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2010年12月01日

どうも人生は独り相撲を取る様につくられている

どうも人生は独り相撲を取る様につくられている

人生は一様ではありませんし、思うほど単純なものでもありません。
どうも人生は人間を苦しめるために存在するのかと思わせるほど毎日が苦難の日々です。

どうしてこんなに人生は難しいのかと不思議な気さえしてくるのです。

特に多感な時期は、自分の人生に悲嘆をして見たり、将来への不安や、人との違い、家庭環境などに心の全てを奪われてしまい、お先真っ暗状態にも陥ってしまうものです。

このような状態で人生を全うできるのか、
今のままの人間で果たして社会に出れるのか、

果たして結婚など出来るのか、
恋愛さえ、十分に出来ないのに、

自分だけ何故不遇に生まれたのか、
こんな親の元に生まれたくなかったのに、
どうしてもっと裕福な家庭に生まれなかったのか、



考えたらきりが無いものです。

ところが、自分が生まれた境遇や与えられた人生を人は上手に比較できる能力は十分に備えて生まれてきたようです。

ただ、表面的なことだけをね。

他人の内面や家庭環境、境遇は、本の僅かでも垣間見る事が出来ていないくせに。

自分の優位性や優れた側面を、片時も見ようともしないで。

つまり他人を見る目は細くて、自分を見る眼は見開いているんです。

年齢を重ねてみると、なんと自分の人生や与えられたものも他人も差して異なるものは殆どないことに気付くものです。

だから人生はいいんでしょうね。
差が無い事が分かるとなると、多分競争心や努力をしなくなるのは目に見えているのです。

自分が劣っているとか、負けている、このままでは人生を全うできないと感じるように出来ているようです。

自分の優位性を確保するために賢明に努力するように仕向けるように出来ているのです。

誰がこんな仕組みを作ったのでしょうかね。

振り返ってみると、誰でも一人相撲を取るように出来ているようです。  


Posted by misterkei0918 at 19:37Comments(0)

2010年12月01日

本は傍らにおいて置くに限る

本は傍らにおいて置くに限る

元来、若い頃から読書が好きで通勤や時間が取れる時に読んでいたものです。

東京での会社務め時代は通勤時間が約一時間ほどかかっていましたので、貴重な読書タイムでした。

一番読んだのは、亀井勝一郎さんの本でしたがその大事にしていた本の数々はどこへいったのでしょうかね。

多分、私にとっては難しい内容の本でしたので殆ど記憶には残っていませんが、多感な頃に読みましたので物の考え方や私の人生観などの大いなる影響は与えたものと推測します。

そうあって欲しいのです。

でも、29歳で起業して以来は読書の時間として取り立てて取る事はなくなってしまいました。

経営の本とか、業界絡みなどの本はどうしても必要に駆られて読むことはありますが、例えば偉人物とか、小説、歴史物・・・じっくり読むことはなくなってしまいました。

ところが最近、自分から進んで読書会へ出かけてみたり、歴史口座へ飛び込んでみたりするようになって来ました。

もう馬齢を重ねておりますので、吸収の度合いは少なくはなりましたが、出来るだけ時間を割いて出席をするように務めています。

ですから、今では手にする本が殊のほか増えてきました。
多分、少なくても月に4~5冊は購入をしています。

だからと言って、全てを読破しているのではありません。
読み齧っているといったほうが正確で、車の中や会社の私の机の傍に積みあがっているのです。

でも。本はそれでもいいと思っています。

いつか関心が出てきた時に、手を差し伸べて必要な部分だけを読む。

私は実は道路の赤信号の時に、良く本を読んでいます。
そのお陰で、車の発進が遅れたりはしていますが。

赤信号の間に、結構読めるのです。
神経が集中していますので、結構頭に残っていたりして。

そうですね、
今、車の中には30~40冊は乗っていると思います。

本は、全てを読まなくても買いたいと思う本を気持ちが乗っている時に購入し、必要な時に必要な部分を読めばそれで十分だと思います。

昔から、「座右の本」とも言いますしね。
「本は傍らにおいて置くに限る」、それでもいいと思います。

最近、美術館や博物館へ出向く事があります。
その時にも、その時にしか変えない本がありますので出来るだけ買い求めるようにしています。  


Posted by misterkei0918 at 18:48Comments(0)