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2010年12月02日

お母さんは偉い

お母さんは偉い

「子どもの為に身を粉にして働く」とは母親の為にある言葉だと実感できます。

今朝も通勤途上に、自転車の前後に子どもを乗せて、必死の形相で急ぐ母親を拝見しました。

化粧も程ほどに、身なりもそこそこでしょうか。

父親が子育てに必死になる姿はつとに見ることは出来ませんが。母親のそれは日常的です。

「母親の愛情は空よりも広く、海よりも深く、山より高い」とも言います。


『母親の涙には、化学で分析できない深く尊い愛情がこもっている。ファラデー』


東京品川の船舶振興会、今では日本財団ですかね。
その正面に元会長・笹川良一さんと背負われたお母様の銅像が建立されています。

その碑文です。
『母背負い宮のきざはしかぞえても、かぞえ尽くせぬ母の恩愛』

笹川良一さんが59歳のとき、82歳の母親・テルさんを背負って金比羅参拝をされ、785段の石段を登ったときのことを詠われたようです。

「金比羅山の階段は数えられても母の恩愛は数え尽くせない」と、親の愛情の深さを賞賛されています。


翻って、「お前の親孝行はどうなっているのか」と問われているようです。

悲しいかな、自らに「親不孝物」と刻印を押しても文句が言えない自分に恥じ入るばかりであります。

親からは溢れるばかりの愛情を頂きながら、返すのは親不孝の数々ばかり。

「親孝行したい時には、親はなし」
そんな人としてあるまじき事態には陥らないように、自らを戒めないといけませんね。

お母さんは偉い!!  


Posted by misterkei0918 at 16:52Comments(0)

2010年12月02日

家族の力は怖いほど

家族の力は怖いほど

最近は尊属的な事件事故、殺人を日常的に耳にする時代になりました。

昔から「骨肉の争い」とか、
「愛情が深いほど、変じて憎しみも深い」
「愛憎劇」とか、色んな言い方をされます。

元来、愛情にまみえて当然の親子関係や兄弟、親族が一旦歯車が狂い始めると収拾がつかなくなり、卑属のトラブルよりも強烈な結末を迎えるのも頷けるような気がします。

でも、世の中の殆どはその逆で、睦まじく、支えあって、心繋がって過ごしているものです。

家族の力は怖いほどに、凄いものがありますしそれを拠り所として生涯を送っていくものです。

私のように親が片親しかいなかったり、兄弟のいない人間にしてみたら多くの家族を抱えた人々は羨ましい限りです。

人は、あの人の為なら「生涯を捧げてもいいとか」、「命も惜しくない」、「財産を投げ打ってでも助けてあげる」・・・・・

そんな親子や兄弟が殆どであります。

血の繋がりは本当に貴重であり、大切なもの、頼りになるものであります。

私自身の事を振り返ってみても、そんな事を実感してしまいます。

29歳で起業をした私は、当時家内に大変な心配をかけることになってしまいました。

蓄えのない若いサラリーマンが、一軒家は新築したばかり、長男は誕生した直後。

一般的には、起業など考えませんし、すること事態が狂った行動にしか写らないかもしれません。

親兄弟に財産があって支援してもらえるわけでもなく、事業の応援をしてくれる人も無くそれこそ無謀の極みであります。

だけど、人は「火事場の馬鹿力」ではありませんが、そこに家族がいるからやれるのです。

家族の為なら、命を削ってでも事業を成功させ、決して路頭に迷わせないと粉骨細心、時間を惜しみ、無い頭を振り絞って努力をするものです。

考えたら、それを利用して頑張る力を生み出していたのかも知れませんね。
当時、そんなところまで考えていたわけではありませんが。

家族の力は怖いほどの魔力を持っているものです。
人は不思議なもの。
それを頼りに、生きがいにして逞しく生きる力に転化できるものです。  


Posted by misterkei0918 at 15:06Comments(0)

2010年12月02日

ありのままの自分・・・自己肯定

ありのままの自分・・・自己肯定

12月1日のNHKラジオを聴いていましたら、テレビに良く出ておられる姜 尚中(かんさんじゅん)さんが出ておられました。

日頃からそのお人柄に魅力を感じておりましたが、やはりそれに違わない人のようです。

在日の韓国人で熊本で生まれ育たれたようです。

話の中に幾度と無く「開き直り」の話が出てきました。

自分のありのままを見る気持ち、ありのままでいいとする気持ち・・・自己肯定の大切さをおっしゃっておられます。

ご自身も少年、青年時代はかなり葛藤を経験され、後に「ありのままの自分・・・自己肯定」の大切さを感じ、それでいいんだとする気持ちが後々の自分の成長に繋がったといわれていました。

確かにそうですよね。

自分の生まれや育ち、環境、精神や体・・・・・そのどれをとっても人とは違うものであって、それがそれこそ自分そのものであり、ありのままなのですが人間はどうもそれを良しとしないように出来ているのです。

私は良く、「開き直り」と言います。
つまり「これでいいんだ」とする思いであります。

例えば、何か重大な事に直面したとします。
一生懸命に対峙し、乗り越えようと努力をしました。

時間の猶予はありません。
そんな時にはそれこそ「開き直り」。

もうここまでくれば自分を飾る事も必要ありませんし、むしろ
ありのままをさらけ出すことの方が大切ですし、そのほうが上手くいくコツのようです。

人間として自分のありのままを肯定し、そのことを良しとする姿勢。
それがとても大事な用ですね。

人間は自分のありのままは出来るだけ見ようとしないものですし、自分自身は周りからすると劣っているもの、卑下の対象であったり、屈辱的に見てしまいそうですが、「開き直り」、「ありのままの自分・・・自己肯定」がチャンと出来るといいのかもしれませんね。

私も若い頃は、自分が嫌でこのままでは人生を全うできるかまで危惧したものでした。

いつの頃からか、諦めと言うか、自分は自分で仕方ないと言う思いに切り替わり随分と楽になった時期がありました。

必要以上の背伸びをしないで、「ありのままの自分・・・自己肯定」で良さそうですよ。  


Posted by misterkei0918 at 00:45Comments(0)

2010年12月02日

悩み抜いた先のことに思いを馳せてみたら?

悩み抜いた先のことに思いを馳せてみたら?

人生には不思議な事がたくさん存在するものです。

自然現象だって、日常的に身の回りで起こる様々なこと。

私ども人間そのものの精神作用というか、心の動きもその一つですしなかなか自由にならない極めて厄介な存在です。

いっその事、もっと単純明快であって欲しいと願うものは私一人ではないでしょう。

逆に単純明快に出来ていないからこそ、人それぞれ多種多様で侭ならず、自由にならないもどかしさや価値観の相違、趣味思考の違い、一致しない思惑、思想信条、人そのものの物理的な違いなど、多くの複雑さゆえの面白みや困難さがいいのかもしれませんね。

それが一様であれば、人生は全く面白みの無い、努力しても報われない状況になっているのかもしれません。

そして人生は悩みが多いからこそ、葛藤もあり、競争もあり、努力もするものです。

ですから悩み多い人生だからと言ってつまらない人生、面白くない人生、幸福から程遠い人生とはいえないような気がするのです。

だからこそ、人は悩むのだと思っています。

悩み苦しみは、悩み苦しむために存在するのではありません。
明るい未来や幸福の扉を開くための胎動であることは間違いは無いのです。

現実に悩んでいる今の事を考えれば、先の見えない、暗闇を手探りをしているようにも見えますが朝の来ない夜がそうであるように、必ず光明は差して来るものです。

その細い光明が見えて時の心のあり方が大事なようです。

悩みにばかり気を取られていると、折角身近に辿りついた小さな光明に気付かない、若しくは無視を決め込んでいるのです。

悩み抜いた先のことに思いを馳せてみることが大事なようです。

悩みから解き放たれた時の心地よさは経験しないとわからない事ですし、その恩恵に預かろうとする気持ちの存在が大事なのではないでしょうか。

悩みはいつまでも続かない事、
悩みは幸福への呼び水であることを信じること、

行動的に積極的に立ち向かう気持ちが悩みを和らげる事、
悩み多き時ほど、人との交わりを忘れない事、

一人で解決しようなどと思い上がらないこと、
そんなときほど、笑顔を忘れない事、

悩みが一番嫌いな事・・・それが笑顔なんです。  


Posted by misterkei0918 at 00:06Comments(0)