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2010年04月28日

所詮、人生は親の七光りのお陰

所詮、人生は親の七光りのお陰

現代の政治家の何割くらいでしょうか。
大げさに言えば、7割位の政治家が2世・3世ではないでしょうか。

特に地方議員を入れるともっと大変な事になるかも知れません。

それが決して悪いと言うことではありません。
中には幼い頃から政治家である親父の後ろ姿を見聞きし、素養を身につけることも充分考えられますから。

企業でもそうです。
今世代交代が叫ばれています。
後継者が子供である事が大半ではないでしょうか。

特に中小企業は財産の分与にも等しいことが行われるわけですから他人では難しい問題も孕んでいるものです。

銀行の保証や担保の問題や経理上の細かい問題も山積するものです。

考えてみますと、親の七光りを嫌う風潮もありますが日常的に七光りの恩恵を受けながら生活をしているようなものです。

芸能界などはその顕著な例なのではないでしょうか。

親は自分の子供の為と思えばこそ、大変な日常を頑張っています。
できるだけ、子供の将来を楽なものにしてあげようとか。

財産もそうですよね。
出来れば家の一軒位は与えたいとか、
少しの財産でも造っておいてあげたいとか、

人脈も出来れば造っておきたい、
子供に役に立てるくらいの地位は築いておきたい、


巷では「子供に財産を残すべきではない」とか言います。

それを当てにして放蕩してもらっては困るし、怠惰な人生でも困りますからその意味から言えば残さない方がいいかも知れませんね。

また、親の七光りを笠に着て傲慢になってもらっては却って人間として落第生です。
自分の力ではないのですからあくまでも謙虚であって欲しいものです。

或いはそうでない子供であるように育てる親の責任がまず問われないといけません。

私の経験から行くと、人生のスタート時点で既に遅れを取っている状態では困ります。
少なくとも最初の出足くらいは一緒でないといけません。

おまけにハンディまで背負ってしまえば、尚更辛いものになります。

ですから大いに七光りは受けていいのでは無いでしょうか。

七光りであることを、自慢はしなくても遠慮することも無いように思います。

親があっての今であり、自分なんですから「所詮、人生は親の七光りのお陰」と感謝するくらいで丁度いいのかも。
  


Posted by misterkei0918 at 19:00Comments(0)

2010年04月28日

親心(ごころ)

親心(ごころ)

親になってみないと親の大変さだとか、苦労は見えない。
ましてや経験のないことは想像は出来ても実感はありませんし、真剣に捉えることはできないものです。

社長になってみないと当然社長の大変さや苦労の多さは理解できません。
業績のことや社員、得意先のこと、商品やサービス、当然資金繰りもそうです。

同じことが全ての事でも言えますよね。
他人のことも私どもが思うほど簡単ではなく、複雑に入り組んでいるのかも知れませんね。

傍目には計り知れないものです。

年老いた方の切なさや歯がゆさや死期に近づく思いなど若い方々は考えることもないでしょうし想像さえできないかも知れません。

「親心、子知らず」

「這えば立て!立てば歩めの親心!」

そして、
「親思う心に勝(まさ)る親心  今日のおとづれ何と聞くらん」
二十九歳で処刑されたときの吉田松陰先生の和歌ですが、親を思う松陰先生の心、それにも勝る親の子供に対する恩愛の深さを歌われたものですが、ひしひしと迫るものがあります。

私どもは親に対して、何が出来たのでしょうか。
私の場合で言えば、親が私に対して捧げた万分の一も、お返しは出来ていないと思われます。

親はお返しを望むわけではないのですが。

思い出しました。
(財)日本船舶振興会の会長であった笹川良一さんが詠んだ歌で、

「母背負い 宮のきざはしかぞえても かぞえつくせぬ母の恩愛」
東京・品川の笹川記念館の正面に置かれた像の碑文です。

記念館の前を偶然に歩いていたときに書き留めたのですが、涙が出てしまいました。

私の勝手な解釈ですが、
痩せ細ったお母様を背負って、お宮の階段を登られたのでしょう。
階段の数は簡単に数えられても、母親から受けた恩愛の数々は数え尽くせないもの。


『母親の涙には、化学で分析できない深く尊い愛情がこもっている。ファラデー』
  


Posted by misterkei0918 at 08:54Comments(0)