しーまブログ 日記/一般福岡県 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

2010年09月25日

苦しいこと

苦しいこと・・・・・平成16年9月11日

世の中楽しいことばかりはありません。
当の私だって家庭のこと、身体的、精神的、会社のこと、地域のこと、お世話ごとのこと等数えたらきりが無いほど多くの心配事や苦しみ、劣等意識を持っています。

中には楽しいこともありますがむしろ考えねばならないことや決断を迫られること、苦渋の選択をせねばならない時、心臓がキリッと痛むことが多くあります。

人間として生まれて社会生活を営んでいる以上どうしても人間関係の軋轢や葛藤、業績のこと際限なく苦しむ事が多々あります。

人間は不思議なもので幾つかのハードルを越えていく内に少しずつ高いハードルになってもクリアーできることが判ります。
若い頃あんなに悩んだ同じことが今となっては悩みではなく日常的なことして解決できています。

辛い事でも辛いと思わずに解決できていることに気づきます。
それが培われた勇気や英知、知恵、経験というものなのでしょうか。

昔、「苦労は買ってでもしなさい」とか忙しくしている人にこそ難しい仕事は頼みなさいと言われてましたがまさしくこの事ではないでしょうか。

悩みや自分の弱点、ハンディを克服しようと思ったときには却って火中に積極的に飛び込んでみるといつの間にか解決できていることがあります。

私自身、精神面、身体的、家庭的に恵まれていませんでしたので特に高校生時代と就職して結婚するまでは将来にも悲観的でいつも劣等意識に取り付かれ消極的で悶々とした生活を送っていました。

あるとき(大きな転機は結婚)から、急転直下自分改造の為の積極策に転じることにしました。
当然恥じもかいたり苦しかったり怒られてみたり。

それを数年間続けていくうちに少しずつつ変化が出てきました。

本来消極的な性格ですから積極策に転じたといっても幾らか控えめ。
これが却って幸いするのです。

巷で言う逆療法かな?。

結局はあの時の自分は何処に言ったのだろうと思うほど変わってきました。
考えてみると本来の姿は今にあったのです。

負けず嫌いでも競争して勝ちたいと思う人と、私の様に人との競争は嫌いで避けたい人。
一見矛盾してますが案外こういう人は多いものです。

引っ込み思案に見えるけど本心は表舞台に上がりたい人、その狭間でジレンマに陥る。

一度、清水の舞台から飛び降りる思いでやってみると新しい世界が開けてきます。
それには飛び込む勇気と多くの勉強や体験が伴います。

それがやがて知恵や社会性を養う結果と成り生まれ変わった貴方がそこに誕生します。

そうすることで50センチのハードルがやっとだったのに1メートルのハードルを軽くいなす自分を発見します。

そういう体験を重ねる事が一つの心地よさを感じるまでに高まることを覚えるとしめたものです。

オリンピックが物語っています。
思い出してください、小学校の頃、跳び箱がどうしても飛び越せず恥ずかしい悔しい思いをした頃を。

先生や友人から促されてやっと飛び越せた時の爽快感。
達成感や感動が大きな原動力となってまた牽引力となって動き出せば後はしめたものです。

「井の中の蛙、大海を知らず」
カラを破って初めて外に出たひよこの如く、新たな喜びや社会に求められる自分、新しく生まれ変わった己の姿や引き出された能力に出会うこと間違いありません。

お試しあれ。いつかもっと具体的に日記したいと思います。
学者でも先生でも研究者でもありませんので上手には説明できませんが。
  


Posted by misterkei0918 at 11:09Comments(0)

2010年09月25日

結婚前は両目でしっかり、結婚したら片目をつぶって

結婚前は両目でしっかり、結婚したら片目をつぶって・・・・・平成16年7月18日

私の経験から言っても結婚前は出来るだけ自分の評価を高めておきたいもの。

持ち合わせのないお金でも何とか工面をし、デートの時に恥はかかない様に、或いはつましい貧しい自分ではないところを見せておかねばならない。

食事もなるべく質素を避け、プレゼントは出来るだけリッチさを感じさせるように。(実は私は食事は頓着なし、プレゼントなどそんな洒落た事には気が利かない。おおよそ女性にとって退屈な男性の一人であることには間違いがない)。

殊には女性本能をくすぐるような所作も必要かも。

それは女性にとっても同じこと、優しくかいがいしい女性を演じ乍ら、時には男性の本能をくすぐるような行動も必要だし弱弱しい姿もときに見せることも必要でしょう。

私の知人の女性(容姿は十人並み以上の美人で賢明な方)は結婚まではそれこそ真面目さを絵に書いたような男性と恋愛から結婚。

それまではこんなに私のために尽くしてくれる男性はこの世に存在しないとまで思ったことらしい。

結果は結婚した途端、一度たりとも遊びにも食事にも連れて行かない、自分の遊びには熱心、浮気はする、子供の面倒は見ようとしない。

結局は結婚数年で破局。
彼女曰く「表面的なカッコよさやプレゼントなど、見てくれに目がくらんだ」とのこと。
反対に彼にとっての彼女がどうであったかは聞く良しがないので判断のしようがない。

だから、急がず慌てず相手を見つめる心のゆとりが必要。

人間の本性なんてそんなに簡単に見抜けるものではないけどその幾らかでも解っていれば納得できるもの。諦めもつくという物です。

両目でしっかりお互い見詰め合って、一時の感情に走らないで。
恋愛に関する友人や知人、親の体験談なども耳を大きくして聞いておくのもいいのかもしれません。

そして結婚したら出来れば片目をつぶる努力を。
自分に多くの欠点が存在するように相手にも欠点は存在するもの。

価値観や境遇、知識や教育によっても物事の考え方、行動は自ずから違うもの。
お互いを認めつつ、許しつつ、高めつつ、学びつつ、いいとこ見っけ、ではないでしょうか。

長い人生、苦あり、楽あり。
そんなに簡単な道程ではありません。

苦だけの人生もいけませんが楽だけの人生も決していいものではありません。

苦楽があるから、苦楽を共に出来るお互いの人生こそ貴重なもの。それが味な人生。
  


Posted by misterkei0918 at 10:50Comments(0)

2010年09月25日

子供たちこそ大切に

子供たちこそ大切に・・・・・平成16年7月15日

今の大人の子供時代と現在の子供たち、どんなところがどの様に違いがあるのでしょうか。

おかれた環境が余りにも違い過ぎるのも事実、教育のあり方や先生方の教育に対する考えや情熱、思い入れ、人を育てているのだという意識、機械的な授業、すべてが今と昔では余りにも格段の差があることも周知の事、情報の量、速さ、内容共に比較にもならないでしょう。

伝達の手段だって全く違います。

一番違うのは私ども、所謂親でしょう。親が子供に対する思い、情熱、期待、ほとんどが変化してしまいました。

しかも急激に。

子供は授かり、預かり物でなく造るもの、要らないなら捨てるものに変わってきました。
昔は極貧の中でも子供の生涯に親は掛けたものです。

何物にも代えられない、掛け替えのない、自分の命をなげうっても大切にしてきたもの、それが授かった子供に対する親の態度であったはずです。

この世に生を受けた子供の生命や尊厳など何処に行ったのでしょうか。

貧しく明日の生活にも事欠く後進国のドキュメンタリー等を見て親子の情愛の深さに心打たれるのは私だけではないでしょう。

素晴らしい先生や感動的な親子関係を築いている人々が数多くおられるのも事実。私自身がそんな親子関係に枯渇していたこと、自分の子供たちとの十分で豊かな関係が作れたのか未だに疑問が払拭できていない、そんなことが時に脳裏をかすめます。

マスコミのあり方、先生方、地域社会が何でもありの世界になってしまいました。

過保護、過干渉ということではなく子供のためには防ぐものがあるとするなら体をはって守る、そのためには親同士が連帯感を持ってことにあたる事も必要かもしれません。

未来を作るのは私どもであって子供たちではありません、今は私どもが作ったのではなく私どもの親が作ってくれたのです。

今の子供たちの未来は私どもが作っているのです。

だから子供を大事にする環境は我々が作らないといけません、
そこで過ごすのが彼らですから。

子供が逃避をしなければいけない社会、伸び伸び出来ず萎縮した社会、屈託のない笑顔を忘れた子供の多い社会や家庭。

私も今頃気づいては手遅れですが子供たちが安心で安全で親の懐に顔をうずめながら生活できる社会や家庭を作れたのか疑問です。

溺愛や過保護があらぬ方向に子供たちを走らせたのも社会の現象や事実が証明してくれました。

何が正しくて何が間違いなのか、幼いころからの躾や教育が如何に大切なのかを今の世相の流れがわれわれにさまざまなことを教えてくれています。
  


Posted by misterkei0918 at 10:41Comments(0)