2010年06月18日
あなたは変わる事が出来る!!
あなたは変わる事が出来る!!
世の中は刻々と変化を遂げますが、それに連れて変われないのは自らに責任があるものです。
変われないのは世の中の責任だなどと転嫁しても何の解決にもならないものです。
むしろ変われない自分を眺めることに終止し、そこに安住の地があるが如き錯覚に陥っているものです。
変われない自分の生傷を舐めることでしか、自分の存在価値を実感出来ないのかも知れません。
きついことを書いてしまいました。
若い頃の自分がそうでしたから、私自身の体験として書いてみました。
むしろ変われないことに快感を感じたり、同情を買うことに自らの慰めにしていたことも認めるところです。
本来、地球上の歴史において人間ほど変化を遂げてきた動物はいないのではないでしょうか。
急激な変化にも耐えるように出来ていますし、その為に人類は知恵や知識を蓄え、精神作用を備えたのでしょう。
「強かったから生き延びたのではなく、変化したから生き延びた」という言葉に象徴されるように人間は変化に耐えるように出来ているものです。
例えば、赤道直下でも北極でも生きている動物を知りません。
日常的な中でも本来は刻々と変化をしているものです。
変化は楽しいもの、変化の先には幸せが待っている、変化こそが自らの道を切り開く唯一の方法である・・・・・等と自分を鼓舞することで新しい展開を試みることです。
ちょっとした工夫、少しの勇気、行動が素晴らしい未来へと誘(いざな)ってくれるものです。
変化の激しい現代、
そのままで置いてきぼりを食うか、一歩を踏み出すか。
その差は大きいものです。
『人生とはその時々に自然に変化し、移りゆくものです。
変化に抵抗してはなりません。それは悲しみを招くだけです。老子』
『変化に早く適応すること。
遅れれば、適応できなくなるかもしれない。
最大の障害は自分自身の中にある。
自分が変わらなければ好転しない。スペンサージョンソン』
『変化への抵抗の底にあるものは無知である。
未知への不安である。
しかし、変化は機会と見なすべきものである。
変化を機会としてとらえたとき、初めて不安は消える。PFドラッカー』
『生き残る種とは、もっとも強いものではない。
もっとも知的なものでもない。
それは、変化にもっともよく適応したものである。ダーウィン』
世の中は刻々と変化を遂げますが、それに連れて変われないのは自らに責任があるものです。
変われないのは世の中の責任だなどと転嫁しても何の解決にもならないものです。
むしろ変われない自分を眺めることに終止し、そこに安住の地があるが如き錯覚に陥っているものです。
変われない自分の生傷を舐めることでしか、自分の存在価値を実感出来ないのかも知れません。
きついことを書いてしまいました。
若い頃の自分がそうでしたから、私自身の体験として書いてみました。
むしろ変われないことに快感を感じたり、同情を買うことに自らの慰めにしていたことも認めるところです。
本来、地球上の歴史において人間ほど変化を遂げてきた動物はいないのではないでしょうか。
急激な変化にも耐えるように出来ていますし、その為に人類は知恵や知識を蓄え、精神作用を備えたのでしょう。
「強かったから生き延びたのではなく、変化したから生き延びた」という言葉に象徴されるように人間は変化に耐えるように出来ているものです。
例えば、赤道直下でも北極でも生きている動物を知りません。
日常的な中でも本来は刻々と変化をしているものです。
変化は楽しいもの、変化の先には幸せが待っている、変化こそが自らの道を切り開く唯一の方法である・・・・・等と自分を鼓舞することで新しい展開を試みることです。
ちょっとした工夫、少しの勇気、行動が素晴らしい未来へと誘(いざな)ってくれるものです。
変化の激しい現代、
そのままで置いてきぼりを食うか、一歩を踏み出すか。
その差は大きいものです。
『人生とはその時々に自然に変化し、移りゆくものです。
変化に抵抗してはなりません。それは悲しみを招くだけです。老子』
『変化に早く適応すること。
遅れれば、適応できなくなるかもしれない。
最大の障害は自分自身の中にある。
自分が変わらなければ好転しない。スペンサージョンソン』
『変化への抵抗の底にあるものは無知である。
未知への不安である。
しかし、変化は機会と見なすべきものである。
変化を機会としてとらえたとき、初めて不安は消える。PFドラッカー』
『生き残る種とは、もっとも強いものではない。
もっとも知的なものでもない。
それは、変化にもっともよく適応したものである。ダーウィン』
Posted by misterkei0918 at
18:38
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2010年06月18日
人はそれぞれにいいのかも
人はそれぞれにいいのかも
私共はあの人はどうだの、この人はこうだの・・・よく言います。
それはあくまでも私の基準であって、普遍的なものでもありませんし、誰が見ても同じ判断になることは決してありません。
先日、こんなことがありました。
私が数十年前から存じ上げている方です。
私のこの方への評価は、人格、識見共に素晴らしく、足元にも及びませんしいつも尊敬の眼差しで拝見しています。
また、弁舌爽やかで、物事をはっきり表現され、表情にも人を引きつける魅力を持っておられます。
つまりこれは私の独りよがりな、しかも私だけの一面からの見方なんですね。
友人とその方の話になりました。
本人がおられない処で人の評価の話など失礼千万の事ですが。
ましてや先輩のことを。
私がその方の事を上記の如く話すと、
彼曰く、
「そういう評価もする人がいない訳ではないけど、むしろ逆の評価をする人が多いんですよ」と言うのです。
では私が今まで数十年に亘って持っていたその方への評価を羨望の眼差しは何だったのか?
つい、思い悩んでしまいました。
私が間違いを犯していたのか、人を見る目が備わっていなかったのか。
どうもそうではないようですね。
自分を慰めながらの考察ですが。
私も実は良く評価いただける方と、逆に「あいつはつまらない」と評価される方が存在すると言うことでしょうね。
神様ではないわけですから、万人から同じような見方、評価を受ける人間など存在しないかも知れません。
自分自身を思い起こしてもそうですが、人は裏表、多面性があってここが良くてもあそこが悪いとか気にくわないとか。
私を見る相手の精神模様、状況、曲折、印象・・・・・などのよっても左右されるものですから私の本来のあり方や姿勢、人間性とは異なった捉え方をされる場合も少なくないものです。
事件が起きたときに「えっ!!あの人が?」などもそうでしょうし、他の人が「あの人だったらそんな事もあるかもね」などに評価が分かれるのもそうですね。
人の事は一言では評価出来ない、難しいものです。
人の父親を「あの父親のもとで育つ子供は大変ね」が、子供からしたら「この父親の元に生まれて良かった」などもそうです。
と言う事は、やたらとしかも知ったかぶりで人の評価などを簡単にすべきで無いということでしょうね。
『人びとからよい目でみられることにいかに強い欲望をもつか、
人間性のうちでこの欲望ほど顕著なものはない。ジェームズミル』
『人への批判のその奥には、自分に対する自信の無さや、不安の故に優越感を持ちたい自分がいるものです。聖書の中の「互いに人を自分より優れた者としなさい」という言葉が絡まった人間関係を解く鍵となります』
私共はあの人はどうだの、この人はこうだの・・・よく言います。
それはあくまでも私の基準であって、普遍的なものでもありませんし、誰が見ても同じ判断になることは決してありません。
先日、こんなことがありました。
私が数十年前から存じ上げている方です。
私のこの方への評価は、人格、識見共に素晴らしく、足元にも及びませんしいつも尊敬の眼差しで拝見しています。
また、弁舌爽やかで、物事をはっきり表現され、表情にも人を引きつける魅力を持っておられます。
つまりこれは私の独りよがりな、しかも私だけの一面からの見方なんですね。
友人とその方の話になりました。
本人がおられない処で人の評価の話など失礼千万の事ですが。
ましてや先輩のことを。
私がその方の事を上記の如く話すと、
彼曰く、
「そういう評価もする人がいない訳ではないけど、むしろ逆の評価をする人が多いんですよ」と言うのです。
では私が今まで数十年に亘って持っていたその方への評価を羨望の眼差しは何だったのか?
つい、思い悩んでしまいました。
私が間違いを犯していたのか、人を見る目が備わっていなかったのか。
どうもそうではないようですね。
自分を慰めながらの考察ですが。
私も実は良く評価いただける方と、逆に「あいつはつまらない」と評価される方が存在すると言うことでしょうね。
神様ではないわけですから、万人から同じような見方、評価を受ける人間など存在しないかも知れません。
自分自身を思い起こしてもそうですが、人は裏表、多面性があってここが良くてもあそこが悪いとか気にくわないとか。
私を見る相手の精神模様、状況、曲折、印象・・・・・などのよっても左右されるものですから私の本来のあり方や姿勢、人間性とは異なった捉え方をされる場合も少なくないものです。
事件が起きたときに「えっ!!あの人が?」などもそうでしょうし、他の人が「あの人だったらそんな事もあるかもね」などに評価が分かれるのもそうですね。
人の事は一言では評価出来ない、難しいものです。
人の父親を「あの父親のもとで育つ子供は大変ね」が、子供からしたら「この父親の元に生まれて良かった」などもそうです。
と言う事は、やたらとしかも知ったかぶりで人の評価などを簡単にすべきで無いということでしょうね。
『人びとからよい目でみられることにいかに強い欲望をもつか、
人間性のうちでこの欲望ほど顕著なものはない。ジェームズミル』
『人への批判のその奥には、自分に対する自信の無さや、不安の故に優越感を持ちたい自分がいるものです。聖書の中の「互いに人を自分より優れた者としなさい」という言葉が絡まった人間関係を解く鍵となります』
Posted by misterkei0918 at
17:56
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