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2010年09月23日

敬虔な想い

敬虔な想い

背筋が寒くなるような想い、
人間としての根源的な想いに浸る想い・・・・・

夏が終わりましたので、その筋の事ではなくて、つまり怖い系のことではありません。

例えば、お坊さんのお説教を真剣に聞いていたときに経験する、
著名な、しかも尊敬する先生の話、
歴史深い宗教行事に触れたとき・・・・・

敬虔とは、何なのでしょうか。
辞書を引いてみました。

「敬」は敬う、尊ぶ、慎む、礼をつくす、慎む、真心を込めて努める・・・
   象形は髪を特別な形にして、体を曲げ髪に祈る様。

「虔」は厳かに慎む、正しい様、片方には殺す、損なうの意味もあるようです。

根源にある「敬う、慎む」は、やはり「神仏に誓って」の意味があることが感じられます。

「本来」とか「身命」とかそんな意味も感じます。

あわせて、自らが謙虚になる、原点の立ち返る・・・なども想いが駆け巡ります。

時には喧騒の都会の中で奔走、翻弄される日常だけではなく、心の琴線に触れるような、揺さぶられるようなそんな機会を持つことも大事なようです。

「敬虔な想い」・・・時には心を洗われるような、あるいは純粋無垢な心境にも立ち戻ってみたいものです。

神仏に両の手を合わす行為からであったり、
極めた人からの示唆的な言葉、
様々な歴史的行事、
人も寄せ付けないような大自然であったりするかもしれませんね。

そんな機会が多く作れる人になってみたいものですね。
  


Posted by misterkei0918 at 10:01Comments(0)

2010年09月23日

勉強は楽しい

勉強は楽しい

勉強する世代の時にこのような心境であったならば、今は劇的な違いを見せていたはずなんです。

「老いらくの恋」ではありませんが、今頃になって勉強に目覚めてどうするのでしょうか。

今朝は早朝の7時から勉強会でした。

ここ数年、自分の知識の浅さや人としての修練の度合いに未熟さを感じる日々でした。

出来るだけ、経営の合間やお世話ごとの隙間を縫って、時間を割くように努める事にしています。

労働時間というか、活動時間と言うか、その分時間を必要としますので、心休まる時は余り持てませんが、それが或いはゆとりであったり私にとっての癒しの時間であったりするようです。

また、勉強の成果が形となって現れることも嬉しいものです。
人との会話にもそうですし、経営や人間関係にも努力の成果が出ているような気がします。

本来なら、もっと早くに気付いて精進を重ねていたら今頃になって真剣にならなくても良かったでしょうにね。

逆に、今だからこそと言う事もあります。

同じ勉強をしていても、どうも理解の仕方が深いような気がするのです。

物事を覚えたり、理解する力は若いに越した事は無いのかもしれませんが、今まで得てきた知識や経験と新しい知識がお互いに溶け合う事によって新しい情報になって私の脳裏に蓄積されていくような気がします。

案外、まんざらでもないようです。

「もうこの年になって」と諦めない、
若い人々と混じってでも恥ずかしがらずに、気後れしないで頑張ってみると、また若い方々と違った学び方や味が出てくるようですよ。

成果を急がず、マイペースで。

でも、本来の自分の仕事を置き去りにしてはいけません。
時間が必要であれば、朝の4時でも5時でも起きて本来の仕事をこなしてからでなければいけません。

支障の無いように周りをチャンと整備して、滞りのないようにしてからの勉強で無いとそれこそ本末転倒ということにもなってしまいます。

急ぐ必要もありませんし、どうせ焦ってもやれることは高が知れているものです。
  


Posted by misterkei0918 at 01:16Comments(0)

2010年09月23日

普通であることが一番難しい事

普通であることが一番難しい事

世の中は普通である事を、蔑(ないがし)ろにする風潮があります。

本当は普通である事が尊重され、大事にされなければいけないのに。

世界が広くなり、マスコミが発達?すれば当然マスコミ受けする情報や人間が持て囃されるものです。

マスコミ受けすると言う事は、極めて突出した事や人気を得られそうな事、スポンサー受けするネタ、視聴率を稼げそうである事、人々が驚嘆の目を持って関心を示しそうな事であります。

例えば、殆どがそうですが我が家は普通以下であったり、我が家の父親も普通である事が疎(うと)ましく思われ、蔑(さげす)まれてしまうことにもなってしまいます。

誇張されたり、特別な例でもあるにも拘らず、目に飛び込んでくる事が全て世の中の普通になってしまう状態。

ですから、政治も普通日常の事になってしまいましたし、特別に選ばれたしかも優秀な人々がやっていることではなくなってしまいました。

国民総評論家になりました。

世界ップクラスの日本経済も、比較的近くのおじさんたちが動かしているような錯覚に陥っています。

スポーツの世界だって、隣のお兄ちゃんが世界記録を作ったような錯覚。

イチローだって、そんなに遠いところに存在するスーパースターではなくなってきました。
極めて身近な存在です。

本当は、一番身近にいる父親、母親が世の中で最も尊敬すべき人間であるはずなのに、「うちの父親は、うちの母親は」と蔑(さげす)みの対象と化してしまいました。

子供だって、元来は自分の子供が一番可愛くて、大事な筈だったのに比較対象が多すぎて、自分の子供の欠点ばかりが目に付く時代です。

虐待や親としての義務の放棄、失われた母性、世の中どこに行こうとしているのでしょうか。

普通で良かった筈なんです。
普通こそが尊重され尊敬される世の中だったと思っていたのですが。

何処かで踏み誤ってしまいました。

秀でた人、秀でた技術や現象を否定する必要もありませんが、普通であることがより大事にされる時代に戻りたいものです。

「普通でいいんだよ、そのままでいいんだよ、自然のままでいいよ」って、言える時代。
それは、同じ目線で物事が判断され、共通の土壌でお互いを認識し、尊重できる世の中です。


『正直とか親切とか、そんな普通の道徳を堅固に守る人間こそ、真の偉大な人間というべきである。
アナトール・フランス』
  


Posted by misterkei0918 at 00:48Comments(0)