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2010年06月22日

教えることは自らの気付きに通ず

教えることは自らの気付きに通ず

何でもいいから、人に教えられるものを持つことは素晴らしいことです。

素晴らしいというと、人より優位に立てるからとか、注目をされるからなどの軽い理由に寄るものではありません。

他人に教えることが出来るほどに知識を持つ、あるいは経験を積むということは人並みではいけませんよね。

何処か少しでも優れているところや知識、経験があればこそ、人に教えることが出来るのであって同じ程度であれば教えてもらうまでもありませんし、却って無駄な時間を費やすことにもなり、相手の無知さ加減を確認し、侮蔑の眼差しを向けることにもなり、決して良いことには繋がりません。

人に教えようとすれば、伴って努力も必要ですし人よりも優るものが備わっていなくてはいけません。

学びや経験は、重ねるほどに自らの知識の浅さや経験の不足を知る結果となり、加速的に深まっていくものであります。

しかも、それらを教えることで有り難いのは自らの知識の浅さや経験の不足を知るだけではなく、人に理解させることの難しさやその要領を体得することではないでしょうか。

それは、自らに人生においても多くの人間関係に醸成に際立って意義深く役立ってくれるものであり、人を説得したり、諭(さと)したりする上で大きく貢献してくれるものであります。

出来れば、何か一つ人に教えてあげられるもの。
あるといいですね。

今からでも遅くないような気もします。


『人に教えることによって、もっともよく学ぶ。セネカ』


『学ぶとは心に誠実を刻むこと。
教えるとはともに希望を語ること。ルイアラゴン』


『教えるということは、こちらが差し出したものがつらい義務ではなく貴重な贈りものだと感じられるようなことであるべきです。アインシュタイン』
  


Posted by misterkei0918 at 23:37Comments(0)

2010年06月22日

教えて頂くことは有り難い

教えて頂くことは有り難い

先生に指導を仰ぐことは、当たり前ですし抵抗はないものです。
先生は教えるのが仕事ですし、年齢的にも上ですし、それなりの人格を備えた人物だと踏んでいますから。

ですが、後輩、私よりも年端のいかない人間から物事を教えてもらうなど、抵抗したくなる何ものでもありません。

でも、最近馬齢を重ねたんですね。
人から、とりわけ若い方から物事を教えていただくことに抵抗が少なくなってきました。

むしろ微笑ましくもあり、頼もしさを感じたり。

或いは、観念したと言うか、気が弱くなったと言うか、人間的に丸くなったと言うべきか。

考えてみましたら、やはり世の中が変わったんですよね。

一人の人間の知恵や知識だけでは、到底覚束(おぼつか)ない時代になりましたし、歳を重ねた人々が未だに経験したことの無い先進的な観念や技術が出てきて、その事については若い吸収力のある人間から学ばねばならない時代になったと言うことでしょう。

良く平成維新と言われますが、そういう意味では勝手の明治維新の様な姿が再現されているのかも知れませんね。

明治維新は今とは比較にならないほど、大変だったでしょう。

新しい時代の波のうねりを創るのも乗りきれるのもどうも若さが必要なようです。

歳を重ねても、若いものに混じって切磋琢磨を怠っては取り残されてしまいます。

相手が若造であっても最近は抵抗なく教えてもらうことが出来るようになってきました。

時代の波を若いもののように上手には乗り切れなくても、追いすがって行こうとすることは決して無駄ではなさそうです。

昔から「老いては子に従え」、
「負うた子に道を教えらる」と昔の方々は言ったものです。

つまり自らの身の程を知って、頑なに自らの考えや経験だけに捕らわれず若い人々の力を借りなさいと言うことでしょう。

教えて頂けることは本当に有難いことです。


『人は成熟するにつれて若くなる。ヘッセ』


『始めることさえ忘れなければ、人はいつまでも若くある。マルチンブーバー』


『学ぶことをやめた人は誰でも老いている。
二十才であっても八十才であっても、学びつづける人は誰でも若い。
人生で最も偉大なことは、心を若く保つことだ。自動車王:フォード』


『青春とは心の若さである。
信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものである。京都真々庵 訓言』
  


Posted by misterkei0918 at 23:09Comments(0)