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2010年10月26日

弱り目に祟り目(よわりめにたたりめ)とはこんな事

弱り目に祟り目(よわりめにたたりめ)とはこんな事

悪い事が続く時には、続くものです。
記録的大雨で、極めて酷い影響を受けた奄美大島で今度は大火事です。

どうも放火ということのようですが、こんな時にと言う思いがします。
豪雨は自然災害ですが、今度は人間として恥ずべき人災。

雨の集中は奄美市住用町ですが、今度はどうも奄美市の中心部のようです。

昔、奄美市当時は名瀬市ですが、記録に残るような大火を経験しています。

奄美大島は、戦後沖縄と同じ様に米軍の統治下に置かれ祖国日本と切り離されておりました。
この事は現在でも国民の多くはご存じない事のようです。

当時の奄美大島では、島民上げての復帰運動が繰り広げられ、餓死者が出るのではないかと言われるほどに激しい行動だって様です。

世界的にも非常に珍しい形での祖国復帰だと思っています。
政治の力でもなく、軍事力でもなく、力なき住民が体を挺して勝ち取った日本復帰だったのです。

当時のアメリカ・ダレス米国務長官が昭和28年8月3日に奄美群島の返還を声明。

12月24日に奄美群島返還日米協定調印。
12月25日に奄美群島日本復帰。

そして復帰後の昭和30年12月3日に、当時の名瀬市屋仁川通りでおこった大火は、1,361棟焼失を喪失すると言う記録的な火災を経験したものです。

実は、この時に驚くべき事を経験したのです。
被災した名瀬市に対し、アメリカから大量の救援物資が届き、海岸に山のように積まれていたのを記憶しています。

ミルク、毛布や衣類、子供たちへの文房具・・・・・

被災していない私どもまでもが色んなものを頂いた記憶が残っています。


話は戻りますが、ついていない時はこんなものなんですね。
打撃は一度だけで十分すぎるのに。

それが人災では泣くに泣けません。

でも、今日本全国から善意の救援が増えているようにも聞きます。
現に本日夕刻開催された私の所属する会の役員会でも、奄美への義捐金の拠出が決まりました。

皆さんの貴重な浄財が生きた形で、使われることをお願いしたいものです。



Posted by misterkei0918 at 23:03│Comments(0)
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