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2010年09月10日

「ヒマを利用しない人は常にヒマがない」

「ヒマを利用しない人は常にヒマがない」

西洋の諺にこんな言葉があるのを見つけました。
「ヒマを利用しない人は、常にヒマがない」

「ヒマを利用している人は、常にヒマがある」
逆も真なりとはいきませんが、勝手に作ってみました。

そんな気がするから不思議です。
ヒマを持て余している人に限って、ちょっとした用件が出てくると「忙しい、忙しい」の連発です。

普段からスケジュールに追われ、我々から見たら多忙な日々を送っている人は忙しいなどとは滅多に口にしませんし、何でも無難にこなす事が上手です。

少しの時間でも、大切にし、無駄にはしません。

寸暇を惜しむ人に限って、知力を高めるために有効に使ったり、体力増強に勤しみものです。

「忙しい」の頻発は字の如く「心を失う」事であり、自分を見失う原因となるものです。

「ヒマだ、ヒマだ」の連発は、ヒマに一番好かれる事を望んでいる事の象徴であって、ヒマ虫に取りつかれる事を望んでいる証拠でもあります。

賢い人はヒマだと言う前に、既に行動に移す事の重要さを理解しており、ヒマを感じる暇もないものです。

人生は、ヒマな時間が必要なのではなくて自らが望む事やしなくてはいけないこと、精神を高めるための事や充電、心の安らぎや癒しを体験するための行動を積み重ねる事で充実感が感じられるものです。

怠惰な時間やヒマは、やがては退廃につながり、つまらない人生を自らが創造しているに過ぎないような気がします。

ヒマな時間も必要だと言われそうですが、心の安らぎが必要であれば、最も自分に相応しい安らぎの方法や時間に委ねる事のほうがもっと賢く、充実した時間を送れる事になりそうです。

「ヒマだ、ヒマだ」の念仏は、「忙しい、忙しい」の連発と同じでどちらもいい結果は招かないようです。
  


Posted by misterkei0918 at 15:55Comments(0)

2010年09月10日

埋没して置き去りにならないように

埋没して置き去りにならないように

今日のアメリカの経済のニュースなどを聞いていると、先々危うい状況を素人の私は想像してしまいます。

決していい状況ではないようです。

アメリカの経済の混迷は確実に日本に波及しますし、それはむしろ大きなうねりとなって襲ってくる事だけは間違いはないでしょう。

日本の経済界も、不透明、混迷が深まる事は予想していますが肝心の政府の動きが全く見えない、遅い!!

果たして分かっているのか、現実逃避なのか、国民の感覚とずれているのか。
困ったものです。

こんな大事な時に与党では身内の権力争いに終始し、表面上は言葉穏やかには見えても腹の中では誹謗中傷の限りを尽くし、国民はそっちのけになってしまっています。

方や、第一野党では蚊帳の外に置かれたようになりを潜めていましたが、埋没してはならじと党内結束を固めるために動き始めました。

似たような事は幾らでも世の中に存在するものです。

夫婦の事に余りに重きを置きすぎるために子供が置き去りになってみたり、
企業間競争にばかり走り始めたために新商品の開発や安全性の確保を忘れ、本来の経営を見失ったり、

他国との、競争に走る余り、国民生活がおざなりになってみたり。

表面や体裁に構い過ぎるがために、内面を磨く事を忘れたり、

世の中では良く「本末転倒」という言葉を使いますが、本来やるべきことや大事な事を見失うような事態が刻一刻と進んでいるような気がします。

いつでも「大事な事は何なのか」、常に念頭に置きながら物事を進めないといけないのでしょうね。

目先の事に重きを置きすぎて,周りで起きている事態の収拾を忘れたり、一歩先を見る目をもてなかったりすることが大きな禍根を残さないように。
  


Posted by misterkei0918 at 00:34Comments(0)

2010年09月10日

人間から「根に持つ」習性を取れば

人間から「根に持つ」習性を取れば

人間の持つ性格の中から、「根に持つ」、
つまり、相手を憎く思う、
相手の悪いところに執着する、

危害や迷惑を掛けられたことをしつこく思い煩う、
赦す事を忘れる、
自分の正当性ばかりに惑わされる、


人間の性格と言うか、習性とでも言ったほうがいいかもしれませんね。

この「根に持つ」という習性を捨て去る事ができたらどんなにか楽になるような気がしませんか。

あればこそのことも沢山ですが、人生が終わるまでついて回るのですから人間は困ったものです。

少なくとも老年期を迎えるくらいの年頃には、穏やかに惑わされる事なく、安心の日々を送りたいと思うものです。

所が人間の性(さが)がそれを赦さないように出来ているようですね。

とするならば、それを和らげる努力をする以外に方法はなさそうです。

余り、物事に執着しないようにするとか、
日頃から、人や物事に課題の期待を持たないで、

自らの努力に委ねて、
執念を持たないようにするとか、

人を恨むのではなく、自分の方にこそ非が存在する事を容易に求める癖を持つようにするとか、


それと、楽しい事は時間を掛けて楽しみ、思い煩う事は出来るだけ時間を割かない方法を考え出すとかするといいかもしれません。

また、考える時は徹底的に考えても、メリハリをはっきりして「そこまで!!」的な区切りをつける癖を自分に持つこともいいようですよ。


こんな難しい事を考えている時に仏教の事を持ち出すと、余計に深みにハマってしまいそうですが、こんな言葉を頂きました。


『仏教の四苦八苦の
四苦ですが「生老病死」こと。

八苦ですが上の四苦にあと4つ

愛別離苦(あいべつりく)・・・愛別は愛し合いながら別れる苦しみ

怨憎会苦(おんぞうえく)・・・怨憎は憎む相手と出会う苦しみ

求不得苦(ぐふとくく)・・・求不得は欲しいものが手に入らない苦しみ

五陰盛苦(ごおんじょうく)・・・五陰盛は色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の5つ(人間の五感と思ってください)つまり物事に執着する苦しみ。

を足して八つになります』
  


Posted by misterkei0918 at 00:05Comments(0)