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2010年10月25日

命は限りがあること、いつか尽きる事を

命は限りがあること、いつか尽きる事を

親不孝者の私が、こんな事を語るのも不思議ですが最近の世情や私の個人的思い入れを語ってみたいと思います。

命の尊さや大切さは世の古今東西変ってはいけないものでしょうが、何か最近、親子関係とか血とか尊属的な意味で可笑しい状況が日常的に起こっているような気がします。

これは、親の教育、取り分け学校教育のあり方や社会そのものが個人にとって生易しいものでありすぎるような気がします。

昔は親の子に対する教育もそれは厳しいものでしたし、期待も大きかったものです。
学校でも、先生方は情熱的でしたし、道徳的な規範に対しても熱心意教えていただいたものです。

私もPTAの会長などもさせて頂きましたので、最近の親、学校現場の姿をつぶさに見たつもりです。

社会も他人の子供であっても、ほっておくことはしませんでした。

それは誰の子であっても社会や地域の財産と思っているから、時には厳しく、時には十分な愛情を注いであげたものでした。

核家族化の問題や、
親や先生の資質、
価値観の変化、
社会情勢の変化、
マスコミ、
有害情報の氾濫、
経済の低迷、
政治の貧困、
物質的な豊かさ、



上げるときりがありません。

多分、もう元に戻る事は無いような気さえします。

歴史に学ぶ事、先人に学ぶ事も忘れてしまったような悲しい想いにさえなります。

そんな事、あんな事で、親を思う気持ちも薄れてしまいました。
「それはお前だけではないの」などと切り返されそうではありますが。

それと先祖を崇敬する機会、
お線香を手向ける機会も少なくなりました。

最近の世情の動き、取り分け親子の関係の希薄さは「命は限りがあること、いつか尽きる事」を語ることやその現場に行き会うことが少なくなった事も大きく起因しているような気もするのです。

核家族や都会に離れて暮らすことが結局は人を疎遠にし、家族の絆を切り離し、「命は限りがあること、いつか尽きる事」を目の当たりにすることも少なくなりました。

或いはなくなったと言ってもいいかも知れませんね。

自分たちの親に対しても「命は限りがあること、いつか尽きる事」が現実の事ではなく、大よそかけ離れた他所事のような出来事になりました。

昔の大家族時代は、様々な場面で、様々な局面を経験し、命について、生命について家族全員で話す機会も多かったものでした。

それからしますと、当然これからも尊属の大切さを見失うようなトラブルが多発するのかもしれません。

昔は「親はいつまでも生きていると思うな」といわれましたが、今は親はいつまでも生きている時代ともなりました。

親孝行はいつでも出来るものだと思うようになったのです。
後悔先に立たず!!



Posted by misterkei0918 at 17:32│Comments(0)
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