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2011年01月07日

おもてなし(ホスピタリティ)を求めて・・・大晦日と元旦

おもてなし(ホスピタリティ)を求めて・・・大晦日と元旦

おもてなし(ホスピタリティ)と言えば、世界のリッツカールトンをすぐ頭に浮かべます。

一度、日本法人の支配人さんの話を直にお聞きする機会がありましたが、それはそれは「そこまでやるか」という感じでした。

何しろ世界一ですから、ちょっとやそっとのおもてなしでは話になりませんよね。

私どもの企業でも、その付近への配慮が働いてお客様から「あの会社は、他とどこかが違うよね」などと囁かれると嬉しいものです。

お店や会社へ一歩足を踏み入れた途端に、その違いは感じるものです。
という事は、俄かづくりや表向きだけのおもてなしなどすぐ化けの皮が剥げてしまいます。

不思議なものです。
人間の感覚というものは。

大晦日から元旦にかけて毎年同じ宿に宿泊することにしています。
それもやはり一年間のご褒美の意味もありますが、一番は「おもてなし」の心地よい雰囲気に浸るのが目的です。

温泉も雰囲気がありますし、食事の美味しさや細かい配慮、部屋の面持ち・・・・・

自宅で大晦日や新年を迎える事になると、当然それなりの準備も必要ですし、おせちも造ることになってしまいますから家内に大いに負担をかける事にもなってしまいますから、それからの解放の意味もありますが。

場所は、大分県中津市、福沢諭吉の故郷ですし、黒田長政の父親・黒田如水が藩主であり中津城主(日本三大水城の一つ)であった所でもあります。

中津市の山間部、六面山ふところ。
金色温泉・こがね山荘。

隣には、地域の方々も入れる温泉地。

福岡から九州縦貫道を経由し、東九州道路を利用して約2時間程度の道程です。

また、今年の大晦日から元旦にかけて再び訪れる事になります。
  


Posted by misterkei0918 at 23:07Comments(0)

2011年01月07日

一日一笑、一日一善、一日一役、一日一褒

一日一笑、一日一善、一日一役、一日一褒

今日1日、何か心に残るような出来事はありましたか?

今日1日、お腹から笑う事がありましたか?

今日1日、人に喜んで貰う事が出来ましたか?

今日1日、家族や周りの人々、社会に何か良い事をしてあげられましたか?

今日1日、自信を以って「良くやった」と言えるような事がありましたか?

今日1日、最後に自分を褒めてあげましょう。

いつも走り回る1日に終始してしまいます。
そしていつも反省です。


小さな事でもいいのです、
一日の終わりには心地よい達成感に酔いしれて、

腹に一物を持つことなく、大きな声で笑ってみたいものですね。

人の為に何をしたのか、自己犠牲とまではいかなくても、
或いは感謝はされないかもしれませんが、果たしてお役に立てた事があったのでしょうか。

「最善を尽くして、天命を待つ」という言葉がありますが、最善ではなかったかもしれませんが自分が為し得る努力を怠る事はなかったでしょうか。

褒められなくてもいいのです、素晴らしい評価など必要はありません。
第3者が見ても、確かな結果が残せたのでしょうか。

今日の自分は、心の鏡に照らしてみて、美しく輝いているのでしょうか。
曇ってはいませんか。
眉間に皺寄せるような事はなかったですよね。

最後に、心地よい疲れとともに、体を横たえるとき、自らに「良く頑張ったね」と優しく囁いてあげたいものです。

人は、悲しいかな、
反省などという習性を本能的に備えてしまいました。
生きて行くからには、せめて明日の為に心地よい反省で一日を終わりたいものです。


『多くの人は皆、成功を夢見、望んでいますが、私は「成功は、99パーセントの失敗に支えられた1パーセントだ」と思っています。
開拓精神によって自ら新しい世界に挑み、失敗反省勇気という3つの道具を繰り返して使うことによってのみ、最後の成功という結果に達することができると私は信じています。本田宗一郎』


『進歩とは反省のきびしさに正比例する。本田宗一郎』


『反省とは悔やむことではない。前進するための土台である。』
  


Posted by misterkei0918 at 21:36Comments(0)

2011年01月07日

突然の七草粥を頂きました

突然の七草粥を頂きました

今日の夕刻と明日の賀詞交歓会で、所謂「新年会」が終わります。

ある意味、大人の踏み絵のような、体力気力を試されているような、そんな集まりのような気がします。

それは多分、私だけの感情ではなく参加する多くの方々の偽わざる思いではないでしょうか。

中には、好きなお酒が好きなだけ飲めるという期待を以って臨む人も多いのも事実ですが。

今日のお昼の賀詞交歓会の来賓の方のご挨拶で今日が「七草粥」の日である事を気付きました。

昔は、「今日は七草粥だね」などと口々に話したものです。
また、社内でも七草をスーパー等で買い求めて、みんなで頂いた時もあったものです。

本来大事な、季節を感じる行事ですのでみんなで語り合ったり、出来れば頂いたりしたいものですね。
その付近が日本人の素晴らしい所だった筈です。

調べてみました。(ネットからの拝借です)


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七草(ななくさ)は、人日(じんじつ:五節句の一つ)の節句(1月7日)の朝に、7種の野菜が入った羮を食べる風習のこと。

本来は七草と書いた場合は秋の七草を指し、小正月1月15日のものも七種と書いて「ななくさ」と読むが、一般には7日正月のものが七草と書かれる。

芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう・現在名:母子草)、
繁縷(はこべら・現在名:ハコベ)、
仏の座(ほとけのざ・現在名:コオニタビラコ)
菘(すずな・現在名:カブ)、蘿蔔(すずしろ・現在名:大根)

この7種の野菜を刻んで入れたかゆを七種がゆといい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。
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実は、ご挨拶の言葉に登場したのみでまさか七草粥が出てくるとは思わなかったのです。
いつものパーティでしたら、お蕎麦がお椀に継がれて出てくる事はいつもの事ですが。

いずれにしても、旬の季節の食べ物に触れただけでも嬉しい気分になっています。
今年は何か良い事が。

そういえば、昨夜の賀詞交歓会で実は景品が当たったのですが、これも幸先(さいさき)を暗示しているようで喜びのひと時でした。

でも、当たっていない同僚たちのまなざしが痛かった!!

そういう事でもありましたので、喜びは自分だけが占有してはいけませんから、博多駅に迎えに来てくれた社員の家族にお礼を兼ねて差し上げることにしました。
  


Posted by misterkei0918 at 14:55Comments(0)

2011年01月07日

過去の栄光の亡霊に心奪われては駄目

過去の栄光の亡霊に心奪われては駄目

新年を迎えた早々に、過去の話に終始するのはどうかとも思います。
或いは新年を迎えた時期だからこそ、自戒を込めて考えてみるのもいいかもしれませんね。

私自身に過去の栄光などと言われるものが存在するかも疑問ですが、それは私個人の胸の内で「あのときがそうだった」位の判断でいいのではないかと思っています。

例えば、

大企業に就職できたこと、
恋愛が成就し結婚まで辿り着いたこと、

首尾よく起業出来た事、
ここまで数十年に亘って経営できた事、

難しい時代にも関わらず、そこそこの事業として確立できたこと、
孫も順調に育ち、親族仲良く過ごせている事、


確かに人生は波乱万丈、さまざまな事がありました。
眠れない日を幾度となく迎えた事もありますし、自己否定をしてみたり、涙をぬぐってみたり・・・・・

でも、そのそれぞれが現在を構築するための踏み台であって、どうしても必要なものであったような気がします。

そして数少ない栄光も存在するものです。

「良くもここまで頑張ったとか」
「若しかすると奇跡じゃないの」

こんな時も存在するものです。

でも栄光に浮かれていても、殆ど得るものはありませんでしたしむしろそれが為に足かせになって身動きが取れないときが多いものです。

しかも喜びの絶頂期は、栄光に浸っている時ではなく苦難を克服した時や悲しみを乗り越えたときであったのです。

安堵感や充実感に浸れる時は、苦難を克服した時や悲しみを乗り越えたときであって、栄光の時ではないようです。

栄光は過去の遺産や亡霊ぐらいに思って、むしろ苦難を経験した道程こそ大事にし、かつ振り返る価値がありそうです。

経営をしていて、「柳の下にドジョウが2匹」いたためしは殆どありませんでしたが、そんな時に限って過去に執着し旨い話に心を奪われ、迷いや失敗を招いていたような気がします。

経験、特に成功体験や栄光に心を奪われることなく、謙虚に常に初心を見つめ、自分を戒め厳しく、嗜(たしな)めながらの生涯にしたいものです。

心休まる時はなかなか見いだせませんが、そんな厳しさの中に時々垣間見せる至福の時を大切にしながら・・・・・


『小生の最大の栄光は、一度も失敗しなかったことにあるのではなく、倒れるたびに起き上がることにある。ゴールドスミス』
  


Posted by misterkei0918 at 10:16Comments(0)