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2010年04月18日

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」と教えて頂きました。

禍と福。

糾(あざな)えるとは、入り組んでいるとか、混ざっているとかの意味ですよね。
紛糾するにも糾の字が使われます。

物事は表裏一体とも言います。
禍(わざわい)は不幸なことですがその中から様々なことを教訓として学びますし、福や喜びは場合によっては心の緩みや慢心、油断を招くこともあるものです。

人生で何が禍するのか、
何が福に結びつくのか、

果たして誰も分かりませんが、むしろ禍が訪れていると思うときほどめげる事無く、勇気を振り絞って立ち向かうことが肝要なことのようです。

その事がより深い福や喜びを招き入れる原動力になるような気がするのですがどうでしょうか。

福が訪れていると思われるときは誰しも、次に訪れるであろう禍のことなど気にはしないものですが、時として「こんなに幸せでいいのだろうか」と瞬間的に思うことはあります。

それはややもすると、やがて訪れるであろう禍を六感的に予感しているのでしょうか。

とするとやはり人生は
「禍福は糾(あざな)える縄の如し」。

また日本のことわざに「好事魔多し」とも言います。

「喜ばしいとき、幸せな時に魔が忍び寄りますよ」或いは
「そんな時に限って危険なものです」と忠告しています。

「油断大敵」もそうかも知れませんよね。
心が緩むとき、ちょっとした油断をすることにも危険がが孕んでいるとの警告です。

禍福の時、別け隔てなく注意を怠らないで備えておくことが大事なんですね。

或いは福の時ほど、最新の注意や心配りを忘れないで努力を重ねることが次にくる禍を幾らかでも減少させる技や、秘訣かもしれませんね。。
  


Posted by misterkei0918 at 16:21Comments(0)