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2010年10月04日

孫は祖父母を二度喜ばす?

孫は祖父母を二度喜ばす?

良く考えた言葉ですね。
つまり孫は「一度目は来た時に祖父母を喜ばし、二度目は帰るときにまた喜ばす」

いつもでしたら、帰る時には惜別の情というか辛さではないかと思いがちですが。
どうもそうではなさそうです。

特に滅多に会えない孫との対面は祖父母にとっては大変な喜びです。

所が、普段から接していない孫たちは祖父母の想像を超えた行動力で、それこそ戸惑い、まごつかせることになるのです。

実家に戻ってきた孫たちの姿、行動にうろたえるばかり。

最初こそ、久しぶりの孫たちも遠慮があったり、心遣いもあるものですが、2,3日も経過するとすっかり慣れきって、したい放題の散らかし放題の暴れん坊に変身です。

自分の子供なら、叱りも出来てもこれも侭なりません。

孫たちは、それに乗じて勢いは増すばかり。

親とて、両親の前であれば少しは遠慮もあって叱り飛ばすわけにもいかず、つい中途半端な叱り様になってしまいます。

祖父母にとっては、やがては相手をするにも疲れ果ててくるのが見えてきます。

ですから、先程の言葉にあるように「迎えて満面の笑み、送り出しても満面の笑み」そんな事になってしまいます。

「孫は目に入れても痛くない」
昔から言われる言葉ですが、確かに孫の可愛さは持ってみないとわからないと言うのが正直なところでしょう。

その言葉の裏には、責任の所在がないということも働いているのでしょうがね。

私も現在、孫3名。
その存在は本当に有難いものですし、姿を見ないと気になりますし、何でもしてあげたくなります。

祖父母と孫の関係は、そのようにして保たれるのでしょうか。
つかず離れず、と言うか。

私と祖父母の関係は、親代わりに育てていただいたので却って親を超える、あるいはそれ以上のものとなってしまいました。

このような関係は、或いは先程の「孫は祖父母を二度喜ばす」の言葉とは違って、不憫な孫には親にも優るとも劣らない特殊な親子的関係?が構築されるのかもしれませんね。
  


Posted by misterkei0918 at 22:49Comments(0)

2010年10月04日

突出はしていないけど、よく頑張っている

突出はしていないけど、よく頑張っているということにしておかないと

人は何事でも比較をしてしまいます。

人よりも成績はどうか、
人よりも成功しているのか、
人よりもお金持ち・
人よりも美人?
人よりももてている?


際限なく比較の対象は出てくるものです。

美人かどうか・・・などの先天的な要素の大きい事はあまり比較しても詮無い事ですし、たとえ美人であったとしても人生にとってはそんなに大切な事ではないように思います。

私の話ですよ。

人によっては、美人であれば他の何もいらないと言う方もいるでしょうし、男性女性によってもその価値の程は変ってくるものです。

あくまでもその人にとって、どうなのかということで個々の判断に委ねるしか方法はありません。

また、他人がとやかく言うことでもないですよね。

私にとっては最大の関心事でも、他の人にとっては全く取るに足らないことであることはままあることです。

人と、実績や能力をよく比較します。
自分はどの程度の位置にいるのか、友人たちより勝っているのかいないのか。

負けている事を後悔の余り落ち込む事もどうかと私は思うのです。
それは努力した結果がですよ。

努力もしないで、負けて事を悔やむなどおこがましいといってもいいのではないでしょうか。

そこそこに努力をしても勝てない事をいつまでもうじうじしても詮無い事です。

負けたことは素直に認めて、悪あがきをしないで、他の有利に働きそうな事を見つけるほうに力を注いだほうがいさぎもいいですし、今後のためにも良さそうです。

そんなときには、
「突出はしていないけど、よく頑張っている」と言う事にでもしておきましょう。

人は何でも一番と言う事はありえませんよね。
何処かに自分が優位に立てる場所がある筈。

執着しないで、認めることは認めていさぎのいい人生にしたいものです。

一生そればかりでも困り者ですが。
  


Posted by misterkei0918 at 19:31Comments(0)