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2011年01月26日

「むきだしだが不快でない好奇心」・・・江戸の日本人

「むきだしだが不快でない好奇心」・・・江戸の日本人

先日、ブログで「好奇心の功罪」を書いたばかりだったのですが、再び好奇心について書きたくなりました。

というのも、ある方の勧めで「逝きし世の面影」という本に出会い、その中に極めて興味深い事が記載されていたものですから、再び触れてみる事にしました。

好奇心という言葉は、奇異なものを好きになる、興味を傾ける、日常でないものに触れたいという思い・・・などと私自身は解釈をするのですがどうも日本人の独特な好奇心を、江戸末期に訪れた外国人の目でみて記載している部分をその本の中に発見しました。

この本の著者は、渡辺京二さん。
初版が2005年9月9日。

江戸幕府末期に多くの外国人が、日本を訪れましたがこの方々がつぶさに見た日本や日本人の姿を細かく記載している本です。

この本を手にすることで、日本人としての思いを改めて思い浮かべるとともに古き日本の素晴らしさを再認識させてくれます。

その中で、日本人の好奇心について記載している部分です。

1860年代の初めに来日し、15年にもわたって日本に在住したブラック(John Reddie Black)が、


『彼らの無邪気、率直な親切、むきだしだが不快でない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意思は、われわれを気持ち良くした。

一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。
さらに、通りがかりに休もうとする外国人は殆んど例外なく歓待され、「おはよう」と気持ちの良い挨拶を受けた。

この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった』


このように日本人を評しています。

海軍将校・商人・ジャーナリストであるブラックは、羽をついて顔に墨を塗り合っている日本の大人たちを、

『そこには、ただ喜びと陽気があるばかり。
笑いはいつも人を魅惑するが、こんな場合の日本人の笑いは、ほかのどこで聞かれる笑い声よりも、いいものだ。

彼らは非常に情愛深く親切な性質で、そういった善良な人たちは、自分ら同様、他人が遊びを楽しむのを見ても嬉しがる』

私どもは、幕末と言うとさぞかし江戸時代が人々にとって住みにくい時代であったろうと創造しますし、理解していますが、当時来日していた外国人が口を揃えて、日本人、日本文化の称賛をしている事を学ばないといけないようです。

その目で、明治維新を眺めてみるとまた新しい視点が生まれそうです。

機会がありましたら、この本を手にしてくださいませ。
  


Posted by misterkei0918 at 18:03Comments(0)

2011年01月26日

感激が多いほどいい死に方をする?

感激が多いほどいい死に方をする?

今朝は7時から経営者団体の勉強会でした。

経営者団体の勉強会だから、経営に関わる事の勉強と思われるかもしれませんが、実はそうではなく、歴史とか偉人とか、精神性とか、文化とか。

引いては経営に繋がっていくのですが。

その中で「感激が多いほどいい死に方をする」という言葉が耳に残りました。

決してそれだけではないのですが、際立って頭に残ったと言った方がいいかもしれませんね。

この世から離れるときは、

出来れば苦しむことなく、
出来れば家族や周りに心を残すことなく、
悲しませることなく、
後々、問題を残すことなく、
災いや恨み辛みを消し去って、
見事にこの世に精算をして・・・・・

そうありたいものです。

所がそうはいきませんよね。

未練を残し、
悲しみや苦しみを残し、
或いは問題まで残しているやもしれません。

出来る事なら、折角残すなら、役に立つ多くの財産でも残せるといいのですが。

そうです、
感激が多い程、いい死に方をするらしいです。

自分自身も多くの数え切れないほどの感激の場面を経験したいものですが、

出来れば、多くの方々に多くの感激を与えられる人生が送れると最高ですね。

それもいい意味での感激を。

感激、感動は「激しく心が動く」事ですから、中途半端ではいけませんよね。

いつまでも心に残って、しかも十分な刺激になって、相手を行動にかき立てる位の。

今日もそんな思いを胸に秘めて!!
  


Posted by misterkei0918 at 11:52Comments(0)

2011年01月26日

過去を悔いる事はない

過去を悔いる事はない

今朝6時前のNHKラジオを聴いていました。
仏教関係のお話です。

「過去を悔いる事はない」との事。
私もそのように実感を以って感じ、思っています。

人の人生はどのような展開をするか、誰にも確実に予想する事も決める事も出来ません。

確実性のない、ある程度の方向性やあり方を努力や周りからの力によって導く事は出来ますが、それでさえも何も保証されるものでもなく、もしかするとそうなるかもしれない程度の事でしかありません。

幸せの絶頂にある人が、何の前触れもなく途端の苦しみの世界へと落ち込む事もありますし、逆に貧乏のどん底にいた人が、瞬間的に、誰もが羨む、幸運に恵まれることだってあります。

それは、滅多にない事でもありませんし或いは私どもの周辺で日常的に展開されている事であります。

或いはそんなに極端な事でなければ、自分自身の身の回りでも起こり得てますし、もっと小さな出来事が日常的に起こっている事でもあります。

私の人生でも、一喜一憂、波乱万丈、一寸先は闇的な事は幾度となく経験してきました。

そのひとつひとつを後悔していてはキリがありません。
糧とする事はあっても、余りにも思いめぐらす事はなさそうです。

過去の否定や過ぎる懺悔は、今の為に決して有益には働かないような気がするのです。

過去は今の自分を造るためのものであって、忌み嫌うもの、捨て去るものでもなさそうです。

むしろ肯定的に考えて、その全てが無駄ではなかった位に考えておいた方が今の自分を前向きにしかも意義深く生きる事が出来そうです。

過ぎ去った過去に引きずられることなく、一歩先を見つめる事が素晴らしい未来への創造に繋がるようです。

でも、過去の自分と決別するにはそれだけの反省と精算、償いは当然必要ですよね。
邪悪な過去であれば尚更の事。

現在は、過去の延長線上にあり、その結果としての今ですから。

今日もその思いを胸に抱いて、今日も逞しく生きてゆきましょう。
  


Posted by misterkei0918 at 06:11Comments(0)