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2010年10月13日

良い仮定、仮想をする癖

良い仮定、仮想をする癖

物事を計画したり、行動に移したり、予想をするときには人によっては悪い仮定、悪い仮想をする人。
良い仮定、仮想をする人がいるものです。

私はどちらかというと、今では良い仮定、仮想をする方に入ってきたような気がします。

それが為に以前は、決断に時間がかかり、機を逸し、いつも後悔に付き纏われ悶々とする日々が多かったような気がします。

今では、意識的に活躍している人や比較的成功している人、出来るだけ明るい人と接点を持つことに集中する事によって自分にも変化をきたしてきたようです。

当然、自分が他人から良い影響を頂いたなら、それを他の方に伝播する義務がありますよね。

頂きぱなしは失礼な話ですし、それは詐欺的行為になってしまいます。

不思議なものです。
良い仮定、仮想をする癖がついてくると、後ろを振り返るにも余裕が出てきますし、
またまた不思議な事に後ろ向きな悪い仮定、仮想にも考えが及ぶものです。

それがゆとりと言うものなんでしょうね。

変化は本の少しだけ意識するだけで、訪れるような気がします。

意識するかしないか。

癖ですから、そうなるとしめたもの。

物事が好転を始めるという事はそんな事を言うのでしょう。
知らないと損。

人は、それは性格だから仕方がないとか、先天的な資質だとか、変らないのが当たり前と言いがちですが、逆に人間だから可能なんですよね。

人だから、確かに変れる!!

その様に思っている人が変るのです。
変らない、変えれないと思っている事自体がまさしく「悪い仮定、悪い仮想をする人」ということの証左でしょう。

出来ると思っている人、変れると思っている人が世の中は勝ち組になるように出来ているようです。

私自身ももっと変らないといけない部分を持っていますから、これからが楽しみです。
どれだけ変われるか。
  


Posted by misterkei0918 at 19:12Comments(0)

2010年10月13日

「厳しさ」は物事を成功させるには必要

「厳しさ」は物事を成功させるには必要

ノーベル化学賞を取られた根岸教授は記者会見で、「厳しさは物事を成功させるには必要」と発言されました。

現代は、つい厳しさを否定するか、戒めるか、良しとしない風潮が蔓延しています。

厳しさを求めない事が如何にも人間にとって優しいかのような、素晴らしい事のような。

小さい頃は、厳しさの塊でした。
それが風潮ですし、却って厳しさを避けることが非難されたものです。

親からも厳しくされましたし、学校でも厳しい先生がいたものです。
隣り近所に必ずやかましいおじさんやおばさんがいて、目を光らせたものです。

また、厳しさには自分への厳しさと他人への厳しさがあるものです。

得てして私どもは自分には優しく寛容で、他人には厳しく対峙しようと試みるものです。

このように、人々の成しえない人に限って、多分自分への厳しさは並大抵のものではないように思うのです。

厳しさが全て成功への道筋ではありませんが、自らを律する事の出来る人、戒めながら継続的に地道に努力できる人・・・・・

それが長い年月に育まれて、人並み以上に成果を生み出すようです。

棚からボタ餅的なことがないではありませんし、人の成果を自分のものとして上手に振舞う人もいるものです。

自分に厳しく、しかも律する事のできる人は案外他人には優しかったりするもの。

自分に厳しくする事の出来ない人間に限って、他人には極端な厳しさや許容、寛容する事を知らないものです。

頑固と厳格、厳しさは違う事を学ばねばなりません。
私も馬齢を重ねるごとに、頑固への道を歩んでいるような気がしないでもありません。

反省!!、反省!!


『父親は、最も厳しく叱る時も、言葉はきついが父親らしいそぶりを見せる。ギリシア・メナンドロス「断片」』
  


Posted by misterkei0918 at 18:06Comments(0)

2010年10月13日

坂本竜馬とお龍の高千穂の峰、行って来ました

坂本竜馬とお龍の高千穂の峰、行って来ました

随分と昔の話ですが、多分20代の頃でしょう。
私と女性二人の3名で、高千穂の峰に挑戦した事がありました。

隣の御鉢まで、辿りついてからが大変です。
火山灰土壌で軽石だらけの山肌を、足を取られながら山頂を目指すのですが、一進一退なかなか前に進みません。

今でも頂上で見た天の逆鉾の印象は記憶の底に残っています。

そんな思い出が思い起こされます。

先日は、二日間をかけて、

熊本県の釈迦院、3333段の日本一の階段があることで有名です。
この後、実は五木村に出向く予定でしたが、釈迦院の近くの方に尋ねたところ全く昔の風情や面影は見られないとの事でがっかり。
当初からの予定を変更する羽目になってしまいました。

次は、
宮崎県小林市のコスモス園、
大勢の車と人で大混雑。
正直な事を言わせて頂けば、ゆっくりと喧騒から離れたつもりが逆に花を見つめる時間も少なく、混雑に辟易したひと時でした。

えびの高原を経て、霧島国際ホテル宿泊、
NHKの大河ドラマの撮影が高千穂の峰で行われた時には撮影スタッフ、福山雅春さんはじめ俳優の方々の宿泊はこのホテルだったようです。
桜島と錦江湾を眼下に望める7階でしたので、素晴らしい景色に恵まれました。

二日目は霧島神宮と高千穂河原、
ににぎの尊を祭神として、樹齢800年の杉を頂いて心落ち着く風情に囲まれました。

普通でしたら、河原まで来たのですから頂上を目指すのが当たり前ですが、その準備もしていませんし今回の旅は、ゆっくりしようとの計画だったので敢えて山登りはしませんでした。

後は竜馬とお龍が温泉に浸かったと言われる近くの横川町を経由して福岡へ。

約700kmの走行距離でしたが、殆ど疲れも残さず思い出を辿る旅になりました。
  


Posted by misterkei0918 at 12:39Comments(0)

2010年10月13日

有難いを頂きました

有難いを頂きました

12日は、ある方の「古希のお祝い」へ出かけてきました。
実は私の好きな70歳です。

70歳になりたいとか、70の数字が好きとか、数字に拘っての事ではないのです。

70歳を「古希」と言いますよね。
引用します。

『古希(こき。原文の表記は古稀。「稀」は常用漢字にはないので現在では古「希」と書くことが多い)とは、70歳のこと。
唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)人生七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
還暦は数えの61歳(≒満60歳)であるが、古希は数えの70歳(≒満69歳)のこと。昔は70年生きる人は希であったことから、長寿の祝いとされている。お祝いの色は、喜寿祝いと同じく、紫色』

それと、孔子の言われた「70にして、心の欲する処に従えども矩をこえず」が好きなんです。

有難い事です。
お祝いとして声楽家のミニコンサートがありましたが、この方が唄われた歌に「生きる」という歌を始めた聴かせていただきました。

浄土真宗の仏教歌のようです。

歌詞が素晴らしかったので、お借りしてブログに書くことにしました。
私自身は無宗教、どちらかと言うと神道に近いかも。

このまま聞いておくだけではもったいないので記載する事にしました。


「生きる」
1、生かされて  生きてきた
生かされて  生きている
生かされて  生きていこう
手をあわす  南無阿弥陀仏

2、このままの  わがいのち
このままの  わがこころ
このままに  たのみまいらせ
ひたすらに  生きなん今日も

3、あなかしこ  みほとけと
あなかしこ  このわれと
結ばるる  このとうとさに
涙ぐむ  いのちの不思議


生きる事、生きてゆく事の大切さを噛み締めないといけませんね。
仏様は、四苦(生病老死)八苦と言われました。

乗り越える事に人生の意義深さがあると思われます。
それも楽しく。
  


Posted by misterkei0918 at 06:54Comments(0)