2011年01月05日
またもや救急へ
またもや救急へ
年末の30日、また日赤の救急のお世話になる事になってしまいました。
26日の早朝、いつものように大濠公園のウォーキングです。
どうも左肩が可笑しいのです。
いつぞや経験した50肩の再来かと思ったほどです。
筋肉の痛みとか、傷の痛みでない事は多くの経験から素人の私でも分かります。
確かに痛みそのものは神経性。
その後、変だと思いながら数日が経過した29日夜。
体に何かしら痒みが感じられるようになってきました。
しかもそれが左胸から、左背中。
直感です。
「帯状発疹」
とうとう30日の朝に日赤へ飛び込む始末です。
当然、年末の30日ですから、通常の診察体制ではありませんでした。
11月の初旬に3度も日赤の救急にお世話になっていますからどうも常連になったようで困ったものです。
救急ですから当然皮膚科の先生は居られません。
どうも整形外科の先生らしく、
私が「先生、どうも帯状発疹のようです」
と、申しあげたら、
「どうもそのようですね」との診察。
飲み薬と塗り薬を頂いて帰宅。
2か月以内の救急ですから、家族もあきれ顔。
仕方ありません。
振り返ってみたら、
今年は、やはり無理なスケジュールで動いていたんですね。
体は疲れを感じていたわけでもなく、いつもの通りだと思っていたのですがやはり疲れが蓄積していたのでしょう。
先生から「当分の間、安静ですよ」
などと言われてしまいました。
年末の30日、また日赤の救急のお世話になる事になってしまいました。
26日の早朝、いつものように大濠公園のウォーキングです。
どうも左肩が可笑しいのです。
いつぞや経験した50肩の再来かと思ったほどです。
筋肉の痛みとか、傷の痛みでない事は多くの経験から素人の私でも分かります。
確かに痛みそのものは神経性。
その後、変だと思いながら数日が経過した29日夜。
体に何かしら痒みが感じられるようになってきました。
しかもそれが左胸から、左背中。
直感です。
「帯状発疹」
とうとう30日の朝に日赤へ飛び込む始末です。
当然、年末の30日ですから、通常の診察体制ではありませんでした。
11月の初旬に3度も日赤の救急にお世話になっていますからどうも常連になったようで困ったものです。
救急ですから当然皮膚科の先生は居られません。
どうも整形外科の先生らしく、
私が「先生、どうも帯状発疹のようです」
と、申しあげたら、
「どうもそのようですね」との診察。
飲み薬と塗り薬を頂いて帰宅。
2か月以内の救急ですから、家族もあきれ顔。
仕方ありません。
振り返ってみたら、
今年は、やはり無理なスケジュールで動いていたんですね。
体は疲れを感じていたわけでもなく、いつもの通りだと思っていたのですがやはり疲れが蓄積していたのでしょう。
先生から「当分の間、安静ですよ」
などと言われてしまいました。
Posted by misterkei0918 at
21:51
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