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2009年12月19日

慢心しないで!!

慢心しないで!!

慢心は人を堕落させ、傲慢にさえしてしまいます。
自信に充ち溢れ、人のお陰様を忘れ、我が物顔になってしまいます。

社会的地位を得たり、人の上に立つ立場になると人はつい慢心になってしまうものです。

或いは普段持ちつけないお金を持ったり、途端に物持ちになるとそれが人間性まで高まったような錯覚に襲われてしまいます。

「稲穂が実るほどに頭を垂れる」の言葉は小さい頃に幾度となく聞かされてきました。
そんな時にも大事なのは謙虚な気持ちと、仰け反らない事。

今日の夜は、世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級タイトルマッチ12回戦が、神戸ワールド記念ホールで行われました。

チャンピオンの長谷川穂積(真正)が挑戦者で同級9位のアルバロ・ペレス(ニカラグア)に4回TKO勝ちをした場面を見ていました。

日本のジム所属選手では元世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級チャンピオンの具志堅用高(協栄)に次ぐ2人目の2けた連続防衛に成功したのです。

彼の言葉が印象に残りました。
「この勝利に慢心しないで・・・・・」

偉いと思ったのです。
勝利の瞬間でも自分を失わず、謙虚に言葉を選んで発言する姿。

母親を大事にする彼の姿勢や、妻を始め二人の子供に対する家族愛までもが私にとっては大変な関心事になってしまいました。

多分、これからの彼の世界を機会がある度に拝見することになろうと思います。

人は「勝って甲の緒を締めよ」の言葉のように、物事に勝利を収めた時ほど高まる気持ちを押さえて心を引き締める必要がありそうです。

そこで初めてその人の人間性が現れるものです。
  


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2009年12月19日

言葉は魔物!!表情が加わるともっと恐ろしいことになる

言葉は魔物!!表情が加わるともっと恐ろしいことになる

言葉は時として、恐ろしい武器に変身します。
言葉の言の字は、口に刺さった刃物の象形と言われます。

それに言葉自体の口調の強さが加わり、怖い表情や形相が加わると言葉は加速度的に変化を見せるものです。

よくセミナーなどで「メラビアンの法則」とか「7-38-55のルール」という事を耳にします。
ネット上から引用させて頂きました。

メラビアンの法則(the rule of Mehrabian)とは、
アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが1971年に提唱した法則で、声の感じで、

「maybe」(かもしれない)といった文がどの程度、「そうかもしれない」かを判断する実験で、力強い口調の場合は、普通の口調よりも、「そうかもしれない」と感じたということが立証できたという実験だと言われている。

研究内容 [編集]

この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを扱う実験である。

感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、

話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。この割合から「7-38-55のルール」とも言われる。

「言語情報=Verbal」「聴覚情報=Vocal」「視覚情報=Visual」の頭文字を取って「3Vの法則」ともいわれている。


俗流解釈 [編集]

この内容が次第に一人歩きをし、この法則から「見た目が一番重要」あるいは「話の内容よりも喋り方のテクニックが重要」という結論が導き出されると言う解釈が有名になっている。

就職活動の面接対策セミナー、営業セミナー、自己啓発書、話し方教室などでこの解釈がよく用いられる。

ただしこの実験は「好意・反感などの態度や感情のコミュニケーション」において「メッセージの送り手がどちらとも取れるメッセージを送った」場合、

「メッセージの受け手が声の調子や身体言語といったものを重視する」という事を言っているに過ぎない。

よって単に事実のみを伝えたり要望をしたりするコミュニケーションの場合には触れておらず、コミュニケーション全般においてこの法則が適用されると言うような解釈はメラビアン本人が提唱したものとは違う「とんでもない話」である。
  


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2009年12月19日

自分の歩んだ道は自分のもの?

自分の歩んだ道は自分のもの?

馬齢を重ねると、何となく自分の人生を振り返りたくもなります。
それが大人の生き方というものでしょうか。

若い頃は今が大事でした。

今、幸せなのか、
今、経営は大丈夫なのか、
今、家庭はうまくいっているのか、
今、子供達はすくすく育っているのか、
今、正しく生きているのか、
今、人にどう見られているのか、
今、社会に役立っているのか、



先の見えてきた年齢になると、振り返ることが多くなってきましたし、楽しくもあるものです。
今を過去に置き換えてみると、懐古する自分の姿を彷彿とさせます。

そして生きざまを褒めてみたり、窘めてみたり、後悔をしてみたり。

ある意味、振り返るゆとりが出てきたということでもありましょう。
決して日常が暇な訳でもありませんが、過去の自分を見つめたりすることが逆にこれからの自分の生き方の縁としたいのでしょうか。

それと歩んだ道は自分だけのものにしてはいけないと思うのです。

子供や孫、これからの若い方々にお裾分けではありませんが、「人生はこんなものだよ」って少しでも教えておく必要があるように思います。

それは、これからの方々が先人から学んだ知恵として大いに参考になるからです。

私のように学ぶ機会に恵まれなかった人間にしてみれば、大変に無駄な回り道もしましたし、しなくてもいい苦労もしたような気がします。

若い方々も、年寄りの無駄話と思わずに耳を傾けることが自分の人生にとってどれだけ有用に働くかを知っておくべきです。
  


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2009年12月19日

行動の上にこそ幸福の木は育つ

行動の上にこそ幸福の木は育つ

真の幸せは待っていては、殆んど擦り寄っては来ません。

殆どというには訳が存在します。

本当に心底、幸せにしてあげたいという人がいたとします。
時間を犠牲にしても、お金や自分をさておいてもその人を幸せに導いてあげるものです。

例えば、「子供に幸せな未来を作ってあげたい、
「俺の恋人は俺がきっと幸せにしてやる」こんなことはその代表でしょう。
自分は幸せを望む望まないに関わらず、他動的に頂く幸せ。

或いは思惑や打算の想いを隠して、見せかけの幸せを与える人もいるものです。

又、タナボタ的な幸せもあります。

年末宝くじで億円単位の当選はそうでしょう。
その精で身の破滅を招いた人も知っていますが。

社長の急死で思いもかけず経営者の椅子を手にする人もいます。
労せずして。

でも一過性でなくて、心の中から幸せ感を持てるのはやはり自らが努力して勝ち取った幸せでしょう。

好きな人がいたら思い切って自分の胸の内を打ち明けてみる。

男性でも難しいことですので、女性からはなかなか難しいものですが、でもチャンスは一生で1回かもしれません。

でも、今を大切にすることは将来の自分を確立することでもありますし、禍根を残さないことでもあります。

自分を幸せモードに変えるリスクを取るか、現状のまま、或いは尻すぼみを選ぶか。

行動を起こすのか、起こさないのか。
決めるのは自分ですが、私は行動を起こす方を選んでしまいます。

結果は神のみぞ知る的なところもありますが、能動的な行動は必ずや何かしら残してくれるものです。


『行動はいつも幸せをもたらすものではないが、
行動なくしては幸せはない。ディスレーリ』


『日々正直に行動することが成功に達する最も確実な道だ。チャーチル(英 政治家)』
  


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2009年12月19日

律儀な人

律儀な人

律儀な人っておられるものです。

お世話をすればあくる日にはお礼の電話がなります。
目出度いことがあれば、おめでとうございます。

お祝い事があれば、お祝儀をあれ、
喜びごとには花を贈ったり、電報を打って頂いたり、

悔やみごとにはいち早く駆けつけて、慰めてくれます。

私の様に無頓着な人がいるかと思えば、細かい心使いが出来る律儀な人がいます。

人の繋がりの大切さは、充分に分かっていながら、配慮の行き届く人、行き届かない若しくは気にしない人。

世の中様々ですが、良好な関係を維持継続出来る人はそれなりに努力をなさるような気がします。

関係の深さや繋がりの強さは、そんなことの積重ねで醸成されるものです。

大したことではなくても、ちょっとした気遣いの大切さを肌を持って理解されているのでしょう。

思いや心の深さは本来、言葉や行動だけでは推し量れませんが、
でも言葉や行動が伴うことが大切でしょう。

律は辞書を引きましたら「人の行く道」
儀は「立派な様子、手本とする振る舞い、習わし・・・」と出てきます。

人の模範となるようなことまでは出来ませんが、

せめて、後ろ指を指されたりすることの無いように、
また、陰口を叩かれたり、
人間性を疑われるようなことや人後に悖(もと)るようなことだけはしたくないものです。
  


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2009年12月19日

救いの神は突然にやって来る

救いの神は突然にやって来る

今日は私の故郷の一年に1回の例会でした。

どういう訳か、今年の準備はスムースにいかないのです。
気分的に乗っていないとか、気がすすまないと言う事ではなかったのです。

日程の調整、決定も順調にいきません。
毎年アトラクションを準備するのですが、どうしても噛み合いません。

今日がその当日でした。
受付や会場の諸準備をやっていても、参加される方々が本当に喜んでくれる例会になるか心配でたまらないのです。

いつもの私でしたら、気持ちはいつも吹っ切れていて、得意の「開き直り」で事に対処するのが常なんですが、今日の私はどうしても気持ちが落ち着きません。

日程調整がうまくいかず、12月中旬までずれ込んだこと、
大事なアトラクションの準備が出来ず、代替えでなんとか済まそうと思っているからに他なりません。

もう心は一か八かの状態、モードになっています。
どうにかなるだろうの境地です。

処が、「救いの神は突然にやってくる」の具現です。
受付の近くに立っていましたら、「あっ」と驚く事態が発生しました。

目前にあのアトラクションを出来る人物が現れたではないですか。

しかも福岡に住んでいる人ではなくて、たまたま福岡へ来ていたらしく「郷土の会があると聞いたので叔父と一緒に来ました」とのこと。

まさしく「救いの神」です。

急遽、実はアトラクションの準備が出来てなくて困っていることを告げて、
「御無理いいますが、何ならお願い出来る?」

二つ返事でした「喜んで!!」
18歳の高校3年生です。

普通なら、断りますよね。
或いは私が余程困った表情をしていたのか、
お願いの仕方が上手なのか、

または彼女の思いやりの心意気なのか。

今度は演奏な楽器がありません。
当然、最初からアトラクションを諦めていたわけですから準備しているわけがありません。

処が虫の知らせでしょうか。

今朝目覚めたときに、アトラクションはなくても楽器だけは準備しておこうかという想いが駆け巡ったのです。
実行までは至りませんでしたが。

そうとなれば当然、楽器の準備が必要です。
会のスタート時間になっています。

慌てて、楽器をもっているであろう友人宅への電話作戦です。
参加者の一人に会場から往復40分のタクシーを飛ばして走って貰い、会の中盤のアトラクションの時間に辛うじて間に合いました。

お陰でいつもの様にアトラクションも開催できて、当然参加の皆さんの大きな喝采があったのは当然です。

振り返っても不思議な一日でした。
やはり、一生懸命に勤めたら、幸運の女神、神様は突然にやって来るものです。
  


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2009年12月19日

勝つと思えば負けよ

勝つと思えば負けよ

美空ひばりさんの歌声は本当に素晴らしいものでした。
戦後の日本を元気づけ、勇気を与えて一人に数えられるとも思っています。

打ちひしがれた心を時には慰め、時には奮い立たせたその力は素晴らしいと今でも賞賛に値すると想います。

戦後復興の立役者の一人でしょう。

また、映画の女優さんとして活躍していた小さい頃の映像はなんとも可愛いと言うか、オトナっぽいというか、不思議な魅力を持った方でした。

言わば、こましゃくれている(大人びている)とでもいうのでしょうね。

その美空ひばりさんが歌う「柔」の1番の歌詞のトップにこんな言葉が並びます。

「勝つと思うな 思えば負けよ
負けてもともと・・・・・」

日本のお家芸、柔道を唄った歌です。

人の言わせると、勝負は勝つと思わないといけないと言う人、
「絶対勝てる」と自己暗示まで掛けてしまいます。

一方では、「勝つと思うな、精一杯力を出し切れ」という人。

日本は古来から「負けるが勝ち」という言葉も存在します。
「克己」という言葉も。

私などはどちらかというと、勝とうと思いすぎると力みすぎて本来の力を発揮出来ない方かもしれません。

それに元来、人と競争するのは好きではありません。
かと言って負けるのを容認をする訳でもないのです。

どちらかというと負けず嫌いの方でしょう。

正面から勝負を挑んで明らかに勝負がつくのが嫌なのです。
負けるのも嫌ですし、相手を負かすのも好きではない。

それと開き直りは上手です。
とことんまで頑張りますがいざ勝負となると見事な「開き直り」を演じます。

「もうここまで頑張ったのだから、運を天に任す」というやつです。
その代わり、あまり後悔もしません。

ですから、私はやはり勝つと思えばどうも負ける方にようです。
  


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2009年12月19日

人生は傷心の日々と思っていた方が・・・

人生は傷心の日々と思っていた方が・・・

人生は幸福を満喫出来る程には、作られていないように思います。

人間は溢れる程の幸福に包まれると必ずと言っていい程、堕落の道を歩みますし、慢心に心乱れてしまいます。

人生は努力をするように仕組まれているのでしょう。
それと希望とか、夢を見、それを追い求めるように作られているようです。

人生は傷心の日々だと思っていた方がより幸せに近づくことが出来るような気がします。

傷心から立ち直るには、ひたむきな努力が必要ですし、より前向きな姿勢や夢や希望を追い求める行動が要求されます。

つかの間の幸せにも、感謝を忘れず、笑顔をもって迎え入れ、明日の傷心のために備えを怠らない。

いっ時の喜びにも微笑みを絶やすことなく、やがて訪れる悲嘆の日々に備える。

人生は傷心の日々と思っていた方が良さそうです。

さすれば失った喜びの日々にも感謝の想いを忘れることがありません。

来る傷心の日々は、次なる喜びの日を迎い入れるが為の前走であり、より深い幸福感にも浸ることが出来るというものです。

人には日々、たゆまぬ努力が求められます。

それはより素晴らしい喜びを産むために人間に課せられた業の様なものでしょう。

歌を忘れたカナリアではありませんが、継続的な正しい努力を忘れた人へは、その報いは訪れないように思うのです。

例え、棚ぼた的に訪れたとしてもそれは砂上の楼閣、足元のおぼつかない不安定な不安とやがては恐怖を持たらすにすぎないのです。

傷心の日々を、ただ悲しみに暮れるのではなく足元を踏み固め、見つめながら地道で地味な歩みが出来る事こそ大切なようです。

今日はそれこそ傷心の日でした。
でも明日は確実に訪れます。

暗い夜ほど明るい朝が訪れるとは先人の教訓です。
  


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2009年12月19日

「葛藤」ってなに?

「葛藤」ってなに?

よく使う言葉です、「葛藤』。

いわゆる紛争や争いごとの事でも無さそうですし、ただの心のもつれでもないようです。

ネット上で調べました。
読んでいたら納得です。よく理解出来る説明がありましたので引用させて頂きました。


『人格の分離と関連が深い心理現象に、「葛藤」というものがあります。
それは、一人の人間が、複数の選択肢のあいだで引き裂かれるような苦しみを感じることを言います。

葛藤とは、単に複数の選択肢のどれを選ぶかに悩む状態を言うのではありません。

今夜の食事をカレーにしようか中華にしようか迷うことを、葛藤とはあまり言いません。

葛藤とは、単に迷う現象ではなく、選択肢のどちらもその人にとって捨てることができず、必要不可欠と感じられながら、選択肢が互いにまったく相容れず、両立しない。その結果その人が選択不能の状態に陥ることを言います。

そして、どちらかを選択しないと、彼彼女の存在基盤そのものが危うくなる状況にあることを言います。

選択不可能であるのに、選択しないままでいることもできない。

この結果、葛藤は精神的な強烈な苦しみとして体験されることになります。

つまり葛藤とは、選択肢の間で起きることではなく、人間としての相容れない存在の仕方の間でおきることだと言えます。

かくして、カレーと中華に迷う時は、半人前のを両方食べればそれで万事解決ですが、不倫の恋に陥ると家庭との共存は困難であり、そこで人はしばしば葛藤を体験します。』


よく理解出来ました。
今までもよく使っていましたが釈然としなかったのです。

溜飲が下がった感じがします。
  


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