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2010年09月11日

旅の「罪」は掻き捨て?

旅の「罪」は掻き捨て?

本来は「旅の恥は掻き捨て」なんですが、私は恥は大いに掻いてもいいと思うのです。

人に迷惑を掛けたり、自然を壊したりする事がなければの話ですが。

所が、最近ヨーロッパへ出かけた女子大の子供たちは、教会の壁に落書きをしてきた話、
外国への修学旅行の高校生が、集団で入ったお店で万引きをした話、

タバコのポイ捨てで捕まったなど、大人でも良くこんな話があります。

これは、まさしく恥の掻き捨てではなく、罪の掻き捨てでしょう。

日本国内ならまだしも、ではありませんよね、国内でも同じです。

誰も見ていないとか、外国だからとか、ふざけ気分、恥ずかしさも放り投げ気分ではいけません。

日本人は本来清潔好きとか、大人しいとか、恥ずかしがり、優しいとかのイメージがありますが、最近は日本人に対する外国の方々のイメージも変ってきたようです。

東南アジアへ出かけた高校生のだらしない格好に唖然とした話・・・・・

電車の中や人前で平気で化粧をしたり、
携帯電話を大声で使っている人、
自動車の窓から空き缶やタバコの吸殻を投げ捨てる・・・・・

私どもの日常でも、ついおざなりになっていることや気をつけないといけない公衆道徳、色んな事を忘れがちのような気がします。

少なくとも国内であれば許されること、容認できる事でも外国では顰蹙を買ったり罪になったり、ひいては国際問題や日本人の品格さえも否定されない事態が起こってしまうものです。

グローバル社会を履き違えて、外国を我が庭の如く我が物顔の行動する日本人の姿は、結局私どもにその付けが回ってきそうな気がします。

気をつけないとね。


『幸福というのは、最後の目的地のことではなく、旅のしかたのことなのである。マーガレットリーランベック』


『旅は、利口な者をいっそう利口にし、愚か者をいっそう愚か者にする。イギリスのことわざ』


『真の発見の旅は、新たな景色を見ることではなく、新たな目を持つことにある。プルースト』


『人を愛するには、相手の魂に向かって旅をしなければならない。ロレンス』
  


Posted by misterkei0918 at 10:28Comments(0)

2010年09月11日

禁止って書いてあるのに!!

禁止って書いてあるのに!!

今朝は久しぶりに大濠公園でもウォーキングをしてきました。

歩き終わった頃には汗にまみれた状態です。
汗も爽快なものです。
汗をかくことが健康上、大切な事と思えば尚更の事です。

今日も早くから多くの方々が歩いて、走っておられます。
目立つのは若い方々、特に女性の姿が目に付きます。

以前も書いたような気がしますが、大濠公園は魚を釣っていいところ、禁止をされているところと明確に立て札で警告をしてあるのですが、不思議な事にその立て札の比較的近く、しかも禁止地域で釣りをするのです。

何か、禁止だから釣りをしているんだと言わんばかりです。
少し離れたところであれば、気付かないでやっているとの解釈も出来るのですが。

人間は不思議なものです。
食べては駄目、
遊んでは駄目、
聞いてはいけません、
他人に話してはいけません、


などといわれるとつい逆の衝動に駆られるものです。

「このことは他人に喋っては駄目よ」と言う事は「どうぞ喋ってください」に等しい位。

会社などでもそうですよね。
「このことは誰にもまだ内緒だけど・・・」などと話した事がいつの間にか殆どの社員に知れ渡っていたるするものです。

社長は、そんな事とは露知らず、とんだ恥をかいたりも。

そんな人間の心理を逆利用する事もよくあることです。

昔話の「鶴の恩返し」もそうですよね。
見ては駄目と言われれば辛抱できないものです。

所が、公園のそれと混同してはいけません。
自然の破壊や、動物植物の生命にかかわり事ですから。

そんな事に理解が出来ない輩は来るべきではありません。
また、注意の出来ない私もだらしないですが。
  


Posted by misterkei0918 at 09:14Comments(0)

2010年09月10日

「ヒマを利用しない人は常にヒマがない」

「ヒマを利用しない人は常にヒマがない」

西洋の諺にこんな言葉があるのを見つけました。
「ヒマを利用しない人は、常にヒマがない」

「ヒマを利用している人は、常にヒマがある」
逆も真なりとはいきませんが、勝手に作ってみました。

そんな気がするから不思議です。
ヒマを持て余している人に限って、ちょっとした用件が出てくると「忙しい、忙しい」の連発です。

普段からスケジュールに追われ、我々から見たら多忙な日々を送っている人は忙しいなどとは滅多に口にしませんし、何でも無難にこなす事が上手です。

少しの時間でも、大切にし、無駄にはしません。

寸暇を惜しむ人に限って、知力を高めるために有効に使ったり、体力増強に勤しみものです。

「忙しい」の頻発は字の如く「心を失う」事であり、自分を見失う原因となるものです。

「ヒマだ、ヒマだ」の連発は、ヒマに一番好かれる事を望んでいる事の象徴であって、ヒマ虫に取りつかれる事を望んでいる証拠でもあります。

賢い人はヒマだと言う前に、既に行動に移す事の重要さを理解しており、ヒマを感じる暇もないものです。

人生は、ヒマな時間が必要なのではなくて自らが望む事やしなくてはいけないこと、精神を高めるための事や充電、心の安らぎや癒しを体験するための行動を積み重ねる事で充実感が感じられるものです。

怠惰な時間やヒマは、やがては退廃につながり、つまらない人生を自らが創造しているに過ぎないような気がします。

ヒマな時間も必要だと言われそうですが、心の安らぎが必要であれば、最も自分に相応しい安らぎの方法や時間に委ねる事のほうがもっと賢く、充実した時間を送れる事になりそうです。

「ヒマだ、ヒマだ」の念仏は、「忙しい、忙しい」の連発と同じでどちらもいい結果は招かないようです。
  


Posted by misterkei0918 at 15:55Comments(0)

2010年09月10日

埋没して置き去りにならないように

埋没して置き去りにならないように

今日のアメリカの経済のニュースなどを聞いていると、先々危うい状況を素人の私は想像してしまいます。

決していい状況ではないようです。

アメリカの経済の混迷は確実に日本に波及しますし、それはむしろ大きなうねりとなって襲ってくる事だけは間違いはないでしょう。

日本の経済界も、不透明、混迷が深まる事は予想していますが肝心の政府の動きが全く見えない、遅い!!

果たして分かっているのか、現実逃避なのか、国民の感覚とずれているのか。
困ったものです。

こんな大事な時に与党では身内の権力争いに終始し、表面上は言葉穏やかには見えても腹の中では誹謗中傷の限りを尽くし、国民はそっちのけになってしまっています。

方や、第一野党では蚊帳の外に置かれたようになりを潜めていましたが、埋没してはならじと党内結束を固めるために動き始めました。

似たような事は幾らでも世の中に存在するものです。

夫婦の事に余りに重きを置きすぎるために子供が置き去りになってみたり、
企業間競争にばかり走り始めたために新商品の開発や安全性の確保を忘れ、本来の経営を見失ったり、

他国との、競争に走る余り、国民生活がおざなりになってみたり。

表面や体裁に構い過ぎるがために、内面を磨く事を忘れたり、

世の中では良く「本末転倒」という言葉を使いますが、本来やるべきことや大事な事を見失うような事態が刻一刻と進んでいるような気がします。

いつでも「大事な事は何なのか」、常に念頭に置きながら物事を進めないといけないのでしょうね。

目先の事に重きを置きすぎて,周りで起きている事態の収拾を忘れたり、一歩先を見る目をもてなかったりすることが大きな禍根を残さないように。
  


Posted by misterkei0918 at 00:34Comments(0)

2010年09月10日

人間から「根に持つ」習性を取れば

人間から「根に持つ」習性を取れば

人間の持つ性格の中から、「根に持つ」、
つまり、相手を憎く思う、
相手の悪いところに執着する、

危害や迷惑を掛けられたことをしつこく思い煩う、
赦す事を忘れる、
自分の正当性ばかりに惑わされる、


人間の性格と言うか、習性とでも言ったほうがいいかもしれませんね。

この「根に持つ」という習性を捨て去る事ができたらどんなにか楽になるような気がしませんか。

あればこそのことも沢山ですが、人生が終わるまでついて回るのですから人間は困ったものです。

少なくとも老年期を迎えるくらいの年頃には、穏やかに惑わされる事なく、安心の日々を送りたいと思うものです。

所が人間の性(さが)がそれを赦さないように出来ているようですね。

とするならば、それを和らげる努力をする以外に方法はなさそうです。

余り、物事に執着しないようにするとか、
日頃から、人や物事に課題の期待を持たないで、

自らの努力に委ねて、
執念を持たないようにするとか、

人を恨むのではなく、自分の方にこそ非が存在する事を容易に求める癖を持つようにするとか、


それと、楽しい事は時間を掛けて楽しみ、思い煩う事は出来るだけ時間を割かない方法を考え出すとかするといいかもしれません。

また、考える時は徹底的に考えても、メリハリをはっきりして「そこまで!!」的な区切りをつける癖を自分に持つこともいいようですよ。


こんな難しい事を考えている時に仏教の事を持ち出すと、余計に深みにハマってしまいそうですが、こんな言葉を頂きました。


『仏教の四苦八苦の
四苦ですが「生老病死」こと。

八苦ですが上の四苦にあと4つ

愛別離苦(あいべつりく)・・・愛別は愛し合いながら別れる苦しみ

怨憎会苦(おんぞうえく)・・・怨憎は憎む相手と出会う苦しみ

求不得苦(ぐふとくく)・・・求不得は欲しいものが手に入らない苦しみ

五陰盛苦(ごおんじょうく)・・・五陰盛は色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の5つ(人間の五感と思ってください)つまり物事に執着する苦しみ。

を足して八つになります』
  


Posted by misterkei0918 at 00:05Comments(0)

2010年09月09日

きっかけは自ら作るからこそ

きっかけは自ら作るからこそ

結婚でもそうですし、人間関係、社会との関わり、企業もそうです。
全てが大小はあっても、きっかけから始まるものです。

若い頃の恋愛だってそうですよね。
何らかのきっかけが始まりのはずです。

例えば、
たまたま講義の席が隣だった、
入社した会社の配属で、一緒の課だった、
通勤の電車の車両がいつも一緒の入り口、
落し物を届けてもらった相手だった、
クレーム処理の相手がそうだった、
父親同士が友人だった、
親友の彼氏の知り合いだった、


思いつくだけでも限りがありません。

きっかけは結局、関係作りの一大チャンスだったのです。
一つ一つは極めて些細な事ですが、
それから始まる出来事は実はとんでもないことに繋がっていたのかもしれないのです。

「袖振り合うも多生の縁」といいます。

若しかするとその関係は前世まで遡らないといけないのかもしれません。

そのきっかけもできる事なら自らの行動によって作る事が大切なようです。

人生では多くの方々から多くのきっかけやチャンスを頂きます。
それはそれで大切で有難い事ですが、
自分でも能動的に、行動的、積極的に自分の人生に働きかける事がとても貴重なことです。

第一、 自分で作ったきっかけは大切にしますし、いつまでも覚えていますよね。

私は良くこんな事があります。
このきっかけは誰から頂いたものだったかを忘れています。
このチャンスは誰が与えてくれたのだろうか・・・・・

人から頂いた縁は、案外忘れやすく、軽んじてみたり、いつの間にか自らの手柄になっていたりするものです。

しかも、最初はきっかけを頂いた人を大切にしたりはしますがその内忘れ去るのが殆どの落ちです。

所が、自分が努力して作ったきっかけやチャンスはいつまでも忘れませんし、大切にもしますし、物事が成就したり成功すると、不思議なもので喜びも一入です。

私は機会損失という言葉を良く口にします。
折角作られた機会を大切にする思いを捨てた時、人生の歩みがそこで停滞をするような気がします。

或いは、そうなった時は後退局面に入ったのかも。
  


Posted by misterkei0918 at 15:17Comments(0)

2010年09月08日

安物買いの銭(ぜに)失い?

安物買いの銭(ぜに)失い?

日本も経済成長の裏には、随分と「安かろう悪かろう」製品を輸出したものですし、国内向けの製品でも粗悪品が出回ったり、アメリカ製品の模造が幅を利かしたりもしたものでした。

今の中国がそのような気がします。
或いは当時の日本よりも、悪いかもしれませんね。

第一悪びれる様子もありませんし、如何にも模倣天国、当然の権利であるかのようにも写ります。

確かに昔は、金額の悪いものは質が悪い、利用価値がなかったような気がします。
ところが最近は事情が異なってきました。

100円ショップなどでも、「こんな品物が100円で買えるの?」と言う感じです。
洋服類でも驚くような安値で購入できます。

その殆どが中国や台湾、ベトナムであったりしますが製造に係わった人々がチャンと報酬を頂いているのかさえ、訝ってしまいます。

経済がグローバル化し、正常にその機能を発揮している時はいいのですが、歯車が狂い始めて生産が偏りすぎたり、労働力が正当に評価されない事態に陥ると怖いものがあります。

日常品はそれでもいいかもしれませんが、
生涯、手元において使いたいとか、
本当に趣味嗜好品として、用いたい、
品格のあるもの、
物と心を通わしたい、


などになると、安いものでも長持ちのするものは存在しますが、やはりそれなりに価格設定がされていて、丹精込めて、しかも創意工夫がされているものがいいようです。

価格がただ高いと言うのではなく、価格に見合った品質と風格、体裁が伴っているほうがより大切にもしますし、長く使いたい気分にもなるものです。


不思議なものです。
安いものはそれなりに粗雑な取り扱いにもなりますし、心の通い合いもなかなか育たないものです。

金銭は見えない価値を時として、生み出すものです。
人は高いものには、ただそれだけで十分な価値を見出したり、思い入れを染み込ませたりもします。

ですから、一生ものなどと言われるものはやはりそれなりに高価なものを求める事になってしまうものです。

「安物買いの銭(ぜに)失い」などと言いますが、やはりそれなりに意味合いは残っているような気がします。

安いと大切にする気持ちが薄れてしまいますし、愛着の度合いも低いような気もします。

長く付き合いたいものは、少々節約をしてでもお金をかけたものを求めるほうが良さそうですね。

分不相応でも困りますし、節約が行き過ぎても本末転倒でしょう。
  


Posted by misterkei0918 at 20:11Comments(1)

2010年09月06日

台風一過に期待するも

台風一過に期待するも

先日、テレビを見ていたら台風一過を「台風一家」と勘違いをしていて、騒がしい、やかましい家族の事を台風一過と言うと思っていたとの話がありました。

本当に日本語は難しいものです。

と言うか表現する言語の豊かさとか、細かさということなんでしょうね。

先日、沖縄の近くで発生した台風が、秋の訪れをもたらしてくれると期待をしたのですが、駄目でした。

最近の台風発生にも変化が出てきています。
温暖化、環境異変なのでしょうか。

台風の発生は、私の常識としてはフィリピン近くの太平洋か、どんなに北へ移動しても台湾の南東の太平洋側と思っていたのですが、先日の台風も、今回の台風も沖縄の近くで発生しております。

先日、沖縄の方と話していましたら
「沖縄の近くで発生してくれるので比較的や弱いから助かっている」との事でした。

言われてみたらそうですね。
台風は北上をしながら、次第にエネルギーを高め、強い台風に変身していた様な気がしたのです。

つまり、沖縄に来る頃に力を蓄えてくるような。

それと台風が秋の訪れの印だったような気もするのです。
ですから、台風一過という言葉もあり、台風が過ぎると
夏から秋への自然の移り変わりを感じたものです。

秋空が広がり、朝夕は爽やかさを増し、心なしか気持ちの穏やかになったりして。

自然の移り変わりも暦どおりには行かないようです。

でももう少しでしょうか。
秋風に吹かれながら、山道を散策するそんな様子を思い浮かべてしまいます。
  


Posted by misterkei0918 at 12:10Comments(0)

2010年09月04日

感謝の心は幸せの呼び水

感謝の心は幸せの呼び水

今時は井戸の事を知っている方は少ないと思われますし、増してや知ってはいても使った事はないとか、もっと言えば井戸を掘った経験を持つ人は余程の高齢者でも殆どおられない事でしょう。

かと言って、私が井戸を掘った経験があると言う事ではありません。

使った経験は豊富に持っているのですが。

常時使っている井戸はそうでもないのですが、水を汲み上げる時になかなか水が出てこない、上がってこない時があります。

そんな時に使うのが呼び水。

井戸の汲み上げ口に、柄杓(ひしゃく)で2,3杯の水を入れてあげるのです。

すると、数回ポンプの取っ手を上げ下げするだけで、水が上がってくるのです。

ちょっとした工夫ですが、昔の方々は偉いものです。

私どもは、毎日のように幸せを希(こいねが)い、その為の努力を怠らないものです。
出来れば一日でも長く、昨日よりも今日、人よりも深く大きい幸せを期待するものです。

ところが、ところが、人生はそんなに甘くはありません。
紆余曲折、
七転び八起き、
山あり、谷あり、
心休まる暇さえないものです。

そんなつかの間に、ふとして幸せは訪れるものです。

どうも、感謝が積み上がっただけ、それに呼応した、或いは相応しいだけの幸せが訪れているような気がします。

いや違う。

自分は人一倍の感謝の日々だという人もおられるものです。
「ありがとう」を言えば感謝というわけでもないでしょう。

人の為に尽くす事が幸せを呼ぶわけでもないような気がします。

「感謝」
私の身勝手な解釈ですが、「お陰様を感じ、行動に移す事」のような気がするのです。

お互いの感謝の心の相乗効果、そんな事が起こるとすればより深い幸せに恵まれるかもしれませんね。

人生は、苦難の連続ですが乗り越えた暁に夢を馳せて、また明日から全力投球をして行きたいものですね。


『感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。「松下幸之助「一日一話」」
  


Posted by misterkei0918 at 18:48Comments(0)

2010年09月02日

褒め上手は、世渡り上手の幸せ引き寄せ

褒め上手は、世渡り上手の幸せ引き寄せ

素直に人を褒める事のできる人には感服します。
それも打算がなくてね。

私などが人を褒める時には、何かしら下心が働いているような気がするのです。
私だけでしょうが。

こんな文章を見つけました。
微笑ましい夫婦の姿を彷彿とさせますし、表情を思い浮かべます。

『ご主人が、葉書を書いていました。
奥様は「あら、すてきな字」と誉めました。

そして「お父さんの字見ていると、なんか元気もらえる」とさらにひと言。

「あなたの……が、私にこんな恵みを与えてくれている」という言い回しは、相手により力と励ましを与えます。さらに一歩すすんだ誉め言葉にチャレンジしましょう。』

言葉は上手に使えるとこんな効果をお互いにもたらすという事例ですよね。

難しい事ですが、或いは日常的に意識していたら、案外こんな会話が出来るようになるのかもしれませんね。

夫婦円満の秘訣はこんなところから滲み出るのでしょう。

親子でも、言えることでしょうがちょっと異なるかもしれませんね。
私の場合もそうでしたが、子供は反抗期などを迎えますから、親がどんなにこのような言葉を使っても難しい側面があります。

却って、疎まれたりする事態にもなりかねませんよね。

ですが、大よそ人間関係はそのようにして醸成されていくものですから心掛ける事が大事なのでしょう。

穏やかの日々を送るには、それなりに配慮と努力が必要ですよという事でしょう。
相手を幸せな気分にさせる事が、自分をより幸せにする最短の方法のようです。

自分が幸せになりたいから、相手を褒めるという打算的な思いが先行することもどうかと思います。
結果的に、思わぬ幸せに廻り合えた程度の事でいいのかもしれませんね。

そんな心境になるのも私にとっては難しい事ですが。
  


Posted by misterkei0918 at 16:44Comments(0)

2010年09月02日

政治も、経済も困ったものです

政治も、経済も困ったものです

日本はどうしてこのような状況になってきたのでしょうか。

以前は、政治も2流だと言われていましたが、その内一流になるという思いからではなかったでしょうか。

それから久しいのですが、いよいよ混迷を深めてきました。
少しも希望が持てる状況にはなっていません。

経済は、一時は世界第2位の経済大国として君臨していた日本国が先の見えない、むしろ坂道を下るが如き状況です。

最近の異常な円高や、年初以来の最安値の株価。

政治がリーダーシップを発揮できれば、経済の混迷も幾らかは歯止めが掛かるのでしょうが、このままでは益々持って深みにはまっていくような気がします。

やはり、経済界の頑張りも必要ですが、安定と信頼に基づかない今の政治の状況では当分の間は難しい状況が続きそうです。

世界でも、様々な指標を見ても下る一方になってきました。

世の中はいずれは衰退するものとは分かっていても、そのテンポの速さは異常過ぎる様に思えるのです。

周辺の後進国の成長に埋もれている日本の姿を見るのは悲しいものです。

或いは私どもが、余りにも競争意識が強くて、比較対象し過ぎなのでしょうか。

であるとすれば、意識せずにわが国だけで自給自足が出来て満足な国民生活が維持できればそれでもいいという気持ちにもなるというものです。

ところが、グローバルな世界情勢はそれをさせてはくれません。
否が応でも、その世界で生きていかなくてはいけないように仕組みが出来てしまいました。

やはり、強力なリーダーシップを取れる政治家の出現が待たれるところです。

私のような素人が論じる事は可笑しいのですが、そんな望まれる政治家の誕生を見たいものです。
出来ればなるべく早く!!

今、ある党の代表選挙をしていますが少なくともこの方々ではない事だけは、素人の私でも認識できます。

イギリスなどの諸国のように40代、50前半の若い優秀な方が出てきてくれると嬉しいですね。

政治と経済が、一体化してきた時代には、経験よりは良識ある決断の出来る人が良さそうです。

しかも権力欲の深い人は駄目ですよね。
いつでも国民目線で判断できる人!!

今の政治家で言えば、あの人のような気がします。  


Posted by misterkei0918 at 12:53Comments(1)

2010年09月01日

生のホリエモンに会いました

生のホリエモンに会いました

大変失礼な言い方で申し訳ありません。

あのライブドアの堀江貴文さんです。

本日の6時から8時、
福岡での講演会を親しくしている社長からのご紹介で生のホリエモンにお会いできたのです。

失礼が重なります。
私の思いでは、顔、頭は大きく、割と頑丈な体格、ここまでは想像通りです。

背丈はそうでもなくて、どちらかといえば低いほうでしょうかね。

雄弁な方でしたね。
それと真面目に物事に取り組まれる、
質問には、丁寧に受け答えされる、
笑顔が親しみやすい、


今日は技術的な話に終始されていましたが、私の立場からは少しでも経営や人間的な話が聞きたかったところでした。

時代の寵児として持てはやされ、私どもはその当時のホリエモンしか知りませんが、

ご自分としてはどうだったのかとか、
父親や母親、ご兄弟との事、
地元、福岡への思い入れ、


時々は福岡の言葉が端々に出たりするともっと親しみが、持てたような気もします。

私どもが足元にも及ばないほどの所まで上り詰めた方ですので、これからもまた新しい事で表面に出てこられる事になると確信を致しました。

当時の著書で、「人の心は金で買える」様な表現をされて、厳しい批判もあったようですが。

見るからにお元気ですね。

日本のこれからにも貴重な方でしょうから、健康に留意されたますます頑張って頂きたいし、これからの若い方々に大きいインパクトを与えて欲しいものです。  


Posted by misterkei0918 at 22:34Comments(0)

2010年09月01日

驕りや慢心は可能性を潰す

驕りや慢心は可能性を潰す

焦りは周囲に配る心使いを失い、人心の安定を損なうものです。

相手への思いやりや信念に基づかない怒りや憤りは、やがては自らの立場を失い、却って他人からの怒りや憤りを買うものです。

そして驕りや慢心はやがてその人を破滅に追い込むようです。

自分が優位な立場であろうとも、相手を無視した態度や行動はやがては優位性を失い、却って人間的に見下げられる始末になってしまいます。

相手に利益をたとえもたらしたとしても、それで人心が買える訳ではなく、反対に信頼を損なっている事を覚えておいたほうが良さそうです。

驕りや慢心は、自らに不利益をもたらす最大の方法であり、自分の将来や可能性を潰すマイナスの効果をもたらすものです。

驕りや慢心は、努力をする事を忘れ、相手を否定し見下すものであり、極論をすれば自己の優位性を極度に評価し、他人を極度に過小評価するものであります。

人の可能性は、周囲の協力や支援、本人の真摯な研鑽や努力の賜物であって、決して自分だけの力では発揮できないものであります。

また、それを評価するのは他人であることも忘れてはいけないようです。

世の中の著名な成功者のほとんどがそうであるような気がします。

驕りや慢心に満ちた経営者は、やがて社員に見放され、お客様が遠ざかり、関係業者からつまはじきになるのが落ちのようです。

人はつい驕りや慢心に捕まり、自分を見失いがちですが、それは人間である以上常に肝に銘じて謙虚、賢明な姿勢を貫く努力を忘れてはいけないものです。

いつも自らに言い聞かせる事を忘れない事でしょうか。

明日の自分が「驕りや慢心」の虜にならないように気を付けていきたいものです。


『精神科医の和田秀樹氏は「自分のことを頭がいいと思った時点で発達が止まる」と。
自分の賢さを過信して、一切の努力をやめ、人の話を聞かなくなる。
たとえば助教授時代は、常に考察の力を磨いていた人が、教授に昇進した境に勉強しなくなる。
慢心が成長を阻みます』
  


Posted by misterkei0918 at 00:14Comments(1)