2010年04月04日
優しい人になろうと思えば思うほどに
優しい人になろうと思えば思うほどに
不思議なものですね。
多分、私だけではなく多くの皆さんも経験されていることではないでしょうか。
或いは、二面性のある、その上多重人格的に人間で有る私に限ったことなのかも知れませんね。
「できる事なら、優しい人間になろう」
「自分のあり方を、変えてみよう」とか
「反省の上に立って、自分はこんな事ではいけない」
・
・
時として、こんな事を考えることがあるものです。
所が、難しいものです。
却って、優しくない自分の姿が表面化する、顕在化すると言うのでしょうか。
意識することがそうさせるのでしょうね。
多分、少しづつではありますが優しくはなっていると思うのですが。
例えば、スポーツ選手などが上を目指せば目指すほど、それだけ自分を研究し、見つめますのでより以上の問題点や改善点が余計に見えてくるのと似ているような気がします。
勉強や研究も極めれば極めるほど、不思議なところや問題点、つきない研究心を擽ることにもなります。
やさしいと言うことはどういう事なのか、
人はどのようにすれば心地良さを感じるのか、
自分を無理なく優しさを発揮出来るようにするにはどうすればいいのか、課題は尽きることがありません。
自分の言動が果たして、人に優しいものなのか、
或いは自己満足ではないのか・・・・・
優しくしているつもりが実は相手にとっては押し付けがましいものであったり、不快なものでないとも言えません。
難しいものですが、この探求なしでは優しい人にはなれないのかも知れませんね。
不思議なものですね。
多分、私だけではなく多くの皆さんも経験されていることではないでしょうか。
或いは、二面性のある、その上多重人格的に人間で有る私に限ったことなのかも知れませんね。
「できる事なら、優しい人間になろう」
「自分のあり方を、変えてみよう」とか
「反省の上に立って、自分はこんな事ではいけない」
・
・
時として、こんな事を考えることがあるものです。
所が、難しいものです。
却って、優しくない自分の姿が表面化する、顕在化すると言うのでしょうか。
意識することがそうさせるのでしょうね。
多分、少しづつではありますが優しくはなっていると思うのですが。
例えば、スポーツ選手などが上を目指せば目指すほど、それだけ自分を研究し、見つめますのでより以上の問題点や改善点が余計に見えてくるのと似ているような気がします。
勉強や研究も極めれば極めるほど、不思議なところや問題点、つきない研究心を擽ることにもなります。
やさしいと言うことはどういう事なのか、
人はどのようにすれば心地良さを感じるのか、
自分を無理なく優しさを発揮出来るようにするにはどうすればいいのか、課題は尽きることがありません。
自分の言動が果たして、人に優しいものなのか、
或いは自己満足ではないのか・・・・・
優しくしているつもりが実は相手にとっては押し付けがましいものであったり、不快なものでないとも言えません。
難しいものですが、この探求なしでは優しい人にはなれないのかも知れませんね。
Posted by misterkei0918 at
11:15
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2010年04月04日
桜は恐ろしい!!
桜は恐ろしい!!
関東地方では今が一番の見頃となっている桜。
福岡では、満開を越えてそろそろ葉桜になりつつある木、まだ満開状態の木、交錯している状態です。
私どもが桜、さくらと言っている染井吉野を調べてみました。
『「染井」とは、江戸時代の江戸染井村のことで、今の東京都豊島区巣鴨や駒込あたりの旧地名です。当時は植木屋が多くあったようです。その植木屋から幕末に「吉野桜」として出された品種と言われています。
木の生長が早く花も良くつくので、観賞用として全国的に広がり、藤野寄命氏が「吉野桜」という名称では大和の吉野山の山桜と混同してしまうと、1900年に「染井吉野」と名付けたと言われております。
ソメイヨシノは、生長が早く花も良く付くのですが、寿命は短い方です。オオシマザクラ(大島桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の雑種と言われています。』
昔は今ほど桜が重宝されていたのでもなさそうですね。
昔の歌には梅が繁く出てきますよね。
そこで桜に浮かれてばかりではなかったようです。
(今朝のNHKラジオ放送から教えて頂きました)
『桜の森の満開の下』・坂口安吾著(明治39年10月20日~昭和30年2月17日 小説家・エッセイスト)の小説の一節です。
『桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子(だんご)をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。
なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩(けんか)して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。
近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、
能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足(だそく))という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。』
と言うふうに続きます、恐ろしい話が。
桜の下では気が狂う、できるだけ避けて通る・・・・・
浮かれてばかりではいけないよとの戒めでしょうか。
関東地方では今が一番の見頃となっている桜。
福岡では、満開を越えてそろそろ葉桜になりつつある木、まだ満開状態の木、交錯している状態です。
私どもが桜、さくらと言っている染井吉野を調べてみました。
『「染井」とは、江戸時代の江戸染井村のことで、今の東京都豊島区巣鴨や駒込あたりの旧地名です。当時は植木屋が多くあったようです。その植木屋から幕末に「吉野桜」として出された品種と言われています。
木の生長が早く花も良くつくので、観賞用として全国的に広がり、藤野寄命氏が「吉野桜」という名称では大和の吉野山の山桜と混同してしまうと、1900年に「染井吉野」と名付けたと言われております。
ソメイヨシノは、生長が早く花も良く付くのですが、寿命は短い方です。オオシマザクラ(大島桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の雑種と言われています。』
昔は今ほど桜が重宝されていたのでもなさそうですね。
昔の歌には梅が繁く出てきますよね。
そこで桜に浮かれてばかりではなかったようです。
(今朝のNHKラジオ放送から教えて頂きました)
『桜の森の満開の下』・坂口安吾著(明治39年10月20日~昭和30年2月17日 小説家・エッセイスト)の小説の一節です。
『桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子(だんご)をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。
なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩(けんか)して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。
近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、
能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足(だそく))という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。』
と言うふうに続きます、恐ろしい話が。
桜の下では気が狂う、できるだけ避けて通る・・・・・
浮かれてばかりではいけないよとの戒めでしょうか。
Posted by misterkei0918 at
10:49
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