2010年10月22日
妻が敵?
妻が敵?
『ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。バイロン』
この言葉をブログ上にアップしました。
若しかすると特に若い女性あたりから、お叱りを請うかも知れないと思ったのですが、何回か読み返しているうちに「どうも、そうではない処に作者の気持ちが潜んでいる」と思い始めました。
却って、妻に対する愛情が滲み出ているような気がするのです。
「可愛い奴ほど憎たらしい」とかも言いますし、
愛情は急変すると、全く逆の憎悪や義憤に変る事もあります。
夫婦は、当然赤い糸で結ばれていたから結婚と言う形にもなるのでしょうが、本来氏素性(うじすじょう)の異なる、しかも価値観や思想信条も十分に分からない二人が365日、あるいは数十年に亘って一つ屋根の下で生活をするわけですから様々な問題も出てきて当たり前。
また、一つの家庭ができる事によって周辺との関わりや繋がりも出てくるものです。
そんな二人が、今までの独り身のときのような、または親の庇護の元に生活していたときのような生活のリズムが保てるわけもありません。
時には敵であったり、ライバルで会ったりもするものです。
当然、相手にだけ負担を強いる事もいけませんし、自分だけが楽な道を選択するのもいけません。
お互いが最大限の努力を果たしながら、相手の立場に立ち、全体として、つまり家族としての利益を確保する事に努めないといけないと思っています。
『ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。バイロン』
敵と言う言葉は、敵愾心(てきがいしん)を持つとか、そこに憎しみが伴うと言う事ではなく人生を一緒に歩む伴侶として、時にはライバルで会ったり、乗り越えないといけない相手であったりすることを表現しているような気がします。
夫婦は、お互いが人としての尊厳を持っている相手であって、しかもお互いの人間性を如何に高めあう事が出来るかを問われているような気がします。
すると、相手を高めるためには相手以上に勉強もしなくてはいけませんし、修練や精進に心を砕く必要も出てきます。
このように考えますと、夫婦であっても時には敵とみなして応戦をする必要があると解釈しても良さそうです。
そんな時もあり、また睦まじい時もあり・・・・・
『ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。バイロン』
この言葉をブログ上にアップしました。
若しかすると特に若い女性あたりから、お叱りを請うかも知れないと思ったのですが、何回か読み返しているうちに「どうも、そうではない処に作者の気持ちが潜んでいる」と思い始めました。
却って、妻に対する愛情が滲み出ているような気がするのです。
「可愛い奴ほど憎たらしい」とかも言いますし、
愛情は急変すると、全く逆の憎悪や義憤に変る事もあります。
夫婦は、当然赤い糸で結ばれていたから結婚と言う形にもなるのでしょうが、本来氏素性(うじすじょう)の異なる、しかも価値観や思想信条も十分に分からない二人が365日、あるいは数十年に亘って一つ屋根の下で生活をするわけですから様々な問題も出てきて当たり前。
また、一つの家庭ができる事によって周辺との関わりや繋がりも出てくるものです。
そんな二人が、今までの独り身のときのような、または親の庇護の元に生活していたときのような生活のリズムが保てるわけもありません。
時には敵であったり、ライバルで会ったりもするものです。
当然、相手にだけ負担を強いる事もいけませんし、自分だけが楽な道を選択するのもいけません。
お互いが最大限の努力を果たしながら、相手の立場に立ち、全体として、つまり家族としての利益を確保する事に努めないといけないと思っています。
『ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。バイロン』
敵と言う言葉は、敵愾心(てきがいしん)を持つとか、そこに憎しみが伴うと言う事ではなく人生を一緒に歩む伴侶として、時にはライバルで会ったり、乗り越えないといけない相手であったりすることを表現しているような気がします。
夫婦は、お互いが人としての尊厳を持っている相手であって、しかもお互いの人間性を如何に高めあう事が出来るかを問われているような気がします。
すると、相手を高めるためには相手以上に勉強もしなくてはいけませんし、修練や精進に心を砕く必要も出てきます。
このように考えますと、夫婦であっても時には敵とみなして応戦をする必要があると解釈しても良さそうです。
そんな時もあり、また睦まじい時もあり・・・・・
Posted by misterkei0918 at
13:15
│Comments(0)