたものです。
当時は、CD、DVDの全盛でしたから、そんな事はありえないと思っていたのですが、当時のアメリカの情報で近いうち無くなると出ていたのです。
最近は真実味を帯びてきましたね。
情報をUSBメモリーにしたり、
HDの要領が想像を超えるほどの大きさになってきましたのでそこに保管したり、
或いは、クラウド上に置いたり、
やり取りがネットになるためにいちいちCD、DVDにしなくなったり・・・・・
音楽配信もDVDの必要がなくなってきました。
いきなり、ダウンロードをすれば時間も要しませんから。
どこまで変っていくのでしょうか。
いつかは何処かで落ち着いて欲しいものですね。
Posted by misterkei0918 at
17:09
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2010年10月14日
余程でないと仕返しをしようなどと考えない事
余程でないと仕返しをしようなどと考えない事
悲しい事や苦しい時、人は自分の精だとは思いたくもありませんしその原因やきっかけ、禍を与えたのは全て他人だと思いたいものです。
しかも自分が他人にしてやった禍も自らがもたらしたものだとは考えもしないものです。
たとえ、もしかするとと脳裏をかすめても、出来れば知らんふり、ほっかむりで遣り過ごしたいものです。
案外、自分の仕業で他人を苦しめたり、不幸に追いやったりしているのですが、人間は本能的に気付かなかったり他人の自業自得と押し付けたりするものです。
自分が受けた禍は、不思議な事に忘れませんし、他人への恨み辛みに終始してしまいます。
時には、機会があれば陥れたやろうとか、仕返しの機会を伺ったりするものです。
ですが、私の過去の経験からすると辛抱する、仕返しなど考えない。
これが一番、人生に大切な事のように思われます。
やられっぱなしは悔しいものです。
夜も寝むれない事だってあるもの。
昔から「負けるが勝ち」と言う言葉だってあります。
人生は不思議なもので、いきり立って感情的な解決を図ろうとする事が結局は墓穴をほったり、周囲の評判を落としたり、碌な事はありません。
増してや仕返しなどしようものなら、周囲から恐れられて付き合いの幅は狭める、自分の品位や人間性まで落としてしまいます。
辛抱する事、我慢する事、
落としどころの無い自分の心の有り様を修めることで、精進に繋がっている事・・・・・
人は理性の動物と言われます。
感情のコントロールが出来てこその人間であります。
仕返しや報復で事の解決を図るのは、容易い事ですが、却って自らの立場を弱くするのみで良いことはなさそうです。
それは相手の思う壺で、待ち構えている事。
乗じて損をするのは自分。
過去の経験に基づいても、時間が大きな解決の糸口になるもの。
振り返ってみると、「あの時、はやる気持ちを抑えた事が良かった」などと思うことが殆どです。
仕返しや報復をするときには、相手と刺し違えてお互いに奈落の底に辿る道を歩む事を知ったほうが良さそうですよ。
そのくらいの覚悟を持つことが大事。
『報復する時、人間はその仇敵と同列である。しかし、許す時、彼は仇敵よりも上にある。ベーコン』
悲しい事や苦しい時、人は自分の精だとは思いたくもありませんしその原因やきっかけ、禍を与えたのは全て他人だと思いたいものです。
しかも自分が他人にしてやった禍も自らがもたらしたものだとは考えもしないものです。
たとえ、もしかするとと脳裏をかすめても、出来れば知らんふり、ほっかむりで遣り過ごしたいものです。
案外、自分の仕業で他人を苦しめたり、不幸に追いやったりしているのですが、人間は本能的に気付かなかったり他人の自業自得と押し付けたりするものです。
自分が受けた禍は、不思議な事に忘れませんし、他人への恨み辛みに終始してしまいます。
時には、機会があれば陥れたやろうとか、仕返しの機会を伺ったりするものです。
ですが、私の過去の経験からすると辛抱する、仕返しなど考えない。
これが一番、人生に大切な事のように思われます。
やられっぱなしは悔しいものです。
夜も寝むれない事だってあるもの。
昔から「負けるが勝ち」と言う言葉だってあります。
人生は不思議なもので、いきり立って感情的な解決を図ろうとする事が結局は墓穴をほったり、周囲の評判を落としたり、碌な事はありません。
増してや仕返しなどしようものなら、周囲から恐れられて付き合いの幅は狭める、自分の品位や人間性まで落としてしまいます。
辛抱する事、我慢する事、
落としどころの無い自分の心の有り様を修めることで、精進に繋がっている事・・・・・
人は理性の動物と言われます。
感情のコントロールが出来てこその人間であります。
仕返しや報復で事の解決を図るのは、容易い事ですが、却って自らの立場を弱くするのみで良いことはなさそうです。
それは相手の思う壺で、待ち構えている事。
乗じて損をするのは自分。
過去の経験に基づいても、時間が大きな解決の糸口になるもの。
振り返ってみると、「あの時、はやる気持ちを抑えた事が良かった」などと思うことが殆どです。
仕返しや報復をするときには、相手と刺し違えてお互いに奈落の底に辿る道を歩む事を知ったほうが良さそうですよ。
そのくらいの覚悟を持つことが大事。
『報復する時、人間はその仇敵と同列である。しかし、許す時、彼は仇敵よりも上にある。ベーコン』
Posted by misterkei0918 at
22:08
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2010年10月14日
秋の心は浮ついて落ち着かなくて
秋の心は浮ついて落ち着かなくて
秋は何故か知りませんが、何かしら物憂い(ものうい)感じがしませんか。
春は、動植物的というか、生物的とでも言うのでしょうか。
息吹(いぶき)や躍動を感じます。
辛い、抑圧的、厳しくしかも行動を制約される、或いは花開く春を迎えるために存在する冬を終えて、一挙に色んな意味で花開く季節が春であるようにおもいますが、
片や秋は、発散の季節であって、限りを尽くした夏を終えて所謂、虚脱感、虚無、或いは次を見出せないような焦燥感さえ感じてしまいます。
「女心と冬の風」・・・イギリスの諺らしいです。
日本では、「男心と秋の空」、あるいは言い換えて「女心と秋の空」などとも言います。
いずれにしても、心が定まらない、落ち着かない、浮ついた状態を表現した言葉のように思いますがどうも秋は物悲しい、暗渠にでも飛び込んだような気分になってしまいます。
食欲の秋、読書の秋、運動の秋、行楽の季節・・・・・
などとも言いますが。
フワッとした感じですよね。
はっきりしないと言うか、何か浮ついて、そうでいながら落ち着かなくて。
行動力のある人やより成長したいと思う人に限ってそのような気分になるような気がするのですがどうでしょうか。
季節は、過ごしやすく穏やかで本来なら、より行動的になりそうなものですが。
皆さんは如何ですか。
「いや違う、暑くて何も出来なかった夏が過ぎて、今こそ行動の時!!」と意気込む人もおられるのでしょうが。
私は前者のほうですから、秋はそれなりの使い方をすればいいのかなとも思っております。
例えば、ゆっくり思いにふけるとか、
突き詰めて考えないといけない事案に対峙する、
躍動的な夏と違って、真剣に落ち着いて人間関係を構築できる時期、
動物的、生物的側面が勝っている時期と違って、極めて人間的な側面を強化できる時期、
・
・
そんな風に思ってみることにします。
気分は落ち込み勝ち、物思いについふけり勝ちの季節ですが。
来る冬に備えて、或いは吸収の季節かもしれませんね。
秋は何故か知りませんが、何かしら物憂い(ものうい)感じがしませんか。
春は、動植物的というか、生物的とでも言うのでしょうか。
息吹(いぶき)や躍動を感じます。
辛い、抑圧的、厳しくしかも行動を制約される、或いは花開く春を迎えるために存在する冬を終えて、一挙に色んな意味で花開く季節が春であるようにおもいますが、
片や秋は、発散の季節であって、限りを尽くした夏を終えて所謂、虚脱感、虚無、或いは次を見出せないような焦燥感さえ感じてしまいます。
「女心と冬の風」・・・イギリスの諺らしいです。
日本では、「男心と秋の空」、あるいは言い換えて「女心と秋の空」などとも言います。
いずれにしても、心が定まらない、落ち着かない、浮ついた状態を表現した言葉のように思いますがどうも秋は物悲しい、暗渠にでも飛び込んだような気分になってしまいます。
食欲の秋、読書の秋、運動の秋、行楽の季節・・・・・
などとも言いますが。
フワッとした感じですよね。
はっきりしないと言うか、何か浮ついて、そうでいながら落ち着かなくて。
行動力のある人やより成長したいと思う人に限ってそのような気分になるような気がするのですがどうでしょうか。
季節は、過ごしやすく穏やかで本来なら、より行動的になりそうなものですが。
皆さんは如何ですか。
「いや違う、暑くて何も出来なかった夏が過ぎて、今こそ行動の時!!」と意気込む人もおられるのでしょうが。
私は前者のほうですから、秋はそれなりの使い方をすればいいのかなとも思っております。
例えば、ゆっくり思いにふけるとか、
突き詰めて考えないといけない事案に対峙する、
躍動的な夏と違って、真剣に落ち着いて人間関係を構築できる時期、
動物的、生物的側面が勝っている時期と違って、極めて人間的な側面を強化できる時期、
・
・
そんな風に思ってみることにします。
気分は落ち込み勝ち、物思いについふけり勝ちの季節ですが。
来る冬に備えて、或いは吸収の季節かもしれませんね。
Posted by misterkei0918 at
07:47
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2010年10月13日
良い仮定、仮想をする癖
良い仮定、仮想をする癖
物事を計画したり、行動に移したり、予想をするときには人によっては悪い仮定、悪い仮想をする人。
良い仮定、仮想をする人がいるものです。
私はどちらかというと、今では良い仮定、仮想をする方に入ってきたような気がします。
それが為に以前は、決断に時間がかかり、機を逸し、いつも後悔に付き纏われ悶々とする日々が多かったような気がします。
今では、意識的に活躍している人や比較的成功している人、出来るだけ明るい人と接点を持つことに集中する事によって自分にも変化をきたしてきたようです。
当然、自分が他人から良い影響を頂いたなら、それを他の方に伝播する義務がありますよね。
頂きぱなしは失礼な話ですし、それは詐欺的行為になってしまいます。
不思議なものです。
良い仮定、仮想をする癖がついてくると、後ろを振り返るにも余裕が出てきますし、
またまた不思議な事に後ろ向きな悪い仮定、仮想にも考えが及ぶものです。
それがゆとりと言うものなんでしょうね。
変化は本の少しだけ意識するだけで、訪れるような気がします。
意識するかしないか。
癖ですから、そうなるとしめたもの。
物事が好転を始めるという事はそんな事を言うのでしょう。
知らないと損。
人は、それは性格だから仕方がないとか、先天的な資質だとか、変らないのが当たり前と言いがちですが、逆に人間だから可能なんですよね。
人だから、確かに変れる!!
その様に思っている人が変るのです。
変らない、変えれないと思っている事自体がまさしく「悪い仮定、悪い仮想をする人」ということの証左でしょう。
出来ると思っている人、変れると思っている人が世の中は勝ち組になるように出来ているようです。
私自身ももっと変らないといけない部分を持っていますから、これからが楽しみです。
どれだけ変われるか。
物事を計画したり、行動に移したり、予想をするときには人によっては悪い仮定、悪い仮想をする人。
良い仮定、仮想をする人がいるものです。
私はどちらかというと、今では良い仮定、仮想をする方に入ってきたような気がします。
それが為に以前は、決断に時間がかかり、機を逸し、いつも後悔に付き纏われ悶々とする日々が多かったような気がします。
今では、意識的に活躍している人や比較的成功している人、出来るだけ明るい人と接点を持つことに集中する事によって自分にも変化をきたしてきたようです。
当然、自分が他人から良い影響を頂いたなら、それを他の方に伝播する義務がありますよね。
頂きぱなしは失礼な話ですし、それは詐欺的行為になってしまいます。
不思議なものです。
良い仮定、仮想をする癖がついてくると、後ろを振り返るにも余裕が出てきますし、
またまた不思議な事に後ろ向きな悪い仮定、仮想にも考えが及ぶものです。
それがゆとりと言うものなんでしょうね。
変化は本の少しだけ意識するだけで、訪れるような気がします。
意識するかしないか。
癖ですから、そうなるとしめたもの。
物事が好転を始めるという事はそんな事を言うのでしょう。
知らないと損。
人は、それは性格だから仕方がないとか、先天的な資質だとか、変らないのが当たり前と言いがちですが、逆に人間だから可能なんですよね。
人だから、確かに変れる!!
その様に思っている人が変るのです。
変らない、変えれないと思っている事自体がまさしく「悪い仮定、悪い仮想をする人」ということの証左でしょう。
出来ると思っている人、変れると思っている人が世の中は勝ち組になるように出来ているようです。
私自身ももっと変らないといけない部分を持っていますから、これからが楽しみです。
どれだけ変われるか。
Posted by misterkei0918 at
19:12
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2010年10月13日
「厳しさ」は物事を成功させるには必要
「厳しさ」は物事を成功させるには必要
ノーベル化学賞を取られた根岸教授は記者会見で、「厳しさは物事を成功させるには必要」と発言されました。
現代は、つい厳しさを否定するか、戒めるか、良しとしない風潮が蔓延しています。
厳しさを求めない事が如何にも人間にとって優しいかのような、素晴らしい事のような。
小さい頃は、厳しさの塊でした。
それが風潮ですし、却って厳しさを避けることが非難されたものです。
親からも厳しくされましたし、学校でも厳しい先生がいたものです。
隣り近所に必ずやかましいおじさんやおばさんがいて、目を光らせたものです。
また、厳しさには自分への厳しさと他人への厳しさがあるものです。
得てして私どもは自分には優しく寛容で、他人には厳しく対峙しようと試みるものです。
このように、人々の成しえない人に限って、多分自分への厳しさは並大抵のものではないように思うのです。
厳しさが全て成功への道筋ではありませんが、自らを律する事の出来る人、戒めながら継続的に地道に努力できる人・・・・・
それが長い年月に育まれて、人並み以上に成果を生み出すようです。
棚からボタ餅的なことがないではありませんし、人の成果を自分のものとして上手に振舞う人もいるものです。
自分に厳しく、しかも律する事のできる人は案外他人には優しかったりするもの。
自分に厳しくする事の出来ない人間に限って、他人には極端な厳しさや許容、寛容する事を知らないものです。
頑固と厳格、厳しさは違う事を学ばねばなりません。
私も馬齢を重ねるごとに、頑固への道を歩んでいるような気がしないでもありません。
反省!!、反省!!
『父親は、最も厳しく叱る時も、言葉はきついが父親らしいそぶりを見せる。ギリシア・メナンドロス「断片」』
ノーベル化学賞を取られた根岸教授は記者会見で、「厳しさは物事を成功させるには必要」と発言されました。
現代は、つい厳しさを否定するか、戒めるか、良しとしない風潮が蔓延しています。
厳しさを求めない事が如何にも人間にとって優しいかのような、素晴らしい事のような。
小さい頃は、厳しさの塊でした。
それが風潮ですし、却って厳しさを避けることが非難されたものです。
親からも厳しくされましたし、学校でも厳しい先生がいたものです。
隣り近所に必ずやかましいおじさんやおばさんがいて、目を光らせたものです。
また、厳しさには自分への厳しさと他人への厳しさがあるものです。
得てして私どもは自分には優しく寛容で、他人には厳しく対峙しようと試みるものです。
このように、人々の成しえない人に限って、多分自分への厳しさは並大抵のものではないように思うのです。
厳しさが全て成功への道筋ではありませんが、自らを律する事の出来る人、戒めながら継続的に地道に努力できる人・・・・・
それが長い年月に育まれて、人並み以上に成果を生み出すようです。
棚からボタ餅的なことがないではありませんし、人の成果を自分のものとして上手に振舞う人もいるものです。
自分に厳しく、しかも律する事のできる人は案外他人には優しかったりするもの。
自分に厳しくする事の出来ない人間に限って、他人には極端な厳しさや許容、寛容する事を知らないものです。
頑固と厳格、厳しさは違う事を学ばねばなりません。
私も馬齢を重ねるごとに、頑固への道を歩んでいるような気がしないでもありません。
反省!!、反省!!
『父親は、最も厳しく叱る時も、言葉はきついが父親らしいそぶりを見せる。ギリシア・メナンドロス「断片」』
Posted by misterkei0918 at
18:06
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