2011年01月17日
人を好きになろうよ
人を好きになろうよ
人を好きになる事が大事な事だとは十分に分かっていても、行動に出せないとか気が進まない事があります。
本来的に人間は人間が好きなように出来ているような気がします。
だからこそ、その裏腹な状況が生じると思っています。
人は人との関係性の中にあってこそ、人であるように出来ていると思いますし、より高度な人間性を確保できるように仕組まれていると思うのです。
高度というのは、より優れているというのではなく、今まで持ち合わせていない人間性を確保するという意味合いであります。
世の中を見渡してみますと、本当に人間としてより望まれる知性や能力を備えて行く人がいる半面、反社会的というか、本来人間として持ち合わせてはいけないと思われる能力や知識まで高度化していくものです。
でも一般的には、人は人との交わりの深まりを望むものであって、それこそが極めて人間らしい在り方であろうと思います。
若いころの私はどちらかと言うと、人との関係の大切さを重要視することなく、むしろ自分から避けていたような気がします。
避けようとする理由はここでは触れませんが。
かと言ってそれが自己の向上や満足に繋がっていたかと言えば、全く逆であり、その頃の時間が今思えば大変もったいない事をしたと反省をしております。
その事に気づいていれば、今の自分はもっと存在や意義深い人生を送っているかもしれません。
ある時、その事の大切さに気付いたわけですが、
まずは「人間ありき」
「人との関わりの大切さ」
「人は人と交わってこそ人」
それを、小さいころから身を以って教えてくれる人の存在が欲しかったものです。
結局は、本来教えてくれる人が傍にいなかった事、
それ自体が、人と交わる事を消極的にする人にしてしまったのでしょうね。
「人を好きになろうよ」
実は好きになってみるとこんなに素晴らしい存在はないのですが。
『人とつきあうのに秘訣があるとすれば、それはまずこちらが相手を好きになってしまうことではないでしょうか。瀬戸内寂聴(宗教家)』
人を好きになる事が大事な事だとは十分に分かっていても、行動に出せないとか気が進まない事があります。
本来的に人間は人間が好きなように出来ているような気がします。
だからこそ、その裏腹な状況が生じると思っています。
人は人との関係性の中にあってこそ、人であるように出来ていると思いますし、より高度な人間性を確保できるように仕組まれていると思うのです。
高度というのは、より優れているというのではなく、今まで持ち合わせていない人間性を確保するという意味合いであります。
世の中を見渡してみますと、本当に人間としてより望まれる知性や能力を備えて行く人がいる半面、反社会的というか、本来人間として持ち合わせてはいけないと思われる能力や知識まで高度化していくものです。
でも一般的には、人は人との交わりの深まりを望むものであって、それこそが極めて人間らしい在り方であろうと思います。
若いころの私はどちらかと言うと、人との関係の大切さを重要視することなく、むしろ自分から避けていたような気がします。
避けようとする理由はここでは触れませんが。
かと言ってそれが自己の向上や満足に繋がっていたかと言えば、全く逆であり、その頃の時間が今思えば大変もったいない事をしたと反省をしております。
その事に気づいていれば、今の自分はもっと存在や意義深い人生を送っているかもしれません。
ある時、その事の大切さに気付いたわけですが、
まずは「人間ありき」
「人との関わりの大切さ」
「人は人と交わってこそ人」
それを、小さいころから身を以って教えてくれる人の存在が欲しかったものです。
結局は、本来教えてくれる人が傍にいなかった事、
それ自体が、人と交わる事を消極的にする人にしてしまったのでしょうね。
「人を好きになろうよ」
実は好きになってみるとこんなに素晴らしい存在はないのですが。
『人とつきあうのに秘訣があるとすれば、それはまずこちらが相手を好きになってしまうことではないでしょうか。瀬戸内寂聴(宗教家)』
Posted by misterkei0918 at
17:30
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2011年01月17日
好奇心の功罪
好奇心の功罪
何にでも興味を持つ人がいるかと思えば、
全く物事に興味を示さない自己陶酔というか他人無視なのか、
はたまた自分の事だけで頭がいっぱいなのか、
もしかすると興味は在りながら敢えてそのような態度を取るのか。
貴方はどのような好奇心をお持ちですか、
或いは好奇心に対してどのような行動を取りますか。
一般的には好奇心は歓迎されるもの、持つべきものと思いがちですが。
ある方のメルマガから、
その方の奥さまは好奇心の強い方で、しかも行動派のようです。
ある時、スピード違反で白バイにつかまってしまいました。
さしづめ私であれば、
『違反するほどのスピードは出していないはず』
「かれこれこういう事情で、スピードを出さざるを得なかった。だから何とかならないのか」
こんな言い訳をして、許してくれるわけがないのですが。
その奥さまは、そこでも好奇心を発揮します。
「おまわりさん、どうして白バイは白いの?」
そのおまわりさんとはその話で終始。
最後は、親しくなって笑顔で別れたとか。
私にはとても出来ない芸当ですが、そんな時には諦めて、折角なら楽しい話題で盛り上がって、しかも仲良しになって「さよなら」した方がいいのでしょうね。
逆な事もあります。
好奇心の余り、その発露が相手にとって嫌な印象になってしまう。
そんな経験は私だけではないでしょう。
余りにも好奇心が強くて、相手のプライベートの細部にまで及ぶ事、
しかも根掘り葉掘り、しつこく・・・・・
会社の事を余りにも立ち入って聞きすぎる事。
どうして、そこまで言わなければいけないのか?
何故、そこまで聞くの?
挙句は嫌悪感に包まれ、「この人とはこれ以上付き合えない」という所まで行きついてしまいます。
好奇心の発露が、相手を心地良くさせるのか、
或いは毛嫌いされるのか。
自分が常に相手の立場に立って、そんな事も考えてみる事も面白いものです。
自分にとっては、行きすぎと思っていても相手はそうでなかったり、遠慮の余りが逆に関係を遠ざけてしまう結果になるやもしれませんし、
それは、人としての多くの関係ややり取りの中で学んでいくものなんでしょうね。
何にでも興味を持つ人がいるかと思えば、
全く物事に興味を示さない自己陶酔というか他人無視なのか、
はたまた自分の事だけで頭がいっぱいなのか、
もしかすると興味は在りながら敢えてそのような態度を取るのか。
貴方はどのような好奇心をお持ちですか、
或いは好奇心に対してどのような行動を取りますか。
一般的には好奇心は歓迎されるもの、持つべきものと思いがちですが。
ある方のメルマガから、
その方の奥さまは好奇心の強い方で、しかも行動派のようです。
ある時、スピード違反で白バイにつかまってしまいました。
さしづめ私であれば、
『違反するほどのスピードは出していないはず』
「かれこれこういう事情で、スピードを出さざるを得なかった。だから何とかならないのか」
こんな言い訳をして、許してくれるわけがないのですが。
その奥さまは、そこでも好奇心を発揮します。
「おまわりさん、どうして白バイは白いの?」
そのおまわりさんとはその話で終始。
最後は、親しくなって笑顔で別れたとか。
私にはとても出来ない芸当ですが、そんな時には諦めて、折角なら楽しい話題で盛り上がって、しかも仲良しになって「さよなら」した方がいいのでしょうね。
逆な事もあります。
好奇心の余り、その発露が相手にとって嫌な印象になってしまう。
そんな経験は私だけではないでしょう。
余りにも好奇心が強くて、相手のプライベートの細部にまで及ぶ事、
しかも根掘り葉掘り、しつこく・・・・・
会社の事を余りにも立ち入って聞きすぎる事。
どうして、そこまで言わなければいけないのか?
何故、そこまで聞くの?
挙句は嫌悪感に包まれ、「この人とはこれ以上付き合えない」という所まで行きついてしまいます。
好奇心の発露が、相手を心地良くさせるのか、
或いは毛嫌いされるのか。
自分が常に相手の立場に立って、そんな事も考えてみる事も面白いものです。
自分にとっては、行きすぎと思っていても相手はそうでなかったり、遠慮の余りが逆に関係を遠ざけてしまう結果になるやもしれませんし、
それは、人としての多くの関係ややり取りの中で学んでいくものなんでしょうね。
Posted by misterkei0918 at
16:34
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2011年01月17日
出会いは最大の創造
出会いは最大の創造
想像と言えば、物つくりとかアイディア、ビジネスモデル・・・・・を思いがちですが最大の想像に繋がるものは人との出会いではないでしょうか。
人に遭い、
人にもまれ、
人から叱咤され、激励され、
人から勇気を頂き、
人から叡智を授かる・・・・・
ノーベル賞を取られた方々が、まず言われるのは「良き師に恵まれた」事を良く強調されます。
一番は永い年月におけるご自分の努力である事は誰しも認めるところですが、その前に「自分に刺激を与えてくれた人」、「自分に努力を継続的にすることを教えてくれた人」の存在がある事を必ず口にされます。
それと大事なのは、「自分自身の新たな創造」の大切さを自らが気付いたり、良き師から示唆を頂く事の大切さだと思うのです。
長い人生の道のりで、旧態とした自分ではなく、自分とは一味も二味も事なった自分の創造が出来るのか否か。
人生は、常に新しい自分を創造できるかが楽しく豊かな人生を創造できるかに掛っているような気がするのです。
人との交わりは必ずしも有益な情報の提供や交わりのみが存在するわけではありませんが、様々な分野において刺激的で、悩ましい問題も大いに提供してくれます。
それが実は大事なもののようです。
ぬるま湯的な状態に甘んじる人生や日常は決して生産的でもありませんし、創造的でもありません。
様々な考えや人間性、言動によって、常に影響を受け、試行錯誤を強いられ、珠には驚きであったり、侮蔑の対象であったりするものです。
全ての人々がそれぞれに刺激的、感動的、示唆的であります。
創造を考えるなら、真っ先に人との交わりにこそ創造の端緒や引き金が存在することを認識していた方が早道のようです。
『人生とは出会いであり、その招待は二度と繰り返されることはない。カロッサ』
『二人の人間の出会いとは、二つの化学物質が接触するようなものです。
もし、何かの反応が生ずれば、両方とも変わってしまいます。ユング(心理学者)』
『人間は自己の運命を創造するのであって、これを迎えるものではない。ヴィルマン』
『人間は意欲すること、そして創造することによってのみ幸福である。アラン』
想像と言えば、物つくりとかアイディア、ビジネスモデル・・・・・を思いがちですが最大の想像に繋がるものは人との出会いではないでしょうか。
人に遭い、
人にもまれ、
人から叱咤され、激励され、
人から勇気を頂き、
人から叡智を授かる・・・・・
ノーベル賞を取られた方々が、まず言われるのは「良き師に恵まれた」事を良く強調されます。
一番は永い年月におけるご自分の努力である事は誰しも認めるところですが、その前に「自分に刺激を与えてくれた人」、「自分に努力を継続的にすることを教えてくれた人」の存在がある事を必ず口にされます。
それと大事なのは、「自分自身の新たな創造」の大切さを自らが気付いたり、良き師から示唆を頂く事の大切さだと思うのです。
長い人生の道のりで、旧態とした自分ではなく、自分とは一味も二味も事なった自分の創造が出来るのか否か。
人生は、常に新しい自分を創造できるかが楽しく豊かな人生を創造できるかに掛っているような気がするのです。
人との交わりは必ずしも有益な情報の提供や交わりのみが存在するわけではありませんが、様々な分野において刺激的で、悩ましい問題も大いに提供してくれます。
それが実は大事なもののようです。
ぬるま湯的な状態に甘んじる人生や日常は決して生産的でもありませんし、創造的でもありません。
様々な考えや人間性、言動によって、常に影響を受け、試行錯誤を強いられ、珠には驚きであったり、侮蔑の対象であったりするものです。
全ての人々がそれぞれに刺激的、感動的、示唆的であります。
創造を考えるなら、真っ先に人との交わりにこそ創造の端緒や引き金が存在することを認識していた方が早道のようです。
『人生とは出会いであり、その招待は二度と繰り返されることはない。カロッサ』
『二人の人間の出会いとは、二つの化学物質が接触するようなものです。
もし、何かの反応が生ずれば、両方とも変わってしまいます。ユング(心理学者)』
『人間は自己の運命を創造するのであって、これを迎えるものではない。ヴィルマン』
『人間は意欲すること、そして創造することによってのみ幸福である。アラン』
Posted by misterkei0918 at
16:03
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