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2010年04月23日

幸福を感じる心根(こころね)

幸福を感じる心根(こころね)

幸福という言葉ほど、掴み所が無くて、曖昧で、千差万別、極めて主観的なものはないような気がします。

感じ方によっても違いますし、幸福の度合い、若しかすると今の心の状態や環境によってさえ感じ方が異なってきます。

同じ事象でもAさんにとっては極めて小さいことですが、小躍りするほどに喜ばしいことなのに、Bさんに取ってはとるに足らないことで笑顔ひとつ見せることはありません。

一人の心のなかでさえ、今日と明日、或いは午前と午後でも異なるものです。
同じ状況が訪れても今朝は喜ばしいと感じ、昼には取るに足らないこととして嘲笑してしまいます。

極端な言い方をすれば、何でもいいから幸福と思っていれば幸福になってしまいますし、不幸と思えば幸福でさえも不幸なのかも知れません。

それはやはり心の有り様でしょうかね。

不幸なことではあっても、もうすぐ訪れる幸福への「呼び水」でもありますし、乗り越える喜びだって存在するものです。

今日は明日の為に存在するのであって、今日の苦難は明日の幸せのために巡ってきたもの。
それを喜ばない理由は存在しないのではないでしょうか。

例え喜びとまでいかなくても、苦難としてだけ捉えるのではなくむしろ勇敢に毅然として立ち向かうことが明日への力水であります。

そのように思いますと今が楽しく、いとおしくさえ思えてきます。

そうですね、幸福を感じようとする思いや心根を持つことが今の禍や苦難の片隅にさえ幸福の種が潜んでいることを感じさせるもののようです。

「鰯(いわし)の頭も信心から」と言う言葉もありますしね。


『ビショビショにぬれ切ってしまえ!
すると、たかが入浴ていどの日常茶飯事にさえ、ものすごい感謝と幸福感を抱くことができるようになる。
「幸福を感じる心根」が、すさまじく飛躍し、研ぎすまされるのである。櫻木健古「生きるヒント「一日一話」」


『人間が不幸なのは、幸福であることを知らないからである。ドストエフスキー』


『人間の幸福は、決して神や仏が握っているのではない自分自身の中にそれを左右するカギがある。エマーソン(アメリカの思想家詩人)』
  


Posted by misterkei0918 at 23:28Comments(0)

2010年04月23日

人のお世話に打算を持ち込むな!!

人のお世話に打算を持ち込むな!!

人のお世話をするにはそれなりにエネルギーを使いますし、時には嫌な思いをしたりもするものです。

上手にできて当たり前。
失敗しようものなら、批判はされますし自分の悔みの程度もかなりのものです。

だから挫折しがちだし長続くしないものです。

人の顔色を窺うのが嫌で、無視をするのは許せませんし、かと言って人の考えや意見、非難には耳を傾けないといけませんし。

それが嫌なら人のお世話など出来ないのではないでしょうか。

人のお世話で褒めてもらおうなどと思ってはいけません。
期待するようでは人のお世話など無理でしょう。

「あいつはお世話してもらっている癖にお礼、挨拶の一つもない」・・・等ということになってしまいます。

そうなるとそれに拍車がかかって気持ちに収拾がつきません。

強面に、声高になるのではなく、密かに期待するくらいで丁度です。

人間ですから、少しはありますよね。
お礼を言って欲しいとか・・・・・

でもそうでなくてもいいと思う気持ちが大切。

人はお世話をさせていただくことで得るものは星の数ほど存在するものです。

お世話される人々の人となりだって観察出来ますし、
人はどのようなことに興味を示し、

どのようにすることに喜びを求め、感じるのか、
様々な性格や思想信条の違う人々をまとめる力を得ることも出できます。

価値観だってそれぞれです。

耐えることだって覚えることになりますし、
第一、 笑顔の大切さを認識し、常日頃から笑顔を保つことが出来ます。

また、お互いが胸筋を開くことの大切さを知り、人の懐の寒暖を見る機会に恵まれます。



どうして、そんなにお世話に精を出すのかと問われます。
1番の理由は私が「未熟者」だからでしょう。

人の揉まれることが私自身を最も早く成人させる早道だと思っているからです。


『なるべく人の世話役を心がけよ。
そして、報を望むな。求むるな。安岡正篤』
  


Posted by misterkei0918 at 19:43Comments(0)

2010年04月23日

言いたい事の半分位で丁度いいみたい

言いたい事の半分位で丁度いいみたい

時には、言いたい事の殆どを言葉にできるとどんなにかすっきりするかとつい考えてしまいます。

人によっては言いたいことは山ほどありますよね。

「人によって」と敢えて申し上げたのは、片や「人によって」はそうでもない人がいます。

口数が少ないから、ストレスが溜まるとは必ずとも言えません。

元来、雄弁な人、活弁な人が言葉を発することが出来ない状況や場面に追い込まれるとそれは大変なストレスでしょうが、人によってはそうでもないものです。

私もその部類ですが、黙っていれば何時までもそのままでも構いませんし、決してストレスになることもありません。

極端な言い方をすれば、喋らないといけない状況こそがストレスを作ってしまいます。

私にはあと一つ、雄弁に慣れない理由があります。
知力が足りないから。

「物言わずは、腹膨(はらふく)るる技」とは昔から言います。

私のような人間からすれば、そんなに物を言わないことは大変なことかと訝ってしまいます。

考えてみますと、言いたいことがあってもその半分位で丁度良いような気がします。

全てを聞くのは耐えませんし、嫌なものでもあります。

人間は憶測という能力を持っていますし、斟酌したり、想像したり、予測したりする能力を持っていますから100%、全てを言われなくても殆んどの事は解釈できるもの。

人間関係もその方がむしろ良さそうです。

全てを自分の言葉や判断にするのではなく、聞いた人がそれなりに、その人なりに解釈するゆとりを持たせることが人間関係を上手く醸成し、却って心も通じ合うものです。

「巧言令色、鮮なし仁」とも言います。
ですから、上手に言えないとか、人前で充分に喋れないとか決して悔やむことはないのです。

そこにこそ、人は真の姿や心を見つけてくれます。


『人の言葉は善意にとれ。その方が5倍も賢い。シェイクスピア』


『ほめ言葉は人にふり注ぐ暖かい陽光のようだ。
それなしに、人は花咲くことも成長することもできない。ジェスレア(スペインの文化人)』


『人への批判のその奥には、自分に対する自信の無さや、不安の故に優越感を持ちたい自分がいるものです。聖書の中の「互いに人を自分より優れた者としなさい」という言葉が絡まった人間関係を解く鍵となります』
  


Posted by misterkei0918 at 19:08Comments(0)

2010年04月23日

ひらめきや直感と実行力と継続が人生を豊かにする

豊富な知識より、ひらめきや直感と実行力と継続が人生を豊かにする

昨日、ひらめきのブログを書いていたらタイトルのようなことがひらめきました。

時々、より幸せな人ってどうしてそうなのかとか、経営上手な人は何処が私どもと違うのかと疑問に思うことがしばしばです。

皆さんはどうですか?

当然、全ての人がそうではありません。
最初から恵まれている人もいます。

既に基盤のしっかりした会社でたまたま社長になる人もいるものです。

或いは周りにいる人が引き上げてくれているとか、偶然に恵まれてとんとん拍子に出世したとか、業績が伸びたとかありますよね。

場合によっては景気が良かったことで順調に行く時もあります。
商品や土地柄、情勢(国際、国内)にもよります。

その事を論じると終始がつきませんし、話の整理ができませんから人として同じ土俵の上にたって「よ~いドン」とスタートしたときにどんな人がより幸せや成功にたどり着く確立が高いのかを思うときがあるものです。

私はどちらかと言うと高学歴でもありませんし、知識に恵まれた方でもありませんから勝手に自分の都合のいいことを考えているのかも知れませんね。

でも、こんな気がするのです。
「豊富な知識より、ひらめきや直感と実行力と継続が人生を豊かにする」

頭でっかちな知識はないよりはあった方がいいに決まっていますが、それが成功したり幸せになる絶対条件でもありませんし、必須条件でも無いように思うのです。

人よりも少しだけ、ひらめきや直感が強かったり、
そのひらめきや直感を勇気を持って実行できたり、

人よりも少しだけ継続する力が上まわっていれば、
結構な確率で幸せになる度合い、成功する確立は極めて高いような気がします。

ひらめきや直感を大事にしない人は何にも始まりませんよね。
棚ボタを待つばかりでしょう。

若い頃でも色んな事はひらめいたりしていたのでしょうが、残念ながら大事にすることを知りませんしなんとも感じてもいませんでした。

早くからその大事さを知っていたら、もっと早く幸せが駆け寄っていたのかも知れませんね。
  


Posted by misterkei0918 at 13:00Comments(0)

2010年04月23日

ひらめきの時

ひらめきの時

ひらめき、直感、第六感・・・・・

人の頭脳は不思議なものです。

時として全く気にもしていないことに考えが及んだり、急に思いついたり、解けなかった問題や疑問がふとしたことで解決したり、ヒントが出てきたりするものです。

ひらめきと直感の違いは「理由が説明出来るか、出来ないか」の違いらしいです。

私のひらめきは大部分が車の運転中のような気がします。
次が就寝に入ったとき、つまり寝床に入って間もない頃。

所がトイレとか、風呂とかは殆んどありません。

私のトイレは新聞を読むか、常備している本を読むかですからひらめく暇がない。
風呂はカラスの行水ですから、殆んどひらめく時間的ゆとりがない。

会社の机に座っているときは電話をしているか、PCで作業をしているか、社員と話をしているか、会議や来客に追われていますから、ひらめく時間的ゆとりが全く無いからでしょう。

車の中でしたら、作業をすることも出来ない、殆んど一人。

ですから、車には常にボールペンとメモを準備しています。

ひらめいたり、思いついたりしたことをメモに出来ない時がありますが、そんな時は嫌なものです。

だって忘れてしまう事への不安や、覚えていないもどかしさに常に嫌な思いが付き纏うから。

貴重なものです。
そのままなら通り過ぎてしまうだけのひらめきが、人生を変えたり、飛躍させたりするものです。

たかがひらめきと思わないで、折角人間に与られたひらめきという能力をふんだんに使いこなすことも人生においては大事で貴重なものです。

思わぬ幸せや喜びが舞い込んでくることだってあるものです。

所謂、「人生の達人」とはそんな人をいうのかも知れませんね。


『一般に思いつきというものは、人が精を出して仕事をしているときにかぎってあらわれる。ウェーバー』


『手なれたものには飛躍がない。
常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ。岡本太郎』  


Posted by misterkei0918 at 12:21Comments(0)