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2009年12月31日

除夜の鐘って、どうして108?

除夜の鐘って、どうして108?

31日の大晦日が紅白歌合戦で締めくくり、開けた途端に除夜の鐘が鳴り響きます。
心新たな気持ちにもなるというものです。

紅白を見ながら、年越し蕎麦を食べ、行く年を惜しみ感謝し、来る年に期待と夢を託します。

さて、除夜の鐘の108の数は煩悩の数というのですが、私どもの日常にはこんなにも煩悩が隠れているのでしょうか。

色んな方のお知恵を拝借しました。

煩悩は、我執(自己中心の考え、それにもとづく事物への執着)から生じ、その意味は「一切の欲望や妄念」とも、「心を汚し、惑わすものとも言われるようです。

金の数も実際には、まちまちのようですが少ないものは3、通常は108、多いのは64,000も。

煩悩の根本は三毒で、貪欲、・瞋恚(しんに・しんい)・愚痴(ぐち)。

108の数について、興味深いこんな事が記載されていました。

『まず、人は六つの対象(六鏡と言い、色、声、香、味,触、法)を理解する感覚器を6つ持っていて(六根と言い、目,耳、鼻、舌、身、意)、それで理解する。

その時の理解の仕方が3つ(三不同と言い、好、平、悪)、理解の程度が2つ(染、浄)、そしてその全てが三世(過去、現在、未来)にわたって人を悩ますとされている。

この、6(六根)×3(三不同)×2(染、浄)×3(三世)=108
六鏡はあくまでも対象なので含まない。

あと一つの説は、
六鏡には、三不同以外に三受(楽、捨、苦)の受け方があり、それが三世にわたるという説もあり、
6(六根)×(3(三不同)+3(三受))×3(三世)=108・・・』


世の中、知らない事だらけです。

そもそも日本は仏教国ですから、信心している、信心していないに関わらず知識を深めていた方が良さそうですね。
  


Posted by misterkei0918 at 07:50Comments(0)

2009年12月30日

じっと待っていたら不幸の神様がやって来た

じっと待っていたら不幸の神様がやって来た

行動は「幸せの呼び水」という書き方を数日前にしましたら、行動について少し書きたくなりました。

逆も有り得るのでしょうか。
行動が「幸せの呼び水」でしょう、
行動しないということは「不幸の呼び水」

どうなんですかね。

他人がくれた幸せもありますし、偶然やタナボタ的な幸せも現実に存在します。
でも一般的には、行動やその準備をした人にしか訪れないと思いませんか。

当然、人の道に外れない行動ですよね。
しかも倦まず弛まずという言葉があるように、諦めない辛抱の伴なう継続的な行動です。

行動には計画と先見的な考え、決断が伴います。
無意識につきまとうものです。

行動には良否は別にしても結果が訪れるものです。
当然、反省や喜び、感動が発生いたします。

反省だけではなく、苦しみや悲しみ、大いなる挫折も経験するもの。

それらが渾然一体となって、幸せを呼び込んでくるように思うのです。

行動が伴った幸せは、本来は小さなものであっても時として膨らみを増して感動的な場面さえ提供してくれるものです。

一つの行動は次の勇気ある行動を産み出してくれます。

たとえ失敗に終わった行動でも、そこには充足感や喜びさえ提供をしてくれますし、次への新たなる勇気や叡智さえも蓄えているものです。


『行動はいつも幸せをもたらすものではないが、
行動なくしては幸せはない。ディスレーリ』


『強力な理由は力強い行動を生む。シェイクスピア「ジョン王」』


『日々正直に行動することが成功に達する最も確実な道だ。
チャーチル(英 政治家)』


『行動にかかるたびに、人間の脳は成長します。
そうなった時、本当の信念が生まれます。ヘレンケラー』
  


Posted by misterkei0918 at 23:49Comments(0)

2009年12月29日

変わる事に躊躇しては駄目!!

変わる事に躊躇しては駄目!!

今年もあと僅かで大晦日を迎えます。
年の瀬は幾つになっても、気忙しい思いに駆られます。

落ち着いて正月を迎えた経験は多分、30歳を迎えるまでの若い頃だけではないでしょうか。

学校やサラリーマンで働いていたころは、のんびりと正月を楽しみに待ち侘びたものでした。
取り立てて焦ってすることもなく。

29歳である大手コンピュータメーカーを退職し、起業をした時から新たな人生がスタートしました。

この頃から私の人生は大幅に変化を遂げることになります。
大よそ180度変わったと言っても過言ではないでしょう。

或いは本来持っていた人となりが、活かせる人生が始まった、端緒についたと言ってもいいです。

そうですね、
変化の始まりは、24歳の結婚が一つの区切りだったのかもしれません。
音楽で言えば序章というところ。

多分この序章がなければ第2弾も始まらなかったでしょう。

男を意識し始めたというか、自分の存在感とか、立場とかの重要さを痛感し始めたというのが結婚だったと思います。
大黒柱としての責任の重さの痛感や自覚の始まりです。

また、変化の後押しをしてくれたのが子供だったり、ライバルだったりの様です。

妻や3人の子供の存在が私に勇気を与え、挫折することを許さず、前を向くことだけを教えてくれました。

また、ライバルは友人であったり先輩であったり、勤めていた会社の同僚達です。
彼らは私に常に闘争心を与え、怯(ひる)むことを容赦せず、励ましの心を捧げてくれました。

斯(か)くて私は見事に変化を遂げたのです。

変わる事に躊躇してはなりません。
変化、変革の過程に中でそれが実感出来る機会を作ることも大切な事です。

現実に変化した自分の姿の確認することと、
変わった暁の自分を常に勇気を持って想像することではないでしょうか。

逞しい自分の姿、
家族や会社を見事に牽引している自分の姿、
人々を幸せに満ちた世界へ導いている自分、
晴がましく、神々しく輝いている自分・・・・・

人は確実に変われるもの。
それは人間だけに与えられた神様からの贈り物であります。

享受するかしないか、それを選択するかしないか。
踏み出すか、留まるか、決めたのは自分です。

躊躇はいりません。
変化の先に見える光明は行動を起こした人にしか見えないものだから。
  


Posted by misterkei0918 at 10:09Comments(0)

2009年12月28日

つい、顔を見つめてしまいました

つい、顔を見つめてしまいました

健康のためと思って続けた早朝のウォーキングで体重が10キロ近く減少しました。

それだけの理由ではありませんが、幾らか軽く成った体は動かすのが楽しくもありますし、快適です。

体重を落とす前は、男は少し位は太っていた方がいいとか、
経営者は若干ふっくらしていた方が穏やかに見える・・・・・

とか、勝手な思い入れで甘えていたような気がします。

午後のおやつは貰うもの全てを口にしてしまいますし、
卑しい性格は、会食などで出る食事は全て平らげてしまいます。

酷い時は、外での会食で既に食べてきているのに、自宅へ帰って「何か無いのか?」と要求してみたり。

今は、極めて順調な体重状態です。
ウォーキングが身についてきましたし、汗をかくことが当たり前となり週末の楽しみともなってきました。

夏の暑い時も、額や胸、背中を滴る汗の感触が心地よいものとなり、欠かせなくなっています。

ウォーキングをしていると見知らぬ方から声をかけられます。

追い抜きざまに「お疲れさん」、「おはようございます」の声。

山登りの時には上り下りのすれ違いざまに挨拶を交わすのが常識、慣例になっています。

ついでですが、先日韓国の山を登った時に日本の慣習に従って挨拶をしたら、怪訝そうな顔をされてしまいました。当然、習いたての韓国の言葉で。

見知らぬ人から突然に声を掛けられるわけですから、つい顔を見つめてしまいます。
見知らぬ他人から声を掛けられるわけですから。

一瞬、誰なんだろうって。

こちらとすれば知っている人だとちゃんと挨拶しないといけないという思いがありますから、つい見つめてしまいます。

そんな事が何回か続くと、今度は挨拶を真剣に交わし合う知人になってしまいます。
「袖すり合うも他生の縁」ではありませんが少しのきっかけを大事に出来るかどうか、人の繋がりが広がるかどうかの瀬戸際の様です。
  


Posted by misterkei0918 at 13:17Comments(0)

2009年12月28日

子供達の弾む声は世の中に元気を齎(もたら)す

子供達の弾む声は世の中に元気を齎(もたら)す

明るい声はいいものです。
子供達の元気な様子は傍から見ていてもつい微笑んでしまいます。

少子化か言われて久しいように思いますが、このことは人口減少だけではなく経済への影響も大きく、社会の活力をも削ぎ落としてしまいます。

世界的に見れば、人口は増えて行く傾向ですがおおよそ先進国は減少気味か平行線では無いでしょうか。

出生率も日本は幾らか増加に転じてはいますが人口が増えて行く数字ではありません。
韓国はもっと深刻のようです。

中国は一人っ子政策が続いていますから、それの弊害が色んな面で出てきているようですし、13億の人口を抱えた国の人口政策は恐ろしくなるような、気が遠くなるような思いです。

少子化対策は、ただ産めよ増やせよだけでは到底無理なことです。

子供が生まれる時から成人を迎えるまでの精神的、経済的な負担や不安をどれだけ払拭出来るかに掛かっているような気がします。

今は昔と違って、子供は親がなくても育つとか、周りが何とか出来る社会では亡くなりました。

でも、普段接する子供達の元気な声は周りを明るく楽しいものにしてくれます。

今朝は野球のユニフォームを身につけた子供達が大勢、福岡市中央区の大濠公園へ集まってきています。

想像ですが、少年野球の子供達に集合が掛かっているのでしょうね。

周りには父親や母親、多分兄弟であろう子供、お世話の大人たち。
みんな元気です。

今の時間が朝の7時頃。

子供はできるだけスポーツに勤しんで体を鍛えて欲しい。
体の鍛錬は心の修練や練磨に繋がります。

精神力の強い子供は、勇気と継続の力を有しています。
社会にはそんな逞しい子供が大勢欲しいものです。

「子供達の弾む声は世の中に元気を齎(もたら)す」そんな思いで一杯です。
  


Posted by misterkei0918 at 12:42Comments(0)

2009年12月26日

世の中、若い頃から勉強や努力した奴の勝ち

世の中、若い頃から勉強や努力した奴の勝ち

悔しいけど世の中はそのように出来ているようです。

中国の科挙制度もそうですが、優秀な人は登用されるように昔からあったようです。
確か聖徳太子の時代もそのような制度があったようにも思いますが如何だったでしょうか。

今でも、官僚や学校の先生などへ大いに登用出来るようにしたらいいと思うのです。
社会で揉まれた人間性豊で、しかも優秀な人々を。
一部そのような動きが出てはきましたが。

私の様に勉強や努力の足らなかった者にしてみれば「世の中はそんなもんではない。運やチャンスがあるのだから関係ない!!」と言いたいし、そのように信じていました。

でも正直なところやはり頑張った人にその報いは来るように世の中は出来ています。
自分の身の回りを見渡していても殆んどその事に間違いは無さそうです。

ただの慰めだったような気がします。
勉強や努力をしなかった人への。

極論をすれば、世の中に出た時点から既に殆んどの将来は大よそ予測がついているように思うのです。

そりゃ、そうでない人もいるにはいます。
世の中に出てから、努力をして勝ち取った人、偶然が重なった人、人から与えられた人・・・

勝ち負けは本人の感じ方ですので他人がとやかく言うことではありませんが、廻りを見渡してみて幸せそうなのか、ゆとりのある生活をしているのか、充実感に満ちた今なのか・・・・・を勝手に判断してみるとそんな気がするのです。

異論のある方も多くおられると存じますが、一般論として社会に出た皆さんが感じることでしょう。

私も社会に出た若い頃にいつも口にしてました。
「もう少し頑張っておけば良かった」

それは勉強でもスポーツでも良かったのです。
私はどれも中途半端でしたから、社会に出て役に立つほどの物は何もありませんでした・。

今ごろになって後悔しても「時、既に遅し」です。
若い方々には、今が自分の将来を決めているんだと言う意識で頑張って欲しいもの。

周りの大人は
「若い頃は大いに遊んでおきなさい」
「社会にでればどうにかなるもの」
「学校の勉強など社会にでれば役に立たない。ほどほどで良い」
と言います。

本当にそうでしょうか。
周りの大人に真剣に聞いてみてください。
出来れば、社会的地位の高い人や企業の経営者、成功していると思われる人に。

でも、若い頃から頑張って来たそういう方々は偉そうにも語りませんし、多くの事には言及しません。

どうしてかというと、そういう方々は頑張ることが当たり前だし、自分自身で率先して努力することが大事だという事を体に染みるほど知っていますから、他人に語ることではないと思っています。

それが人生に対する当たり前の態度ですから、口にすることを嫌うかもしれません。
聞いてみる価値はありそうですよ。
  


Posted by misterkei0918 at 08:15Comments(1)

2009年12月25日

ありがとうの数だけ

ありがとうの数だけ

ありがとうを漢字にすれば「有難う」。
つまり、有難いこと、滅多に無いこと、勿体無いこと。

私の為に、心の限りを尽くして頂いて・・・
滅多に無い程、勿体無い程に心や物を施して頂いて・・・

時間や労力を費やして頂いて・・・

ありがとうを言う程に、功徳を施している、或いは徳を積んでいると思えば如何でしょうか。

或いはありがとうと言われる程に、相手に功徳を施し、徳を積んで上げていると。

今、私はある方からお知恵を頂いて「ありがとう百万遍」を実践中です。
以前の私は「すみません」の連発でした。

教えて頂いてからは、出来る限り「ありがとう」を口にするようになりました。
不思議なものです。

すみませんは言えば言うほど、卑屈になるような感じ、
ありがとうは胸を張って言えますし、言った後もすっきり爽やか、気分爽快と言ったところでしょうか。

同じように思えますが、よくよく考えてみたらそれぞれにそんな言葉の響きや雰囲気を醸し出しているものです。

どうも「ありがとう」の数だけ、笑顔が増えるようでもありますし、幸せが一歩一歩歩み寄ってくるようにさえ思えます。

幸福を自ら呼び寄せる人は、元来言葉使いや日常の身のこなし方からして自然体で行動しているのかもしれませんね。

ありがとうの百万遍は20年間(7300日)の内に達成するとして1日に約150回のありがとうを言葉にすることになります。

150回であれば何とか実践出来そうな気がしませんか。
1日に10人の人に会えば10回、
電話を10回取れば始めと終わりで20回、

買い物のレジでお金を払いながらありがとう、
会社に出這入りするお客様にありがとう、

施しを頂いたらありがとう、
どうも200回くらいは簡単に言えそうです。

不思議なものです。
こちらのありがとうの心が通じれば、相手からもありがとうが返ってくるものです。

そうなればしめたもの。
後はリズムにさえなってしまいます。

そんな事から「ありがとうは幸せへの呼び水、迎え水」とも言えそうです。
  


Posted by misterkei0918 at 00:32Comments(0)

2009年12月24日

クリスマス頼み?女性頼み?

クリスマス頼み?女性頼み?

街は数日前から車が溢れています。

ギフトやプレゼント好きな国民性ですから、多分お店の方々やクリスマス絡みの方々は手ぐすねを引いておられることでしょうね。

ボーナスは出たし、給料も既に出たところも多いことでしょう。
或いはボーナスについては厳しい時勢ですから、出せないところ半減したところ悲喜こもごもだと思います。

昔からお中元やお歳暮、快気祝いやお返しの好きな国民性です。

以前でしたら初売りや初商い、初荷等で賑わったのでしょうが今では年末年始はクリスマスにお株を奪われた感じになってしまいました。

また、バレンタインデー、マシュマロデー等もそうですよね。

いずれにしても形はどうあれ、消費者が財布の紐を緩めるのが一番の経済対策です。

企業は青息吐息、危ない状態ですし不動産や建築も今や不況業種の一つになってしまいました。

要らない物を買う必要はありませんが、それぞれが心豊かになって暖かい思いが出来るなら思い切って財布の紐を開けて頂きたいものです。

サンタのおじさんも実はそれを望んでいるのでは?

福岡市の中心部の中央公園には真っ赤な衣装を着たサンタクロースが勢ぞろいしていました。

公園の中心で集まっていますので多分打合せの最中だったのでしょう。

数十人のサンタが集まっている姿は何となく異様なものです。

思い起こすサンタは、いつも一人の筈なんですが。

これから中心部へ出て、街の活性化に一役買ってくれると有り難いものです。

期待するのは家計を掴んでいる、特に中年女性が奮発して頂けると。

「鳩山不況」と言われる昨今、
頼みの綱はやはり女性たちでしょう。
  


Posted by misterkei0918 at 19:01Comments(0)

2009年12月24日

税金を知る大きなチャンス到来

税金を知る大きなチャンス到来

漢字検定協会が選ぶ今年の一字は「新」になりました。

新しい政権が誕生したのもその一つの様です。
どうなるか、不安の日々ですね。

船出は勢いがあって良かったのですが、
岸壁に囲まれた湾内は穏やかで自由な発言や無理解な側面も許されたのですが、次第に沖へ出て行くに従って海の深さや波の高さ、行き交う船舶の多さ等に戸惑いや混乱を生じて来ました。

政府の閣僚等の表情が険しくなってきたのと、何となく服装や髪の乱れが目立っています。

何となく痩せてきた閣僚も出てきました。

さぞかし政権運営の難しさや大変さを噛み締めているものと思います。

「案ずるよりも産むが易し」と言います。
この困難を乗り越えて新しい時代を切り開いて欲しいものです。

問題は国民生活に待ったはありません。時間の猶予が無いのが問題です。
バラマキが当然になってきましたので国民は貰えるものは貰おうという意識に傾いていますから、ますます大変な事態になりそうな気もします。

いま、色んな税金の体系も変わろうとしています。
私もそうですが、税金の仕組みなど殆んど無理解状態です。

この機会に税金の大まかな所だけでも勉強してみては如何でしょうか。
詳しいことは専門家に任せればいいのですが。
ビッグチャンスの様にも思えます。

そんなに詳しくならなくても、自分が払っている税金くらいはそこそこ話せるくらいでいいのでは無いでしょうか。

税金は払うだけではなく、その使われ方にも大いに感心を払うことが大事です。
そうでないと文句も言えませんし、ましてや感心など湧いても来ません。

汗の結晶、血税とも言われます。
無駄に使われるのも嫌なものです。

公平な負担、徴収と公正な使われ方。

また払う必要なものや、払う立場にある人や企業は払わないといけませんよね。

その為には大きな勉強のチャンスです。
マスコミにも日常的に税金の話が登場していますから。
子供とも正しい知識で税金の話が出来るといいですね。
  


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2009年12月22日

お金は天下の廻りもの

お金は天下の廻りもの

お金が天下を廻るなんて、そんな事は可笑しいと思っていました。

崇高な天下にお金の話など、そぐわ無いとか、相応しくない、節操が無いとも思っていたものです。

でも、お金を動かすことが仕事になると少しづつ理解出来るようになってきました。

企業で言えば、儲けたお金は社員の給料やボーナスに、
或いは研究開発に、
販促活動に有効に使うことになります。

銀行に溜め込んでいるばかりでは、将来の展望は開けては来ませんし、死に金になってしまいます。

廻したお金は、また新しい事業の展開や売上の確保となって利益を生み出し、素晴らしいサイクルが出来上がることになります。

つまり、お金がお金を産み出し、好循環の流れを産み出すことになります。

貧乏な私どもは、手にしたお金はつい自分の手元に置きがちですが、寝かしたお金は金利もつきませんし、ただ今の安心を支えているに過ぎないのです。

生活を支えるのはお金だったりもするわけですから、全て吐き出してはいけませんが、自分への投資であったり、将来へ向かっての研鑽や開発のために有用に使うことが大事だと思われます。

今の政府が・・・手当や・・・補助、・・・助成金などの名目をしきりに叫んでますが言わばこれも世の中でお金を廻すことによって活性化を図り、景気を高揚したいと願っている証左でしょう。

つまりお金を世の中に多く流通させることによって、経済の立て直しや貧富の差、格差是正をしたいと願う政府の姿勢でしょう。

日銀が行うゼロ金利政策なども。

物余りの時代には、そんなに欲しいものもありませんが如何にして懐のお金を吐き出させるか、それが問題のようです。

バブルの時代は、ゴミ置き場が山になる程に古いもの、場所を食うもの、使わないものを大量に処分したものです。

それもどうかと思いますが。

景気はお金が順調に澱み無く廻ることが必要ですから、企業も個人も必要程度のお金は廻すという意識が大事なようです。
  


Posted by misterkei0918 at 23:21Comments(0)

2009年12月22日

自然に戻りたい!!

自然に戻りたい!!

極めて自分に相応しい状態になることを「自然に戻りたい」等と言います。
自然の状態や生まれ育った状態へ回帰することで人間は落ち着きや安らぎまでも感じてしまいます。

私どもの周りは至る所、物に囲まれ、しかもそれは人間が造ったものばかり。

本来は野山であるとか、海川であるとか、自然の中にあるのが本来のあり方なのでしょうが、科学的にもの、化学的なもの、ただ利便性だけを追求して作られた物など、本来人間の心や体に優しいものは次第に忘れられ、置き去りになってきました。

会社や勤め先が休みになっても、山川などの自然の中で興じることを忘れてしまって、都会の喧騒の中や極めて物質的な華やかな物の中に溶けこむことが休日の過ごし方になってしまいました。

だからでしょうか、
心を病む人が大変多くなってきました。

自然の懐に抱かれて、のんびりと時間を忘れ、日常から離れてみるのも良さそうです。


『自然のなかには、ぼくの愛に値しないものは何もない。
一人の人間も、一本の木も。ロマンロラン』


『自然、必然、当然 三つのものの合一する道をあるく たしかさ。武者小路実篤』


『自然はけっしてわれわれを欺かない。
われわれを欺くのは、いつもわれわれ自身である。ルソー』  


Posted by misterkei0918 at 16:31Comments(0)

2009年12月22日

「貧すれば窮する」?

「貧すれば窮する」?

所得格差の問題が繁く論じられるようになってきました。

昔でしたら貧富の差は、発展途上国の問題であるとか、後進国で常に課題となることのように思っていましたが、社会が成熟してもこんな事が問題となって来るのですね。

そして、昔でしたら貧乏でいることが当たり前でしたし、周りにも多くの家庭や人々が生活に困窮してましたのでそんなに気にもなりませんでしたし、あまり恥ずかしいことでもなかったように思います。

お互いが助けあって、譲りあってどうにか食べ物や住まいには困らなかったものです。

ですが今は違います。
社会共同体としての機能が麻痺してますし、自分の生活を維持するのが精一杯。
或いは、人の事に真剣になって、真身になってくれる人々も少なくなっているように思います。

また、どうにかしようと思えば昔はどうにか成ったものですが、最近は一旦社会から弾き出されると復帰や戻るのが大変に難しい時代となりました。

国からの援助を期待してもそんなには甘くありませんし、個人の力の限度もあることです。
最近の若者に原因が起因することも多いようです。

辛抱しない、
きついことは出来ればしたくない、

楽して儲けようと思っている、
自己過信が強すぎる、

自分の胸を開いて他人に心を開こうとしない、
頭脳プレーに頼ろうとする、

親から自立出来ていない、
他人の批判が上手、




「貧すれば鈍する」という言葉があります。
・ ・・貧乏すると、生活の苦しさのために精神の働きまで愚鈍になる・・・ということです。

こんなことになってはいけませんよね。
私の幼い頃、若い頃がこんな状態だったように思います。
その日の事が精一杯で他のことには神経が行き届かなかったり、気が回らなかったり。

「財に満つれど、心貧しければ滅ぶ」という言葉もあります。
お金や財産があっても、心のあり方がいけないと滅んでしまいますよとのこと。

慢心に陥ったり、人を見下したり、偉そうに振舞うとロクなことはありません。

「貧すれば窮する」という言葉があります。
窮するとは、困るとか、苦しむとか、塞がる、貧しくなるの意味があります。

でも世の中を見ると、貧しさや困窮した状態の中から這い上がって社会的地位を得た人とか、努力が実って大成した人は多いものです。

殆んどがそうだといっても過言では無いのでは無いでしょうか。
むしろそんな人の中にこそ、人間的にも素晴らしくて、尊敬出来る人は多いものです。

貧しいからとか、恵まれないことを理由に努力をしないことが一番いけないことのようです。
むしろ恵まれないからこそ、無限の可能性や頑張る領域が広いと考えてはどうでしょうか。
  


Posted by misterkei0918 at 13:29Comments(0)

2009年12月20日

サンタクロースは本当にいるの?

サンタクロースは本当にいるの?

サンタクロースはいるの?   平成16年12月25日
いつも読ませていただいているメルマガに記載してありましたので私の勉強の為に転載させて頂きました。
子供の素朴な質問ですが大人にとっても含蓄のある話です。皆様にもご参考までに。

もっと早く、子供たちが小さい頃にこの話を知っておれば十分な説明が出来たのにと残念です。もっと夢多い素直な心優しい子供たちになっていたかもしれません。
本当にサンタはいるんですね。

今から百年くらい前のニューヨークでのお話しである。


『8才になるバージニアという女の子が、とある日お父さんに質問しました。
「サンタクロースっているの?」と。
聞けば学校で、「サンタはいる」とか「いない」とか友達と論争になったのだと。

お父さんは「そうだな。サン新聞に問い合わせてごらんよ」と。
(自分で答えられないお父さんが、何だか滑稽なような不憫なような…)

そこでバージニアは早速サン新聞社宛てに質問の手紙を書きました。
サン新聞社の編集長はバージニアの手紙をチャーチさんという記者に渡し、チャーチさんは新聞の紙面でバージニアの質問に答えたのでした。

「サンタはいる」と。

バージニア、お答えします。
サンタクロースなんかいないと言うあなたのお友達は間違っていますよ。
きっと、その子の心には最近流行の「何でも疑って信じないぞ!」って言う疑り屋さん の気持ちが強いのでしょうね。

疑り屋さんというのは、自分の目に見えるものしか信じない心の狭い人達なんです。
心が狭いから、よくわからないことがたくさんあるのですよ。
それなのに自分のわからないことは皆ウソだと決めてしまうのです。

ですけど人が頭で考えられることなんて、大人でも子供でも本当に限られたものなんですよ。
私達の住んでいるこの限りなく広い宇宙においては、人の知恵なんて小さな虫の様に、それこそアリの様に小さいものなんですよ。

その広く大きな世界を理解しようとするには、世の中のことを皆理解できる様な深い知恵が必要なのですよ。

そうです、バージニア、サンタクロースがいるというのは、決してウソではありませんよ。
この世界に愛や人への思いやりの心があるのと同じようにサンタクロースも確かにいるのですよ。

あなたにも分かっているでしょう、世界にある愛や人への思いやりこそ、あなたの毎日の生活を美しく、楽しくしているものなのだということを。
もしサンタクロースがいなかったら世界はどんなに暗く寂しいことでしょうね。

あなたのように可愛い子供がいない世界が考えられないのと同じように、サンタクロースのいない世界なんて想像もできません。
サンタクロースがいなければ、子供らしい夢も詩もときめきもなくなってしまうでしょうし、私達人の味わう喜びは、ただ目に見えるもの、手で触れるもの、感じるものだけになってしまうでしょうね。

そういった子供時代の世界に満ち溢れた光も消えてしまうでしょう。

サンタクロースがいないですって? 
サンタクロースが信じられないなら、妖精もいないって言うのでしょうね。

クリスマスイブの夜にパパに頼んで探偵さんにニューヨーク中の煙突を見張ってもらったらどうでしょうか?ひょっとするとサンタクロースを捕まえることができるかもしれませんよ。

でももし煙突からサンタクロースが降りて来なかったとしても、それが何の証拠になるのでしょうか? サンタクロースを見た人はいません、でもそれはサンタクロースがいないという証明にはならないのですよ。

世界で一番確かなもの、それは子供にも大人にも目に見えないものなのですから。

バージニア、あなたは妖精が芝生の上で踊っているのを見たことがありますか? ないでしょうね? だからと言って妖精なんていもしないデタラメだなんてことにはなりませんよ。

世界中にある見えないもの、見ることができないものが、何から何まで皆人が頭の中で作ったデタラメだなんてことはないのですよ。

赤ちゃんのオモチャを分解して、どうして音が出るのか、仕組みを調べたりすることはできます。
でも、目に見えない世界を覆い隠しているカーテンを開くことはどんなに力自慢の人にも無理なのですよ。

ただ、信じる気持ちと想像力と詩と愛とときめきだけがそのカーテンを一時開いて、カーテンの向こうの素晴らしい世界を見せてくれるのです。

その素晴らしい世界は人が考えたデタラメなのでしょうか? いいえバージニア、それほど確かな、それほど変わらないものは世界の何処にも他にないのですよ。

サンタクロースがいないですって? とんでもない! 嬉しいことにサンタクロースはちゃんといます! それどころか、いつまでも死なないでしょう。

千年後も100万年後もサンタクロースは子供達に今と変わらずに夢やときめきを運んで来てくれるでしょう。』
  


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2009年12月19日

慢心しないで!!

慢心しないで!!

慢心は人を堕落させ、傲慢にさえしてしまいます。
自信に充ち溢れ、人のお陰様を忘れ、我が物顔になってしまいます。

社会的地位を得たり、人の上に立つ立場になると人はつい慢心になってしまうものです。

或いは普段持ちつけないお金を持ったり、途端に物持ちになるとそれが人間性まで高まったような錯覚に襲われてしまいます。

「稲穂が実るほどに頭を垂れる」の言葉は小さい頃に幾度となく聞かされてきました。
そんな時にも大事なのは謙虚な気持ちと、仰け反らない事。

今日の夜は、世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級タイトルマッチ12回戦が、神戸ワールド記念ホールで行われました。

チャンピオンの長谷川穂積(真正)が挑戦者で同級9位のアルバロ・ペレス(ニカラグア)に4回TKO勝ちをした場面を見ていました。

日本のジム所属選手では元世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級チャンピオンの具志堅用高(協栄)に次ぐ2人目の2けた連続防衛に成功したのです。

彼の言葉が印象に残りました。
「この勝利に慢心しないで・・・・・」

偉いと思ったのです。
勝利の瞬間でも自分を失わず、謙虚に言葉を選んで発言する姿。

母親を大事にする彼の姿勢や、妻を始め二人の子供に対する家族愛までもが私にとっては大変な関心事になってしまいました。

多分、これからの彼の世界を機会がある度に拝見することになろうと思います。

人は「勝って甲の緒を締めよ」の言葉のように、物事に勝利を収めた時ほど高まる気持ちを押さえて心を引き締める必要がありそうです。

そこで初めてその人の人間性が現れるものです。
  


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2009年12月19日

言葉は魔物!!表情が加わるともっと恐ろしいことになる

言葉は魔物!!表情が加わるともっと恐ろしいことになる

言葉は時として、恐ろしい武器に変身します。
言葉の言の字は、口に刺さった刃物の象形と言われます。

それに言葉自体の口調の強さが加わり、怖い表情や形相が加わると言葉は加速度的に変化を見せるものです。

よくセミナーなどで「メラビアンの法則」とか「7-38-55のルール」という事を耳にします。
ネット上から引用させて頂きました。

メラビアンの法則(the rule of Mehrabian)とは、
アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが1971年に提唱した法則で、声の感じで、

「maybe」(かもしれない)といった文がどの程度、「そうかもしれない」かを判断する実験で、力強い口調の場合は、普通の口調よりも、「そうかもしれない」と感じたということが立証できたという実験だと言われている。

研究内容 [編集]

この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを扱う実験である。

感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、

話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。この割合から「7-38-55のルール」とも言われる。

「言語情報=Verbal」「聴覚情報=Vocal」「視覚情報=Visual」の頭文字を取って「3Vの法則」ともいわれている。


俗流解釈 [編集]

この内容が次第に一人歩きをし、この法則から「見た目が一番重要」あるいは「話の内容よりも喋り方のテクニックが重要」という結論が導き出されると言う解釈が有名になっている。

就職活動の面接対策セミナー、営業セミナー、自己啓発書、話し方教室などでこの解釈がよく用いられる。

ただしこの実験は「好意・反感などの態度や感情のコミュニケーション」において「メッセージの送り手がどちらとも取れるメッセージを送った」場合、

「メッセージの受け手が声の調子や身体言語といったものを重視する」という事を言っているに過ぎない。

よって単に事実のみを伝えたり要望をしたりするコミュニケーションの場合には触れておらず、コミュニケーション全般においてこの法則が適用されると言うような解釈はメラビアン本人が提唱したものとは違う「とんでもない話」である。
  


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2009年12月19日

自分の歩んだ道は自分のもの?

自分の歩んだ道は自分のもの?

馬齢を重ねると、何となく自分の人生を振り返りたくもなります。
それが大人の生き方というものでしょうか。

若い頃は今が大事でした。

今、幸せなのか、
今、経営は大丈夫なのか、
今、家庭はうまくいっているのか、
今、子供達はすくすく育っているのか、
今、正しく生きているのか、
今、人にどう見られているのか、
今、社会に役立っているのか、



先の見えてきた年齢になると、振り返ることが多くなってきましたし、楽しくもあるものです。
今を過去に置き換えてみると、懐古する自分の姿を彷彿とさせます。

そして生きざまを褒めてみたり、窘めてみたり、後悔をしてみたり。

ある意味、振り返るゆとりが出てきたということでもありましょう。
決して日常が暇な訳でもありませんが、過去の自分を見つめたりすることが逆にこれからの自分の生き方の縁としたいのでしょうか。

それと歩んだ道は自分だけのものにしてはいけないと思うのです。

子供や孫、これからの若い方々にお裾分けではありませんが、「人生はこんなものだよ」って少しでも教えておく必要があるように思います。

それは、これからの方々が先人から学んだ知恵として大いに参考になるからです。

私のように学ぶ機会に恵まれなかった人間にしてみれば、大変に無駄な回り道もしましたし、しなくてもいい苦労もしたような気がします。

若い方々も、年寄りの無駄話と思わずに耳を傾けることが自分の人生にとってどれだけ有用に働くかを知っておくべきです。
  


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2009年12月19日

行動の上にこそ幸福の木は育つ

行動の上にこそ幸福の木は育つ

真の幸せは待っていては、殆んど擦り寄っては来ません。

殆どというには訳が存在します。

本当に心底、幸せにしてあげたいという人がいたとします。
時間を犠牲にしても、お金や自分をさておいてもその人を幸せに導いてあげるものです。

例えば、「子供に幸せな未来を作ってあげたい、
「俺の恋人は俺がきっと幸せにしてやる」こんなことはその代表でしょう。
自分は幸せを望む望まないに関わらず、他動的に頂く幸せ。

或いは思惑や打算の想いを隠して、見せかけの幸せを与える人もいるものです。

又、タナボタ的な幸せもあります。

年末宝くじで億円単位の当選はそうでしょう。
その精で身の破滅を招いた人も知っていますが。

社長の急死で思いもかけず経営者の椅子を手にする人もいます。
労せずして。

でも一過性でなくて、心の中から幸せ感を持てるのはやはり自らが努力して勝ち取った幸せでしょう。

好きな人がいたら思い切って自分の胸の内を打ち明けてみる。

男性でも難しいことですので、女性からはなかなか難しいものですが、でもチャンスは一生で1回かもしれません。

でも、今を大切にすることは将来の自分を確立することでもありますし、禍根を残さないことでもあります。

自分を幸せモードに変えるリスクを取るか、現状のまま、或いは尻すぼみを選ぶか。

行動を起こすのか、起こさないのか。
決めるのは自分ですが、私は行動を起こす方を選んでしまいます。

結果は神のみぞ知る的なところもありますが、能動的な行動は必ずや何かしら残してくれるものです。


『行動はいつも幸せをもたらすものではないが、
行動なくしては幸せはない。ディスレーリ』


『日々正直に行動することが成功に達する最も確実な道だ。チャーチル(英 政治家)』
  


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2009年12月19日

律儀な人

律儀な人

律儀な人っておられるものです。

お世話をすればあくる日にはお礼の電話がなります。
目出度いことがあれば、おめでとうございます。

お祝い事があれば、お祝儀をあれ、
喜びごとには花を贈ったり、電報を打って頂いたり、

悔やみごとにはいち早く駆けつけて、慰めてくれます。

私の様に無頓着な人がいるかと思えば、細かい心使いが出来る律儀な人がいます。

人の繋がりの大切さは、充分に分かっていながら、配慮の行き届く人、行き届かない若しくは気にしない人。

世の中様々ですが、良好な関係を維持継続出来る人はそれなりに努力をなさるような気がします。

関係の深さや繋がりの強さは、そんなことの積重ねで醸成されるものです。

大したことではなくても、ちょっとした気遣いの大切さを肌を持って理解されているのでしょう。

思いや心の深さは本来、言葉や行動だけでは推し量れませんが、
でも言葉や行動が伴うことが大切でしょう。

律は辞書を引きましたら「人の行く道」
儀は「立派な様子、手本とする振る舞い、習わし・・・」と出てきます。

人の模範となるようなことまでは出来ませんが、

せめて、後ろ指を指されたりすることの無いように、
また、陰口を叩かれたり、
人間性を疑われるようなことや人後に悖(もと)るようなことだけはしたくないものです。
  


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2009年12月19日

救いの神は突然にやって来る

救いの神は突然にやって来る

今日は私の故郷の一年に1回の例会でした。

どういう訳か、今年の準備はスムースにいかないのです。
気分的に乗っていないとか、気がすすまないと言う事ではなかったのです。

日程の調整、決定も順調にいきません。
毎年アトラクションを準備するのですが、どうしても噛み合いません。

今日がその当日でした。
受付や会場の諸準備をやっていても、参加される方々が本当に喜んでくれる例会になるか心配でたまらないのです。

いつもの私でしたら、気持ちはいつも吹っ切れていて、得意の「開き直り」で事に対処するのが常なんですが、今日の私はどうしても気持ちが落ち着きません。

日程調整がうまくいかず、12月中旬までずれ込んだこと、
大事なアトラクションの準備が出来ず、代替えでなんとか済まそうと思っているからに他なりません。

もう心は一か八かの状態、モードになっています。
どうにかなるだろうの境地です。

処が、「救いの神は突然にやってくる」の具現です。
受付の近くに立っていましたら、「あっ」と驚く事態が発生しました。

目前にあのアトラクションを出来る人物が現れたではないですか。

しかも福岡に住んでいる人ではなくて、たまたま福岡へ来ていたらしく「郷土の会があると聞いたので叔父と一緒に来ました」とのこと。

まさしく「救いの神」です。

急遽、実はアトラクションの準備が出来てなくて困っていることを告げて、
「御無理いいますが、何ならお願い出来る?」

二つ返事でした「喜んで!!」
18歳の高校3年生です。

普通なら、断りますよね。
或いは私が余程困った表情をしていたのか、
お願いの仕方が上手なのか、

または彼女の思いやりの心意気なのか。

今度は演奏な楽器がありません。
当然、最初からアトラクションを諦めていたわけですから準備しているわけがありません。

処が虫の知らせでしょうか。

今朝目覚めたときに、アトラクションはなくても楽器だけは準備しておこうかという想いが駆け巡ったのです。
実行までは至りませんでしたが。

そうとなれば当然、楽器の準備が必要です。
会のスタート時間になっています。

慌てて、楽器をもっているであろう友人宅への電話作戦です。
参加者の一人に会場から往復40分のタクシーを飛ばして走って貰い、会の中盤のアトラクションの時間に辛うじて間に合いました。

お陰でいつもの様にアトラクションも開催できて、当然参加の皆さんの大きな喝采があったのは当然です。

振り返っても不思議な一日でした。
やはり、一生懸命に勤めたら、幸運の女神、神様は突然にやって来るものです。
  


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2009年12月19日

勝つと思えば負けよ

勝つと思えば負けよ

美空ひばりさんの歌声は本当に素晴らしいものでした。
戦後の日本を元気づけ、勇気を与えて一人に数えられるとも思っています。

打ちひしがれた心を時には慰め、時には奮い立たせたその力は素晴らしいと今でも賞賛に値すると想います。

戦後復興の立役者の一人でしょう。

また、映画の女優さんとして活躍していた小さい頃の映像はなんとも可愛いと言うか、オトナっぽいというか、不思議な魅力を持った方でした。

言わば、こましゃくれている(大人びている)とでもいうのでしょうね。

その美空ひばりさんが歌う「柔」の1番の歌詞のトップにこんな言葉が並びます。

「勝つと思うな 思えば負けよ
負けてもともと・・・・・」

日本のお家芸、柔道を唄った歌です。

人の言わせると、勝負は勝つと思わないといけないと言う人、
「絶対勝てる」と自己暗示まで掛けてしまいます。

一方では、「勝つと思うな、精一杯力を出し切れ」という人。

日本は古来から「負けるが勝ち」という言葉も存在します。
「克己」という言葉も。

私などはどちらかというと、勝とうと思いすぎると力みすぎて本来の力を発揮出来ない方かもしれません。

それに元来、人と競争するのは好きではありません。
かと言って負けるのを容認をする訳でもないのです。

どちらかというと負けず嫌いの方でしょう。

正面から勝負を挑んで明らかに勝負がつくのが嫌なのです。
負けるのも嫌ですし、相手を負かすのも好きではない。

それと開き直りは上手です。
とことんまで頑張りますがいざ勝負となると見事な「開き直り」を演じます。

「もうここまで頑張ったのだから、運を天に任す」というやつです。
その代わり、あまり後悔もしません。

ですから、私はやはり勝つと思えばどうも負ける方にようです。
  


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