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2010年04月15日

時間にルーズな人はいませんか?すぐ「さよなら」しましょう

時間にルーズな人はいませんか?すぐ「さよなら」しましょう

「時は金なり」、「時間泥棒」
時間ほど全ての人に共通に、しかも厳格に与えられているものはないのではないでしょうか。

人間は生まれ出でた時から、死ぬ瞬間まで時の拘束の中で生活を強いられているものです。

そして、時に関する意識を深め、持ち始めるとき、いよいよ人生を意識するときであり、充実を迎えるような気がします。

子供のときや老齢化したときは、朝陽が登り、夕日になって落ちていく太陽を見て何となく時を意識するものです。

時間に対する意識が薄い人はそれだけ緊張感が足りませんし、人を敬う気持ちに陰りがあり、物事の重大さに気づかない人のような気がしてなりません。

人は時として、他人との約束を果たせないことはあるものです。

そんな時こそ儀礼を尽くして、丁寧なお詫びをし、次の機会には約束よりも早く出向いて相手を迎えるくらいの心遣いが必要なものです。

審(つぶさ)に観察してみると、その事は、時間のことのみでは無く、人間関係や殆んどの約束事においても同じような行動、態度をとることが分かります。

約束の基本は時間。

恋愛時代のデートの時間だって例外ではありません。
わざと遅れることが作戦だったりすることがないとは言いません。

いつも待たせる癖のある人、
待たせることに少しも悪びれた雰囲気のない人、

たまたま自分が待たされると不機嫌な人、


時間にルーズな人はいませんか?すぐ「さよなら」するか、付き合いを程々にするか。

特にビジネスの世界でしたら、その人から商品を買おうなどとは思わないものです。


『悲観することは時間の浪費だ。ノーマンカズンズ』


『今という再びかえることのない時間は、明日のためにあるのではない。楠原彰』


『意思ではなくて、時が恋を終わらせる。ププリウスシルス』
  


Posted by misterkei0918 at 16:38Comments(0)

2010年04月15日

「眠れない夜」は何処へ行った・・・若い方々へ

「眠れない夜」は何処へ行った・・・若い方々へ

これは決して馬齢を重ねたからではないと思っています。

若い方々なら、現実の問題としてこんな事はありませんか?
「眠れない夜」

色んな事がありますよね。

一般的には、
恋愛のことであったり、
会社での仕事、
家庭でのこと、

子供人のこと、妻とのこと、
事業のこと、
社員のこと、

障害のこと、
能力のこと、

対人のこと、


私はその事を意識始めたのが高校生になった頃からのように思います。
謂わば多感な時期に入る頃、第2次成長期を終えた頃というのでしょうか。

中学時代は色んな意味で親にも迷惑を掛けたものです。
謂わば、男の子の中学2年生シンドロームとでも言いますか。
私の勝手な表現です、ご寛容を。

自分の思い込みや他人の目を意識するが余り、ますます落ち込んでいく姿がありましたし、振り返ると自分の姿を側面からみている自分がいて、解決の糸口を見つけることに躊躇する姿があるものです。

そんな経験はありませんか?

所がそれでは自恋魔の坩堝の中で何時までももがき苦しむ自分でしかないのです。

どこかで「これではいけない」「変わらないといけない」「自分には出来る」という思いに駆られないといけませんし行動に結びつかないといけませんよね。

一時(いっとき)のそんな新たな苦しみが出てきますが、変わる自分の姿を見るにつけ快感に変わってくるものです。

そうなるとしめたものです。

いつも頃からでしょうか。
「眠れない夜」は私の傍から次第に遠ざかってしまいました。

今でも従来以上に難しい問題を抱えますし、振りかかる火の粉は数が知れません。
日常的にその処理に走り回っていると言っても過言ではないでしょう。

でも、「眠れない夜」を過ごすことはありません。
あとひとつ、私は妙案を発見したのです。

解決?のために考えないといけないことは、

1、徹底して考える癖をつける事、
・ ・・物事を正面から見据えることの大切さと逃げることは何の解決にもならないことを知っておくことが大事なようです。

2、完全にそれらから解き放たれる術。
・ ・・これには訓練が必要です。難しいことではなく繰り返し。
    それと仕事上でのことであれば仕事とは全く関係ないところに身を置く時間を作ること。
    恋愛であれば、それ以外で没頭出来るものを見つけるとか。
    私がやっていたこともいつかご報告したいと思います。

でも、人生において「眠れない夜」を経験することは決して損な事ではありませんし逆に避けてはいけません。

自分に与えられた将来のための試練、踏み台であってそれを乗り越えることで本来の自分を見つけることになるのです。

避けて通ることは、本来的に待っている自分の人生を自ら放棄することであってそれは与えられていない人生ですから新たなリスクや展開が待っているやも知れませんね。

「本来的に待っている自分の人生」とは、自分のとって幾らか心休まる人生ではないかと私は理解しています。

長くなりました。
  


Posted by misterkei0918 at 09:54Comments(0)